バンコクからプーケット
快適な朝。モーニングコールで目が覚める。1,200バーツということは1バーツ2.7円ちょっとだとして3,200~3,400円程度かな? 空港へのシャトルバスは、来た時と同じく飛ばす飛ばす。時速100kmくらいは出ている?
空は、雲がかかっていてどんよりとしている。でも、道路は濡れておらず、ジョギングをしている人などもいる。
タイは微笑みの国と言うが、空港の従業員、特に男の人が微笑んで作業しているような感じがした。 ただ、全員というわけではもちろんなく、シャトルバスの運転手のボーイさんはちょっと羨ましそうな顔をしていた。 タイは階級社会だというので、その関係か何か?
プーケットまでは1時間半ほどのフライト。朝食も出てとても快適だ。 フライト中、窓の外に見える、飛行機と同じくらいの高さまであるような大きな大きな雲の塊を見ながら、赤道近くの雰囲気を感じ始めていた。 | |
プーケットに到着した時は、バンコクに到着した時のように歓声と拍手は起こらなかった。感覚的には、欧米人がかなり多く、続いて日本人、というような乗客の状況だ。 荷物をピックアップして外に出るが、ここでも又、タクシーやホテルの客引きがわんさかといた。そして、荷物のチェックも行わなかったので、そういうものかな・・・と思い始める。
プーケットの空港で、組み立てはどこでしようかな・・・と思いつつ出口を出て右の方に進んだらちょっとした空き地があって、そこで組み立てをすることに。 今回は、傷が付きやすいと思って厳重にタオルでぐるぐる巻きにしたのだが、それでも数箇所傷がそれなりに付いていて、かなりショック。 組み立てはさすがに手馴れたもので、マニュアルなしで組み立てをする。
すると、組み立てを始めて少しした頃に、中で働いている現地の人が話し掛けてきて、自転車を持っていてくれるではありませんか。 これが助かった。 凄くスムーズに組み立てをすることができた。 名前はMukta(モクター。”モ”はモとムの中間)さん。 | |
そして、組み立て終わった時に、お勧めの観光場所などを教えてもらった。 あまり英語は話せないようなので、いざという時の為に用意した「6ヶ国語会話・3」を使って英語混じりのタイ語で話をした。 あまり考えずに持ってきたのだが、今後、この本にかなり助けられることに。
走り出してすぐ、シャツが汗でびしょびしょなので1枚脱ぎ、シャツ1枚になった。 | |
ただ、東京より蒸し暑くない。雲があるせいなのか、何なのか。 それでも、赤道近くなのでそれなりに暑いのは確かだ。特に日が出た時は。 | |
タイは4月が一番暑いというので、こういうものなのかな? と、とりあえず納得して走り続ける。 | |
プーケット島内を北上
タイの道は、路肩が広くてとても走りやすい。 それに、交通マナーもさほど悪くはない。 | |
テレビ、”水曜どうでしょう”のベトナム編で見た恐ろしい交通マナーとは無縁のようで、皆、規則正しく走っている。 | |
唯一、バイクがたまに逆走してくるが、上りと下りがはっきりと分かれていて数百メートルか進まないとUターンできない作りであるところがプーケット近くには多いようなので、仕方がないとも言える気がした。 たまに車も逆走しているけれども、ハザードランプ(?)を点滅させてゆっくりと走っていたので短距離かつ意識的であるように見た目は感じた。
途中で見た花。 | |
途中、寺院のようなマークが書いてあったのでわき道に入ってみることに。 | |
確信なく、進んで行く。 | |
やがて、このようなものが遠くに見えたが・・・・? どうも、よくわからない。 そして、すぐに行き止まりになり、そこにいたおばさんに6ヶ国語本で話し掛けてみた。 | |
すると、あれは記念碑のようなものだそうだ。 単語の少ない中で選んだので正確ではなさそうだが。 お墓ではないらしい。 そして、”サンキュウー”と言い、ここを離れる。
道に戻り、戻ったすぐのところに食堂があったので、いざ、その中に入ってみることに。 | |
食事がいくつかお鍋の中に入っており、選ぶ形式のようだ。 私は、ビーフとバナナが入った煮物と、野菜とチキンの入った煮物を選び、ご飯にかけてもらった。どちらも違う味だ。
この長細いタイ米、日本が緊急輸入した時はまずいまずいと騒がれたが、こちらで食べると何ともマッチしておいしい。 野菜とチキンのスープは少し辛めの味で、更に、おばさんが持ってきてくれたナンプラをつけてみたところ、更に激辛となった。 だが、気温が暑いせいか、何とかイケる。 日本で食べたら絶対に食べられない辛さである筈ですが、慣れればかなりいけるかも、という気もちょっとだけして来る。 写真にある左上のものはサービスしてくれた。 きゅうりとスイカの中間みたいな食べ物だ。
その食堂で食事をすると、水はいくらでも飲めるようだったのでがぶがぶ飲んだ。 実は、体はかなり水に飢えていたらしい。 そこで水のボトルを買ったら、1リットルで5バーツであった。他のところでも同じ量で同じ値段であったので、標準的な価格のようだ? 食事は30バーツだった。安い!
更に、パンも買ってからそこを離れる。 笑顔で送ってくれるので、私も手を振り返す。
プーケット島を抜ける
プーケット島を出る手前で、とても大きな王様の立て札を見かけた。 立て札なんて言うものではないくらい大きい。 つい、写真を取り損ねたが、もったいないことをした。
そこから更に進み、やがては、海岸線のすぐそこを通るようになった。 | |
海岸を一目見ようと、自転車を木陰に置いて進んで行く。 | |
するとそこには、情報の通りの、少し波がある海岸が広がっていた。 | |
この時期のアンダマン海(タイの西側の海)はモンスーン(?)の影響で荒れている、ということだった筈。 | |
なので、ダイビングには適さないとのことだ。 確かに、この波でダイビングはきつそうだ。 | |
そして、いよいよプーケット島を離れる。 | |
タイ本土上陸
この橋を渡り、プーケット島から抜けた。 橋からは、船がたくさん見えた。 | |
一方、そのボートに合わせるかのように、橋を渡ってからすぐのところからしばらくの間、食堂やらカニやら海産物やらが売られている売店がずらずらっと連なっていた。 特に立ち寄らず、駆け抜けていった。 まだ売店に慣れていないということもあって・・・。 | |
そして、しばらく走ると、やがて”Phang-nga(パニャ)へようこそ”の看板が現れた。 | |
大きな道。 一番左に、自転車とバイクが走る為のゾーンが設けられている。 その為、日本のように車が気を使って自転車・バイクを避ける必要がない。 | |
広々とした道を進んで行く。 | |
途中、小さな町をいくつも抜ける。 | |
道端に立っていた寺院(恐らく) | |
遥かな道、そして街中、というものを交互に繰り返す。 だが、印象としては、町がそこかしこにあって、売店がたくさんあって食べ物には困らない、という感じだ。 | |
又、とある町を通過する。 | |
これまた、寺院(恐らく)だ。 | |
象の像と、建物。 | |
このような形をした立派な入り口が、この種の建物には多いようだ。 | |
サファリ・ランド(ISLAND SAFARI) その1
プーケットとPhang-nga(パニャ)の間。 Phang-nga(パニャ)まで40kmほど(確か)の地点にあった、ISLAND SAFARI(サファリ・ランド)というものをいきなり発見したので行ってみることに。 | |
どのようなところか? と聞こうとしたら、これまた英語が通じない。 英語がわかる青年が来てくれて、何とかコースと料金を聞き出す。 30分の象ツアーで600バーツ、45分で800バーツのようだ。 ちょっと高めかな? と思ったが、このようなツーリズム産業が盛んになることが必要と考える故もあって、それと興味も、もちろんあって、参加してみることにしました。
この象さんに乗るようだ。 象に乗るなんて、子供の頃に動物園で半径10mの円を一周した時以来か。(苦笑) | |
このおじさん(暗くなっていて見えないが・・・。)に案内してもらう。 | |
ゆっさ、ゆっさと象の上に乗る私。 なかなか面白い! | |
じゃぶ、じゃぶと水の中を進んで行く。 ゆっくりと進むので揺れも安定している。 | |
このようなロゴのシャツを着ている。 ISLAND SAFARI WE SAVE ELEPHANT. | |
途中、このようなものが立っていた。 街中でもたくさん見かける、宗教的な建物。 | |
象さんの頭。 今、降りて撮影してもらっている。(ですが、写りが悪かったので公開はなし) | |
サファリ・ランド(ISLAND SAFARI) その2
そして、ある程度まで進んでからUターンとなったが、やがて、後ろから欧米人と思われる一行が集団でやってきた。 | |
ずら、ずらっと。 | |
向こうも、ビデオを持っている。 | |
”ハロー”、”ハロー”と、向こうもこっちも愉快な気持ちになっている。 | |
そしては、やがて出発地点に戻る。 最後だけ、逆側から進入して同じところで降りることとなる。 入り口のスタッフと目が合って、手を振ると笑顔で笑いかけてくれる。 微笑の国だと、これまた思う。
途中、横を見ると象さんの曲芸大会が見えた。 いやあ、よく芸するものだな・・・ と思った。 | |
ふと横を見てみると、チンパンジーと思わしき猿が、ぶらーん、ぶらーんと遊んでいる。 ははは・・・・。 | |
その後 Phang-nga(パニャ)に向けて走っていると、3時半頃、急に雨が降ってきた。 スコールか? と思いきや、強まる気配はない。 弱いと言うわけではないけれども、”まばら”に普通の雨が降ってきている、という感じだ。 そんな中、このくらいならいいやと思いつつ自転車を走らせていた。 時間にすれば5分程度であったか。
そんな時、売店の人が店から出て来て、雨宿りしていけと手招きするではないか。 これは助かった・・・ と思いつつ、ちょっと雨宿りさせてもらう。 男気のありそうな主人とその奥さん。更におばあさんと、まだ若い女の子。
少し会話を試みるが、英語はまるで通じない。 そんな中、勧められるまま、おやつを少しもらったり、食事を2杯もたんまりと食べさせてもらった。 私が食事を食べようとすると、”アーアーアーアーアー”と、それは違うというジェスチャーが起こり、食べ方を教えてもらったりした。 そういう意味では、とても有難かった。
が、どうしてそこまでしてくれるのかな? と、ちょっと勘付かせながら対応をしていた。 向こうが何を話していても私にはわからないしね。
そんな時、おばさんの電話番号の紙切れを渡されたり、逆に、私の電話番号を書いてくれと言われた頃から、”ちょっとおかしいな”と思い始めた。
確か、前にどこかで読んだトラブル事例とそっくりなのだ。 旅行者から聞いた連絡先を元に他の手段にそれを使う、というトラブル事例だったような気がする。 今回に関しては更に、次の目的地であるPhang-nga(パニャ)でのおばさんの家への招待? のようなものが、妙にひっかかった。 実際は、話が通じないからただ単に住所を教えてもらったのか、或いは、それ以上なのか確信が持てなかったが、おばさんの家に行くのは危険が高いと感じ、ここでのお礼はこの場で済ませて終わりにしようと考えた。
そこで、その場で売っていた食べ物の吟味を始める。 どうも、私にはなじみのないものばかりだ・・・。 塩漬けや海老入りの海鮮風そぼろ(と言っても通じないか・・・。)のようなへんちくりんなもの、それに魚の塩漬け(これまた高い)などしかなかった。
普通に食べたら恐らく30バーツかそのくらいであるので、そのくらいはここで買い物をしようと思った。 であるので、ちょっと気が進まなかったが、海老入りの海鮮風そぼろを35バーツで買って、その場を後にしました。 連絡先を教える時に電話番号を伝えたのだが、嘘を教えようかどうか迷ったが、どのようなトラブルが舞い込むか、それはそれで楽しみであったので本当の番号を教えた。
パニャ(Phang-nga)到着
Phang-nga(パニャ)までは20kmほど。 | |
途中から、何とも面白い、断崖絶壁のある大きな岩がいくつも見え始めた。 | |
大きな岩盤。 | |
どうやら、これがPhang-nga(パニャ)の名物らしい。 | |
そして、Phang-nga(パニャ)の市街へと入って行く。 | |
町に入ってすぐにあった、像と戦う(?)人の像。 | |
町の中を通り、宿を探し始める私。
ツーリスト・インフォがどこかにないか、目をこらしつつ進んで行く。 そんな中、Phang-nga(パニャ)は、渓谷の中、主に縦に伸びた町であるとの印象を受けた。 途中で見たマーケット通りや、街中の商店の数々。 それなりに繁盛している町のようだ。 しばらく進み、ツーリスト・インフォが全く見当たらないので売店の人に尋ねることに。そして、更に1kmほど進んだところにあることを突き止め、ようやく、ホテルを決めることが出来た。
そのツーリスト・インフォの近くにはツアーの店舗がいくつか店を出していたが、私がツーリスト・インフォの前で止まったら他の店の客引きの声が遠くで叫ばれていた。 私を呼んでいるらしい。 でも、ツーリスト・インフォの横の売店の人が、その客引きに”まったく!”という仕草をした上で”ここが良いよ”という良心的と感じられる仕草をしたため、そこでホテルを訪ねることに。
結果、2つの候補があって、クーラー付の300バーツ、クーラーなしのファンのみで150バーツの2つを勧められた。 私は、150バーツの安宿に興味があったのでそちらにすることに。 ところで、このツーリスト・インフォのおやじさんに近場のツアーを誘われたのだが、これまた暴利と思われるUS500ドル!(1日ツアー)であった。 後日の経験からすると、半日500バーツ、1日で1000から1400バーツ相当が外国人に対する相場のような感じであるので、US500ドルということは十倍以上のぼったくりということになる。 まったく・・・。 断ったときにおやじさんががっくり来たのもわかるよ。 ちょっと高すぎるんじゃない?と思って断って正解だったよ。
そこを出て、宿に向かうことに。 宿は、600mほど先だと言うことで、すぐに突き止めることができた。
そこは、確かに”安宿!”という感じだった。 だが、言うほど悪くもなく、電源がないこととシャワーが水シャワー(これは割と普通と聞いてはいるけれども)を除けば、特に蒸し暑いということもなく、非常に快適である。
荷物を置いてから、近くのワット(寺院)へと参拝に出かけた。 | |
入って良いのかわからなかったが、敷地内に入って写真だけ撮らせてもらった。 | |
続いて、来る途中に見たマーケットへと歩いて出かけることに。 これが、思わぬ事態に。 と、遠いのである。 どうも、頭がぼーっとして走っていた為か、或いは自転車と歩きの感覚の違いを吸収できていないせいなのか、マーケットまで非常に長い距離を歩くこととなった。
結果、ようやくマーケットに着き、買い物をすることに。 | |
宿のおばさんに、この都市で危ないところを聞いたらマーケットだと言われたので注意をする。 でも、言うほどでもないかな。 さほど人が多くなかったからなのか、時間なのか何なのか。 | |
そして、買い物を済ませ、戻る為にバスかタクシーを使おうと思った。 ふと、そんな時、目の前をバスが通り過ぎた。 手を振るが、さすがに止まってはくれない。そりゃそうだよねえ・・・。
どうしようかと思ったが、マーケット横のガソリンスタンドの人に、タクシーかバスに乗りたい旨を伝えてみた。 すると、バイクのタクシーならあるという。
バイクのタクシー! 一度乗ってみたかったのだ! 早速了承し、値段を聞く。最初20バーツといいかけたが、30バーツと言い直した。 人を見て値段を決めているのは明らかですが、距離がそれなりにあるし、誰にだってボーナスは必要だと思うので快く了解した。 自分でタクシー止められるようになったら値切れば良い、というそういう考えだ。
バイク・タクシーは、これまた快適だった。 道路を横断しようとしている欧米人が、”変な日本人(?)がバイクに乗っているぞ”という顔でこちらを見たりしている。 使われているバイクはちょっと旧式のようで、ホンダと書かれてはいるものの、かなり馬力がない。50ccには見えないけれども。
そんなこんなで、無事、到着。 微笑みの国、タイランドにおいてお約束の笑顔をする運転手、それに対し”Thank
You”と笑いかける私。 そして、とても快適だったと声をかけ、バイクを降りる。 彼はUターンして戻るが、その際にもこちらを見て、手を振ってグッバイしてくれる。 私も手を振り返していた。 いやあ、微笑みの国、タイランドだなあ、ということを深々と実感する。
(後日の経験からは、”お金持ってるおいしいお客だからかもしれないけど”と思ってしまうが、その時はそんなこと考えもしなかった。)
そしてホテルに戻り、水シャワーを浴びる。 水がそれほど冷たくないので、水シャワーでも辛くはない。 日記を書き、そして、やがては快眠に入る・・・。 | |