台湾・台北周辺(次の記事)

タイ 個人旅行 2004年

2004-08-14 記
トピックタイ

東京からバンコクへ

2004-08-07

成田空港近くに前泊をし、午前中の便でタイに向けて飛び立った。

今回の航空券は大韓航空のソウル経由。以下のような日程だ。タイ国内はタイ国際航空便となる。

行き(8/7, 8/8)
成田(9:30)→ソウル(11:55), ソウル(16:50)→バンコク(20:20), バンコク(08:00)→プーケット(09:20)
帰り(8/14, 8/15)
ハジャイ(18:05)→バンコク(19:35), バンコク(00:10)→ソウル(07:30), ソウル(09:20)→成田(11:35)

 

成田空港の搭乗口にて。

実は、最初に予約していたのは午後1時近くの便であったのだが、1週間ほど前にオーバーブッキングが判明し、この9時30分の便に変更となっていたのだ。

初めからそうとわかっていたら違う航空会社にしたかもしれないのだが、そうは言っても始まらない。


朝9時半という時間と、お盆時期で混雑が心配ということがあったので念のため成田に前泊をした。

でも、始発で来ても間に合ったような感じではあった。 朝だから混雑が少なかったのかな、と思ったりもした。

ソウルまでは1時間半ほどで到着するが、国際線だけあってきちんと食事が出た。 飲み放題だし、とても快適だ。

それにしても、ソウルの乗り継ぎにかなり時間を取られる。お店やベンチで時間を潰すが、とにかくやることがない。

次からはなるべく直行便を選ぼうと思う今日この頃。(でも、値段差がかなりあるんだよね・・・。)

ここの売店では日本円も使えるようだった。 トランジットの為にウォンを入手するのも何なので、こういうのは助かる。(レートはともかくとして)

ロビーをぶらぶらしている時に、多くの人が眠っているソファーを発見。 2階のラウンジ横、無料の区域だ。

私もそこで仮眠を取ることに。2時間近くをそこで過ごした・・・。

そして、ソウル→バンコクの大韓航空機へ搭乗する。

搭乗口の近くはそれなりの混雑。


でも、お盆だからと言って特別混んでいる訳でもなさそうだ。 日本国内じゃないしね。

機内では、横の韓国人らしき人(韓国語の新聞を見ていた)は私のわき腹に肘を押し付けてくるし、前に座っている2人は後ろの人に何も言わずに椅子を思いっきり下げて来た。隣の人なんて、もう飲んでしまっていたからいいものの、椅子に押されてコップが倒れるほどの事態。 どうも、マナーが良くないようだ。 周囲を見回したところ、そこまで倒している人はそれほどいなかったので、たまたまかな? 海外においては、一人のマナー違反行為でも○○人(今回の件だと韓国人)として見られてしまうので、海外での挙動は気をつけないとと感じたそんな時でもあった。

そして、いよいよバンコクへ。 あと10分ほどで着陸と言うのに、窓の外には明かりが全く見えない。現在、高度4000mなので雲がかかって見えないのか、或いは、光が少ないのか。 やがて、いよいよ残り7分になった。小さな揺れと共に、雲の中を降りて行く。 そして、雲を抜けたら町明かりが眼下に見えてきた。 だが、かなり光がまばらだ。 日本の数十万人程度の地方都市という感じがする。(記憶によるもの及び感覚的なものなので正確ではない。)バンコクの人口は600万人ほどのはずなので、この差はエネルギーの使い方なのか或いは何なのか。

そして、到着。 その瞬間、周囲からは拍手と「フォー」という声援が。 アフリカ系の人たちは喝采すると話には聞いていたが、アジアでも声援が聞けるとは。 なんとなくアジアちっくでファンシーである。

そして、入国審査と荷物のピックアップ。だが、荷物の確認を誰も行わなかった。 噂には聞いていたが、盗みもあり得る怖い状況。

その後、両替をし、空港の外側ロビーへ。

これまた噂に聞いていたが、タクシーやツアーへの客引きがわんさかといる。 ”タクシーいりませんか?”の客引きに次々と話し掛けられる。

私は既にホテルを予約していたので無料のシャトルバスを呼んでもらおうと、インフォメーションなど何人かの人に聞いて回ったりした。 スリなどを多少警戒していたが、割と安全でちょっと拍子抜け。 さすがに、空港が危険だったら観光が成り立たないしな・・・、と思ったりもした。

そしてシャトルバスですが、数十年前の自動車のスペックと言った感じで、かなり飛ばすもののクッションが悪く、ガタガタ衝撃が良く伝わってきていた。 道路の流れとしては東京の都内と言った感じで、自転車でも走れなくはなさそう。 でも、東京と違って運転手が荒っぽそうだからもっと危険な気がした。 車線変更のタイミングが、都内の道路に良く似ていた。 バンコク郊外でこれということは、繁華街は物凄く悪いということか・・・ と思ったりした。

ホテルは、思いのほか、快適で大きな部屋で、かなりびっくり。

場所は、COMFORT SUITES AIRPORT BANGKOK というところ。空港から2km、車で10分の距離。


部屋では、明日の為の支度をし、時差を修正してから眠りについた。


プーケット島内を北上、タイ本土上陸。サファリ・ランド(ISLAND SAFARI)、パニャ(Phang-nga)到着

2004-08-08


バンコクからプーケット




快適な朝。モーニングコールで目が覚める。1,200バーツということは1バーツ2.7円ちょっとだとして3,200~3,400円程度かな? 空港へのシャトルバスは、来た時と同じく飛ばす飛ばす。時速100kmくらいは出ている?



空は、雲がかかっていてどんよりとしている。でも、道路は濡れておらず、ジョギングをしている人などもいる。



タイは微笑みの国と言うが、空港の従業員、特に男の人が微笑んで作業しているような感じがした。 ただ、全員というわけではもちろんなく、シャトルバスの運転手のボーイさんはちょっと羨ましそうな顔をしていた。 タイは階級社会だというので、その関係か何か?











プーケットまでは1時間半ほどのフライト。朝食も出てとても快適だ。



フライト中、窓の外に見える、飛行機と同じくらいの高さまであるような大きな大きな雲の塊を見ながら、赤道近くの雰囲気を感じ始めていた。




プーケットに到着した時は、バンコクに到着した時のように歓声と拍手は起こらなかった。感覚的には、欧米人がかなり多く、続いて日本人、というような乗客の状況だ。 荷物をピックアップして外に出るが、ここでも又、タクシーやホテルの客引きがわんさかといた。そして、荷物のチェックも行わなかったので、そういうものかな・・・と思い始める。



プーケットの空港で、組み立てはどこでしようかな・・・と思いつつ出口を出て右の方に進んだらちょっとした空き地があって、そこで組み立てをすることに。 今回は、傷が付きやすいと思って厳重にタオルでぐるぐる巻きにしたのだが、それでも数箇所傷がそれなりに付いていて、かなりショック。 組み立てはさすがに手馴れたもので、マニュアルなしで組み立てをする。











すると、組み立てを始めて少しした頃に、中で働いている現地の人が話し掛けてきて、自転車を持っていてくれるではありませんか。 これが助かった。 凄くスムーズに組み立てをすることができた。



名前はMukta(モクター。”モ”はモとムの中間)さん。




そして、組み立て終わった時に、お勧めの観光場所などを教えてもらった。 あまり英語は話せないようなので、いざという時の為に用意した「6ヶ国語会話・3」を使って英語混じりのタイ語で話をした。 あまり考えずに持ってきたのだが、今後、この本にかなり助けられることに。











走り出してすぐ、シャツが汗でびしょびしょなので1枚脱ぎ、シャツ1枚になった。












ただ、東京より蒸し暑くない。雲があるせいなのか、何なのか。


それでも、赤道近くなのでそれなりに暑いのは確かだ。特に日が出た時は。












タイは4月が一番暑いというので、こういうものなのかな? と、とりあえず納得して走り続ける。






プーケット島内を北上











タイの道は、路肩が広くてとても走りやすい。 それに、交通マナーもさほど悪くはない。












テレビ、”水曜どうでしょう”のベトナム編で見た恐ろしい交通マナーとは無縁のようで、皆、規則正しく走っている。




唯一、バイクがたまに逆走してくるが、上りと下りがはっきりと分かれていて数百メートルか進まないとUターンできない作りであるところがプーケット近くには多いようなので、仕方がないとも言える気がした。 たまに車も逆走しているけれども、ハザードランプ(?)を点滅させてゆっくりと走っていたので短距離かつ意識的であるように見た目は感じた。











途中で見た花。












途中、寺院のようなマークが書いてあったのでわき道に入ってみることに。












確信なく、進んで行く。












やがて、このようなものが遠くに見えたが・・・・?



どうも、よくわからない。



そして、すぐに行き止まりになり、そこにいたおばさんに6ヶ国語本で話し掛けてみた。




すると、あれは記念碑のようなものだそうだ。 単語の少ない中で選んだので正確ではなさそうだが。 お墓ではないらしい。 そして、”サンキュウー”と言い、ここを離れる。











道に戻り、戻ったすぐのところに食堂があったので、いざ、その中に入ってみることに。




食事がいくつかお鍋の中に入っており、選ぶ形式のようだ。 私は、ビーフとバナナが入った煮物と、野菜とチキンの入った煮物を選び、ご飯にかけてもらった。どちらも違う味だ。



この長細いタイ米、日本が緊急輸入した時はまずいまずいと騒がれたが、こちらで食べると何ともマッチしておいしい。 野菜とチキンのスープは少し辛めの味で、更に、おばさんが持ってきてくれたナンプラをつけてみたところ、更に激辛となった。 だが、気温が暑いせいか、何とかイケる。 日本で食べたら絶対に食べられない辛さである筈ですが、慣れればかなりいけるかも、という気もちょっとだけして来る。 写真にある左上のものはサービスしてくれた。 きゅうりとスイカの中間みたいな食べ物だ。



その食堂で食事をすると、水はいくらでも飲めるようだったのでがぶがぶ飲んだ。 実は、体はかなり水に飢えていたらしい。 そこで水のボトルを買ったら、1リットルで5バーツであった。他のところでも同じ量で同じ値段であったので、標準的な価格のようだ? 食事は30バーツだった。安い!



更に、パンも買ってからそこを離れる。 笑顔で送ってくれるので、私も手を振り返す。





プーケット島を抜ける



プーケット島を出る手前で、とても大きな王様の立て札を見かけた。 立て札なんて言うものではないくらい大きい。 つい、写真を取り損ねたが、もったいないことをした。











そこから更に進み、やがては、海岸線のすぐそこを通るようになった。












海岸を一目見ようと、自転車を木陰に置いて進んで行く。












するとそこには、情報の通りの、少し波がある海岸が広がっていた。












この時期のアンダマン海(タイの西側の海)はモンスーン(?)の影響で荒れている、ということだった筈。












なので、ダイビングには適さないとのことだ。



確かに、この波でダイビングはきつそうだ。












そして、いよいよプーケット島を離れる。






タイ本土上陸











この橋を渡り、プーケット島から抜けた。



橋からは、船がたくさん見えた。












一方、そのボートに合わせるかのように、橋を渡ってからすぐのところからしばらくの間、食堂やらカニやら海産物やらが売られている売店がずらずらっと連なっていた。


特に立ち寄らず、駆け抜けていった。


まだ売店に慣れていないということもあって・・・。













そして、しばらく走ると、やがて”Phang-nga(パニャ)へようこそ”の看板が現れた。



まだPhang-nga(パニャ)は遠い筈だが、早い歓迎だ。














大きな道。



一番左に、自転車とバイクが走る為のゾーンが設けられている。



その為、日本のように車が気を使って自転車・バイクを避ける必要がない。












広々とした道を進んで行く。












途中、小さな町をいくつも抜ける。












道端に立っていた寺院(恐らく)












遥かな道、そして街中、というものを交互に繰り返す。



だが、印象としては、町がそこかしこにあって、売店がたくさんあって食べ物には困らない、という感じだ。












又、とある町を通過する。












これまた、寺院(恐らく)だ。












象の像と、建物。












このような形をした立派な入り口が、この種の建物には多いようだ。







サファリ・ランド(ISLAND SAFARI) その1











プーケットとPhang-nga(パニャ)の間。


Phang-nga(パニャ)まで40kmほど(確か)の地点にあった、ISLAND SAFARI(サファリ・ランド)というものをいきなり発見したので行ってみることに。





どのようなところか? と聞こうとしたら、これまた英語が通じない。 英語がわかる青年が来てくれて、何とかコースと料金を聞き出す。 30分の象ツアーで600バーツ、45分で800バーツのようだ。 ちょっと高めかな? と思ったが、このようなツーリズム産業が盛んになることが必要と考える故もあって、それと興味も、もちろんあって、参加してみることにしました。











この象さんに乗るようだ。





象に乗るなんて、子供の頃に動物園で半径10mの円を一周した時以来か。(苦笑)












このおじさん(暗くなっていて見えないが・・・。)に案内してもらう。












ゆっさ、ゆっさと象の上に乗る私。





なかなか面白い!












じゃぶ、じゃぶと水の中を進んで行く。



ゆっくりと進むので揺れも安定している。












このようなロゴのシャツを着ている。





ISLAND SAFARI

WE SAVE ELEPHANT.












途中、このようなものが立っていた。 街中でもたくさん見かける、宗教的な建物。












象さんの頭。





今、降りて撮影してもらっている。(ですが、写りが悪かったので公開はなし)







サファリ・ランド(ISLAND SAFARI) その2












そして、ある程度まで進んでからUターンとなったが、やがて、後ろから欧米人と思われる一行が集団でやってきた。












ずら、ずらっと。












向こうも、ビデオを持っている。












”ハロー”、”ハロー”と、向こうもこっちも愉快な気持ちになっている。




そしては、やがて出発地点に戻る。 最後だけ、逆側から進入して同じところで降りることとなる。 入り口のスタッフと目が合って、手を振ると笑顔で笑いかけてくれる。 微笑の国だと、これまた思う。












途中、横を見ると象さんの曲芸大会が見えた。





いやあ、よく芸するものだな・・・ と思った。












ふと横を見てみると、チンパンジーと思わしき猿が、ぶらーん、ぶらーんと遊んでいる。





ははは・・・・。












最後、途中で撮った写真を現像して用意してくれていた。





私の感覚だと、ディズニーランドのどこかのアトラクションのように”最後に見せて買わせる”と言ったものかな? と写真を撮ってもらっている時には考えていたが、記念にあっさりともらうことが出来た。 まあ、それは余談。







なかなか、良く映ってます。 いい記念になるー。



最後、最初に案内してくれた青年に感想を述べる。 ”ベリー・グッド!” この青年も、これまた笑顔。 微笑の国だ!




その後 Phang-nga(パニャ)に向けて走っていると、3時半頃、急に雨が降ってきた。 スコールか? と思いきや、強まる気配はない。 弱いと言うわけではないけれども、”まばら”に普通の雨が降ってきている、という感じだ。 そんな中、このくらいならいいやと思いつつ自転車を走らせていた。 時間にすれば5分程度であったか。



そんな時、売店の人が店から出て来て、雨宿りしていけと手招きするではないか。 これは助かった・・・ と思いつつ、ちょっと雨宿りさせてもらう。 男気のありそうな主人とその奥さん。更におばあさんと、まだ若い女の子。



少し会話を試みるが、英語はまるで通じない。 そんな中、勧められるまま、おやつを少しもらったり、食事を2杯もたんまりと食べさせてもらった。 私が食事を食べようとすると、”アーアーアーアーアー”と、それは違うというジェスチャーが起こり、食べ方を教えてもらったりした。 そういう意味では、とても有難かった。



が、どうしてそこまでしてくれるのかな? と、ちょっと勘付かせながら対応をしていた。 向こうが何を話していても私にはわからないしね。



そんな時、おばさんの電話番号の紙切れを渡されたり、逆に、私の電話番号を書いてくれと言われた頃から、”ちょっとおかしいな”と思い始めた。



確か、前にどこかで読んだトラブル事例とそっくりなのだ。 旅行者から聞いた連絡先を元に他の手段にそれを使う、というトラブル事例だったような気がする。 今回に関しては更に、次の目的地であるPhang-nga(パニャ)でのおばさんの家への招待? のようなものが、妙にひっかかった。 実際は、話が通じないからただ単に住所を教えてもらったのか、或いは、それ以上なのか確信が持てなかったが、おばさんの家に行くのは危険が高いと感じ、ここでのお礼はこの場で済ませて終わりにしようと考えた。



そこで、その場で売っていた食べ物の吟味を始める。 どうも、私にはなじみのないものばかりだ・・・。 塩漬けや海老入りの海鮮風そぼろ(と言っても通じないか・・・。)のようなへんちくりんなもの、それに魚の塩漬け(これまた高い)などしかなかった。



普通に食べたら恐らく30バーツかそのくらいであるので、そのくらいはここで買い物をしようと思った。 であるので、ちょっと気が進まなかったが、海老入りの海鮮風そぼろを35バーツで買って、その場を後にしました。 連絡先を教える時に電話番号を伝えたのだが、嘘を教えようかどうか迷ったが、どのようなトラブルが舞い込むか、それはそれで楽しみであったので本当の番号を教えた。






パニャ(Phang-nga)到着












Phang-nga(パニャ)までは20kmほど。












途中から、何とも面白い、断崖絶壁のある大きな岩がいくつも見え始めた。












大きな岩盤。












どうやら、これがPhang-nga(パニャ)の名物らしい。












そして、Phang-nga(パニャ)の市街へと入って行く。












町に入ってすぐにあった、像と戦う(?)人の像。




町の中を通り、宿を探し始める私。



ツーリスト・インフォがどこかにないか、目をこらしつつ進んで行く。 そんな中、Phang-nga(パニャ)は、渓谷の中、主に縦に伸びた町であるとの印象を受けた。 途中で見たマーケット通りや、街中の商店の数々。 それなりに繁盛している町のようだ。 しばらく進み、ツーリスト・インフォが全く見当たらないので売店の人に尋ねることに。そして、更に1kmほど進んだところにあることを突き止め、ようやく、ホテルを決めることが出来た。



そのツーリスト・インフォの近くにはツアーの店舗がいくつか店を出していたが、私がツーリスト・インフォの前で止まったら他の店の客引きの声が遠くで叫ばれていた。 私を呼んでいるらしい。 でも、ツーリスト・インフォの横の売店の人が、その客引きに”まったく!”という仕草をした上で”ここが良いよ”という良心的と感じられる仕草をしたため、そこでホテルを訪ねることに。



結果、2つの候補があって、クーラー付の300バーツ、クーラーなしのファンのみで150バーツの2つを勧められた。 私は、150バーツの安宿に興味があったのでそちらにすることに。 ところで、このツーリスト・インフォのおやじさんに近場のツアーを誘われたのだが、これまた暴利と思われるUS500ドル!(1日ツアー)であった。 後日の経験からすると、半日500バーツ、1日で1000から1400バーツ相当が外国人に対する相場のような感じであるので、US500ドルということは十倍以上のぼったくりということになる。 まったく・・・。 断ったときにおやじさんががっくり来たのもわかるよ。 ちょっと高すぎるんじゃない?と思って断って正解だったよ。


そこを出て、宿に向かうことに。 宿は、600mほど先だと言うことで、すぐに突き止めることができた。



そこは、確かに”安宿!”という感じだった。 だが、言うほど悪くもなく、電源がないこととシャワーが水シャワー(これは割と普通と聞いてはいるけれども)を除けば、特に蒸し暑いということもなく、非常に快適である。












荷物を置いてから、近くのワット(寺院)へと参拝に出かけた。












入って良いのかわからなかったが、敷地内に入って写真だけ撮らせてもらった。




続いて、来る途中に見たマーケットへと歩いて出かけることに。 これが、思わぬ事態に。 と、遠いのである。 どうも、頭がぼーっとして走っていた為か、或いは自転車と歩きの感覚の違いを吸収できていないせいなのか、マーケットまで非常に長い距離を歩くこととなった。











結果、ようやくマーケットに着き、買い物をすることに。












宿のおばさんに、この都市で危ないところを聞いたらマーケットだと言われたので注意をする。 でも、言うほどでもないかな。 さほど人が多くなかったからなのか、時間なのか何なのか。




そして、買い物を済ませ、戻る為にバスかタクシーを使おうと思った。 ふと、そんな時、目の前をバスが通り過ぎた。 手を振るが、さすがに止まってはくれない。そりゃそうだよねえ・・・。



どうしようかと思ったが、マーケット横のガソリンスタンドの人に、タクシーかバスに乗りたい旨を伝えてみた。 すると、バイクのタクシーならあるという。



バイクのタクシー! 一度乗ってみたかったのだ! 早速了承し、値段を聞く。最初20バーツといいかけたが、30バーツと言い直した。 人を見て値段を決めているのは明らかですが、距離がそれなりにあるし、誰にだってボーナスは必要だと思うので快く了解した。 自分でタクシー止められるようになったら値切れば良い、というそういう考えだ。



バイク・タクシーは、これまた快適だった。 道路を横断しようとしている欧米人が、”変な日本人(?)がバイクに乗っているぞ”という顔でこちらを見たりしている。 使われているバイクはちょっと旧式のようで、ホンダと書かれてはいるものの、かなり馬力がない。50ccには見えないけれども。



そんなこんなで、無事、到着。 微笑みの国、タイランドにおいてお約束の笑顔をする運転手、それに対し”Thank
You”と笑いかける私。 そして、とても快適だったと声をかけ、バイクを降りる。 彼はUターンして戻るが、その際にもこちらを見て、手を振ってグッバイしてくれる。 私も手を振り返していた。 いやあ、微笑みの国、タイランドだなあ、ということを深々と実感する。
(後日の経験からは、”お金持ってるおいしいお客だからかもしれないけど”と思ってしまうが、その時はそんなこと考えもしなかった。)












そしてホテルに戻り、水シャワーを浴びる。 水がそれほど冷たくないので、水シャワーでも辛くはない。



日記を書き、そして、やがては快眠に入る・・・。






パニャ(Phang-nga)、Tham Sam Rock Art、海の上の町、BANG PAT、Ao Luk Nua、Than Bokk horani国立公園、Ao Luk NuaのPET CAVE

2004-08-09

パニャ(Phang-nga)周辺

朝、まだ暗い頃、大ぶりの雨が降っていた。だが、明るくなる頃には雨は止んでいた。今日は、予定を変更して海岸線に南東へ進んで行くことにする。この周囲に見所がいくつかあるということがわかったからだ。それに、移動だけに時間を費やすよりも、多くある自然公園に立ち寄りたいと思ったからだ。そして、一応、今日の最終目的地はKrabi(クラビ?)の町とする。

宿を出て、Phang-nga(パニャ)の周囲を徘徊する。

行ってみたのは町の東側だ。

そこかしこに、朝ご飯を食べる為の食堂らしきものが開かれていた。

町外れに流れていた川。

町外れを徘徊する。

すると、ふと、このような看板が。

"Tham Sam Rock Art"とある。

ART? 芸術? 美術? なんのこっちゃ?

向こうを見てみると、何かあるようだ。

とりあえず近づいてみることに。

目の前に広がる美しい沼。

沼からの景色。

Tham Sam Rock Art

先へ行ってみると、ふと、小さな洞窟らしきものを発見。

洞窟からの景色。

洞窟の中は、一部がコンクリートで固められている。 よく見ると、奥の部分にガラス瓶の割られた破片が散乱している。 パンクしたら危ない・・・。

最初は、ただの洞窟か・・・ と思っていた。

だが、帰ろうかと思った瞬間、目に飛び込んできたのは、描かれた壁画の多くであった。

これは凄いではないか。


昔の人が書いたのかな・・・。タイ語の説明が読めないのでまずは憶測するしかない。

岩アートの数々

凄いもんだ。

いろいろな絵。

生活観の溢れる岩アートである。

そして、岩アートの洞窟を離れる。

パニャ(Phang-nga)からクラビ(Krabi)方面

細い道をいくつか辿ってみた後、Phang-nga(パニャ)の町を後にすることにする。

ふと、橋を渡る時、海に浮かんだ家々が見えた。


おおお・・・。

更に、道を進んで行く。


海に浮かんだ家々を見たい! という気持ちは高まるばかりだ。

ふと、道端から見えた仏像。

仏様。


僧衣を来た人々が暮らしているのが見える。

海の上の町、BANG PAT

Krabi(クラビ)の町へと向かって進んでいる途中、海岸線方面のわき道の方向に、8kmで自然公園らしきものがあるとの看板が出ていたので行ってみることに。 

昨日ツーリスト・インフォにてツアーを勧められた際に、海の上に浮かぶ家の写真を見て以来、海岸線沿いへの興味が高まっていたのだ。

そのようなことがあり、その小さな道を進んで行く。 こんなに小さな道なのに、周囲には家がたくさんあり、売店やら何やらもたくさんある。 私が進んで行くと”なんだこれは”と言った顔(をしているような気がする)でこちらを見る村人の数々がたくさんいた。

途中、水と揚げたお菓子風の食べ物を買ったが、やはり英語は通じなかった。 最初は、化粧品かと思われたようだ。

そんなこんなで、最終地点に到着する。 何やら、それらしきものがあるかな・・・ という雰囲気が出てきた。

そうしたら、あったあった! 水の上に立つ家の数々!

でも、昨日見た写真とはちょっと違うな・・・。 他のところにもあるのかな。 自転車を置き、街中を散策する。

船着場。

川と海とが交わるところに、この町はあるようだ。

そして、主な通路はコンクリートで作られているようである。

バイク等がこの狭い道路を行き交いしている。

大きな大きな鍋で食事を作っている人々。

船着場から家々を見上げたところ。

街中の景色。


コンクリートの通路を進んで行く。

もちろん、水の上に立っている。

船で漁をしている人がいる。

綺麗に並んだ家々。


開け放しになっているので家の中もついつい見えてしまう。 というか、向こうの人はそんなこと気にしていないみたいだ。

電化製品も数多くあり、文明的な生活を送っているのが伺える。 もちろん、テレビも。

そして、町を離れる。


どうも、観光客にあまり慣れていないらしく、あまり話し掛けられなかった。 売店も、やっているのかやっていないのかわからなかったし。

だが、このような、観光客軽視の姿こそが本来の住民の姿なのだろう。 観光地で接してくる現地人より、ここのように余所余所しい人々の方が、とても好感を覚えるのだ。

BANG PATを出てAo Luk Nua

BANG PATを出て大通りに戻った後、少し進んだところでやがて12時となる。 右を見ると、何やら作業着を着たような人がたくさん食事を食べているのが見えたので、様子を伺いながら食事をもらうことに。 従業員の対応は笑顔が基本だが、やはりタイの笑顔は一味違う感じだ。 ジェスチャーで料理を選び、お金を渡す。 これまたおいしい! ナンプラをかけて、辛さを足して食につく。 私がコップを取って水を飲もうとしたら、氷が入っていないようで入れてくれたりした。 思わず”サンキュウー!”の声が出る。 食事を済ませ、再度、走り始める。

KRABIまで76kmの看板。

スコール。

道端に多くある、屋根のある停留所のようなところでスコールをやり過ごす。

大体、どのスコールも30分から1時間もすれば止むようだ。

道を進む。


今回は、自転車の調子がとても良く、ほとんど疲れることがない。

少しの雨が降ったりもするが、さほど長くは降らない。


多少の雨はそのまま浴びると、体が冷えてとても気持ちがよい。 ただ、浴びすぎると風邪引きそうになってしまうが。

やがて、景色が変わってきた。

崖の景色が、先日のPhang-nga(パニャ)に似ている。

そびえ立つ看板。

そして、新たな町へ。

"WELCOME TO AO LUKTAI MUNICIPALITY"とある。

地図に該当する場所がない・・・。ここは"Ao Luk Nua"だとは思うのだが。

実際、後にここが"Ao Luk Nua"であることが確かめられたが、この看板は一体? 州とか郡といった枠組みでの名前かな。

Than Bokk horani国立公園

大通りの十字路の付近では国立公園の看板がたくさん出ていた。その交差点で信号を待っていると、近くに座っていた人が近づいてきて、どこに行くのだ?とジェスチャーで聞いてきた(ような気がした。) 私は”Than Bokk horani(ザンボックホラリ)ナショナルパーク”と言うと、それなら1kmくらいだとのこと。 ”サンキュウー”と言い、そちらへ進むことに。

1kmとは言われたが、10kmはあるだろう・・・ と、現地人の距離感覚を甘く見ていたが、今回は正確に1kmほどで着いた。

国立公園の中へ。

国立公園では、どこに行ったら良いのかさっぱりわからなかった。 そこで、ひとつの建物に入り、まずは英語で、次に6ヶ国語会話本を用いてジェスチャーで対応し、パンフレットをもらうことが出来た。 このような、一つ一つの対話が笑いながら対応してくれて、とても微笑ましい。

どうやら、向こうは、言葉が通じない人が来て”どうしましょうー”とスタッフ同士がにこやかにじゃれ合っているような感じではあった。 おばさまと若い女性2人が対応してくれました。

その建物を出て、奥にあるというウォーターフォール(滝)に向かってみることに。

ここは、滝への入り口。

この入り口で、入場料の200バーツを収める。

 そこには若い女性一人と若い男性1人が勤めていて、英語でチケットについての質問を話し掛けたが、よく通じなかった。

私にチケットを渡してくれた女性は、チケットに印字された200バーツのところを指差し、”ぼったくりではないですよ。決められた価格ですよ。”ということをきちんと説明していた。 さすが、国(?)が推進している事業はしっかりしているな、と思った。

森の中を、通路を伝って進んで行く。


他に全くお客がいない・・・。 シーズン外だからか、それとも何なのか。

さすがに雨も降っているし。

滝は、小さな段差がいくつも連なっているようだ。 これはまだ小さいもの。

多くの滝が、様々なところにある。

水が多いせいか何なのか、段差部分が小さい。

これでも大きな方に入る。


どうも、ここの滝は大きさではなく、その姿の美しさが売りのような気がする。

そして、国立公園を後にすることに。 ここを歩いている間に雨が強くなってきたので雨の中を歩き、入り口に戻った。 入り口の建物の方に目を向けてみると、なんと、自転車がスタッフの監視所下に移動しているではありませんか。 雨が降っていたので移動してくれたようだ。 素晴らしい親切だ。 この女性の笑顔も素敵だし。 サンキュウー、そしてグッバイーと挨拶をし、手を振りながら分かれた。 こちらに来てから、手を振る回数が増えたなあ、と思う。

Ao Luk NuaのPET CAVE その1

国立公園から出て、さてどうしようかと思っていると、ふと、学校らしきところから人々がずらずらと出てくるのが見えた。

学校のような大きなところには、必ずと言っていいほどこのような肖像画が飾られている。


王族の人たちであると思われるが、誰であるかは不明。

そして、町を離れ、次の町へと足を進める。

宗教的、或いは王族に関する建築物が数多く見える。

そして、そのまま次の町へ行こうと最初は思っていたのだが、ふと、わき道を10km弱ほど行ったところに洞窟があるようなので、行ってみることに。

このような、小さなわき道ですら、その道の周囲に人々が住んでいる。

人が住んでいないところは無いのではないかとも思えるくらい、人々が多くのところに住んでいる。 そのくらい、豊かな国なのだろう。

そして、PET CAVEへ。

最後だけ、少し砂利道だ。

でも、ほんの少し。

何やら、切り立った崖が見えてきた・・・。




Ao Luk NuaのPET CAVE その2

いよいよ、洞窟だ。

入り口は、あそこらしい。


ふと見ると、管理人と思われる女の人が洞窟の手前にある屋根のある建物の下にいる。

洞窟には、このような仏像が祭られていた。

そして、これだけかな・・・ と思って去ろうとすると、管理人の女の人が、半分”義務”のようなおっくうな足取りでライトを奥から取り出し、私に手渡してくれた。 ななな、なんと。 ライトが用意されているとは・・・。 びっくり。

どうやら、洞窟はこの仏像とは別にあるらしい。

入り口は、仏像のすぐ横にあった。


おおお。 本格的だ・・・。

中は、日本の鍾乳洞探検とは違い、通路も何も用意されていなかった。

最初、ここが道かな? というところを進んでいったら、いきなり片足が”ジャボン!”と水溜りの中に落ちてしまった。

いやあ、面白い! 面白いよ、この鍾乳洞! 日本の鍾乳洞に慣れた私としては、この面白さはとても新鮮だ!

靴が水に濡れたことにより、鍾乳洞が益々滑る・・・。 滑っておっかない。 そして、ふと、ライトが弱くなってきたような? 気のせいじゃないよな・・・。 最後まで持つかな・・・。

鍾乳洞を、奥へ奥へと進んで行く。

ライトの明かりの他に光はない。

ほんのささいなことですが、その感覚がとても面白いものだ。

そして、やがて、急にライトの光が弱まり始めた。 おひおひ・・・。 まじ?(汗)

まだまだ奥があるけど、そろそろ戻った方がいいよねえ・・・ と判断し、戻り始める。 が、戻り始めてすぐに、ライトは物が見えなくなるくらいまで暗くなった。 おひおひ・・・。

が、ふと目の前を見ると、岩が1つだけ光っている。 目が暗さに慣れたのか、或いは”ひかり苔”か?と思ったが、どうも何かおかしい。 じーーーっと見ると、どうやら、外の明かりがその岩にだけ当たっているようだ?

最後の助けだ。 この光の方向に向かえば帰れる。 そこで、足元はすり足で、進行方向を手で障害物確認しつつ、入り口への帰還を試みた。 この時、思いのほかあっさりと戻ることができたのだが、それは、入り口から10mかそのくらいしか中に入っていなかったからであって、もっと進んでいたらやばかった。 このような、一人での旅はもっと気をつけなくては。


そして、仏像前に戻ってきたらいきなりスコールが。 これは激しい・・・。 しばらくここで足止めに。 スコールが終わるのを待つ間に寄付箱があることに気づいたので、その中に少し入れようとしたら、そこじゃなく、仏像前の布の中へ入れるようにという。 んんん。 ここじゃないのかな? と思いつつ、ジェスチャーで案内され、布の中にお金を入れる。 どうも、この女の人の表情が、”喜んではいるが、それを顔に出さないようにこらえている表情”のような気がした。 寄付額が多すぎたのかな・・・。 と思いつつ、スコールが終わるのを待つ。

スコールを待つ間、”電池が切れたのならばもう1回見に行くかい?”のようなニュアンスもされたが、それは勘弁しておいた。 約1時間経ち、スコールは終わった。

1バーツ2.7円だとすると1000バーツで2700円。 そんなに高い額ではないと思うが、向こうの相場は違うしなあ。 ただの洞窟だと100バーツ程度であったと思うのだが、仏像が立派だったのと、この女の人の仕草が気にかかったのでこの額にしたのであるが。


そして、次の町へ行くような時間ではなくなってしまったので、先ほどの町、Ao Luk Nuaに行って泊まることに。 とある世話好きの親父さんにホテルを教えられ、最初はわからず行き過ぎ、他の人に更に聞いてようやくホテル近くに達し、更に、勤務時間が終わったと思われるおまわりさんに再度聞いて、そのすぐ近くにあるホテルに辿り着くことが出来た。 ふう。 長かった・・・。 エアコンなし(ファンのみ)で250バーツだったか。 大きな部屋で、とても快適だ。

その後、街中を歩き食事を探す。 マーケットは雨が降ってきた後だからか何なのかほぼ全て終わっており、屋台などで食事を取る。 先ほどの親父さんのところでも食事を出していたので食べた。 屋台で買った、豆乳のような飲み物がとても新鮮な、そんな屋台三昧の夕食であった。

そして、快適な夜を過ごし、明日に備えた。

Ao Luk Nua、クラビ(Krabi)の町。シーカヤック・ツアー

2004-08-10

Ao Luk Nua を出る

朝、明るくなると共に目が覚めて来た。 もう少し寝たい感じではあったが、朝のうちに距離を稼いでおきたかったので6時半に起きた。

支度をし、ホテルを出る。すると、大通りは通学ラッシュとなっていた・・・。

小学生、中学生、高校生・・・ と分かれているかどうかは定かではないが、いろいろな制服を来た子供たちがトラックタクシーにぎっしりと乗っていたり、バイクに乗っていたり、とにかく凄い感じだ。 町の外からやってくる車がほとんどなく、それでいて街中は車やバイクやらがたくさん走っている。

ふと見ると、昨日の夜はほとんど閉まっていたマーケット通りにて活発に取引を行われているのが見える。

バイクがずらり。

横目で見つつ通り過ぎ、数百メートル先にある食堂に立ち寄り、朝ご飯を食べる。 出してもらったのは、おかゆにおかずを混ぜたような食べ物だ。 なかなかいける! 調味料が4~5種類ほど置いてあるので、混ぜ合わせながら食べるとこれまたいける。 特に、ちょっと辛いたれ(ナンプラではないみたいだが)と砂糖とを混ぜた時の絶妙な味が何とも言えない。 私は辛さに弱かったと自分では思っていたのだが、ここタイランドに来てからは特に問題なく辛いものを食べている自分がいる。 日本の辛さとは、どこかちょっと違うようだ。 気温も違うかもしれない。暑いところで辛いものを食べるのは苦痛ではないのかもしれない。

食事を済ませた後、マーケット通りを通ってみることに。 自転車を置いておくわけにはいかないので、押して歩いた。 

だが、これがかなり細い道で、自転車はぎりぎりだった。

出口のところで、よくわからないフルーツを買う。 大きな大きなヤシノミのようなもの? の中身を切り刻んだもののようだ。 縦に良く切れて、中には種が入っている。 午前中はこれをつまみながら走った。

そして、町を離れる。


とても、素朴で好感の持てる町だった。

クラビ(Krabi)への道

次の町、Krabi(クラビ)までは大きな町はなく、小さな村をいくつか越えつつ、進んでいった。

真っ直ぐな道。

途中、このような看板がいくつかあった。

町という意味? マークを見た感じ、最初は寺院だと思ったけど、”町”という意味に捉えるのが妥当だと感覚的に思うようになっていった。(確証なし)

看板とは逆の方向に見えた、イスラム風(?)イメージの建物。

道も基本的には下り坂なので、かなり快適に進む。 登り下りが続く道ではあるのだが、全体的には下りなのだ。

途中、10歳前後の子供たちが学校の行事か何なのか、行進を行っているところを見ることができた。

何とも微笑ましい。

やがて、"Welcome to KRABI" の看板を通過する。

遥かなる道を。

クラビ(Krabi)の町

そんなこんなで、午前中の11時にはKrabi(クラビ)に辿り着くことができた。

タイにはこのような肖像画がかなり多くあり、道端でもよく見かける。 ここは、何かの記念公園のようだ。

肖像画があるのは、別荘風の建物の前であったり、学校の門であったり、いろいろだ。

町に入って少しのところで食事を済ませる。 フルーツを食べながら来たので、最後まで食べるのがちょっときつかった。 口直しのきゅうりのようなものと枝豆の細くしたようなものが大量に盛られて、片付けるのに苦労した。 でも、今思えばそれは全部食べなくても良かったのかも・・・。

その食堂で6ヶ国語本を使って観光案内所を聞くと、500mほど先を左に行けばあるらしい。 そこで、行ってみることに。

 道は割とわかり易く、突き当たりを左に曲がった先に、何件か観光のお店があった。 とりあえず1つに入ってみたら、英語があまり通じなくて、しかも、お店の人にうっとおしがられてしまった。 そこで、そこを出て違うところに行くことに。 そのお店でも私の英語があまり通じなかったが、何とかジェスチャーと筆談で用件を伝えることに。

そして、午後のみ半日のツアーがあるとのことなので、参加してみることにしました。

参加することにしたのは、シーカヤックのツアーである。 ここから20kmは離れたビーチリゾートに立ち寄ってから、更に30kmは離れた場所にまで車で行くようだ。 そして、島に向かってシーカヤックをこぎ、島を半周してから戻ってくるとのこと。

基本的に車で連れて行ってくれるようで、このお店で時間まで待つことに。

シーカヤック・ツアー

時間どおりにお店に迎えが来て、ツアーに参加する。 私の他には、近くの有名っぽいビーチから参加するアメリカ人カップルの2名がいるそうだ。

シーカヤック・ツアーは参加する人が少ないそうで、多くはビーチからの参加。私のようにKrabiからの参加は本当に少ないそうだ。 ビーチまで車で30分、ビーチから更に車で20分走り、シーカヤックの船着場に到着した。

ビーチで乗った2人と共に、シーカヤックで海に出る。

ここに来て、ようやく英語を喋る機会が多くなった私。 今までずっと、タイ語のみ話せる現地住民とばかり接していたので、ここに来てようやく自分の英語力のなさを実感する。

シーカヤックは2人乗りで、私は1人参加だったので後ろに現地の案内人が乗り、出発した。

出発時だけ、激しい雨が降っていた。 ズボンも服も、雨でびしょびしょ・・・。

苦労して、ようやく島の中ほどに到達する。

ここにちょっと上陸し、骨休めを兼ねて猿を見物したり、フルーツを食べたりした。

猿見物しているツアー参加者たち。


彼らは1日ツアーの参加者のようだ。

猿が、目の前に迫ってくる。


ただ、ちょっと気になるのは、フルーツの残り物を大量に猿にあげていたこと・・・。

生態系はどうなのだろう、とは少し思った。

そして、再度シーカヤックに乗り、島の逆側へ。

途中、細くなっている水路を通過する。

一緒に参加したアメリカ人カップル。

木々、そして岩の間を、シーカヤックは抜けて行く。

途中、このガイドが”タイヤキ(現地語?)”を盛んに勧めていた 町のは高いが、自分は安くしておくよ、とのことだ。 どうやら、タイ式マッサージらしい? アメリカ人カップルの女性にも”もうやったか?”と聞いていたので、H系のものではないようだ。 確かめたところ、マッサージであることは確かのようだ。

そして、多少ながら英語で会話をしたが、私の英語の理解度が低くて所々会話にならない。 もう少し上達しなければ、と思う瞬間。

最後は、漕ぐのを後ろに乗っていたガイドにかなり任せきりになってしまい、ようやくツアー終了。

最後、出発時に撮った写真を入れたこのようなものを、200バーツ(確か)で売りつけられた。(苦笑)

強制の感じはなかったものの、微妙な感じだ。 アメリカ人カップルは最後ゴールした時にもう1枚写真を撮られ、それを印刷して渡されたが、私の激しい雨の写真を見て、”雨のが欲しい!”と言って、雨のものを印刷してもらって持って帰っていった。 ”雨じゃない方はノーマルすぎる。雨の方がワイルドだ。”と言っていた。

最後、シャワーを浴びたが、水が少し茶色かった。 おひおひ・・・。 しょうがないか。

そして、行きはジープだったが帰りはトラックタクシーだった。 ジープだろうがトラックタクシーだろうがかなり飛ばす上、トラックタクシーの座席からは前が見えないから、ちょっと怖い感じではあった。 どたばたしてもしょうがないんだけど。

途中、ガイドの人がサービスして、話題になっていたパイナップル畑で止まってくれた。 パイナップルは、1つのところに1つしか出来ないらしい。 そして、市場では10バーツ(確か)ですが、外国人からは2倍取るのだとか。

途中、アメリカ人カップルから泊まってるホテルを教えて貰ったが、私はビーチで泊まる訳ではないのでそこには行けなかった。 ビーチで2人は降り、私はKrabiの町へ。 最後、ガイドの人と世間話となる。

そこで、いろいろ話したが、ふと教えて貰ったのが次の3つの言葉だ。

 こんにちは  サワディーカップ
 ありがとう  コップンカップ
 さよなら   バイバイ

6ヶ国語会話本にはもっと長ったらしい単語が並んでいて、しかも、何度かその言葉を言ったら”は?”という顔を何度かされていたので、こっちが普通の会話言葉なのだということを知る。

観光代理店まで戻って来て、教えて貰った言葉「コップンカップ」で「有難う」を言った。

クラビ(KRABI)のゲスト・ハウスにて

ツアーから戻り、まずはホテルを探そうと思った。

ツアー参加前に尋ねて行ったゲストハウスは対応が微妙な表情(私の言語力が悪いということもあるが)だったので、違うところを探す。 次に行ってみたホテルは、建物は立派そうなのにコンセントが部屋にないらしい。 そういうところもあるのだなあ、と思い、他を探す。 そして、ふと見つけたゲストハウスを尋ねてみる。 一泊180バーツ。150バーツだと”窓なし”らしい。 180バーツの窓ありの部屋が空いているようなので、こちらにしました。 全く十分だ。コンセントもついているようだ。

身支度を済ませ、ツアーでびしょ濡れになったズボンの替えをどうにかしたいと思い、入り口のスタッフに尋ねてみることに。 すると、いくつかお店があるので、案内してくれるとのこと。 2人いたスタッフ、男女それぞれ1名、どちらも20代前半の2人のうち、女の子の方が案内役を買って出てくれた。

そこで、まず1件目に行くが、動きやすいものがないので2件目へ。 すると、2件目に行く途中で現地の若い男性諸君の軍団から、”ヘイ!”と声をかけられた。 私に対してなのか、この子に対してなのかはわからないがこの子は無視をしている。 私も、特に危害を受けるわけではないので無視をした。(現地人の女性と歩いていると現地の男性から声をかけられるとはどこかで読んだ話、そのものだ。)

そして、その2件目では、いくつかの良さそうなズボンを発見する。 1つはコロンビアのブランド品・・・とあるが、ほぼ確実に偽造品のもの。他のものもあったが、コロンビアの模造品にすることに。 店のおじさんはブランドを強調するが、とりあえず何も言わず聞き入る。 値段を聞くと、950バーツだが900バーツにしてくれるとのこと。 恐らく半値にはなると思われたが、まあいいやと思いそのまま買うことに。 又、帰りの飛行機で汚くなったズボンをはくのも嫌なので、更にもう1つ買うことに。 すると、お店の主人は奥から、”サイクリストであるのならばこれをあげよう”と言って、アメリカ軍の非常食キットを出してくれた。 中身を空けて、圧縮された食べ物と、水を入れると温まる袋と、その他、10種類近くの食べ物が入ったものをくれた。 面白いおやじさんだ・・・。 まあ、私がお金を出しているから機嫌が良いし女の子も気前良く案内してくれるのだとは思うが。(事前リサーチを元にした判断)

そして、帰ってきて、荷物を置き、今度は食事に出かけることに。 町をぶらつき、マーケットを発見。 中でいろいろ飲み食いした。 これまたおいしい・・・。 海鮮風卵焼きのようなものが特に美味しかった。 欲張っていろいろ食べる私。

そして、帰って来たとき、ちょっと不思議な状況が起こった。 入り口のスタッフのうち、女の子がいなくなっていて、男の人の方が、帰ってきた私を見て、少し悲しそうな目をするのだ。 んんん??? と思い、部屋に行こうと階段を登り、廊下を歩いたその時、後ろからスタッフの女の子に”おお。帰った? 食事、おいしかった?”と話し掛けられ、最初ちょっとびっくりした私は、ひとテンポ遅れて”良かったよー”と答えた。 その後、女の子は何やら指を上に指し、”上に上がるよ”と言ったのだと私は思い、恐らく部屋に帰るのだろうと思って私も自分の部屋に帰ったのだが、後から思うと、あれは確か”Go Up”と言っていたので、私を上に誘っていたのではないか? と予想できなくもないのだ。 私が階段を登ると女の子がその又上の階段のところにいたというシチュエーションも変だし、上を指差した仕草から言っても、誘っていたのだと見るのも不自然ではない。 入り口にいた男の子のスタッフが悲しそうな顔をしていたのも、自分の相方あるいは兄弟を他の人に抱かれるのは気持ちの良いものではない故にそのような顔をしていたと予想できなくはない。 何もなかったのであくまでも予想の範疇ではあるが。 最悪の場合、睡眠薬を飲まされて身包み剥がされたり・・・ ということもあるにはありそうだが、宿のスタッフなのでそれはないだろうと予想する。 あるのだとしたら宿ぐるみの悪事となるからだ。そこまでのリスクは犯さないだろう。 恋愛関係になって、”貢ぐ君”になってもらいたかったのかもしれない。 そう言えば、アジアの辺境の村にお金を運び続ける人の話をどこかで読んだことがある。

私は、自分の鈍感さにより誘いに乗ることはなかったが、もしあれが誘っていたのだとすれば、その後、どのようになっていたのかな? とはちょっと思う。 事前リサーチによると、東南アジアに来ると日本人は何故かもてたりするが、その多くはお金目当てと日本国籍目当てだったりするらしい。 すぐに寝たりする人もいるにはいるらしく、又、こういった人々に本気になってしまう日本人もいるのだとか。

そんな想像をふくらませ、”まあ、何もなかったのだからよしとするか”と結論付け、その日はすやすやと眠りに入った・・・

トラング(TRANG)

2004-08-11

クラビ(Krabi)を離れる

朝、目覚めは少し辛かったが、支度をした後に数分の2度寝をしたら気分が爽快になった。

昨日まで履いていた服を部屋に捨てようかと思ったが、あの子は私がこのズボンを洗うと思っているので、もったいないものを見せたくはない為に外で捨てることにしました。 又、もらったアメリカ軍の非常食も、考えた末に、食べ物ならばもっと美味しいものがたくさんあるし、どんな代物かもはっきりしないものをこんなところで食べるのも何なので、これも、もったいないが捨てることにしました。 少し負担となる重さなのだ。

支度をし、宿を出る。 入り口には、先日見たことのない人が1人、座っていた。 先日の男女組は見当たらない。 鍵を渡し、外に出て、走り始める。

そこは、昨日と同じく、通学ラッシュだった。 トラックタクシーやらバイクやら、制服を着た人がたくさんいる。 学校の前では、お菓子やら朝食やらを売っている屋台がたくさん出ていて、子供たちが思い思いに食べ物を買ったり、朝食を食べたりしている。

そんなところを抜け、通学の混雑地帯から数百メートル離れたところにある、とある食堂で朝食を食べることに。 そこでは、先日食べたようなおかゆ風のものではなく、昼間と同じような食事が置いてあった。 いくつかと、お茶も飲みつつ、食事を済ませる。

すると、どうも今朝はおなかの調子が悪いようで、その食堂でトイレを借りることにする。 そんな時、役に立つのが6ヶ国語本。 トイレを貸してもらったが、こちらのトイレは水のみで全てを済ませなくてはいけないので、毎度の事ながら苦労した。 多少は慣れてきたか。

そして、いよいよKrabi(クラビ)を離れる。

幹線道路に出るまでしばらく走り、続けて、幹線道路をTrang(トラング)に向けて出発する。

Trang(トラング)まで、130kmほどあるようなので、寄り道はせずに、道路沿いのもののみ見ながら進んだ。

道路沿いにあるものは、今まで通ってきたものとほぼ変わらないようだ。

車の群れ、バイクの群れ、トラックタクシーなどなど・・・。

途中、小さな町をいくつも通過する。

平らで、勾配がほとんどない道をひたすらに進む。 全体的に下り調子ではあるか。


日本の旅に慣れている人からすれば、タイの道は楽すぎるくらいだ。

2人乗り、3人乗りをしているバイクに次々抜かされる。


バイクは、たまに”よくこれで動いているな・・・。”と思うような、”錆び”或いは”泥”がびっしりついたものが走っていた。

全体的に、なだらかな下り調子なので、とても快適に進む。


今回はタイヤの気圧も高いので、息切れするということが全くと言って良いほど無い。

草原の中を走って行く。


町の中を走って行く。

サッカーグラウンドにて

途中、サッカーの試合が行われようとしているグラウンドに差し掛かり、そこで、先日見た行進で鳴らされていた”ドンチャッチャ”という同じ音楽が聞こえてきた。

そこで、ちょっと立ち寄って一目見ていくことに。


遠くには、恐らく王族の人と思われる肖像画が見える。

まだ試合は行われていないようだ。

周囲には応援席も設けられており、又、屋台もたくさん出ている。

周囲は、とても賑やか。


応援席が、木の枠組みで組み立てられているのが見える。

テントの下で、人々が食事をしている。


これは、お祭り特有というよりは、どこの町でも見かける光景でもある。

衣装を着て、かわいい姿になった子供たちがたくさんいた。


屋台の食べ物もおいしいし、安いし、言うこと無い。


最初、少しぶらついていた時に、男性たちの集団に何やら話し掛けられた。が、何を言っているのかわからなかった。 私は止まらず、そのまま歩いていった。

その後、ふと、グラウンドがよく見えるところに止まって写真を撮っていると、再度、2人乗りバイクの青年2人が話し掛けてきた。 が、又も何を言っているのかわからない・・・。 問答を繰り返した後、青年からようやく英語の”マニー”という言葉が出てきた。 どうやら、観戦料を取るようだ。 ”OH~”とようやくわかったジェスチャーをして、自分を指差して”すぐに出て行く”という仕草をした。

そして、屋台でいくつか食べ物を買った後、そこを離れた。

だが、離れてすぐ、どうも前輪の調子がおかしいことに気づく。どうやらパンクのようだ。 なんとまあ・・・。 道の脇に入って、修理を始める。 見てみると、ガラス片が刺さってパンクしているようだ。 それを取り除き、さて中のチューブにパッチを当てましょうと思ったら・・・、パッチを当てるためのボンドが、3つあるのに3つ共、中身が空になっていたのだ。 これには参った・・・。 入れ物が圧迫されて中身が飛び出てしまったのかとも思ったがプラスチックケースに入ったものまでも中身が飛び出ているのはおかしいと思った。 あくまでも予想の範疇ですが、飛行機に乗せたことによる気圧変化の関係か何かで中身が飛び出てしまったのだと予想をしてみた。 予想はどうであれ、チューブを直さなければ走れない。 幸い、新しいチューブが用意してあったので、それに取り替えて進むことに。 幸い、チューブを入れ替えたらパンクの再発もなく、元通りにすることができた。 ほっ。 それにしても、新しく買った空気入れの性能の良さを実感する今日この頃である。

そこから再度出発し、それほど行かないところで、品揃えの良さそうな商店を発見。 ボンドがないか聞いてみることに。 言葉ではうまく通じず、実物を出して聞いてみたが、どうやら置いていないようだ。 近くにあったガソリンスタンドにもなかったが、1kmほど先にマーケットがあるのでそこにはあるだろう、と言う。

そこで、マーケットに行こう・・・ と思ったら、100m走ったか走らないところに、バイクショップが並んでいるのを発見。 拍子抜けした。 そこで聞いてみたら、あった。 ありました。 バイク用だけあってチューブがどでかいが、十分です。 20バーツ。 パッチ付で45バーツだったが、パッチはたくさん持っていたのでボンドだけにしました。 これでようやく安心して進むことができる。

トラング(TRANG) その1

バイクショップから出て走り出した少し先にT字の交差点があった。 そこには、真っ直ぐ幹線道路を行くと60km程、Trang(トラング)行きの看板通りに右に曲がって行くと50km程、と書いてあった。

今までの道路標識には幹線道路を行った際の距離が出ていたので、ちょっと拍子抜け。 どちらのルートにしようかと思ったが、距離以外に差別化が計れなかったので距離の短い方に行くことに。

そして、4046号線へ。


残り53kmだ。


さすがにこのあたりになって来ると、疲れが溜まって来た。


昨日のシーカヤックのおかげか、手が特に疲れている。

でも、少し休みつつ、おやつをかじりながら、暗くならないうちに着くよう走った。

ふと、Trang(トラング)まで20kmほどの地点に、滝の看板を発見。


今日はあまりものを見ていないので、ここまで近づいたのだからということで見に行くことに。

この細い道を入って行く。

道路の少し手前の看板では、”曲がってから1km”の表示があったのだが、道路から入ってすぐ、50mほどのところにそれはあった。

違う滝もあるのかな。 上の方に入り口がもう1つあったし。

トラング(TRANG) その2

そんなこんなで、ようやくTrang(トラング)に到着。

この町はでかい。 電車も走っている。

 

街中を走っていたら、ふと、目の前に見えてきた白い塔に目を奪われた。


どうやら、その白い塔は道の脇の寺院内にあるようなので中に入ってみることに。


この、大きな白い塔。

何かはわからないが、とても魅力的だ。



そして、寺院を離れる。


寺院から出て少し進むと、いきなりマーケットの中に突入する形となった。


段々、混雑が増して行く。


マーケット。


盛んに取引がなされている。 タイは裕福で、マーケットでほとんどの物が手に入る。(多分)

そして、とりあえず宿を探そうと思い、駅前に行けばツーリスト・インフォはあるだろうと思ったので行ってみることに。 そうしたら、ありました。 今までの町のように、どこにそれがあるのかさ迷うこともなく、一発で発見した。 すると、3つほど候補をあげてくれ、そのうちの1つを選ぶことに。

私は、手ごろなところを選ぶことに。 ツーリスト・インフォに来る途中に”あ、宿がある”と目をつけていたところが割と手ごろのようなので、そこにすることに。 260バーツ。 部屋は広くてバスルームも部屋の中にきちんと付いているので値段相応に十分である。

シャワーを浴び、荷物を少し出し、散歩へ。 食堂で食事を済ませ、町をぶらついた。 すると、何やらお祭りのようなものをやっているのを発見することに。 なんだこれは・・・。 スピーチ大会のようなものをやっていたり、小さな女の子がダンスを披露したりしていた。 特に、ダンスに使われている音楽が演歌風のメロディーと共にハイなタイ人が愉快に歌っているといった風のもので、演歌風のメロディーもタイ人にかかってはこのような愉快な歌になるんだ・・・ と思いながらダンスを眺めていた。

お祭りの屋台でアイスクリームのようなものを買ったとき、一緒に何かを手渡された。

ジグゾーパズルの一片? なんでだろう? と思って聞いてみたら、どうやら、”心の一部を分け与える”とか”記憶に残ります”とか、そういう意味のあるものらしい。(ちょっとニュアンスを伝えきれないのが舌足らずで無念だ。) 恋のようなものか、とも少し思った。 上品で心のこもった習慣・慣わしだ。
屋台でもらったジグゾーパズル

ここで、今回の旅においてプーケット空港以来の日本人カップルを初めて見た。 話はせず、いつの間にかどこかへ行っていたが。


そして、駅前まで戻って来て、宿に戻ろうとする。 が、いきなり、開いている2件の雑貨屋の人に呼び止められる。 なんだこのしつこいおばさんは・・・ と思ったが、とりあえず何事も経験だと思い、そのうちの1つに入ってみることに。 すると、私の視線を読み取るやすぐに”これは30バーツだ。”と言うが早いがレジの方に持っていこうとする。(苦笑) 私はNoのジェスチャーをすると、いきなり20バーツに下がる。(笑) が、レジの人は25バーツと言ってくる。 私は、そのおばさんに対して”20バーツ。OK?”と言い、しつこいおばさんは”OKだよ。さっさと行きな”のような軽いジェスチャーをしてきた。 きついジェスチャーではなかったから特に何も思わなかったが、人によっては気分を害するかもしれない。 私が持っていた他店購入の袋を勝手に触って”これは何だ”とずうずうしくも聞いてくるところも人によっては拒否反応を示すだろう。

そして、ようやくホテルに戻ろうとした時、駅前の屋台前にちょっとだけ立ち寄ったら、日本人の旅行者(1人)に話し掛けられた。 姿形を見る限り、ちょっと汚い風の服を着た、いわゆる”貧乏旅行しているバックパッカーです”という人だった。 私は、タイに来てからこういう人をまだ見ていなかったので、”なるほどー”と思いつつ眺めた。 この人はこれからマレーシアまで南下するらしく、私も同じくそちら方面に行く予定なので情報交換はあまりできなかった。 この人は先ほどトラックタクシーで着いたばかりで、マーケットも閉まっているのでどうしようかと思っているところだったそうだ。 私は、その通りを少し進むとお祭りがやっていることを伝えた。

そして、ようやくホテルに戻る。

明日の計画は、まずはPhatthalung(パタルング?)を次の宿泊地と定め、途中にあると思われる国立公園で時間を使うことにより、夕方近くにPhatthalungに到着することを目指す。 そして、次の日は最終目的地であるHAT YAIに到着し、帰国便に搭乗する次の日の予定としては午前中にHAT YAI観光か何かのツアー、そして夕方の2~3時間を空港への移動に費やそうと思う。

始めは大体の距離で開始地点と終了地点を設定したが、割と良いスケジュールになってきたと我ながら思う。

トラング(TRANG)、郊外のFITNESS PARK、SUMANO CAVE TEMPLE、、PHUT THA KHODOM CAVE、KHAOKRAM OPEN DEER ZOO、KHAOCRAM WATER FALL、パタラング(Phatthalung)

2004-08-12

トラング(TRANG)の朝

今朝は、少し早く目覚めたら真っ暗だった。時計を確かめてみるが5時半である。6時10分頃に起きてもかなり暗かった。いつも起きている6時半には外は明るくなっているので、随分と日の出がはっきりしているのだなあ、と思う。 そして、その通り、6時半には外は十分に明るくなった。

支度をして出発しようと思ったら、前輪のタイヤの空気が抜けていることに気づく。パンクはしていないのにな・・・と思ったら、空気を入れる部分の加工部の端から少しだけ空気が漏れていることに気が付いた。 洗面所の水に漬けて確かめないとわからないくらいのものだった。 初期不良? とも思ったが、確かめようがない。 水に浸ける手法が使える、このようなホテルの中の出来事で良かったと思う。

修理をし、そして、外に出る。

食事をしようと思い、マーケットをぶらつくことに。


だが、珍しく、通るルートに食堂がほとんどない。

裏通り(?)を走って行く。

マーケットの混雑の中を。

こんなに大きな車も通過する。


見た目より、割と”普通”に通過していく。 皆、慣れたものだ。

マーケットを出て、街中を走って行く。


食事をどうしようかな・・・。 と思いつつ走る。

そして、今回の工程の中では珍しく、大きな商店風の食堂に入ってみることに。 さすがは駅から遠くないこともあり、メニューも英語で書かれている。 が・・・、高い。 パンで40バーツとかパンと卵焼きと飲み物で60バーツほどのようだ。 さすがは観光客用のメニューだなあと思う。 当たり前のように旅行者値段を付けてくるけれども、人によっては感じが良くないとは思う。 屋台か普通の食堂で食べれば、旅行者値段であってもこの半額以下だし。 大体、それらの場所では朝食が20から30バーツでそれなりに食べれる。

先日、お祭りをやっていたところ。

この周辺も、とても賑わっていた。

少し走り、もう良いかな? と思って次の目的地、Phatthalung(パタラング?)に向けて走り出す。 走り出してすぐに、ちょっと小高い丘の上に登れるような道があったのでそちらに行ってみることに。 そして、見所がないか誰かに聞こうと6ヶ国語本を出して調べていたら、向こうから話し掛けてくれた人がいた。 どうしました? と英語で聞いてくる。

そこで、見所はないかということを聞いたり、次の目的地はPhatthalungであることを伝えた。 すると、この町の時計台を見ると良いと言う。 時計台! と言うので、私は教会のような何かの建物に付いている時計台を思い浮かべた。 そして、Phatthalungに関しては途中に山がありますので時間がかかりますということを教えてもらい(まあ、地図を見るとそれらしきことはわかるけれども)、そして、その途中には滝がいくつもあるので見に行くと良いということを教えてもらった。 これは収穫。

とても人当たりが良くて、親切な人だった。 お金目的でもなさそうで、どうやら、日本に興味があるみたいだった。 最後、何やらお別れのあいさつを日本語で言ったみたいだったが、んんん? と聞き返してしまった。

そして、彼女にお礼を言い、時計台の方へ。 途中で1人に時計台の場所を聞き、そして更にもう1人聞いて、ようやく辿り着いた・・・。

が、それは、先日から何度も見ていた時計のことであった。(苦笑)

そこで、いざ、Phatthalungに向けて再出発をすることに。

郊外のFITNESS PARK

Phatthalungに向けて再出発してすぐに、何かの記念公園のようなものがあったので入ってみることに。

FITNESS PARKとあるが、単にそれだけではなく、何かの記念公園のようだ。


(何故そう思ったのかは忘れてしまった。)

中を歩いて行く。

すると、遠くに銅像が見え始めた。

銅像と、自転車。

何か、有名な人のようだ。


そして、この公園はこの人を記念して作られているのだとか何とか。(記憶による)

そして、公園を離れる。

その公園を出た先で、何やら木彫りの像を道に広げて売っている人たちを発見。

ちょっと物色することに。

ちょっと荒々しい彫り方だが、特徴があってなかなか面白い。 私は、竜の像を買うことに。 値段を聞くと260バーツだという。 そして、ちょっと私が悩んでいると、いきなり160バーツに下がった。 私は100バーツでどうかと聞いたら、150バーツにしてくれと言う。 特に無理矢理値切る理由もなかったので、それで手を打った。 大体の場合半値には下がるというが、まあ、これはこれでよしとしよう。

聞いてみたら、タイの彫り物ではなく、インドネシアのものであると言う。 なるほど。 彼らもそちらから来ているとのこと。

唯一の峠

そして、Phatthalungに向けて再度走り始める。

山に登るのかな、と思っていましたが、ずっと真っ直ぐな道で特に峠らしきものが出てこない。

遠くに山が見えるので、その近くだけが峠になっているのかな、と予想する。

ようやく山が近づいてきた。


でも、道は相変わらずなだらかだ。

看板に、いくつも滝の表示がある。


さっき聞いた話の通り、このあたりには滝が多いようだ。 地図を見て確かめてみたら、これらの滝に行くとなると峠とは別方向になるようなので、この滝には行かずそのまま通過した。

そして、いよいよ峠に差し掛かる。

峠がどれだけ続くのか? と思ったら、確かに1つ1つの勾配としてはそれなりのものもあるが、日本の峠をいくつも越えている自転車乗りにとってみれば峠の数に入るか入らないかと言った程度の峠である。

峠近くで見た、建造物。


無休憩にこだわってはいないのでそれなりに休憩はして、疲れてフラフラと中央に踊り出ないように気を付けた。

峠はそれほどでもないものの、今まで2車線か3車線だったものが峠道のみ1車線となったので、横を通過する車が怖かった。

峠に、小さな仏像が飾られている。

峠に、警察が常駐している建物があった。

道は、上り下りが細かく続く形になっているので、坂を下った勢いと少しのこぎで次の坂を難なく超えられる程度であることがほとんどだった。

そして、あれよあれよという間に峠をクリアした。

SUMANO CAVE TEMPLE その1

峠を越えると、概ね下り基調の、快適な道へと出た。

快適になってからすぐに、このような、洞窟のお寺(CAVE TEMPLE)があるということなので行ってみることに。

中から、何台かの車が出てくる。


観光もOKそうな雰囲気だ。

看板。

中へと入って行く。

周囲にいくつか洞窟のようなものが見えたが、どれを見ていいのかわからず、とりあえずそこに自転車を置いて歩道を歩いてみることに。

すると、歩道の少し先に、このようなものがあった。


中には、仏像らしきものがある。

小さな仏像。

岩の下に、このようなものもある。


SUMANO CAVE TEMPLE その2

少し歩道を歩いた後、階段があったので登ってみた。


すると、このような仏像を発見。

歩道はつり橋に繋がっていた。


ゆっさ、ゆっさと歩いて行く。

つり橋を渡ってみると、その先に建物がいくつかあったので、一度戻って自転車を取ってきた。 そして、先の方まで走って行き、いくつかの建物と洞窟を見た。

これは、とある洞窟。

中に入れるようなので入ってみると、中には仏像があり、生活できるような空間までもあった。

ずっと中で暮らして修行するのかな? と思った。

周りの景色。

鐘がある。

まさか砲弾の先っぽじゃないよねえ、と思いつつ見ていた。 ここから見る限り、きちんとした鐘のようだ。

と、言うのも、貧しい国ではそのようなこともあると最近見聞きしていたので。 タイは裕福そうなのでそんなことはないかな?


ここにも、洞窟が。


中には、他の洞窟と同じように生活できるような空間があった。

それにしても、あのような真っ暗な空間で修行するとは・・・。 ひんやりとしていて、かなりきつそうだ。

僧侶の姿。(この服を着ている人は、それほど多くはなかった。)

共同生活をしている人々。

そして、ちょっとした建物に入って、このような仏像を見せてもらった。

お坊さんが前に座って、他の人に何やら行っているが、言葉が通じないのでちんぷんかんぷん。

周囲にかけてある絵が仏陀の一生を示しているということだけは説明してもらったが、言葉がうまく通じなくて苦労した。 お布施が必要だったのかな? という気もするが・・・。

ダライ・ラマらしき写真もあった。

PHUT THA KHODOM CAVE

そして、洞窟寺院から出て、再度走り始める。こぎ足も軽く、快適に飛ばす。

だが、途中、昼食を食べた後にZOO(動物園)の看板を見かけたので、「こんな田舎に動物園? お客は来るの? 採算は取れるの? 都市からのツアー客専門?」 と思いつつも、行ってみることに。

入り口にちょっと自信がなかったが、入り口のところにあったお店にいた人たちに話し掛け、英語が通じないのでジェスチャーと筆談で聞き、ようやく、この先に確かに動物園があるということを確かめた。

そして、その売店で水を購入(1リットル5バーツ。どこでもこの値段)し、再度走り始めた。


ここを曲がって6kmほどのところに、それはあるらしい。 方角的には南へと曲がる。(上の写真では、正面が私の来た方向。 後ろが、本来進む方向。 看板が微妙だったので、少し行き過ぎた後に逆側の看板を振り返り見て、Uターンしてからここの分岐点に辿り着いた。)

動物園に行く途中、PHUT THA KHODOM CAVEという洞窟があるようなので寄ってみる事に。

ここを、入って行く。


看板も、雰囲気良くタイ風に飾ってある感じだ。

入ってすぐに駐車場があり、そこから見上げると、仏像が見えた。

そして、歩道を少し歩いて行くと、いくつかこのような洞窟があった。

そして、ここの中で一番大きいと思える洞窟がこれ。

中は、かなり広かった。



地面は平らに整備されている。

奥を見ると、アンプとスピーカーらしきものが見える。


何に使うの? 踊り?

更に奥には、このような檻があった。


「静かにして下さい。」と書いてあったので、中で誰かが修行しているのかな???

今も、この暗闇の中に誰かいるのかも・・・。


そして、洞窟を出て、階段を少し登って、駐車場から見た仏像を見に行った。

駐車場から見えた仏像の後ろには、このような小さなスペースと小さな仏像があった。


このフェンスは一体?

KHAOKRAM OPEN DEER ZOO その1

PHUT THA KHODOM CAVEを出て、動物園を目指して再度走り始める。


分岐路の小さな道へ入った筈なのに、家はたくさんあるし町もあるし、このように寺院もある。

遠くまで続く木々。


段々、動物園がありそうな雰囲気に変わってきた。

道を、進んで行く。

遠くまで広がる木々、そして山々。

小川を通過する。

(もちろん、橋はあります。コンクリートの・・・。)

そして、しばらく看板がなかったので行き過ぎてしまったかな? と思った頃、このような看板が。


「KHAOKRAM OPEN DEER ZOO」

いよいよだ。

このすぐ先にある分岐路を曲がり、KHAOKRAM OPEN DEER ZOOへと行く。

分岐路を曲がったら、更に森が深くなった。 いい感じだ。

くねくねした道を、進んで行く。

あとちょっとの感じだ。

KHAOKRAM OPEN DEER ZOO その2

そして、ようやく到達!


・・・・と思ったら、空いていない? おひおひ・・・。

日本の動物園を想像していたので、これには意表を突かれた。


とりあえず、近づいて記念写真でも撮っておくか、と思う。


だが・・・・。


ふと近づいて見ると、横の方に歩きの人の為の通路があるのが見える。

2重扉になっており、手前の方が開いているので中に入ってみると、なんと、奥の扉は、鍵が開いている状態で、鍵がぶら下げてあるだけだった。

なんと空いていたので、どうしようかと思う。

が、少しだけ入ってみることに。


自由に入れるから "OPEN ZOO" ということ? とか少し思った。


ここの情報が全くないので、「虎にでも襲われたらひとたまりもないぞ・・・。」と思いつつ、周囲を警戒して進んで行く。

周囲はフェンスに囲まれており、中から逃がさず、又、中に入ってこないようになっている。

それなりに広いようで、まだまだ先がありそうではあったが、100mほどで戻ってきた。 あの入り口のフェンスはとても高く、誰かに閉められて抜け出せなくなったら大変だと思ったからだ。


だが・・・。 入り口まで戻ってきた時、現地の若いカップルが2組、合わせて4人が、2台のバイクにまたがって入り口に戻ってきた。 私はコミュニケーションを試みたが、うまく通じない。

ドアが空いていることだけは伝えたが、彼・彼女らがどうするのか、それは彼らに任せて私は立ち去ろうとした。 だが、そのうちの1人が、一緒に行きましょうと誘ってくる。 大人数ならば大丈夫か・・・ と思い、ついて行くことに。 だが、彼・彼女らの、あまりにも気楽な歩き方に、ここはとても安全な場所なのではないかと思えてきた。

動物よ来いーーー と言わんばかりに動物の真似声を叫びながら歩いて行く彼・彼女ら。

一緒に行った4人組。(カップル2組)


会話はあまり通じなかったが、とても面白い子供たちだ。

ジョークもイカしている(ような気がした。)

そして、動物がいないな・・・ と、Uターンして戻ってきた。

すると、後ろから、ずらずらと子供たちがやってくるではないか・・・・。

この時点で、確信した。 ここは安全なところだったのだ。 さっき、緊張して中に入った自分自身に対し、苦笑いをした。

そして、帰る直前、ようやく1つ動物を見た。


野ウサギである。(苦笑)
中央右に野ウサギ

小さな、小さな野ウサギが一匹・・・。
野ウサギを拡大

そして、入り口に戻り、4人組に別れをした。

入り口には、先ほど見かけた子供たちの親族と思われる男たちがさくさんいて、少し会話をした。(どこから来たのか? などなど。)


後から単語を調べてみると"DEER"は鹿だから、”鹿のいる開かれている動物園”ということだったのかな???

KHAOCRAM WATER FALL

動物園を出て、すぐに戻ろうかと思ったが、分岐路に戻ってきたところのすぐそこに滝があるようなので見に行く。

分岐路から、滝へと向かって進んで行く。

途中、川の氾濫で道が水浸しになっていたが、ちょうど下り坂の終わったところであったので、水しぶきと共に面白く通過した。

(この写真の中を突っ切ったわけではないです。念のため。)

やがては舗装路ではなくなり、更に、進んで行く。

看板がある。あとちょっとだ。

「KHAOCRAM WATER FALL」


動物園はKHAOKRAMでここはKHAOCRAM? と、後でそんな細かいことを思ったりもする。

行き止まりに自転車を止め、滝へと向かって歩き出す。


下を見ると、大勢の人たちが食べ物を食べたり、水を浴びたりしている。

大きな岩肌。


流れ落ちる水。

涼しい水の流れ。

子供たちを連れてきた母親。


さすが母はしっかりとしている、と思った。

少し水を浴びたが、少しだけ濁っているようだ。


だが、そんな濁りを気にしないほど、この水浴びは心地が良い。

そして、しばらく水を浴び、やがて、自転車に戻っていった。

パタラング(Phatthalung)

滝を出て、元の大通りまで同じ道を戻って行く。

道の周辺には人々がとてもたくさんいて、「アジアは、どんな山奥に行っても人がいる」という言葉を実感しつつ走った。

そして、大通りに戻る。

Phatthalung(パタラング)まではあとちょっとだ。

広がる草原の中を、走って行く。

そして、やがてはPhatthalung(パタラング)に到着した。


街中に入ってすぐに、このような、とても目を惹かれる建物を発見することに。

例によって王族と見られる人の肖像画と、後ろには立派な建物。

何やら書いてある。


ここには、次のようにある。

英文 機械訳
Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit

In wishing to observe a royal tradition in establishing directional Buddha images known as Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit for the auspiciousness as well as well-being and security of all subjects, His Majesty King Bhumibol Adulyadaj granted permission to the Territorial Defence Department to cast four images. They were taken to be enshrined in 4 provinces on the four cardinal points around Bangkok; namely, Lampang, Phatthalung, Saraburi and Ratchaburi. The images measure 49 inches in lap width and were cast from an alloy of brass, platinum and copper in a proportion of 3:1:1, weighing 1,400kg. in total. The general public were also allowed to smelt an alloy of gold, silver and copper for the casting. The images were conferred to be enshrined in toe four provinces on 27 December, 1968.

Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit

すべての科目の健康と保全と同様、吉兆のために Phra Phuttha Nirarokhantarai Chaiwat Chaturathit として知られている方向を示す釈迦像イメージを確立することにおいて、国王の伝統を観察することを望むことにおいて、彼のブミボル Adulyadaj Majesty 国王は4つのイメージを投げるために領域国防部に許可に応じた。 Lampang 、 Phatthalung 、 Saraburi と Ratchaburi 、(彼・それ)らはバンコクの周りに;すなわち4の基本的なポイントの上に4つの州に安置されるためにとられた。イメージはラップ幅で49インチの長さがあって、そして、全部で1,400 kg の重さがあって、3:1:1の割合で真ちゅう、プラチナと銅の合金から追放された。一般大衆は同じく配役のために銀の、そして銅の金の合金を溶解することを許された。イメージは1968年12月27日に足指4州に安置されるために授けられた。

どうやら、仏陀の記念碑が4つの町、Lampang、Phatthalung、Saraburi、Ratchaburiに納められたことを示すプレートのようだ。

これがその仏像・・・・ かな?


そして、Phatthalung(パタラング)の中心部へ。

Phatthalungの町を回った中では、駅前のマーケットにある屋台のうちいくつかの人が当然のごとく観光者値段(今までの価格の2倍近く)を付けてきた。 観光者値段を付けてくることは良いが、その時の対応がちょっとつっけんどんな人もいて、駅前だからかなあ? とかちょっと思った。 もしかしたら、言葉の通じない外国人だから冷たく接している感じになるのかもしれないけれども。と言うのも、昼食を食べる時、食事を持ってきた時にタイ語で”ありがとう”の”コップンカップ”を言ったら、むすっとしていたおばさんがにこっと笑ったということがあったので。 旅行者価格を付けられて、その対応に気分を害することもあるけれども、もしかしたらお互い様なのかな、とかちょっと思う。

”どの国にいようとも親切な人はいるし気の悪い人はいる”というごく当たり前の結論を出すことは可能ですが、単純には割り切れない、割り切るには更なる理解がいる、一方、割り切ることは本当に好ましいことであるのか、ということを感じるのであった。

ちなみに、旅行者価格は誰もが付けてくるわけではない。 品物によっては、旅行者価格の時とそうでない時がある。 250mlの瓶入りペプシコーラなど、5バーツの時と10バーツの時がある。 少しずつ相場もわかってきた。 わかってくると買わないことも出来るし、文句を言う事も出来る。 短期旅行者が文句言えないのも当然ということはすぐに実感。

先ほどちょっと実験で、焼き鳥の小さなものは恐らく5バーツかな、と思って、値段を聞かずに1本買ってみた。そして、10バーツを差し出してみたら、そのおやじはお金を一瞬じっと見て、何も言わずにポケットに入れ、作業を続けた。私の方を見ようともしない。 私は少し気分が悪くなった。気にしすぎかもしれないが。 値段を聞くのがルールであるとすれば、ルール違反は私の方ではある。

とは言っても、このようなケチな小銭のトラブルとは言え何度も何度も遭遇するので、多少うんざりすることは確かだ。 タイは、つまらないことで評判を落としているようにも、私には見えてしまうのだ。 少なくとも、私はタイを必要以上に他人に勧める気が起きない。 そこまでの魅力を、既にタイに感じなくなってしまっているからだ。 このあたりは、相性もあるだろう。

田舎の、良い土地柄をたくさん見てきただけあって、なんでこんなつまらない人たちの為にタイのイメージを悪くしなくてはならないのだと思うのだが。


本当は、ここに書いたこと以上に考え込んでしまったのだが、その一部を書くに留める。 思いつめるのは、昔からの私の悪い癖だからだ。



夜、7時過ぎにいきなり花火の音がし出した。ホテルの窓から眺めてみても見えない。どんな花火であるかだけでも見ようと、急遽、支度をしてホテルの外に飛び出した。 が、この時カメラを持っておらず、素晴らしい光景の写真を取り逃すことに。

花火は、そんなに遠くなさそうでした。 花火の方向に向かって、足を進める。 歩きながら、上空に広がる大きな大きな丸い花火を見た。 日本のように10連発ということはほとんどないようだ。 単発、或いは数発の花火が間隔を置いて炸裂している。

やがて、1kmかそのくらい歩いただろうか、昼間に通った記念碑の前が、明るく、更に、大きな音で何かが流れているのが見えてきた。 そこは運動場のようで、その先に王室の人だと思われる女の人の大きな大きな肖像画を背景に、歌を歌って皆はそれを聞いているではないですか。 その会場に十分近づいた頃から、花火の姿が見えなくなった。 なんとタイミングの良い・・・。

運動場を見ると、今人々がいるずっと後ろの方までゴミの散乱が見られるので、もっと早い時間にはもっともっと遥かに多くの人が集まっていたのだな、ということがわかる。 私は椅子の空席を見つけ、歌をしばらく聞くことにしました。 この時聞いた歌は先日聞いた演歌風のメロディというわけではなく、曲ごとに違った種類のメロディの元に歌を歌ったりしていた。

約30分経ち、これらの歌で終わりかと思っていたら、何と、メロディと共に踊りがいきなり始まった。 周囲の人は何のことはなく見ている。 小さな女の子が妖精の姿をして出てきたり、きらきらした服を着た10歳前後の女の子たちがしとやかな手使い・腰使い・足使いで踊りを踊ったり、もう少し年の上の、15歳から18歳ほどの女の人、中には男の人も、踊りを上手に、年齢相応に踊っていた。 下手だからといってどうなるということでもなく、年齢相応、技術相応に踊っているのを、この地域の人たちが暖かく、まるで大きな家族のように見守っている、という感じだ。 舞台の上で度々ちょこまかと作業の人などが動き回っているが、それが全く不自然ではない。 皆、よく知っている仲で、楽しくやっているという感覚を覚えた。

歌を4~5曲、踊りを7~8曲ほど見ただろうか。 その踊りの、特に手つきに私は見入ってしまった。 メロディも、リズムのいいものから落ち着いたものまで、いろいろあった。

今回の旅では、これを見れただけでも来たかいがあると思った。 それほど素晴らしく、家族的な愛に満ち溢れた光景であった。 (全体としては)洗練が十分にされていないかもしれないが、感じるものが多分にある光景であった。

踊りに見とれ、そして、踊りで終わりかな・・・ と思ったら、何やら皆が後ろに下がり始めた。 舞台の前を少し空けるようだ。 何が始まるのだろう・・・ と思ったら、しばらく後に、トントコトントコというリズムの良い音楽が聞こえてきて、やがて、きらきらした鎧を纏った人が、そのリズムに合わせて足を細やかに足踏みさせながら少しガニ股、腰を少し下ろした格好で、三角形の旗を持って、まるで戦闘の先陣を切るかのごとく少しずつ歩み出てきた。

これは一体・・・ と思いつつ、見入っていた。 メロディはどこか中国風の笛が混じっており、鱗のような鎧兜、それに合わせた仮面が細やかに動いている。 足つきはしっかりしており、腰が丈夫であることが動きから見て取れる。タタータ、タルタルラー、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、ラ、タルラルラーーーー。そのような音楽が、ずっと続く。 何やら、後ろで言葉を喋っている人がいる。 もちろん、タイ語なので何を言っているのかわからない。 が、どこかで読んだ記憶によると、このようなものは昔の物語の再現であることがあるそうだ。 何か、古代の物語や前世紀の実話などを元にして、民族として語り継ぐ為に劇にする。そのようなシチュエーションであると考えると全て合点がいく。

面白いのはその動きとニュアンスであるのだが、一応、少しだけ説明をすると、最初に、ちょっと怖い仮面を被った1つの軍が出てきてパフォーマンスをした後に幕から引き、もう1つの、今度も仮面をしているのだけれども大将らしき人だけ仮面を被っていない軍勢が来て、パフォーマンス後に最初の軍勢が出て行った方角から入ってくる。 そして、戦いになるのだが、戦いと言っても歌舞伎のような形式的な型を見せる戦いをしばらく見せ、途中にいくつか大技のようなものを披露してその度に拍手が出たりして、剣や旗のふるまいによる戦いのシーンを見せつけてくれた。 そして、最後に仮面大将の軍勢が負けたのかな? と思われるパフォーマンスはあったのだけれども、最終的にはどちらの軍勢も大将が車(荷台のような、当時の戦闘時における車)に乗って堂々と撤退していったので、どちらが勝ったのかはっきりとわからなかった。 勝ち負け以外の結論なのかもしれない。 或いは、恩赦をしたとか。


そのような素晴らしい歌と踊りと劇を、最初は途中で抜け出す予定だったのが結局最後まで見てしまい、かなり遅くなってしまった。 私は、少なくとも12時は超えていて深夜2時近くなっているかな・・・ と思いつつ急いでホテルに帰ったが、ホテルに着いたのが10時半だった。どうやら、体内時計は日本時間でいるらしい。(2時間の時差)

ホテルは快適で、すやすやと眠りについた・・・。


注:Phatthalung(パタラング)の発音が合っているかどうか、あまり自信なし。

Phatthalung(パタラング)、とある寺院と学校、Hot Springs(温泉) 、PHRA CAVE、COOL POOL(COLD STREAM) 、KHONGKHALEAB TEMPLE、ハジャイ(HATYAI)到着

2004-08-13

パタラング(Phatthalung)の朝

朝、夕べは疲れていたので寝坊するかと思っていましたが、割と時間通り6時20分頃に目覚めた。 支度をし、出発をする。さすがに手馴れてきて、7時には出発できた。 昨日のようにタイヤのトラブルもない。

道路に出て、先日やっていた駅前のマーケットが開いているか見に行ったら、全く開いていなかった。 車の通りのような感じに、そこはなっていた。

もうHATYAI(ハジャイ)を目指そうと思い、郊外を走っている幹線道路に向けて走り出す。

少し走ったところに、何かの店の前の場所を利用して朝食屋が開店されていたので、そこで朝食を食べることに。 ここは、数日前に食べた、あの懐かしいおかゆ風の食事を出していた。 それを頼み、又、シュウマイ或いはかまぼこ風のものをいくつか選ぶように言われたので、とりあえず2つ選ぶ。 そして、ティーを頼んだ筈だったのが、コーヒーが出てきた。

おかゆは、先日食べたのと同じように美味しかった。 だが、先日と違って調味料の中に砂糖がなく、変わりにこしょうが置いてある。 砂糖とナンプラを混ぜるのが美味しかったのだが・・・ とちょっと思い返しながら食事を取る。 かまぼこ風のものは、何だか薄い味だった。 加工食品っぽい味が。 コーヒーは、私は元々コーヒーを飲まない(飲めない)人であった筈なのだが、ミルクスティック1本と砂糖1本を混ぜてとりあえず飲んでみたら、何故か、特に問題なく飲めた。 これは、タイ・マジックか? こちらに来てから辛いものも食べられるようになっているし、味覚の不思議がまた一つ増えた。

そして、食事を済ませ、会計をしたら、50バーツだった。 おかゆが20バーツ、かまぼこ風のが10バーツで2つ、コーヒーが10バーツということだろうか。 微妙な値段だ。

道は、バイクやトラックタクシーでぎっしりだ。

ここが、夕べお祭りが開かれていたところ。

遠くに、大きな大きな肖像画が見える。

(写真中心部)

幹線道路は、相変わらず高低差が少なくて快適そのものだ。


ハジャイまで90km。

道は、快適そのものだ。

とある寺院と学校

途中、道路沿いに綺麗な寺院があったので、立ち寄って見てみた。

立派な建物。

どうやら、この横には小学校低学年向けの学校があるようだ。 どうも、学校の一部に寺院がある、或いは、寺院の中に学校があると考えるのが自然と感じる。 何故かというと、学校の入り口には王族の人と思われる写真がかなりの確立で飾ってあるからだ。 そんなことを考えながら、一周して写真を取り終わってさて出発しましょうと言うときに、ふと、子供たちがずらずらずらっと自分に近づいてきた。


そ、その円ら(つぶら)な瞳、それに一瞬、”くらくらくら”っと来た。


一部の環境系NGO・NPOが”この純粋な子供たちの為に”と、ひたすらに宣教活動(ほとんど宗教の域に達している団体もある)を繰り返すその”純粋な子供”の意味が、ほんの少し、数分の1ほど理解できた。

もう、先日あった駅前の2重価格商人たちのことなんて全て吹っ飛んでしまうほど、この子供たちの純粋さは心に響くものがあった。

衝撃を受けた。 こんなことが、まさかあろうとは。 いや、もしかしたら、これを求めて私は旅をしているのかもしれない。 そして、そのことを忘れていただけだったのかもしれない。

タイに来て、どこか”余所者”としてのよそよそしい目線を受ける中に旅をしてきて、この純粋な子供たちの円ら(つぶら)な瞳を見て、全て、”救われた”と感じずにはいられなかった。

そのような余韻に浸りながら、自転車を走らせた。

今日は今までの中でも特に暑く、スコールもほとんど降ってこなかった。 プーケット周辺と違い、気候が違うのかな? と思いつつ進む。 その日の夜に見たニュースでは、どうやらタイ北部のチェンマイでは洪水が起こっていたようだったので、地方の特性か、或いは運が良かっただけだったのか何なのか。

Hot Springs(温泉) その1

やがて、ふと、持参した地図にも載っている”Hot Springs”の看板が出てくるようになった。

私はともかく、温泉に目がないのだ。 日本での旅であれば、2日に最低1回は温泉に入るくらい、そのくらい温泉好きである。 であるから、この看板を見た瞬間、”旅であれば温泉に行かないでどうする!” くらいの気持ちになって、温泉行きはほぼ決定していた。

ここに入って行く。

途中見た、ガチョウ(恐らく)の飼育所。

あとちょっとだ。


ちょっとした街中に入ってきた。

この街中で、トラックの荷台を使って開いているお店から さとうきび? を潰したジュースを買って飲んだ。 これまた美味しい。 カップに入って5バーツ。 ボトルに入れたものだと10バーツらしい。 これは、道端で売っている露天商の看板にもボトル10バーツと書いてあったので適正価格のようだ。

ツーリスト用の看板。

あと1.75kmだ。

そして、看板通りに温泉の方に進み、看板のない十字路に差し掛かった際にその角にある商店の人に、温泉の場所を聞こうとした。 が、どうも英語が通じない。 何とか方向だけ聞き出し、お礼を言って走り出した。 すると、すぐ右にスクーターに乗ったおばちゃんが来て、自分もそこに行くから先導してあげるという。 これは助かった。

バイクに先導してもらいつつ、進んで行く。

段々と、風景が変わってきた。

途中に看板のない交差点を2つ曲がり、温泉へとようやく辿り着いた。

温泉は、ちょっとした教会のようになっていた。

Hot Springs(温泉) その2

この看板には、以下のようにある。

英文
THE HOT POOL IS SITUATED AT THE SLOPE OF CHAISON HILL IS BELIEVED BY THE LOCAL PEOPLE TO BE SACRED WHICH CAN HEAL SOME DISEASES. THE TEMPERATURE IN THE POOL IS NOT OVER 60 C. ABOUT 700 METRES NORTH OF THE HOT POOL IS THE THAM PHRA(PHRA CAVE) WITH A COOL POOL INSIDE. THE COOL POOL IS ABOUT 1 METRE DEEP AND HAS WATER ALL YEAR ROUND.
和文
CHAISON丘の坂にある暑いプール(HOT POOL)は、地元の人々によって神聖かつ若干の病気を治すことができると信じられている。プールでの温度は60度(摂氏)よりも高くはない。暑いプールのおよそ700メートル北にある THAM PHRA (PHRA洞窟)の中には冷たいプール(COOL POOL)がある。冷たいプールはおよそ1メートル深くて、そしてすべて1年を通して水を持つ。 (自動翻訳+若干調整)

寺院がとても立派だ。


さすが、神聖なものと思われていることはある。

先導してきてくれたおばさんが、中も案内してくれた。

そして、少し歩いて温泉の涌き出るところを見せてもらった。

だが、どうも、入れそうにないくらいに汚い。 湯量もさほど多くなさそうに見える。

だめかな・・・と思いつつ、”日本では、温泉は公共浴場のようなものになっている”とおばさんに言うと、どうやら浸かることができるところがあるという。

おおお。と思って期待していると、とある掘っ立て小屋のようなものを指差し、”これも入れるけど、汚い”と言い、又、プールのようなところで何人かが足を浸けているのを指差し、”こういうのもあるけど、汚い”と言い、続いて、あそこは綺麗なので入ると良い、と、向こうの建物を指差した。

続いて建物に案内してもらい説明を聞くと、どうやら1時間120バーツで浄化された温泉に入れるという。 そこにあった張り紙によるとホテル一泊500バーツからのようだ。 さすがは温泉地、と言ったところか。

そして、私が120バーツで温泉に浸かることを決めると、管理人の青年が、これをどうぞと言って冷えたミネラルウォーターをくれた。 おお。気が利いていて親切だと思う。

この中に、浴槽はある。

遠くを見ると、旅行者が足だけ温泉に浸けて、楽しんでいる。

そして、入る場所に案内してもらうと、そこには、日本の浴槽とは違い、底が浅くて広さがある、手桶のない、日本の銭湯を小さく浅くしたような浴槽があった。

でも、それでも十分である。 お湯を貯めて、浸かろうと思いお湯を溜め出す私。 石鹸とシャンプー、バスタオルもついていたので頭と体を洗い、時間をかけて中ほどまで溜めた浴槽に、仰向けに寝転ぶようにして全身まで浸かり、温泉を楽しんだ。 日本の浴槽のような深さはないので水の水圧を感じることはできないが、温泉の心地よさを楽しむことは十分にできた。

海外での温泉、初体験を達成し、かなり満足であった。

温泉の周囲。


のどかな風景が広がる。

ホテルの部屋。


それぞれ別の建物になっているようだ。


立派な建物。

立派な彫り物。

そして自転車のところにまで戻り、先ほどのおばさんが屋台で作っているサラダ風の食べ物にご飯を付けて、昼食にしました。

が、これが食の進まない味で・・・。 微妙だった。 ペプシコーラも観光者価格である10バーツであったので微妙ではあったが、温泉地は観光地であることは確かなので、このような場合は仕方がないかとも感じる。

タイ、というか日本以外では、親切やお礼はその場限りで後々まで引きずらないと言うが、このおばさんとのやり取りでそのようなことを感じた。 と言うのも、私が戻って来て、お礼を言ったり、義理で何かを買おうとしていると、おばさんは”なんでいつまでもいるのだろう?”という微妙な表情と態度を取っているように感じたからだ。 文化の違いを、微妙に感じた体験だった。

PHRA CAVE

温泉を出てすぐのところに、PHRA CAVEという洞窟があったので寄ってみることに。

ここには、犬がたくさんいたが襲われることはなかった。


そう言えば、アジアでの自転車旅行は犬に追いかけられるというが、今回、ほとんど追いかけられていない不思議さを思った。

階段を登り、洞窟の中へ。


中にはいくつかの小屋があり、そこに書かれてある文字を読むと、「○○日、××はここの中で修行をした」のようなものを読み取れる。

どうやら、修行の為の洞窟のようだ。


中にはいくつか建物があり、やがて、上へと抜ける階段が見えてきた。

途中、木や岩の彫り物がたくさんあった。

絵も、たくさんあった。

象徴的な階段。


何かを意味しているのかもしれない。

更に、階段を登って行く。

そして、ふと、階段を登りきったところに見えてきたのが、この、横たわった仏様だった!

いや~、いかす! この仏像最高~!!!

タイ、ユーモアセンス最高だよ! 楽しすぎる! さすがは”微笑みの国”だ。

その周囲には、このような宗教的な絵がたくさんあった。

その高台から見た景色。


のどかな景色が広がる。

仏像の全貌。


足の形がとてもかわいい。

この像も、何か、特別なものであると感じる。


そして、この洞窟を離れた。

COOL POOL(COLD STREAM)

洞窟を出て、少し進むとそこに "COLD STREAM"の看板があった。


先ほどの HOT POOL に対応する COOL POOL のようだ。

そこには、雰囲気の良い眺めがあった。

岩肌の元、水がそこには広がっていた

そして、そこを離れ、ハジャイへと向かい進み始めた。

ハジャイ(HATYAI)への道

そして、温泉を出て、いざ、HATYAI(ハジャイ)に。

しばらくは、細い道をハジャイ方面に進んで行く。

良い眺め。

快適な道。


地図には書いていない道だけれども、方角は合っているので気にせず進んだ。

そして、幹線道路に合流。 いざ、ハジャイへ。

途中、日差しが今まで以上に強く、赤道直下の日差しの強さをかなり感じた。

水も、浴びるように飲んでしまう。

広々とした良い道。

遥かに広がる大空。


白い雲。 緑の木々。

やがて、"WELCOME TO SONGKHLA"の看板を通過する。

ハジャイに近づくにつれ、車やバイクの数が多くなってきた。

今日明日の予定として、今日はSONGKHLA(ソンクラー)に行って明日にHATYAI(ハジャイ)にしようかとも思ったが、最終日くらいはゆっくりしても良いかな、ということでそのままHATYAI(ハジャイ)に入ることにしました。

KHONGKHALEAB TEMPLE

ハジャイの郊外で、とても印象的な宗教的な塔を見たので近づいてみることに。

"KHONGKHALEAB TEMPLE(お寺)"と書いてある。

入り口も、とても立派だ。

印象的な塔。

立派な建物。

仏像も、今まで見た他のものよりも、遥かに立派だ。

さすが、タイで2番目の大都市、ハジャイである。 郊外ですら立派なお寺がある。

すらっとした仏像。

立派な建物が、いくつも並んで建てられている。

ここにも、横になった面白い仏像があった。


ユーモアセンスあるなあ、と思う。

それと、このような信仰の形がタイのような熱帯の国には似合うのかな、とも思う。

これは、それぞれ、曜日を意味する仏像のようだ。

日、月、火、水、木、金、土。


ずらずらと並んでいる。

大きな体をした、大福様のような仏像。

暑くて、少しまいりつつ、お寺を回った。 この激しい日照りを浴びて、人間の思考に影響を及ぼす気候と言うものの影響力の大きさを、感じずにはいられなかった。

ハジャイ(HATYAI)到着

そして、ハジャイへと更に近づく。

あとちょっとだ。

段々、車とバイクの数が多くなる。

だが、街中はこんなものではなかった。

このあたりは、中心部に比べたらまだ車もバイクもそれほど多くはない。

中心部に近づくにつれ車もバイクも多くなり、危険なので走りながらの写真は撮らなかった。

ここは本当に大都会だった。 さすがは、バンコクに次ぐタイ第二位の都市である。 交差点の進入も、今まで以上に気を使う必要があった。 私の目の前で、進路転換しようとしたバイクがいきなり後ろから車にぶつけられた。 バイクが急に交差点の左折車線から直進車線に進路転換し、左折車線は”進め”の状態であった一方、直進車線は停止中であった為にバイクが止まろうとして、左折しようとして進んできた車が後ろからぶつかったのだ。 ガツン!という、大きくない音がしたが、バイクは特に”おっ”という感じで車体を眺めるくらいで、車はさっさと行ってしまった。 バイクもそれ以上は追求せず、そのまま走り出した。 危ない町だ・・・。

私は、ちょっと目立つ自転車だけあって、多少は車も気を使ってくれた。 が、基本的にはバイクと同様に走る必要があり、急発進・急加速・急停車を繰り返さなくてはならなかったので、幹線道路を走るよりも疲れる感じではあった。

やがて、そろそろ町の中心部という個所に達した後、鉄道駅の場所を聞こうとして路肩にいる人に尋ねた。 が、英語が通じない・・・。 さすがは大航海時代に独立国家を守り通したタイ国である。日本と同様に英語が不得手だ。 やがて、通りがかりの知り合いと思われる女性2名に助け舟を出した。 再度聞くが、”レイル・ステーション”がどうも通じない。 私は、持参した地図に付いていたHATYAI(ハジャイ)地図を出し、今いる場所を聞こうとするが、意図が通じない。 ようやく、6ヶ国語を出して”鉄道駅”のタイ語訳を出したら通じ、向こうは大笑いしていた。

そして、更に通りかかった青年に地図を書いてもらい、その通りに進んだら駅に辿り着くことができた。 いえい。 駅前の通りは一方通行が多く、逆走もしてしまったが、タイでは許容範囲である。

そして、周囲のツーリスト・インフォを探したが、観光代理店しか見当たらない。もしかしたら駅構内にあったのかもしれないが。 代理店の1つに入ったら、駅を2ブロック進んだところに二百数十バーツで部屋があるという。 他のところは? と聞いたが、返事が返ってこない。 旅行の最終日なのでもう少し良いホテルに泊まるつもりであったのだが、聞けなかった。 ”ミドルクラス”と言っても通じない。タイのミドルクラスは200バーツ前後のことを指すのかな? それとも通じなかっただけか。 まあいいやと思いそこを出る。 そして、すぐ横のお店に入り、明日の午前中のみのツアーが何かないか聞いてみた。 が、そこでは1日からのツアーしか扱っていないとのこと。 とりあえずホテルを探しに、再度通りに戻ることに。

少し走り、目立つ大きなビルがあったのでまずはそちらに向かってみることに。 そして、フロントに行こうとしたら、フロントの2名のうち1名が日本人だった。 あれれと思って周囲を見ると、日本人らしき人がいる。 かなり高級なホテルのようなので、日本人御用達なのかもしれない。 高級と言ってもタイであれば私でも泊まれるとは思ったが、せっかくタイに来てまで日本人環境というのも何なので、値段も聞かずに外に出ることに。

さてどうしようと思い、次に入ってみたのがすぐ近くにあったGRAND PLAZA HOTERというところ。 入り口はそんなに大きくはないけれども、フロントは十分に立派だ。1泊780バーツなので、そこそこのランクである。 旅の工程の最終日であるので、このくらいでも全く十分だ。 日本円にしてみれば3000円行かない程度なので、まったく十分なレベルである。

受付をして、自転車を中に入れる。 フロントの横に自転車を置き、バックはポーターさんに運んでもらう。 チップの相場がわからなかったので、恐らく高すぎだろうとは思ったが10ドル札(手元にあったのがこれだったのだ)を渡した。 すると、フロントに行くと何かしか私に気をかけてくれるようになった。 なるほど。これがチップの効果か。

部屋に入り、外に出歩く前に、疲れた体をほぐす為にルームサービスでタイ式マッサージを頼むことにしました。1時間120バーツ、最低2時間で240バーツである。

部屋に来たのは、30歳くらいのおばさまで、タイ式マッサージの感想はと言うと、”痛い”の一言だった。 確かにほぐれたのだが、私の体が硬いせいか、かなり痛みが走る。 おばさまはその反応を見て笑っている。

2時間はあっと言う間のようで、あっという間に過ぎ去った。 日本でマッサージをやってもらうとなると1分100円が相場であるので、120分だと1万2千円である。それが、こちらでは240バーツ、7~800円で受けられるとするならば段違いの格安ぶりだ。

マッサージ中、テレビをちょびちょび見ながらマッサージをしていたのが印象的だった。 終わった後、”ちょっと見せて”と言って数分テレビを見ていたのもこれまた印象的。

そして、マッサージ終了後、街中に繰り出す。


街中は、私が来た時刻と比べて、開いているお店の数が減っていた。 今までの町もそうであったあ、このような大都会であったとしても、7時を過ぎるとお店がかなり閉まるのだなあ、ということを感じる。

そして、そのうちの1つで食事をすることに。 私は2つおかずを頼んだがご飯も2つ付いてきた。 失敗したようだ・・・。 そして、水も頼んだら90バーツを加算された。 ちょっと高すぎ。 中華系のお店であったので、中国人の商売のやり方を少しだけ体験した。

先日言った通り、このようなことをしていたら外国人観光客にそっぽを向かれることであろう。 先日とは違い、そうは思ってもさほど怒らなくなってはいるが。 あの、朝見た”円ら(つぶら)な瞳”の効果でもある。

出回っている間、明日の観光はどうしようかと思って近くにあった観光代理店に入ったが、半日コースのツアーだと周囲のお寺と洞窟巡りくらいしかないようだ。それに、1人だと高いらしい。500バーツ。人数いると安くなるのだとか。 仕方がないので、明日のツアー参加はあきらめることに。 そのお店では、ダンスショーの勧誘も受けた。600バーツのと500バーツのものがあるらしい。 高いなあと思ったら、どうやらヌード系のものらしい。 なるほど。 でも、ポスターが趣味ではなかったので止めておいた。

そして、屋台のマーケットを探そうと思ったら、ホテルの近くでそれなりに開かれている以外は、ホテルを少し離れると屋台がほとんどなかった。 そこで、仕方なくホテル近くで買うことに。

そして、この時、今までで一番面白い事態に出会うことに。 今まで、ぼったくられたということはあったとしても、食べられなかったということはなかった。 今回は、買った鳥のから揚げが、食べようとしてもカチンコチンで全く食べられないという状態であったのだ。 これには参った。 こんな商売していたら、そっぽを向かれて当然であろう。 というか、そっぽを向くように情報を広めるのが、そのことを知った私の義務であろう。 悪徳商人を排除しなくてはマーケットは正常化しないのだ。

とは言っても、バックパッカーの情報ノートが設置されている訳でもなく、HPに書くくらいしかできないのであるが。

結局、屋台で買ったチキン20バーツはコチコチで食べられずにそのまま捨て、もう1度外に出て買いに行ったところはセブンイレブンで、コーヒー牛乳450mlが18バーツとビール30バーツ、お菓子10バーツ。それにケンタッキーフライドチキンの3ピース35バーツ。 結局、ホテル近くの屋台では買うものがほとんどなく、この辺りにあるほどんどのお店はぼったくりなので買う気にもなれず、チェーン店で済ませた。 私の今の気持ちは、”屋台の諸君、君たちは自分たちで自分の首を絞め、お客を遠ざけたんだよ。”と言った感じだ。

今日は、昨日よりも否定的な感情が少なく、又、ぼったくり屋台に対してはきちんと”いらないよ”のジェスチャーができるようになった。 次は交渉術を身に付ける番か・・・と思ったら、そろそろ帰国の日が迫ってきている。

いろいろと見てきて、次はピンポイントにこの国をもっと深く見れる気がする。 とは言っても、今の時点ではこれ以上、何かに興味があるわけではない。 観光するにしては微妙であると感じるこの国。


明日は、この近くにある動物園(?)に行き、WAT(寺院)を見て、時間があれば国立公園を見てから空港に向かおうと思う。

ハジャイ(HATYAI)の朝、"WAT HAT YAI NAI" お昼寝ブッダ

2004-08-14

ハジャイ(HATYAI)の朝

ホテルのカウンターに顔を出すと、先日のボーイさんが自転車を出してくれた。 そして、航空券のリコンファームをカウンターの人にお願いしようとしたが、よく分からないということで最初は取り合ってもらえなかった。 何とか、バンコク行きのタイ航空はリコンファームが必要ないということは聞き出したがバンコクと成田間の大韓航空チケットは分からないとのことなので、とりあえず諦め、バンコクの空港に着いてから確かめることにしました。

支度をし、ホテルを出て、いざ、走り始める。

飛行機の時間まで時間があったので、街中を周回する。 物凄い交通量だが、バイクと一緒に走れば何とかなる。

それにしても、急発進・急停止を繰り返すので郊外を走るより遥かに疲れてしまう。

ふと前を見ると、車の中でお坊さんが念仏(?)を唱えていた。


私が通り過ぎながらカメラを向けると恥ずかしそうに下を向いた・・・。 まずかったかな。

しばらく、地図にある ZOO(動物園) を探していた。 でも、見つからない・・・。

街中をぐるりぐるりと回り、それでも見つからなかったのでついに諦めた後、もういいかな、と判断して空港へと走り始めた。

ふと目の前に見えてきた、王族と見られる人の大きな看板。

道の真中にででんと立っている。

だが、ここで、ふと、道の看板に WAT の文字が・・・。

ん? どこだ? と思って周囲を見渡しても見当たらない。 最初はまあいいやと思って1kmくらい走っていったが、そこでふと、”やはり戻って探そう”と思い立ち、道をUターンして戻ってきた。

どこだ。 WATはどこだ・・・。

WAT HAT YAI NAI

そして、道を戻ってきょろきょろ見渡していると・・・・。


あったあった! この看板だ。

"WAT HAT YAI NAI" は左とある。

そして、わき道に入り、遠くを眺めてみると、何やらそれらしき建物の影が。


WATの周囲は、ちょっとしたマーケットっぽくなっており、とても賑わっていた。

そして、ふと見えてきたWATの建物。

さすが、タイ2番目の都市だけあって、WATも立派だ。

かっこいい7首の竜。

とある 建物の入り口にあった。


ででーん、と聳え立っている。

何度見ても面白い。


色使いがはっきりしているのは、国柄か何かかな・・・。


日本の感覚だと”ベタ塗り”って感じですが、こういう色使いをよく見るので、こっちだとこれが普通なのかな? と、想像した。

そして、この建物の入り口が空いていたので、入ってみることに。


中に何人もいる・・・。

中では、お坊さんが念仏なのか説経なのか説法なのか、何やらごにょごにょ唱えたり皆で声を出したりしていた。


私はすぐ外に出るつもりだったが、こんな機会はそうそうないな、と思い、お坊さんの後ろに座っている一般の人々に混じって、しばらく眺めていた。


私が座っていると、一人のおばさんが、「私の夫は、真中にいるブッダなのよ」と教えてくれた。 そして、写真を取ると良いよ、とも言ってくれた。 ”良いの?”と思ったが、数枚、写真を取る私。 ただ、さすがに、念仏中は中央のお坊さんが手のひらを差し出して、”今はやめてくれ”と合図をしていた。

私の他にも数人、写真を撮っている人がいた。



念仏、或いは、説法がしばらく続いた・・・。

タイ語なのか何なのか、私にはサッパリわからない。(苦笑)



・・・・・。

・・・・・。

15分、或いは、30分くらい経っただろうか。

次第に、お坊さんたちが中央から散らばり始めた。

 

横で見ていると・・・・。

どうやら、お坊さんの方々に食事を提供しているようだ。

と、ここで思い出した。

こちらのお坊さんは、修行の一環として、与えてもらった食事しか食べない、という修行の形態がある、らしい。

これがそれなのか・・・。 と思って眺めていた。

今まで旅してきて、タイはどこでも食べ物が豊富に手に入るということを実感してきていたので、そのような断食がその”当たり前”に対する制限として非常に効果のある修行となるのかもしれないなあ、と、素人ながらに想像してみた。


ふと、そんな光景を見ていたら、お坊さんが出入り口に向かって歩き出した。

何だろう・・・。 どうやら、一般の人たちも皆、急いで外に出て行くようだ。

そして、そこで見たものは・・・。


何やら、赤いものを撒いている? 何だろう、あれは?

赤いセロファンに包まれた、何か。

よく見ると、お金のようだ。

んんん?


先ほど話をしてくれたおばさんに聞くと、これはとても縁起の良いものだそうだ。 これが1バーツで、100-1=99、この99というのが縁起の良い数字らしい。

そして、行事が終わったのか、門は閉じられた。


ここでふと気づき、私はとても運が良かったのかも、という気持ちにもなった。

WATは、大空の下、穏やかに輝き続けていた。

"WAT HAT YAI NAI" のお昼寝ブッダ

ふと、境内をぶらついていると、目の前に見えてきたのはどでかいお昼寝ブッダ!!!

ひえええええ。


でっかいよー。


それにしても、ブッダがお昼寝してるなんて、とってもチャーミング!!

と、そんなところへ、ふらふらと犬が歩いて来た・・・・。

うっ!!!


なんじゃこの傷は・・・・・。(汗)

田舎町を見てきても、こんなに酷いのはなかったような気がする・・・・。 ブッダ像とこの犬のあまりの違いにめまいが・・・・。

左を見ると、売店があって、手招きして客寄せしてる。

私が1人客だからか、或いは、脈がないと判断したからか、しばらくしたら諦めたようだ。


それにしても・・・。 あれは!? ピカチュウじゃないの~!?

ピカチュウ、君はこんなところにもいるんだね!

"WAT HAT YAI NAI" の建物

敷地内には、いろいろな建物があった。

さすが、建物の数では今まで見てきた中で一番多いし大きい。

晴れ晴れとした色使い。

竜の彫像。

そして、敷地内で売っていたアイスクリームを食べながら、ベンチに座って、しばらくぼおっとしていた。

最後に良いものが見れた、と、そのようなことを考えていた。 あの、多くに見えるお昼寝ブッダもとても可愛げがある、と、そのような事も。

これからすぐ帰ったとしても、悔いはない。 少し早い時間ですが、空港に行って帰ろう、と、そう考えた。


充実した旅であった。 タイの面白さはまだまだこれから、という感じはあるが、ひとまず帰路に着くことにし、しばらくぼおっとした後、ここを離れた。

ハジャイ(HATYAI)空港、そして帰路へ

そして、空港へ。

空港に着く途中、いきなり鼻血が出てしまい、止血に苦労した。 ティッシュペーパーを切らしており、タオルを1枚、丸々血だらけにしてしまった。 その際、水も切らしていたので、少し進んだ先にあった食堂で水を買うまで、タオルで鼻を抑えつつ、ゆっくりと進むありさまだった。

だが、さすがタイ人は優しいもので、状況がわかりかけると、水だけでなく、氷を入れたビニール袋をもくれた。 どうやら、これを鼻にあてがうと良い、ということらしい。 有難い。

そこでしばらく休み、鼻の調子が良くなった後、お礼を言って空港を再度目指し始めた。

思いがけないトラブルではあるが、トラブルは出会いの始まりでもあるので、解決してみると実は楽しかった、ということが多々ある。 今回も、まさにそのようなケースであった。

・・・・・。

・・・・・。

そして、いよいよ空港に到着。


割と早く到着することが出来た。

空港の敷地内に入ってすぐにあった看板。

”We Look Forward to Your Return to Hatyai.”と書いてある。

”私たちはハジャイへのお帰りをお待ちしております。” と。

そして、自転車を袋に詰め、バンコク経由、そしてソウルをも経由して、成田へと帰っていった。

今回の旅は、次回へと繋がる旅であった、と、そう感じた。

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