イタリア個人旅行 2005年

2005-07-28 記
トピックイタリア

成田からローマへ

2005-07-21
エールフランスでローマへ。パリ経由のフライトである。


成田空港では、いつもに比べ、固くなっていた私。何故か・・・。 自転車ではないからか、会社を辞めて新しい会社へ勤める間という時期だからか、或いは、イタリアという土地に対する何らかの感情の故か。

どちらにせよ、私は5年と少し勤めた今の会社を辞め、この旅は、その慰安旅行という意味も含まれる。 だが、私にとってみれば、それだけではない、何か、何かがある気がするのだ。

よく「目的を持って何かをする」と言うが、そのような行動がある一方で、考えをまとめる為の時間と言うものも必要なものだ。 今回の旅においては、旅行は確かに目的ではあるが、それだけではない、私自身の考えをまとめる為の時間となる。

私としては、そのようなプラスアルファの効果がなければ、旅にもそうそう出る事は無い。 何かを見聞きするだけではない、体験と自己の融合・・・ それこそが旅と思っている。


成田空港に早く来てしまったが為に、どうも、時間が余っている。 夜のフライトはそれほど多くある訳ではなく、21時55分発のこのフライトは、最終便に近いものがあるようだ。

ローマ、トレビの泉、そしてヴィットリアーノへ

2005-07-22

ローマ到着

やがて、飛行機はパリのシャルル・ド・ゴール空港へ。

窓から見える街の光が、気のせいか、ほんわかと黄色く包み込むように光っているように感じた。

シャルル・ド・ゴール空港は、有名な建築家が作っただけあって、なかなかに洒落ている。

ここで数時間を過ごし、そして、いよいよローマへ。

パリからローマへのフライトにて、空に飛び立つ時に雲の中を突き抜けて行ったのだが、雲が2階層になっていて、最初は低いところに小さな綿雲がたくさんあり、そして、もっと上に、広い範囲で雲の壁が出来ていた。
 ふと、これがいつものことなのかどうかはわからないが、頭の中に、小泉八雲(ラフカディオハーン)が日本の空を見て言った言葉、「空がとても高い」という言葉が思い浮かんだ。 つまり、地中海の空は低い、ということかな? と。 私が見たヨーロッパの空はこれが初めてなので、実際どうなのかはともかくとして。

そして、数時間のフライトの後、いよいよローマへと到着した。

空港は普通、そして、噂に聞いていたスリの軍団らしき人影もなし・・・。時間帯にもよるのかな。 そして、早速電車に乗り、ローマ中心のテルミニ駅に向け、出発した。

窓の外から見える風景は、どこか物悲しい・・・。 タイで見た風景にも似ている。 どこかヨーロッパらしくない・・・。 イタリアの車はとても飛ばしていると聞いていたのに、窓から見える車とバイクは、とても丁寧な運転をしているように見えた。

そして、いよいよテルミニ駅に近づくと、何やら大きな水道橋? か何かの跡が横に見えてきた。 うおー と思いつつも、通り過ぎてゆく。 でも、これだけではただの石のかけらという感じだ。

この時点では、何だか乾燥して寒々とした景色で微妙だなあ・・・ と思いつつ眺めていた。 あくまでもこの時点では。

そして、テルミニ駅に到着。 駅構内にスリが大勢いると聞いていたが、それらしき人影はほとんどなし。 噂だけか、昔のことなのか、或いは、取り締まりが強化されているのか何なのか。

駅を出て、ふと歩き出す。

何があるのか・・・ と思いつつ、ぶらぶらと散策をする。

ローマ市街はほとんどが石造りだ。

道路を眺めて。

散策していると、ふと目の前にピザ屋を見つけたのでひとつ買ってみることに。

90セント(0.9ユーロ)で一切れ。 まあまあかな。

これがピザ屋。

更に歩いて散策をする。

目の前の道路には、路面電車も走るようだ。

ローマ・テルミニ駅周辺

更に歩いて、違うピザ屋に入る。 ここではグラム売りで、先ほどよりも大きく切られてしまい、2.6ユーロ。

味は東京で食べるものとそうは変わらないような?

東京の味が肥えているのかな・・・ と、そんな気もする。

どことなく、散策を。

電車から見えた水道橋のようだ。


大きい!

だが、それほど感動はしない。 うーん。

更に歩き、バールという立ち飲み喫茶に入ってみる。

カフェラテを頼むが、なかなかうまい。 砂糖を2つ入れ、おいしく頂く。 立って飲むと1.2ユーロ。外のテラスで座って飲むと2.4ユーロらしい。

半分道に迷っていたので、飲み終わった後、ここの人に今の現在位置を聞き、現在位置を確かめた。

そして、再度街中へ。

どうやら、遺跡群とは違う方向に歩いていたようだ。

段々と、景色が変わってくる。


なかなか、ローマの街中は複雑だ・・・。

このあたりから、ホテルを探し始めた。

最初、ファン付で50ユーロのホテルを発見。次に60ユーロ。


まだ納得できないので更に探す。

もしかしたら、ローマの宿泊はかなり厳しいのでは・・・ と思い始める。

ふと、立派な建物が目の前に見えてきた。

宿を探し、何件か一杯だと言われた後、100ユーロでエアコン付の部屋を見つけた。更に回ると、70ユーロでエアコン付の部屋もあった。

でも、50ユーロだと7000円ちょっと、60ユーロだと9000円くらい、100ユーロだと1万5千円近くということを考えると、とてもそんなに出す気になれない。
遠くに見えるサンタマリア・マッジョーレ教会

そんなこんなでホテルを探しつつ歩いていたが、目の前に見えてきたツーリスト・インフォで地図をもらった跡、とりあえず目の前にあったサンタマリア・マッジョーレ教会の中へ入ってみる。

立派な教会。


これまた大きくて・・・。
サンタマリア・マッジョーレ教会

空高くには、このような彫像も立っている。

中は、煌びやかな装飾が・・・・。


物凄いものだ。

天井に描かれた絵も、彫像も、どれも年季が入っている。 このような教会に人々は入り浸ったのだなあ、とそんなことを想像する。
サンタマリア・マッジョーレ教会

そして、そこを出て、さてどうするか・・・ と思って歩いていたら、ふと目の前にホテルの文字が。 こんなに大通りに近いのではさぞかし高いだろう・・・ と思いつつ、一応確認してみたところ、3泊分の部屋が空いていて、なおかつ、42ユーロだという。シャワー付でエアコンやファンはないが窓はある。 これでいいかと思い、ここに決める。

シャワーを浴び、すっきりしてから最小限の荷物を持って再度散策へ。

トレビの泉、そしてヴィットリアーノへ

歩き出して、まず、オペラ座に向かった。


恐らく、何がしかの公演はやっているだろうと思うからだ。
サンタマリア・マッジョーレ教会の裏側

一応、目指すはオペラ座ですが、あまり気にせず、大体そちらの方向へとぶらりぶらりと歩いて行く。

土地勘が掴めないが、時間もあるので、土地勘が出来るまではゆっくりと散策をする。

裏道などを歩くと、少しずつその町の姿が見えてくるかのようだ。

割と迷わずにオペラ座をたどり着いた。

ここでは、明日のオペラのチケットを買った。 どうやらここでは公演をやっておらず、コロッセウムで野外オペラが行われているようだ。 なかなか楽しみだ。


terme di caracalla というところで行われるようだ。

オペラ座を抜け、更に散策を。

よくわからないが、立派な階段を抜けてゆく。

ちょっとした公園に、銅像が飾られていた。

そこには、疲れた人々が横になって眠っていた・・・。

その公園を抜けると、見渡しの良い丘に出た。

町の姿が、遠くまで見渡せる。


段々と、雰囲気の良い町に入ってきた。

坂を降り、更に散策を進める。

人が多くなってきた。

そして、土地観もまだつかめていなかったが、ふと、あの有名なトレビの泉へと到着した。


これまた人が多い・・・。 びっくりだ。


トレビの泉の周辺には、露店などもいくつか開かれていた。

それにしても、よく言われていたのと違い、日本人は数えるくらいしかいない。


有名な観光地は日本人だらけだと聞いていたのだが、たまたまだろうか。

そんなことを思いつつ、あまりにも人が多いためにいそいそと離れ、更にぐるりと散策する。

更に歩いてゆくと、目の前に、何やら目立つ建物が。


何だろう・・・・。

見えてきた。


ここはどうやら、ヴェネチア広場とヴィットリアーノのようだ。

巨大なヴィットリアーノ。


写真では「大きさ」が伝わりにくいが・・・。

この写真は、かなり遠くから撮ったものだ。

ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(ヴィットリアーノ)

近くからヴィットリアーノを見上げる。

ここは、どうやら、”タイプライター”とか”ウエディングケーキ”とかいうあだ名が付けられているようだ。 ローマ中心部に建てられた近代建築の中では最大のものらしい。

銅像が、とてもりりしい。

ヴィットリアーノの周囲には古びた建物が遠くまで広がっている。

立派な銅像。

天使の像。

周囲に広がる市街と、白い天使の像。

天使の像を見上げる。

旧市街の数々。

旧市街の数々。

ヴィットリアーノを登ると、そこにはこのような回廊が。



地上から数十メートルのところに続くこの回廊は、「見事」の一言だ。

回廊から、市街を眺める。

回廊からの景色。

そして、ヴィットリアーノを離れる。


それにしても、このような巨大な建造物を見た日本人の先人たちが何を思ったのか・・・ といったことに思いを馳せた。 それにしても巨大だ。 柱もそうだし、その天井に描かれた壁画、そして天井の上にすら彫像が飾られている。 それもどれも、半端な大きさではない・・・。

そして、ヴィットリアーノを離れ、やがては宿の方面へ。


目の前にコロッセウムも見えてきたが、時間もそろそろ夜なのでまた後日にすることにしました。 明日、コロッセウムでオペラ観劇なので、その前にでも見れば良いと思った。

そして、宿の周囲をぶらぶらとする。 

ピザを食べ、ふと歩いていると、教会でオペラのコンサートを行うとチケットを売っているではありませんか。 少し考え、1枚購入した。

そして、時間もあったのでスーパー(これまた分かり辛い地下にあるスーパー)に寄り、水とジュースとバナナを買い、一度部屋に戻ってからオペラを聞きに行った。

これまた・・・・ 素晴らしい。


こんなにもオペラが素晴らしいものであったとは。 惚れ惚れとしてしまった・・・。

この教会の音響が良いのか、或いは、楽器と歌手の声が素晴らしいのか。 どちらにせよ、とても深く染み入るように滑らかな演奏と、深くそして高らかに歌い上げる4人のオペラ歌手の歌声に、聞き入ってしまった・・・。

これで20ユーロ、3000円しないくらいなのだから安い。 こんなにも近くで、こんなにも小さな会場で生演奏を聞かせてもらうなど、まったく、贅沢というものだ。 さすがはローマだ・・・。

東京のオペラシティで聞いたならいくら必要なものか・・・。

そんなこんなで、1時間もあっという間であった。 オペラに聞き入り、そして、その余韻に浸りつつ、ホテルへと戻った。

明日はどうしようか。 とりあえずヴァティカンに行き、空いている間に美術館を観劇できたら、と思う。

ヴァティカン、サン・ピエトロ大聖堂、地下霊廟、サンタンジェロ城、ナヴォーナ広場とマルチェッロ劇場、ヴェネツィア宮殿博物館、フォロ・ロマーノ、パラティーノの丘、コロッセウム

2005-07-23

ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂へ

朝、6時に目が覚めた。

隣の人のシャワーの音が聞こえている。 目覚ましのアラームは既に4回目に突入していた。

軽くシャワーを浴び、着替え、出発をする。

さて。 今日はヴァティカンだ。 テルミニ駅(ローマ中心の駅)の近くで朝食を取る。

カフェラテとクロワッサンを食べる。

コーヒー飲まない私なのに、カフェラテがかなり好きになってきた感じだ。

駅前の ”バール” のカウンター姿。

そして、食事をしてから、地下鉄に乗り、ヴァティカン近くへと向かう。 地下鉄は、落書きが凄かった・・・。 停止と発信も急だし、安心運転の日本の電車に慣れた私としては、体を左右に少し揺らされてしまった。 ふと、周囲の目線が気にかかる。 珍しいからか、或いは、隙を狙っているのか・・・。 特に何もなく降りることができた。

そして、ヴァティカンへ。

ロンリープラネットによると、ヴァティカン最寄の駅はヴァティカンの美術館前の駅とのことであったが、そこは本当に美術館の前であり、ヴァティカンのサン・ピエトロ大聖堂はここから少し歩いたところにあった。 どうやら、一つ手前の駅で降りても同じくらい歩くようだった。

それにしても、ヴァティカン美術館の入場待ちの列が凄い・・・。


1時間後には、更に凄い行列を見ることとなる。

美術館入り口の上の像。

まだヴァティカン美術館はやっていないようだったので、美術館入り口を離れ、サン・ピエトロ大聖堂へ。

何やら、大きな柱が見えてきた・・・。

これまた凄い。

柱の向こうに、サン・ピエトロ広場が見える。

柱の手前から見たサン・ピエトロ広場。


サン・ピエトロ大聖堂の前に広がっているのがサン・ピエトロ広場である。

柱の手前から遠くに見えるサン・ピエトロ大聖堂。

この広場がまた・・・。 大きい! この大きさは、一見の価値がある。

どこかで見たと思われようが、ありきたりだと思われようが、実際に見た時のこの感覚を思うと、やはり経験というものは大切だと思い知らされる。

写真では「大きさ」は伝わってこない。 それが、ここに来るとまじまじと理解できる。

広場の中心にあるオベリスク。

これは、カリグラ帝が古代エジプトのヘリオポリスからローマへと持ち帰ったものらしい。 それを聞くと、とても微妙ではあるが・・・。

サン・ピエトロ大聖堂、地下霊廟

サン・ピエトロ大聖堂の上に並ぶ像の数々。

大きな、大きな像が屋根の上に並んでいる。

そして、大聖堂の中へ。

それにしても、まだこの時間だと団体客も多くはないようで、なかなかスムーズに閲覧できる。


まずは地下の霊廟へと向かった。

地下室の中に、このような礼拝堂があった。


霊廟を祭っているのか・・・。

修道女の方々が観光客に混じって礼拝を行っていた。

修道女の方々と一緒に、歩いて行く。

イエス・キリストの肖像画。

そして、外に出た。

一度ぐるりと回り、再度、正面へと向かう。

立派な斜塔。

そして、正面へと回ってきた。


次は、いよいよ聖堂へと入る。

サン・ピエトロ大聖堂

聖堂への入り口の横には、このような面白いピエロのような姿をした守衛さんが。

そして、いよいよ聖堂の中へ。

中は、この時間はまだ空いていた。

サン・ピエトロ大聖堂の中は、これまた壁画が繊細に描かれていて・・・。


写真や本やテレビの方がズームアップしてくっきりと見ることが出来るように思われるが、やはり、実物は、一見の価値がある。



実物を見たときに感じられるこのオーラ。 そして、何より、そこに実際にいる人々の雰囲気を掴むことが出来るのが、実際に来ることのメリットだ。



(聖堂内の写真は明日の分もあります。)

 ここでは、数多くの修道士・修道女の方々が祈りを捧げている姿を見ることができた。


その姿、その祈りの声、その奥深さは近くにいてこそ強く感じることが出来る。

更に大聖堂の中を巡回する。
光射す聖堂。

奥の方には、教えを乞うている人々も見えた。
石像もある。

多くの壁画。 そして、教壇。

このようなものを見ると、教会が争いを繰り返してきた歴史とは別に、教会によって築かれてきた文化の良き面も見えてくるかのように感じた。

教会は、正しき清き良き願いをしている、ということの実感を、ここでは感じる事が出来る。

それだけでも、ここに来て正解だった。 教会に対する印象が、かなり変わった・・・。




そして、ヴァチカンを離れた。

サンタンジェロ城

大聖堂を離れ、やがて、元来た道へ。

すると、そこに見えてきたのが、今にも大聖堂にまで到達するかのような、ヴァティカン博物館への長い列だった・・・。

これに並ぶ気にはなれず、ローマには他にも見所はあるだろうとの思いの元、その場を離れた。

しばらくあてもなく歩き、だが、方角的には中心部へと向かって歩いていた。 途中、カフェラテを飲むがこれまたうまい。 癖になりそうだ・・・。 ただ、こちらの人はカプチーノ(と、恐らくカフェラテも)は朝や午前中にしか飲まないのだとか。 だから、夕食後に飲もうとすると聞き返されるらしい。 私はまだ頼んだ事がないが・・・。 雰囲気的に、午後は立ち飲みバーに人があまりいないし、カフェラテを頼む雰囲気ではない気もする。

そして、やがては大きな円形の建物が見えるようになってきた。

これは、サンタンジェロ城。


もともとハドリアヌス帝の霊廟だったが、6世紀に教皇の要塞として使われるようになったらしい。 590年に教皇グレゴリウス1世が、この建物の上で天使が舞い、ローマのペスト流行の終焉を告げるのを見たことから、サンタンジェロ城(”聖なる天使の城”の意)と名づけられたようだ。

サンタンジェロ城の上からヴァチカンを眺める。

サンタンジェロ城の上から川を眺める。

中に展示されている品々。

鎧兜。

盾。

ちょっとした石像。




それほど見るものは多くなかったが、それなりに骨休めが出来た感じだ。

ナヴォーナ広場とマルチェッロ劇場

サンタンジェロ城を出て、橋を渡り、街中へと向かう。

ずうっと、ぐるりぐるりとあてもなく歩き続ける。

途中、ピザを食べたりしながら、ぶらりぶらりと歩いていった。

ナヴォーナ広場(だったかな)を通ってゆく。

高くそびえる教会。

広場の中心にある 四大河の噴水 Fontana dei Quattro Flumi は一風変わった作風で、個性をとても感じた。

広場を離れ、更に歩いてゆくと、市場がふと現れた。

だが、食べ物を売っているところは少ない。あっても果物くらいで、食べ物がメインではない。。 そのあたりがアジアの市場と違うところか。


この近くで売っていたピザをまた食べ、更に散策を続ける。

そして、ふと開けたところに出た。


どうやら目の前に見えるのはコロッセウム? ・・・とは少し違うようだ。場所的にも。


ちょっとした小さな道が続いているのが見えた。


位置的にはマルチェッロ劇場かな?

その先では、何かよくわからない人たちが演劇?をしていた・・・。


大道芸で日銭を稼いでいるのだろうか・・・。

高くそびえる柱。

そこを抜けると、先日登ったヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂(ヴィットリアーノ)の裏手に出た。

目の前に見えた階段を登ったところに、どうやらヴェネツィア宮殿博物館があるようだ。


是非、行ってみることに。

ヴェネツィア宮殿博物館

階段を登り、ヴェネチア宮殿博物館へ。


(でも、ここはローマ。)

階段を登った先にあった、立派な像。

これまた絶賛だ・・・。

部屋中に美術品が並べられている。

壁も美術品。

天井までもが美術品なのだ。

窓から遠くに見える、屋根の上にまで像が飾ってある。


ローマにはこのようなところが多い。

天井の絵の数々。

美しい彫刻。

美術館の外に飾られている石像。

どれもこれも、繊細な技で作られている・・・。

それにしても、ローマ帝国の偉大さを感じてしまう。

フォロ・ロマーノ

ヴェネツィア宮殿博物館を出た後、その奥にある、フォロ・ロマーノとパラティーノの丘の方面に行ってみることに。


すると、博物館のある高台から眺めの良い景色が広がってきた。

丘の方へと行く前に、目の前に水飲み場があったので水を飲む。 イタリア人は水を買って飲むらしいが、水が切れてしまったのでこの際、そんなことは関係なしである。 他の人も、特に丘から上がってきた人はたくさん水を飲んでいるように見えた。

最初、ローマに来た時にはこの水が飲めるかどうか不安であったが、ずっと出しっぱなしのこの水、全く問題なく飲めるようだ・・・。 節水という言葉とは無縁なのかな・・・? 謎である。

巨大な建造物。

かつては、なんと偉大な建造物がここにあったのかと思い知らされる。

とにかく、巨大だ。

門をくぐり、道を、歩いて行く。

遠くの遠くまで遺跡が続いている。

かつてあった宮殿が心に自然と思い描かれるかのような心持だ。

一面に続く遺跡。

ちょっと小高いところから振り返る。


なかなかに良い景色だ・・・。

遺跡に囲まれつつ、更に歩いて行く。

パラティーノの丘

フォロ・ロマーノを歩いていると、ふと、料金を出して入るところが見えてきた。 どうやら10ユーロのようだ。よく分からないまま、皆が入っているからとりあえず入るかと思い、入ってみることに。 

ちょっとした階段を登り、パラティーノの丘に出た。


パラティーノの丘からフォロ・ロマーノを振り返る。

なかなかに良い景色だ・・・。

だが、入り口から少し離れると遺跡が見えなくなり、広いところに出た。


ただの草むら?

草むらというか草原というか。


料金がちょっと高いなあ? と、この時点では思っていた。

だが、途中で「コロッセウム」とも書いてあることに気づき、コロッセウムも合わせて10ユーロであれば妥当だと思ったのであるが。

気づかなかったら、どこかの旅行記で読んだような、「高いばかりで得るものがない、ただの草むら」と同じ感想を持っていたかもしれない。 危ない危ない・・・。


この丘は、かつて伝説のローマ創建の地であったようだ。共和政時代にはローマの裕福層が。その次は皇帝たちがここに住んだとか。

パラティーノの丘の奥にある、皇帝たちが私的に楽しんだという闘技場。


こんなに大きな競技場を私的に利用していたとは・・・。 恐るべし。

闘技場の横にある、控え室のようにも見える建物の残骸。

闘技場の横の方にある、何やら変わった通路というか控え室というか。

それにしても広い。

そして、パラティーノの丘を離れ、コロッセウム方向へ。

コロッセウム

コロッセウムへと、歩いて行く。

次第に、コロッセウムが近づいて来た。

すさまじい大きさ。



いくら映像で何度も見ていようと、実物を見たこの感動は、何ものにも変え難いものがある・・・。

ただ、シンプルに「大きい」ということの衝撃。

・・・と、ここで、デジカメのメモリが一杯になってきたことと、どうせ夜にオペラコンサートでここに来る(注:勘違いだった)のでもう一度来れば良いと思い、一旦、ホテルに帰ることに。

コロッセウム前から電車に乗り、ホテルに戻り、デジカメ画像を退避させた・・・。 それにしても、さすがはローマ。まさかメモリが一杯になるとは。見所が満載だ。

そして、支度を済ませ、再度コロッセウムへ。

まだまだ、コロッセウムの周りは人だかりができていた。

そして、中へと入る。

何やらものものしい雰囲気・・・。



中を見ると、今は使えない、廃墟と化したコロッセウムがそこに広がっていた・・・。

地下にも通路や仕掛けがあったように見受けられる。



でも、今夜はここでコンサート??? 無理そうだけれども・・・。 (注:実際、場所が違った。)

広い、ひろいコロッセウム。

この石が、死んだ人の血をどれだけ吸ったのか。

ぐるりぐるりと、コロッセウムを周回する。

ぐるり、ぐるりと。

石の柱も、まだ崩れていないだけあってとても丈夫に出来ているようだ。



それにしても、何やら先ほどから気分が悪い。


あまり長居をせずに、コロッセウムを後にすることにしました。

外に出ると、闘剣士の姿をした人が一芸を繰り広げているのが見えた。


剣術ではなく、パフォーマンスだけど。

そして、コロッセウムを離れる。



有名なだけあって、さすがと思えた場所だった。

でも、思いのほか、気分が滅入った。さすがに、たくさんの人々が殺された場所だからか・・・。

この時点まで、てっきり、ここでオペラコンサートを行うと思い込んでいたので、帰りの際、係の人に聞いてみた。 すると、ここではなく、カラカラ浴場の方で行うのだとか。

となると、ここでコロッセウムを見ておいて良かった、ということになる。 ふう。 助かった。



そして、歩いてホテルまで戻る。 多少は遠いけど、途中にインターネットショップもあるし、立ち寄って、ネットを見て、それからホテルまで帰った。 歩く途中で食べたピザも、これまたおいしかった。

そして、いつしか20時になったのでオペラの会場へ。

電車に乗ろうとすると・・・。 自動販売機が壊れている。 2ユーロが帰ってこない。(苦笑) 係の人を呼ぼうとしたが、誰もいない。(苦笑)

ここでふと思い出した。 他の人の旅行記で、無銭乗車を何度もしたレポートである。 ふと後ろを見ると、他の人も切符をそもそも買おうともせず乗り込んでいる・・・。 どういうこと? もう既に電車を2本も逃してしまった(数分で1本来る)ので、もういいやと思い、無銭乗車することに。 でも、駅員さんに言われても反論は出来る立場なので堂々と(?)乗る。 既に自販機に2ユーロも取られているのだから・・・。

そんなこんなで駅に着き、降りる。 降りるときは何もチェックが無いので、そのまま降りる。 とりあえず問題なしだ。

そして、オペラの会場へ。

少し歩いたが、入り口の門を入ると、やがて、大きな大きな会場が見えてきた。

大きくて立派だ! と思いきや、日本人がとても多い・・・。

ふと、ここで思い出す。 私がネットで観劇を調べた時、夏の音楽祭がどうのこうのということであったなあ・・・ と。 これはまさに夏の音楽祭だから、これのことだったのか! と。

それにしても、日本人がピーチクパーチクうるさいのなんのって・・・。(汗) まあ、人それぞれだからいいのだけれども。

ただ、日本人に限らないが、現地人なのか観光客なのか、演奏中に静かにしてくれ!(汗) 私の席はあまり高くないチケットですが、それ故なのか、周囲で小声で喋る人が、左後ろと右後ろにそれぞれいる・・・。(汗) たまに物を倒す音が聞こえてくるし、くしゃみは聞こえてくるし・・・。 もう・・・。 雑音はやめてくれ!(苦笑)

この会場では大きなスピーカーで音を流していたが、先日聞いた生のオペラを聞いた後では、どうも色あせる・・・。 生の声も混ざって聞こえてはくるけれども、この位置では、スピーカーの音が大きく聞こえてくる。

うーん。 微妙だ・・・。

そんなことを思いつつも、1時間もすると、眠気が襲ってきた。 うー。 日本時間では既に午前5時を過ぎている頃だ。 さすがにきつい・・・。 今日も動き回っていたし・・・。 少し、こっくりこっくりとしてしまう。 微妙に見逃してしまっている私・・・。

演出は凝っていて、双眼鏡を持っていったことも無駄ではなかった。

だが、いかんせん、眠気が・・・。(汗)

もう限界に達したので、2時間経ったところの休憩で脱出をした。

どうやら、まだ1時間半ほど続くらしい。 それはさすがに待てない・・・。 地下鉄がやっているかどうかも調べていないし。 それから歩くのは辛すぎる。 タクシーは高いし。

ストーリーがわかればまだいる意味もあったが、見た目と音の響きを楽しんでいただけだったので、ここで打ち切っても問題がないと判断した。


そして、すたすたと歩き、地下鉄へ。


ローマ中心のテルミニ駅で降りてホテルまで歩き、ようやくゆっくりすることが出来た・・・。ふう。

今夜もぐっすり寝て、明日に備えるぞ!

サン・ピエトロ大聖堂のドーム、展望台、法王ミサ、ボルゲーゼ美術館、パンテオン、「ローマの休日」の真実の口

2005-07-24

サン・ピエトロ大聖堂のドーム

今朝は、早く起きることができた。

支度をして、駅前で先日と同じようなバール(喫茶店)でカフェラテとクロワッサンを食べる。

そして、ヴァティカン博物館へと向かう。

何やら、先日とは雰囲気が違って、とても静かだ・・・。


道は空いているし、昨日のような混雑も全く無い。

・・・。 

看板を見てみると、ど、どうやら、休みのようだ。(苦笑)

本日は日曜日で、最終日曜日のみ開いているようだが、本日は最終日曜日ではない・・・。仕方が無いのでサン・ピエトロ大聖堂の方へと向かう。

空いている道を歩き、ロンプラを見ながら今日はどうしようか考える。

まずは、先日見なかったサン・ピエトロ大聖堂のドームへと向かうことにしました。

8時から開くので、あと5~10分で開くようだ。

少し待ち、混雑のない状況の中、ドームへと向かった。

ドームへ。

大きな螺旋階段を抜け、天井に出て、ドームの建物の方へと移る。

更に螺旋階段をしばらく上る。


壁などを見ているだけでも飽きない。

そしては、ミケランジェロのドームへと辿り付いた。

下には聖堂の床が見える。

壁にある数々の絵。

絵の数々。


ドームは、近くで見ると、油絵とは違った趣が感じられる。

今いる通路の壁にも同じようなフレスコ画? が見え、近くで見るのと遠くで見るのとでは違った趣をかもし出している。

ミケランジェロのドーム。

サン・ピエトロ大聖堂の展望台

そして、展望台へと、小さな螺旋階段を更に上って行く。

螺旋階段から見えた景色。

そこには、ローマ市内を展望する景色があった。

これは、来る価値があったと思った。

風も涼しい。

下には、サン・ピエトロ広場が見える。


しばらくここでゆっくりとして、風に吹かれながら体を休めた。

そして、しばらく経っただろうか。 次第に人が多くなってきた。

ぼおっと街を眺め、体が満足した頃に、そこを離れた。

小さな小さな螺旋階段を下ってゆく。


屋上に出て、遠くの小型ドームを眺める。

ドーム。

そこにある、ドーム。

サン・ピエトロ広場を向いている石造たち。

螺旋階段を下り、やがては元来た道へ。 

ずっと下り、そしては、サン・ピエトロ大聖堂の中へと抜けることができた。

サン・ピエトロ大聖堂の法王ミサ

なるほど。 ここに繋がっていたのか・・・ と思っていると、何やら人が多いのを感じる。

先ほどの天井絵を、今度は床から眺める。

それにしても、きらびやかな作りだ。

この人ごみ、何だろう・・・ と思ったが、どうやら、法王がミサを行っているようだ。


人々がその周りに集まっている。

私も、その様子をずっと眺めていた。



キリスト教、そして法王は、かつて争いの火種になったことがあるが、この姿を見ると、その根幹は心安らかに人々が生きるようにとの願いであることが理解できる。

厳かな、そして安らかな雰囲気の中、ミサが行われている。

キリスト教のミサに参加したのは初めてであったので、しばし眺めていた。

そして、やがて、周囲の人がお互いに握手をし始めた。

なるほど。 こういうイベント的な考慮も良いものだな・・・ と思う。 そのようなことがあるとは思っていなかったので、周囲の人と握手するタイミングを逃してしまい、少し後悔。

そして、何やら列が出来て、クッキー? のようなものを配り始める。

司祭の人が額の前にかかげて願い? をかけ、それを人々に手渡す。 そして、人々はそれを食べる。 なるほどなあ・・・ と思って眺めていた。

そして、やがてはミサが終わり、法王が目の前まで歩いてきた。

この時、信心深い人であれば「奇跡」或いは「法王のお力」だと思えるような出来事が起こった。近くを通り過ぎる時、カメラのシャッターを切ったが、通り過ぎるまでシャッターが切れなかったのだ。

このことを、もしかしたら信心深い人であれば、「法王は写真に写りたくなかったのだ」とか「法王のお力だ」とか「失礼なことをしないよう神がそうされたのだ」と思ったかもしれない出来事であった。

だが、冷静に考えれば、歩きながら横切る法王さまに対して、カメラのピントをうまく自動調整できなかった、ということであると思われる。

私のカメラの動作モードには、ピントが合わないとシャッターが切れないモードと、ピントが合わなくてもかまわず切るモードがあり、普段は前者にして使っているのだ。 これが原因であると思われるが、それでも、あの瞬間には「法王って凄いのかな?」とちょっと信心深くなってしまった自分がいた。

ミサも終わり、サン・ピエトロ大聖堂の中をを回ってから、外へと出た。

すると、そこにはものすごい人だかりが。


先ほど上ってきたドームの入り口には、長い長い列が出来ている・・・。 やはり、朝一番に行って良かった。

そして、さてどうしようと思い、ポポロ広場を経由してボルゲーゼ美術館へと向かうことにしました。

ボルゲーゼ美術館

時間もあるので、そこまでぶらぶらと歩き、更に、ボルゲーゼ美術館の周囲にあるボルゲーゼ公園なども散歩して行こうと思った。

少々遠い距離ですが、街中を散策する。

ヴァティカンを少し離れ、街中に入ると、観光客の姿がほとんど見えなくなった。

これがローマの街か・・・ と、人気のない住宅街(?)を歩いてゆく。

何とも贅沢な時間だ。 地下鉄で移動してしまえばすぐに着くのだが、そのようなことをせず、のんびりと歩くこの時間。

自転車にも共通しているが、あえて時間をかけて、まるで無駄のようにも思える時間を過ごすこと、それこそが旅の醍醐味であると思える。

そして、やがてはボルゲーゼ公園へと近づいてきた。

その前にピザ屋があったので2つほど買って食べる。

これまた良い感じだ。

そして、公園の中へ。

公園は少し広いが、ゆっくりと散策した。

水飲み場が何箇所かあったので、暑い日差しの中、喉を潤しながら進んだ。

周囲には、レンタルサイクル(電動アシスト付きのものも!)に乗っている人が多く見える。


横並びのタンデム自転車だけではなく、縦並びのタンデム自転車に乗っている人もいた!


そして、長い長い小型電動バス(ドアのない、パラソルのみの簡易イスに乗る)が何度も行き来していた。 普通のエンジン付バスも何度か通り過ぎてゆく・・・。

今回、バスを全く使っていないが、土地鑑ができたらバスも良いかな、と思う。

公園の中にあった立派な像。

そして、ボルゲーゼ美術館へ。

さて入場しましょう・・・ と思ったら、どうやら、時間指定付の予約チケットを購入する必要があるようだ。今は11時半で、次の入場は1時である。

うーん。仕方が無いのでそれを購入。

そして、周囲を散策しようかな・・・ と思ったら、ボルゲーゼ美術館の裏手に丁度良い木陰になっているベンチがあったので、そこでしばしお昼寝をすることに。

いやはや、贅沢な時間だ。

ボルゲーゼ美術館の裏、この広い公園で、のんびりと昼寝をして過ごすこの時間。

すやすやと眠りに着き、体を休めた・・・。

そして、そのような時間がしばらく過ぎ、やがて、1時少し過ぎの時間になった。

体はまだ寝たい感じではあったが、ちょうど日が体に当たるようになってきて、まるで「起きろ」と言っているかのようであった。

体に日が当たるようになり皮膚も暑くなり、そろそろいいかな・・・ と思い、ボルゲーゼ美術館の方に行くことにしました。

ボルゲーゼ美術館は、さすがに予約制だけあって、混雑をしていなかった。

スムーズに鑑賞できる・・・。 値段的に8ユーロ近く払ったので、ちょっと高いかな・・・ と入る前は思っていたのだが、そんなことは、入ってみて全然思わなくなった。



美しい天井絵の数々。 そして、数多くの絵画。

特に印象的だったのが、彫刻の数々。

女神が横たわる像、そして、男神と女神とが触れ合っている像に、特に感銘を受けた。

女神が横たわる像は、そのりりしさ、そしてその視線に女性としての、品の高い姿を垣間見ることができた。

そして、男神と女神が触れ合っている像には、男性としての女性の接し方、そして女性としての品位の保った男性への接し方を垣間見ることが出来た。

どちらも、必ずしも想像上の人物でもない、そして同時に、必ずしも現実上の人物でもない、人間味溢れる表情、そして姿で表されているところに、深い気持ちが沸き起こるのであった。

他に感じたことと言えば、この建物、単に美術品が飾ってあるわけではない。 壁も、天井も、柱も、そしては通路すら、全てが美術品であるのだ。

天井絵。

単なる絵ではない。


ふちも合わせ全てが美術品となっている。

天井絵。

この、建物全てが美術品であるというところから、この入場料は高くないと思える・・・。 それほど、来て良かったと思えるところだった。

パンテオン

そして、ボルゲーゼ美術館を離れ、再度、街中へ。

道を辿り、バルゲリーニ広場を経由してナヴォーナ広場の方へ。 先日、ナヴォーナ広場の近くでクラシックコンサートが夜に行われるとの看板を見たので、そのチケットを探しに行こうと思ったのだ。

だが、特に急いでいる訳でもないので地下鉄は使わず、歩いてそこまで行く事に。

バルゲリーニ広場の近くには雰囲気の良い食堂がたくさんあった。

そして、クラシックコンサートがあった近くまで来た・・・ が、先日と違い、チケットを売り出していない。 今日はやっていないのかな・・・ と思いつつ、近くのピザ屋でピザを食べ、まだ夜には時間があるので更に散歩をする。

そして、ふと、目の前に何やら教会らしきものがあったので何気なく入ってみた。

これもまた・・・。 巨大な教会だ。

教会を見るだけでも歴史を感じることが出来る。


観光するだけではなく、教会にいて静かに時を過ごす事も贅沢な時間だと感じる。

ヴァティカンもそうですが、ローマに来て、教会に対する印象がかなり変わって来た。 教会にほどんど行ったことのない私ですら、かなり好感度が高くなってきている。

そして・・・。 そろそろ宿の方に向かうかな・・・ と思っていた時、ふと、不意を突くように目の前にパンテオンが現れた。

凄いぞなんだこれは・・・ と思ったが、どうやらこれは、古代ローマ時代の最も保存状態が良い建物だそうだ。西暦120年頃の建物だとか。古代ローマ建築の最高傑作とみなされているらしい。

古代ローマって・・・。1900年近くも前にこのような巨大な建物を建築したローマ人、想像を越えて偉大だと思った。

パンテオンの前で行われていた芸人さん。

パンテオンの中は人でいっぱい・・・。

割とシンプルな作りだが、建物はとてもしっかりとしている。

飾られている、数少ない彫刻。

遠くには油絵が見える。

天井は割とシンプルだ。

だが、とてもしっかりとした構造を感じさせる。

そして、パンテオンを出る。

ただ、パンテオンも周囲は、少し古ぼけている・・・。


さすがに、月日を感じさせる。

そして、パンテオンを離れた。

「ローマの休日」の真実の口

パンテオンを見た後、更にもう一つ教会があったので入ってみることに。

これまた落ち着いていて、素晴らしい教会だ。

教会巡りをするだけでもこの町には価値があるかのように思える・・・。

そして、そろそろ夜になる時間になった。

帰り道の途中、そう言えば「真実の口」をまだ見ていなかったな・・・ と思い、そちらの方へと向かうことに。

それは、川沿いに少し歩いた、小さな古い教会の柱廊にあった。

それにしても、行列が出来ているとは・・・。 日本人の姿も何人か見える。

私は、並ぶほどのことであるとは思わなかったので、写真だけ取って中をみることに。


このように、口を入れて記念撮影をするのが皆さんお決まりのコースらしい。

真実の口。

ちゃんと看板がある。(当然か。)


ここは本当に小さな教会で、中を見ても、椅子もとても少ない。更に、売店まである・・・。 しかも修復中。 この売店の人がオペラを口ずさんでいるのを見て、やはりこの土地にはオペラが根付いているのかな・・・ と思う。

そして、パラティーノの丘の周囲を経由して帰ろうと思い、途中の教会にも立ち寄った。

ここもまた、雰囲気の良いところ。

体を休めつつ、教会を楽しんだ。
教会の天井絵

そして、地下鉄に乗り、近くの駅で降りた。

インターネットショップでメールチェックし、ホテルに帰宅。

そして、ホテルのフロントで、今夜なにかコンサートがないか聞くことに。 すると、コロッセオ近くでオペラが行われるらしい。 モーツファルトをベースにしたもの。 値段は23ユーロでお手ごろだ。

フロントの親父さんは、電話して予約までしてくれた。 素晴らしい。 割と近くなので歩いて行くことも可能だ。

そして、いざ、そこに行くことに。

オペラ会場は、なかなか雰囲気の良いところだった。

これがこの日のコース。


24日 - LE NOZZE DI FIGARO by Mozart
とある。

会場の姿。

上を見ると、教会の十字架が。

ここは、雰囲気が良いばかりでなく、指揮者までわずかに5mほど。

上のステージまでも10mあるかないかといった距離で、これを東京で見ようと思ったら1万数千円はしそうな環境である。

演奏者たちも、観客も、とてもアットホームでリラックスしている。



演奏者の中に1人だけ日本人女性がいて、他の演奏者と恋仲であるのが見えた。 イタリアの雰囲気の中で、女性も男性も、態度は大人ですが、雰囲気が”飛んで”いる。 はじけた自由さと大人の具合と。 イタリアってこうなんだなあ・・・ と思いつつ、座っているとどうしても目に入るので気になってしまう。

そして、演奏が始まった。 さすがに音が良い・・・。 先日の夏の音楽祭と違い、スピーカーを使用していないので生演奏がそのまま楽しめる。 音の良さに、さすがはローマであると感激。 この値段でこの近さでこの音のクオリティ・・・。 日本では絶対楽しめないアットホームな演奏と、その中にもプロの冴えが光る。 ホールの響きでこそ先日の教会には適わないが、これもまた、聞きに来て良かったと思った。

そして、1曲の後、オペラが始まった。 私はオペラに詳しくないので、何やら台詞を言っているようだが・・・。 周囲の笑いに付いて行く事は全く不可能。 それでも、音だけで十分に楽しめる。

ストーリーはと言うと、男女の恋愛劇だということはわかる。 ジェスチャーを見る限り、男が言い寄り、女が謙虚さを出し、女性のみの対立で言い合ったり(苦笑)、といったところまではわかる。

でも・・・。 それ以上はさすがにストーリーか言葉がわからないと無理。

音はとても良い。演奏のクオリティはとても高く、聞いていてとても満足。


だが・・・・。 最初の2時間くらいまでは良かったが、それ以上は、時差ぼけが残っていることもあり、かなり辛くなった。 つい、うとうとしてしまう。 結局、最後が終わるまで3時間半のロング公演だった。 最後は、演奏の満足より眠気に耐える方が辛くなってしまった。

先日の夏の音楽祭も、最後までいたとすると3時間くらいの公演であったので、このくらいが普通なのかな??? と思ってしまう。

時差ぼけをさておけば、それにしても、3時間半で23ユーロ、しかも目の前で見れるとは、なんと贅沢なことか。 もっとしっかりと楽しむ為にはイタリア語(?)を勉強するか、或いは、ストーリーを予習してくるしかないか・・・。

でも、演奏のクオリティとアットホームな雰囲気を楽しむことは十分に出来た。 行き当たりばったりで見る分には、これで十分だ。


そして、夜の暗闇の中、ホテルへ。

歩いている途中、力仕事の帰りとも浮浪者とも取れる人から、いきなり「ニーハオ」(中国人と思われたのだろうか・・・。)と大声で話し掛けられ、一瞬、びっくりして状況を伺ってしまった。 暗闇で、周囲には他に助けを求める人もいない状況であったが、襲ってくる様子もなかったので、単にこちらが中国人だと思ってふざけて言ってきただけのようにも思えた。 注意してし過ぎることはない・・・。

そんなこんなで、ホテルへと帰宅。 既に0時45分である。

明日はヴェネチアへと移動だ。 朝はチェックアウトして、駅へと向かうことにする。

ローマからヴェネチア、パドヴァヘ

2005-07-25

朝、いつものように6時過ぎに目覚める。さすがに、日本時間での昼間に当たるだけあって、目覚めはすこぶる良い。

支度をし、宿をチェックアウトする。 それにしても、自転車の時と違い、荷物がとても少なく、あっという間に荷物をまとめることができる。

宿を出て、駅の方へと歩いて行く。 昨日と同じ7時というのに、車の通りが激しい。 先日の朝が静かだったのは、日曜日だったからのようだ。

駅に行く途中、カフェラテとクロワッサンを食べる。 そして、スーパーで水を買い、駅へと向かう。 予約した席は2等であったが、なかなかに十分な席だ。 特に不都合もない。 席のサイズも欧米人サイズで、日本人の私としては大きめに感じ、もう十分という感じである。

少し時間があったので、駅近くの教会に入って落ち着くことに。

それにしても、どの教会にもこのような壁画が描かれていることが圧巻だ。

そして、駅へと向かい、長い長い、4時間40分の移動が始まった。

最初に気付くのが、飛行機で飛んでいた時も感じたのだが、農村地帯がとても長く続く、という点。

これは一体・・・ と思うほど、ずっと農村地帯が続いて行く。 日本では、列車と言えばその周辺は町が広がる・・・ というイメージですが、ここでは違うようだ? 途中、フィレンツェとボローニャに寄り、そしてはヴェネチアへと続く。

やがて、ようやくヴェネチアへと到着・・・ と思いきや、降りる人の多いこと多いこと・・・。 駅から出ても人の混雑だらけ。 うーん・・・。

とりあえず宿を探すかと思い、散策をする。


通り沿いに見える立派そうな宿は高そうなので、裏道の宿を選択して空室確認を行う。最初に入った宿は100ユーロで2泊までOK。 3泊以上は無理のようだ。 100ユーロというと1万5千円に近い額となるが、とてもではないが高すぎる・・・。日本で調べた為替レートでは135円ということであったが、成田空港で141円、こちらでは148円近くで現金のレートが設定されているのだ。 私は成田空港で約200ユーロを交換したが、それでも、1万4千円ちょっという額は高すぎる。 払うのはクレジットカードなので、このくらいの額になると思われる。

そこを出て、更にぶらぶらするが・・・、 途中で食べたピザ屋の店員の態度が微妙なので、この街がとても微妙に見えてきた・・・。 人通りは多いし、水路はとても汚れているし・・・。 この街に思い出も何もない私としては、この街を見ていても何もときめかないのだ。

(後日はまた違った感想を持つのだがそれは後ほど)

特に、水路が汚れているという点が激しくマイナス。 これだけでマイナス50点。 最初100点の持ち点が最初から50点になる・・・。 更に店員の怠慢さにマイナス5点、人の多さにマイナス5点、物価が高すぎるという点にはマイナス10点である・・・。


宿を足で探すのは一旦中止し、ロンプラを元に宿に電話をかけてみる。 だが、どこも一杯だ。 ここにあるユースホステルも一杯なので、もう打つ手が無い。

宿を探しながらこの町を散策して、静かなベニス、或いは美しいベニスというものは確かに存在するのだろうと、片目にもそう写った。 だから、わずか数時間見ただけでこの都市が悪い都市だとは思わない。 むしろ、素晴らしい文化がかつては存在していたのだろうという点は、この都市に来ただけでわかる。

だが、どうも、肌に合わない。 こればっかりはしょうがないことだ。 何とも言えない気持ちになり、私の足は、宿を探しつつも、元来た駅へと戻っていった・・・。 途中探した宿は、礼儀正しい店員さんが「Full(一杯)です」と伝えてくれた。 美しいヴェネチアも、確かに存在しているのだろう。 だが、私は今、なんとなくこの町にいるべきではないという感覚を覚え、この街を後にする・・・。 数年先に又来るのか、或いは、数日後に散策をするのか。 それは、ここ数日を近くの都市で過ごし、考えようと思う。

後日、また違った感想を持ったのですが、この時の感想はそのようなものであった。

街中のカフェ。


とてつもなく高い・・・。

散策を。

寂れた区域をまわる。

人通りもほとんどない。

迷い続けている・・・。

ボート。

散策時の風景。

家々が並んでいる。

ボート、そして家々。

やがて駅に辿り付き、宿をどうにかしようと思った。 ロンプラの宿の項を見て、近くの街の宿に目星を付ける。 まず最初に目をつけたのが、ここから少し離れているパドヴァ(Padova)という街のユースホステル。 値段も約15ユーロで朝食付なので手ごろである。 ヴェネチアに比べれば天と地の差・・・。 でも、ユースホステルなのでこんなものかと思いつつ、ここに決定する。 1泊のみにしようかとも思ったが、パドヴァの街も散策したいので、2泊することに。

更に次の日は、ヴェネチアに来るか、或いは、そのもう少し先のヴェローナの町に行くのも良いかもしれないと思った。 ヴェローナ1泊、ヴェネチア1泊で次の日に帰国とするのも悪くないかもしれない。

そんなこんなで宿も決まったので、パドヴァまでローカル列車に乗る。 時間がなかったので一瞬だけ無銭乗車も考えたが、大した額でもないし、そんなリスクを犯すこともないなと思って自販機でチケットを買い、電車に駆け込む。

すると案の定、乗る前と乗った後すぐにチケットの確認をされた。 危なかった・・・。 と思いつつ、パドヴァへと向かう。

この時点で、かなり汗だくになっていた。 イタリアに来て、食べ物をたくさん食べて太るかな・・・ と思いきや、このままでは痩せそうである。(苦笑)

そして、汗がだらだら流れたまま、やがてはパドヴァに辿り着く。

この街は・・・。 落ち着いている。

つい先ほどまでヴェネチアにいたために、その差を激しく感じる。

しかも、街の人々の感じが、「これが生粋のイタリア人なのかな?」という雰囲気をかもし出して、何やら別世界に来たという「におい」が感じられた。

ローマに行っても、ヴェネチアに行っても、このような「土地から感じられる匂い」を感じることはなかった。

やはり、このような平凡な外れの町に来て良かったと思い知る。 そして、先日まで「自転車ではなくてよかった」と思っていたのとは反対に、「やはり自転車が良かったかもしれない」と少しだけ思ったのも確かだ。

だが、このイタリアの石畳の道路で自転車を走らせるのはハンドルが取られて運転にしくそうだなあ・・・ とも思う。

そして、街中を散策し、ユースホステルへ。

少し町外れであったが、なかなか快適そうな場所だ。

チェックインし、部屋へ。 部屋では、旅行40日目という韓国人と会った。 彼は疲れて今日は寝ていたらしい。 2ヶ月の旅行だとか。

後、彼からの情報で、今夜の9時から明日の夜9時まで電車がストライキで動かないのだとか。 動くには動くが、何本走るか分からないと言う。 危なかった・・・。 明日はこの街を散策するつもりだったので、ちょうど良かったとも言える。

そして、軽くシャワーを浴び、外へ散策へ。

街中を、オペラかクラシックのコンサートがないか、目を見張らせながら歩いて行く。

結局、コンサートは見つけることが出来なかったが、街中の感じを掴むことは出来た。

特に、教会がとても立派で、中は明日見てみようと思う。 このような地方な街ではあるが、ローマ時代にはかなり主要な役割を果たした都市だったらしい。

そして、宿へと戻って来て、ゆっくりとした時間を過ごす。

明日は自転車を借りて散策をしようと思う。

明日ものんびりとした一日になりそうだ。

パドヴァのサント聖堂にて。


別名、サンタントニオ聖堂。聖アントニオの遺骸が安置されている。


パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂、サン・ジョルジョ祈祷堂、サント聖堂

2005-07-26

パドヴァ散策

今朝は、朝食をここで取るためにいつもより少し遅く、7時半頃に取った。

今日は自転車を借りて、この街を散策する。

特に何か予定があるわけでもなかったが、美術館と大きな教会2つは行こうと思っていた。

旧市街を走り、街中の土地鑑を付けようとする。

少し町外れまで走ってしまい、ぐるりぐるりとしてしまったりもしたが、それもまた、町外れの雰囲気を感じられて良いと思えた。

マーケットにて。

古びた通路もそのまま人々が使い続けている。

再度、マーケットへ。

ぐるり、ぐるりと。

特に何かを買うわけでもなかったが、この町のマーケットの雰囲気を感じる。

さすがにアジア圏と違って気軽に買うわけにはいかないが。

サント聖堂。

先日も通りかかったが、ここは別名サンタントニオ聖堂で、聖アントニオの遺骸が安置されている。


ここは宿から近かったこともあり、又、土地勘を先に付けたかったため、とりあえず中へは入らずに更に散策を続ける。

郊外へと出てしまったり、少し道に迷ったりしながら散策を続ける。

川を渡る。

シスターが教会から出てきたのが見える。

川沿いの道を進んで行く。


そんな時、自転車で旅をする感覚を思い出す。


ああ、自転車で旅をしていたなら、このような感覚だったのかな、と。

そして、ふと、自転車で来なかった事に対して少し後悔もする。 だが、かつて日本を電車で旅をした時に感じたものとは違い、深く深く後悔するというほどでもない。 べつに、これはこれで良いという感じだ。

スクロヴェーニ礼拝堂

ぐるりと回り、そしては、駅の前へと辿り着く。

そして、ずっとピザばかり食べていたので、駅の前にマックがあったので、ふと食べてみる。 先日の夜も少しだけ食べたが、やはり、落ち着くものだ・・・。

グローバリズムが悪い悪いと言われているが、このように遠い土地に来ている時、身近なものと同じ物が食べられるというのは落ち着くもので、助かるものだと思う。

しかも、東京で食べるハンバーガーは気持ち悪くて食べたら吐きそうになってしまうが、ここで食べるハンバーガーはおいしく食べることが出来る。 これなら悪くないな・・・ と思った。

そして、落ち着いた後、再度、街の中に出かける。

少し走ったところにある教会にまず入り、座ってしばしの時を過ごす。

それにしても、どこの教会も立派なものだなあ・・・・。 と思う。

壁画はローマほどではないが、それでも、立派な壁画がいくつか描かれている。


そして、体が満足した頃、更に散策を始める。

再度走り出す。

木々の間から、川が見える。

旧市街をぐるぐるぐるぐると・・・。 それにしても、街の作りが分かり辛い町だ。 現在位置が掴み辛い。 一周、二周と同じようなところをぐるぐると回る。

そして、再度、違う教会に辿り付いたので入ってみる。

エレミターニ教会。

ここは、たしか第二次世界大戦の爆撃で酷く損傷したエレミターニ教会だった筈。今日は自転車で散策の為、ロンプラを部屋に置いてきたので記憶の範囲でしかわからないが。

内装は酷くすすけているが、それでも、古い壁画だということはわかる。
入り口の横に、損傷した壁画の説明などが描かれていた。

そして、エレミターニ教会を出て、再度散策へ。

公園を抜けてゆく。

ぐるりぐるりと回った後、先ほど入った教会のすぐ近くにスクロヴェーニ礼拝堂と市立博物館があることに気が付いた。

市立博物館入り口。


スクロヴェーニ礼拝堂と市立博物館はセット入場が基本のようだ。

さて。 どんなものかな・・・ と思って入ろうとすると、どうやら12ユーロ。ちょっと高めかな。

でも、この街にはあまり見るところもないので、ここくらいはと思い、入ってみることに。

市立博物館の建物。


スクロヴェーニ礼拝堂に入る前に見るビデオは上映時間が決まっているようで、それまでしばし待つことに。

市立博物館周囲に広がっているアレーナ庭園にてぶらりぶらりと。

のんびり。

スクロヴェーニ礼拝堂と市立博物館のチラシ。

時間が来て、まず最初、スクロヴェーニ礼拝堂の説明、そして礼拝堂内部に描かれたフレスコ画の説明へと入った。 このあたりで壁画を描いていたジョットという人物にまつわる物語のようだ。ここの教会の壁画が、ミケランジェロやその他の有名な芸術家と比べてどのようなものか説明がなされている。

そして、映像が終わり、礼拝堂の中へ。

少しものものしい壁画だ・・・。 何やら、「重々しさ」を感じる。 「深刻さ」というか「真面目さ」というか、この土地の人々の性質だろうか??? そのようなものである気がしないでもない。

壁画は修復が行われているようだが、全てが終わってはおらず、きちんと描かれている個所とそうでない個所があった。

そして、映像と礼拝堂を出て、市立博物館へ。 まず、ビジュアルルームに案内された。 そこでは、先ほど見たジョットにまつわる映像が、その生涯という観点から描かれていた。 その部屋では、その他にもマルチメディア端末などが置いてあった。

その後、博物館の内部へ。

さすがはローマの都市だけあって、エジプトやシルクロード系とも思われる様々な美術品が置いてある。

そのどれも、とても凝っている。

絵画もたくさんあった。 その大きさも格別だが、特に思うのが、「背景が黒い」絵が多いという点だ。 これはこの地方の気質を示しているのか??? 或いは、単なる流行廃りか・・・。 単なる流行廃りにしても、その背景には気質が関係しているだろうし、この、背景の黒い重々しい絵が多く多くあるのは一体何だろう・・・。 などということを思いながら美術品を鑑賞した。

そして、しばらく後、市立博物館を離れ、再度街中へ。

サン・ジョルジョ祈祷堂

散策。

それにしても、落ち着いた町だ。

しばらく走り、サント広場に出た。 この広場は、ローマの時代に人々が話し合いをした広場だと言い、由緒ある広場らしい。

今は、人々が散歩をしたり寝そべったりして休息を楽しむ広場となっていた。

ごろりと。

噴水。

遠く、サント広場の南側にはサン・ジョルジョ祈祷堂が見える。


少し休もうとも思ったがまだ元気であったので、サント広場を通り抜け、この大きな教会へ。

この教会も又、立派なものだ。

何か、この教会には親しみを感じる

入り口から、中へ、足取りは自然と進んで行く。

まるで、遠い遠い記憶でかつてここに来た事があるような、そんな気持ちさえ少しだけした。

ローマと比べると質素ですが、それでもかなり立派な教会。

柱も立派。

席でしばしの時を過ごし、しばらくうとうとと昼寝をした後、ふと奥の方へと続く道があることに気付き、そちらに行ってみることに。

壁にかけられている立派な壁画が通路から見えた。

中に入ってみると、そこは、何かの霊廟のようだった。 聖者の墓があり、それを守る人たちがいる。

ふとここで、牧師に話し掛けられた。 言葉がわからなかったので何を言っているのかは分からなかったが、私自身ここに親しみを感じていたので、向こうから話し掛けられたことはその親しみを増す結果となった。

私はもちろんここに来る事が初めてではあるが、何かの繋がりがあるのかもしれない、という勝手な想像もしてしまいそうだ。

それを証明するかのように、ここに入った後は、私の中にあった「何者かが自分自身の体を勝手に動かす感覚」はまったくといってよいほど消えうせ、自然体となっていた。

パドヴァのサント聖堂

そして、教会を離れ、この広場の近くにあるもう一つの教会サント聖堂へと向かう。 こちらは、聖者アントニオが祭られている教会で、かつては難病を治すための人々が詰め掛けていたらしい。

そして、今はほとんど置いていないが、難病が治った人々の杖やら何やらがかつては多く飾られていたのだとか。

それにしても、立派だ。

この町で最大級の建造物。

騎士の像もある。

ただ、周囲は少し寂れているようにも思える。

教会の周囲。

そして、中へ。

聖者アントニオに関連がありそうな部屋と、教会の奥に別料金で行ける部屋があったが、そこへは行かず、広々とした部屋に私は座り、落ち着いていた。

どうも、この教会は暗い。 それだけが気になる。 壁画はすすけて黒くなり、それでも良いと思っているのか何なのか、人々は普通に集まってくる。 外観の美しさとは違い、教会の中がこんなに古びているのに人々が集まってくるのが不思議なくらいだ。


と、思っていたら、ふと、黒い服を着た神父と青い服を着たシスターが現れ、何やら聖書の言葉? を言い出した。 周囲に座っている人々が、それに合わせて復唱をしている。

ふと、これはきっとミサが始まるのだな、と思い、ミサの参加は初体験であるので、皆の真似をして参加してみることにしました。

それは、約1時間ほどの体験であった。 最初はシスターが祭壇の左側で言った言葉を皆が復唱をし、その後は、神父が中央で言葉を繰り返した。

歌のようなものもあるし、聖書の言葉のようなものもある。 英語ではないので全く理解できなかったが、同じような言葉を何度か繰り返しているところは皆の真似をして口を合わせた。 そして、度々行われる手の仕草。 十字架を描くしぐさと、膝をつける仕草。

それをすることによって、自分がどのような気持ちになるのかな・・・ と思いつつ、参加をしてみた。

途中、先日ヴァチカンで行われていたような、周囲の人々と握手をする場面もあった。 この時は私も2度目であったので周囲の人々と握手をした。 が、期待していたような何か不思議な気持ちになることはなく、普通に握手をしただけであった。 そのような結果になったのは、状況か、或いは何かか。

そしてミサは進み、やがては、先日ヴァチカンで見たような、丸い白い食べ物を神父が配る場面となった。 これは食べてみたいと思い、周囲の人に混ざって私も並ぶことに。

食べてみたところ、何やらお餅を薄く延ばして乾かしたような、そんな味がした。

おなかが減っていたので、こんな薄い1枚でも食べたらおなかに溜まったような気がした。 この食べ物にパワーがあったのか、或いは単におなかが空いていたから食べ物が入って満たされたのか、どちらなのかはわからない。 多分後者かな・・・。前者もあると、とりあえずは思う事にしよう。

そしてはミサもほとんど終わり、歌が流れつつ、皆が帰り出した。

なるほど。 これがミサか・・・。 と思った。 ヴァチカンで見たような、皆が高揚するかのような雰囲気ではなく、生真面目で少し重い感じの、静かな静かなミサであった。 これがこの土地の気質なのかな・・・ と少し思ったりもした。

皆が帰り出し、それに合わせて私も歩き出し、ふと、教会の横にある聖人アントニオの博物館の方へと行ってみることにしました。


聖堂の内部に、このような庭がついていた。

庭の横の通路を通り、博物館の方へ。


でも、18時で閉まるようで、入ることが出来なかった・・・。 残念。

サント聖堂は、外から見ても中から見ても立派。

それにしても、この土地で感じた「真面目で集中的」な感じは独特だった。

ローマとは又違った趣で、イタリアの多面性を垣間見たようにも思えた。

そして、いよいよ教会を離れ、宿の方へ。

そんな時、ふと、目の前にレストランが現れ、まあいいかなと思って入ってみる。

まずはワインとパスタ系の前菜を頼んだ。 このワインが、これまたおいしい・・・。グラス1杯数百円のワインであるのに、こんなに美味しいとはどうしたものか! 日本で飲む数千円のイタリアワインは酸味があり過ぎたり吐き気がしたりして不味いことこの上なく、いつもチリワインを好む私ではあったが、ここで飲んだ現地のワインと来たら、美味しくて美味しくて、この上ない幸せに浸ってしまうほどだ!

ポテトチップのおつまみとワインを頂いていると、やがてはパスタ系の前菜が送られてくる。 これまた美味しい。 が、パスタやピザは東京で食べるのとそうは変わらないような気がする。 ただ、東京で食べるより、ずっとナチュラルな味付けになっているような気がする。 何と表現したら良いか。 料理が、とても上品な感じなのだ。 パスタはこちらでは前菜とのことなので、それを食べた後、メインディッシュを頼む。 写真ではよくわからなかったが、ハムの上にトマトの少ないミートソース系のソースが乗っているような料理を頼んだ。 これにはパンも付いて来るようだ。 これまたおいしい・・・。 幸せすぎる。

レストランの外で、道の脇に作られたテーブルで行き交う人々を見つつ食べる料理の、なんて贅沢なことよ。

ワインを飲み、料理を楽しみながら、しばし幸せな時を過ごした・・・・。


そして、そこを出て、そのまま宿に帰るのは早いと思い、先ほど通った広場へと行ってみることに。

ここで、芝生の上に横になって、しばしのお昼寝タイムとした・・・。


お酒が入っていたこともあり、かなり気持ち良くお昼寝をする・・・。 イタリアの夜は長いのか、8時になっても9時になってもまだ空が明るい。 結局、9時近くまで2時間ほどの間昼寝を楽しみ、まだ眠りたいという体を動かし、宿へと戻ってきた。

宿に帰ってきて、シャワーを浴びてしばし落ち着く。

さて。 明日はここパドヴァからヴェローナに移動して、そこの古代劇場でオペラを観劇し、次の日はヴェネチアかその近くの町で宿を取り、次の日の帰国に備えたいと思う。

(が、予定は急遽変更としたのですが、それはまた後ほど。)

ヴェネチア、リアルト橋、アカデミア博物館、サン・マルコ広場

2005-07-27

ヴェネチアへ

今朝は、朝食の時間の少し前に起き、支度をし、朝食を済ませた。 これまたカプチーノがおいしい・・・。 朝食後、荷物の最後の片づけをし、宿を出発する。

今日は、昨日までの予定ではヴェローナに行くつもりであった。 だが、今朝起きてみたら、そのままヴェネチアに行ったほうが良い気がしてきた。

近くのバス停からバスに乗り、鉄道の駅を目指す。 昨日は1ユーロであった乗車券が、運転手から買ったら1.5ユーロだった。 先に買っておくと安いのかな??? とも思った。やがて、鉄道駅に到着をする。

さて。 どうしようか・・・ と思い、とりあえずヴェネチアの宿に電話をしてみることにしました。 まずはユースホステルですが、部屋は空いているものの、電話の予約は受け付けないとか。 仕方が無いので違う宿へ。 次に電話したところがいきなりドンピシャで2泊分の予約をすることができた。 しかも相部屋が23ユーロである。2泊で46ユーロ。 先日にヴェネチアへ行った際、1泊100ユーロの部屋に泊まるかどうか悩んでいたのが嘘のようである・・・。

これで悩みもなくなったので、いざ、ヴェネチアへ。 さすがに、元々はイタリア目的というよりかはヴェネチア目的で来た旅であったので、先日の数時間の滞在で微妙な感覚を覚えたからといって、ヴェネチア行きを止めるわけにもいかない。

ローカル電車(2.5ユーロ)に乗り、ヴェネチアへ。

さて。 ヴェネチアに到着。


すると・・・・。

先日とは全く違った気持ちが私の中に沸き起こっていた。

ここは、なんと晴れ晴れとした土地だ。

湾の汚れも、先日とは違い、ほとんど気にならなくなっていた。 川の汚れなど、こんなものだと思えば、こんなものだろう。

ちなみに、ロンプラには以下のような説明があるが、まさに的を得た説明であると思える。

 何世紀にもわたり、作者や旅行者からこれほど多くの賞賛を受けている都市は、ヴェネチアをおいて他にはないだろう。
 現在のヴェネチアはもはや偉大な海運共和国でもないし、市内の建造物の衰退ぶりは深刻で、つねに高潮の脅威にさらされているが、そんなことはひとまず忘れよう。 あまりにも汚れてしまった現在の大運河では、バイロンも日課の水泳をしようとは思わないかもしれないが、1世紀前のヘンリー・ジェームズの言葉は現在もあてはまる。「愛すべき古きヴェネチアは、肌の色つやや容姿は衰え、かつての名声や自尊心はどこかへ消え去ってしまった。しかしなお、不思議なことに、その風格は少しも損なわれてはいない。”最も高貴な共和国 La Serenissima”と呼ばれたヴェネチアは、今も昔も唯一無二の場所なのだ。(ロンリープラネット・イタリア P426)

さて、まずは宿(Alloggi Calderan and Casa Gerotto)に荷物を置きに行く。

2つの宿を経営しているようで、表示が微妙に違ったが、あまり気にせずに入る。

典型的な安宿ですが、フロントの作りはかなり綺麗さを感じさせる。尚、後ほど入った部屋の中も十分に綺麗だった。かなりの上宿である。

ちなみに、この宿へ行く途中、数人の日本人カップルとすれ違ったが、そのいずれも微妙な顔つきをしていた・・・。 うんざりしたような、そんな顔つきである。 私も、ロンリープラネットがなければ1泊1万5千円以上もする宿に泊まっていたかもしれないと思うと、そんな顔つきをもしかしたらしていたかもしれない。
今夜の宿

荷物を置いた後、散策を始める。


まるで迷路のような路地である・・・。 でも、そうやって過ごす時間が、なんて贅沢なのだと思える。

ヴェネチアで有名な「仮面」。

たくさん売られている。

そして、散策を。

川の流れを横切りながら。

お店が見える。

凄い人ごみ。

市場の中を。

散策する。

歩いて行く。

家々の並び。

水路。

更に散策。

水路には、このようなゴンドラが。

空を眺めて。

通路を、歩く。

水路を横切りながら。

時計台。

通路と、橋と。

細い道を歩く。

広い道を。

リアルト橋、そして散策

そして、通路の向こうにふと見えてきたリアルト橋。

リアルト橋の上から。

遠くまで水路が続いている。

水路の周囲に、建物が並ぶ。

リアルト橋を見上げて。

リアルト橋の頂上から。

リアルト橋の向こうも、お店で一杯。

リアルト橋を抜けたところから。


まだ高低差があるので遠くまで見える。

更に散策を。

水路の周囲を。

細い路地を行く。

教会もたくさんある。

狭い通路。

裏道に入ってしまったみたいだ・・・。

裏道を。

どこに抜けるのか・・・。

どんどんと進む。

生活観あふれるボートが。

そして、ふと、大通りに出て、このような売店もあった。

通路に出て、更に適当に歩いて行く。


時間はたくさんある。 ぶらりぶらりと、当ても無く歩く。

水路。

立派なゴンドラが見える。

またもや、よく分からない通路に・・・。

でも、気にせず歩いて行く。


なんて贅沢な時間。

ちょっとした教会。

更に歩き、散策を続けた。

仮面ショップ。


たくさんある。

そして、ふと、いきなり開けたところに出た。

アカデミア博物館

ふと気付くと、目の前に何やら博物館らしき建物が・・・。

 そして、その建物の前にコンサートのチケット売りの人が・・・。

看板にはオペラと書いてあるが、聞くと、オペラではなく、ヴェルディーのクラシックコンサートだと言う。

 前の席が約30ユーロ、後ろの席が約20ユーロであったので、後ろの席を取った。

さて。 楽しみである。

そして、博物館が何なのかわからなかったので、中に入って聞いてみることに。

すると、ここはアカデミア博物館だという。 ロンプラによると、美術品に興味が無い人でも必見のところだという。 そういうことであれば・・・ と、入ってみることに。

すると、オーディオガイドがなんと日本語のものもあるようなので、借りてみる事に。

そして、ガイドに従って延々と辿ることに・・・。

これまた・・・・、凄い。

入って、損はなかった。

聖書にまつわる絵のようだ。

壮大な絵。 (だった筈。)


(写真だと微妙に分かり辛いが。)

キリストの絵。

聖書にまつわる絵。

肖像画。

とてつもなく大きな絵。


サンマルコ宮殿とその広場で繰り広げられる行事の風景のようだ。

壮大な宗教画。


宗教画の数々。 その時々の風俗画や、行事、物語風の連続画など、次々に美術品が、しかも絵画はかなり大きいものが多く、非常にスケールの大きさを感じさせてくれた。

展示物も、これまた逸品だった。

最後は、子供の頃の聖母マリアの描画で終わった。

そして、そこを出て、サン・マルコ広場の方へ。

橋を渡り、サン・マルコ広場へ。

橋の上からは、このようなよい景色が。

広々と運河が広がっている。


さすがはヴェネチアだ。

運河をゆくボート。

そして、停泊しているゴンドラ。

通路は、どこもにぎわっている。


橋を抜けて、歩いて行く。

一芸をやっている人もいた。

細い道を、歩いて行く。


そして、途中、アメックスのオフィスがあるようなので、まずはそちらを目指す。

しばらくさ迷い歩いた後、ようやく見つけることができたので、入って、キャッシングを試すことに。


セゾンのアメックスカードを使ってアメックスのオフィスでキャッシングを行った時の手数料などを確認しておきたかったのだ。

すると、成田空港で数日前に現金交換141円だったところを、ここでは142円で行う事が出来た。なかなか悪くない感じだ。 先日、同じカードを使いこちらの銀行ATMでキャッシングをしてみたものと、後日見比べてみたい。

サン・マルコ広場

そして、いよいよサン・マルコ広場へ。


ここは、エジプトのアレクサンドリアから盗み出した聖マルコの遺体がサン・マルコ(聖マルコ)聖堂に祀られていることにちなんだ、その前に広がっている広場である。

聖堂が、これまた立派である。

その横には時計台が立っており、今も時の鐘を鳴らしている。

広場の周囲には、このようなカフェテリアが。


カフェの中央では、軽やかな演奏をしている演者の姿が見える。

聖マルコは、元々死ぬ前に、ヴェネチアで永遠の眠りにつくことになるとお告げを告げられたのだとか。 それにしても、盗み出してそれをそのまま祀るというのも微妙な感じではあるが・・・。

当時、都市という都市には偉大な聖人が祭られていて、ヴェネチアにも欲しかった、ということのようである。 それだからといって、盗み出して祀るのは微妙に感じるのであるが・・・。 でも、そんな微妙な気持ちが吹き飛ぶほど、このヴェネチアという土地は素晴らしい。

広場を横切り、海の方へと近づいてゆく。

ふと見上げた風景。

海の向こうを眺める。

海沿いの道を、歩いて行く。

橋を渡り、更に散策を。

遠くまで見える。

人ごみの中、歩いて行く。

更に、更に。

散策を。

これまた立派な像だ。

ヴェネチアの仮面を被った人がいる。


大道芸の一種か。

散策を続ける。

次第に、人の数も少なくなってきた。


そして、この付近から裏道に入り、更に散策を。

途中、お土産に良さそうなヴェネチアの仮面と絵葉書があったので購入。 さて、それが割と荷物に感じる(それほど大きくはないのであるが)ので、一度宿に置きに行こうと思っていたら・・・。 何と、本格的に迷ってしまった。(苦笑)

やがて、目の前に船の乗り場が見えてきたが、それで確認したところ、宿とは全く逆の方向であることが判明。 どうしようか・・・ と思ったら、船に乗れば鉄道駅前にいけることがわかり、乗ってそこまで行く事にしました。

やがて、船はやって来た。 すかさず乗り込み、切符を買う。 片道3.5ユーロ。 高いような、そうでもないような・・・。 微妙な金額である。 1日券が約10ユーロだというので、こんなものかという気もする。

そして、しばらく船の上からの景色を楽しむ・・・。 すぐに着くかな、と思っていましたが、1時間ほどして鉄道駅の前に到着した。 周辺の島々をぐるりと周回して来たようだ。

ふう。ようやく戻ってきた。

宿に入り、荷物を部屋に置きに行く。


そして、シャワーを浴びてから再度散策。 今度は、コンサート会場を探しつつ、その近くで時間つぶしをすることが目的だ。

運河の眺めを見つつ、のんびりとする。

よき風景。

人に道を聞きつつ、少しずつ現在位置も把握できるようになって、更にぐるりぐるりと道に迷った後、ようやく会場に辿り付くことができた。 まだ1時間あったので少し離れよう・・・ と思ったら、何と、今度はサン・マルコ広場に着いてしまった。

いやはや、困った・・・ と思ったが、サン・マルコ広場からは割とまっすぐに行く事ができるようなので、ここで時間を潰すことに。 広場を眺めつつ、脇の階段に座ってぼおっと過ごす。

そろそろ日が暮れる。

先ほど買った100%オレンジジュースを飲みつつ、贅沢な時間を堪能する・・・。

そして、30分前になったので、会場へといってみることに。 と思ったら、又もや道がわからなくなった・・・。 でも、今回は運よく、それほど迷うことなく辿り着くことができた。 ほっ。

そして、中へ入り、コンサートを待つ。

入り口に飾ってある、数々の衣装。

しばらく後、コンサートが開始。

これがまた・・・。 びっくりするほどの演奏だった。 ここまで感動的な演奏は生まれてから聞いたことがないのかと思えるほど心の奥底へと響く、体中が歓喜に満ち溢れんばかりの演奏だ。

バイオリンの音、そしてその周囲にある数々も、なめらかで奥の深い響きを、これでもかというほど聞かせてくれた。

約1時間の演奏であったが、このコンサートは価値があると思った。 イタリアにまで来て聞くことのできた、とても貴重な演奏だったように思う。

そして、宿に帰る。 既に店はほとんど閉まっており、夜道を帰る。

宿でシャワーを浴びつつ、先ほどの演奏を思い返す。

次にこんな素晴らしい演奏を聞けるのはいつだろうか。 そんなことを思いつつ、眠りにつくことにする。

サン・マルコ広場の鐘楼 Torre dell'Orologio、サン・マルコ聖堂、ドゥカーレ宮殿

2005-07-28

サン・マルコ広場の鐘楼 Torre dell'Orologio

今朝は、7時過ぎに起きた。 周囲の皆は、一人を除いて既に出発したようだ。

私も起きて、少し身支度をしてから出発をする。

まずは宿の近くのバールでカフェラテとクロワッサンを食べる。カフェラテが1.8ユーロでクロワッサンが0.8ユーロ。合わせて2.6ユーロは若干高めのような気もするが、まあいいかと思い食べる。

そして、ボートの24時間乗車券を買ってからいざ、メインルートの1号ボートに乗る。

今日は、サン・マルコ広場の周囲にある美術館の数々を見ようと思うのだ。

ボートに乗り込むと、運良く、一番前の特等席を取ることができた。


日当なので少し暑いが、景色が良いのだからと思ってそのまま楽しむ。

ここは一番有名なルートなので、どこかで見たような景色もちらりほらり見受けられる。

が、それにしても、ボートから眺める景色のなんと贅沢なことか。

遊覧船ではなく、交通の為のボートなので何度も乗るし、その景色がどこから見ても様になっている姿は、さすがはヴェネチアだ。

遠くに、サン・マルコ広場に立つ鐘楼 Torre dell'Orologioが見える。

基本的に私は混雑が苦手で観光地も好きではないし自然の中が好きなタイプではあるが、ここヴェネチアは、そのどれも当てはまらないのにもかかわらず、私の今まで滞在した海外の中で一番のお気に入りとなりつつある。

(とは言っても、数えるほどの中での一番ではあるが、それでも、飛びぬけていることは確かだ。)

ボートはやがて、サン・マルコ広場へ。


私は、なんとなく体が動かなくてサン・マルコ広場をひとつスルーしたのですが、もう1つ先で降りて大正解。 水上から、聖堂と教会の姿をよくよく眺めることができました。
鐘楼 Torre dell'Orologio

そして、着いたのは良いが、まだ博物館の開いている時間ではないので、しばし椅子に座って時を過ごす。 これまた贅沢・・・。

時間も経ち、目の前にある大きな大きな鐘楼が開いたように見えたので、とりあえず登ってみることに。

6ユーロは少し高いかな・・・ と思ったが、それでも、登った時に見た景色を思えば、登って良かったと思えた!

遠くまで広がるこの景色の、なんて静観なことよ。

水路を眺める。

かつて”最も高貴な共和国 La Serenissima”と呼ばれたヴェネチアが、ここに存在している。

美しい家並が遥か彼方まで続く。

あちらも、こちらも。 ずっと遠くまで見える。

ここで、娘連れの母親が、写真を取ってくれと頼みに来た。 そのカメラは携帯カメラ。 背景が写らないクオリティだったので、自分のカメラで撮ってあげようかとも思ったが、躊躇してしまった。 親切のタイミングを逃してしまって、少し落ち込む私。

そして、鐘楼を降り、サン・マルコ聖堂の方へと足を進める。

サン・マルコ聖堂

サン・マルコ聖堂の方へと足を進めると、何やら行列が。 なんでここだけこんなにも行列なんだ・・・ と思いつつもその列に並び、中を見ようとする。

 すると、入り口で、私の小さなバッグもクロークに預けろと指示をされる。 ガイドブックとカメラを入れていたから膨らんで見えるが、バッグは小型なのに・・・。 と思いつつ、仕方が無いのでクロークに預け、その後、行列を横に見つつすり抜け、入り口の係の人に預り証を見せ、中に入った。 このシステムがどうも分かり辛かった。

この聖堂は、ヴェネチアに偉大な守護聖人が欲しいと思ったヴェネチアの商人が、エジプトのアレクサンドリアから盗み出した結果として建てられたものであるとか。


微妙だなあ・・・ と思いつつ、中に入った。


すると・・・。 どうも、雰囲気が重々しい。

長く居る場所ではないと思い、すぐさまそこを後にしました。
誰でしょう

外に出ると気持ち悪さは嘘のようになくなった。


建物の中と外でこれほどまでに雰囲気が違うとは・・・。


気のせいだけではない、とてつもなく重々しい、はっきりとした重圧感および息の詰まる感じがしたのは確かだ。

そして、荷物を取り、周囲の美術館へ。
美術館の窓からの眺め

まずは目の前にあるコッレール博物館から。 それにしても美術品が多いなあ・・・ と思いつつ眺める。 こちらの美術品は大きいことにも加え、部屋全体が美術品となっていることもあり、驚きを隠しえない。
美術館の窓からの眺め

かっこいい。


首の2つある鳥?

彫像などもあるが、それにしても、この建物自体が美術品として素晴らしい出来だ。

コッレール美術館の後は、再度、サン・マルコ宮殿へ。


やはり、きちんと見ないのは後悔が残ると思った次第だ。

先ほどとは違い、今回は、入ってすぐ右手の階段を登って上の階へと上がったところにある美術室へと入った。

すると、先ほどと同じく、やはり体が少し重くなる感じだ。


気持ちの構えが出来ていたので先ほどのようにきつくは感じない。

サン・マルコ宮殿の2階から眺めたサン・マルコ広場。


こうして、ヴェネチアの人々は同じ広場を眺めていたのだろうか。

サン・マルコ宮殿の2階の広場から、すぐ横にある像を眺める。

2階から、先ほどの鐘楼を眺める。


 その後、中の美術室を少し早足で駆け抜けたが、ルートを通っている限りでは倒れるほど強く気持ち悪くなる場所はなかったように思える。

でも、長く居るところではないな・・・ と思い、中にはいろいろと展示物があるようであったが、わりとすぐに外に出てしまった。

そして、再度荷物を預けてから、少し離れたところにあるピザを食べに行った。先日見つけたところで、そこそこの値段で食べられるのだ。

そこでピザを食べ、COOP(生協?)で100%オレンジジュースを買う。 その後、ボートで再度サン・マルコ広場まで戻ってきた。

ドゥカーレ宮殿

荷物を取り、その後は、サン・マルコ聖堂の横にあるドゥカーレ宮殿へ。 ここもまた美術品の宝庫で・・・。 部屋が昔のまま残されていて、その部屋の壁やら天井やらがそのまま美術品の彫り物や絵画になっており、これまた楽しむことができた。

美しい回廊。

サン・マルコ聖堂の方を眺める。

回廊をゆく。

建物の全てが、美術品だ。

次は、ボートに乗り、街中のいくつかの博物館へ。

これは、それほど規模は大きくなかったが、それはそれで楽しむことが出来た。

これまた美しい。豪華な部屋。

サン・マルコ広場を遠くから眺める。


そして、一度サン・マルコ広場を離れた。

今日はたくさん美術館を回ったなあ・・・ と思いつつ、ふと、先日のコンサート会場に辿り付いた。 すると、今日もコンサートがあるという。 聞いてみると、ここで行われるものは先日と同じものですが、違うものがサン・マルコ広場の近くで行われるという。

それは25ユーロだったので、聞いてみることに。 最後の晩には丁度良い感じだ。

今日のコンサートは、これ。


先日はヴィヴァルディのコンサートで、違う場所で行われているコンサートもヴィヴァルディだと言う。

どうやら、ヴィヴァルディはこのヴェネチアで生まれ、ヴェネチアで没したのだとか。 ヴィヴァルディの演奏会が2度続くのも、偶然ではないということか・・・。

そろそろ日が暮れる。


この贅沢なヴェネチアのサン・マルコ広場でクラシックの生演奏が聞ける贅沢さはなんと表現したらよいのか。

それにしても、先日の演奏は素晴らしかった。 この、”最も高貴な共和国 La Serenissima”と呼ばれたヴェネチアにふさわしい奏でである。

今日の演奏はサン・マルコ広場の近くで8時半からだというので、宿の近くのCOOPでちょっとしたお土産を買い、一度宿に戻り、荷物を置き、シャワーを浴び、その後、コンサートに出かけた。
今夜のコンサート会場

このコンサートも、これまた素晴らしい・・・。 が、好みから言えば先日の方が演奏は好みであったかな。 それはともかく、最後の夜にふさわしい演奏を聞くことが出来た。

こちらのコンサートは、街中で、近所の人たちにちょっと聞かせるという雰囲気が出ていて、フレンドリーで親しみやすい点も良いと思った。


帰り、ボートに乗ったら鉄道駅の一つ手前の「ローマ広場」駅が終点であった。 1番ルートで乗ると必ず駅の前を通るのですが、これは港の外側を回ってきたルートであったので、駅の前には止まらなかった。 まあいいやと思い、駅まで歩いて行く。

すると、右を見るとバスのターミナルが見えるではないですか。

明日のバスの時刻を確認しようと思い、ターミナルを確認する。

すると、6時50分の便が丁度良さそうな感じである。7時50分になると少し遅すぎるので、これが丁度良い感じだ。 バスの係の人に聞いたら、切符を先に買っておけば良いと言うから行ってみたら、空港行きは会社が違うので既に閉まっているとのこと。 あらら。 割とこういうところがいいかげんな気もするが、イタリア人の気質なのかな??? という気がしないでもない。


そして、明日、帰国した。

愛すべきヴェネチアよ。 短き滞在は終わった。

最後に、ワーズワース作の以下の歌を載せたい。


「ヴェネツィア共和国滅亡に寄せて」 ワーズワース 作

かつて、彼女は華麗な東方を制圧し、
西の護衛兵となっていた。誕生したときから
ヴェネツィアの価値は落ちなかった。
自由の長子、ヴェネツィア。
ヴェネツィアは明るく自由なおとめの都、
どんな策略にもたぶらかされず、どんな力にも破れなかった。
そして、みずから連れ添いに選んだのは、
永久不変の海。
たとえ、過去の栄光が褪(あ)せ、
幾多(いくた)の称号が消え、力が衰えようとも、
その長い命が最後の日を迎えたとき、
幾ばくかの嘆きの辞を贈ってしかるべきだろう。
われはわれは人として、過去に偉大だったものが影にすぎなくなっていたとしても、 その消滅を悲しむべきなのだから。

ヴェネツィア帝国への旅[ジャン・モリス著]東京書籍、P13より。
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