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エジプト 個人旅行 2006年

2007-01-05 記
トピックエジプト

エジプト行ってきました。

2006-12-28
さすがに遺跡は一流。

しかし、エジプト人は3流でした。 観光地としても2流。 エジプト人がいなければ又行ってもよいと思いました。 さすがはインドと並んで評されるだけのことはあります。食べ物は合わなくて、一番美味しかったのがケンタッキー、2番目がマクドナルドという結果になりました。 カイロ、アスワン、ルクソールと定番のところですがそれはもちろん満足でした。





成田空港からエジプトへ

2006-12-29
アエロフロート航空で出発。

思いのほか快適なフライト。

今までアエロフロートの悪口ばかりきいていたので、これほど快適だとは思わなかった。ほかの航空会社とさほど変わりがない。 というより、エールフランス航空より快適かもしれない。

スカイチームに数年前から参加したようで、食事もどこかデルタ航空や大韓航空と似ているような気がする。機内食はさほど期待できないが、これだけ食べられれば十分だと思う。

ただ、出発が30分ほど遅れた。

到着が遅れたためだ。


とは言っても、このくらいは許容範囲内。

今回はガイドブックにROUGH GUIDE(英語書籍)を持参。

ロンリープラネットの日本語版が出ていなかったのでロンリープラネットの英語版を最初は買おうと思ったのだけれども、その近くに置いてあったこの書籍がよかったので選択。 これは写真は少ないものの、地球の歩き方には載っていないカイロ空港からの夜間バス情報もきちんと乗っていた。文字情報が多い感じだ。

今回搭乗したアエロフロート。


機体は少し小さめだが、西側の機体なので安心だ。

ガイドブックを見たところ、どうやらエジプトのカイロ空港にはターミナルが2つあり、ターミナル1は主にエジプト航空、他の会社はターミナル2を使用するようだ。そして、市内へのバスはターミナル1から出ているので、ターミナル2に降りた場合は無料シャトルでターミナル間の移動が必要とのこと。

夜間に到着してバスを使ったという人がいれば参考にしようと思い、旅行記を探してみたが見つけることができなかった。ちなみに、タクシーだと夜間料金で通常の50~100%増しの料金になるようだ。

タクシーにそのまま乗るのも芸がないので、バスで市内に出るつもりで行きたいと思う。さて、どうなることやら。


そんなこんなで、飛行機はモスクワのシェレメーチエヴォ国際空港に到着。 ここはそろそろ新ターミナルに移行するとのことで、どうやら見納めになりそうだ。初めてにして見納めとは。

たしかに暗いし陰気臭い気もするが、前情報として聞いていた「ベンチが少ない」ということも特にないし、手続きがありえないくらい遅い、ということも特になかった。共産時代とは大きく異なっているようだ。 他の空港とさほどかわりがない。アジアの各国空港と変わらないと思う。

ここモスクワでのり替え、カイロへと向かう。


飛行機に乗る際、いきなり「割り込み」があった。
エジプトでは「並ぶ」という習慣がなく、どんどんと割り込みが起こるとは聞いていたが、まさに目の前でそれが起こった。

一組だけではあったが、ここモスクワのカイロ行きの飛行機登場口でそれがまさか起こるとは。 エジプト、あなどれない。

飛行機は快適に飛び、あっという間にカイロに辿り着く。

降りて、少し歩くといきなり目の前に銀行窓口が・・・。
よくわからないが、その左側に何やら係員のような人がいるのでその銀行窓口でビザの切手を買うのだなあと勝手に理解し、そこに並んで米15ドルを差しだすと、2枚の切手が出てきた。 前情報通りだ。

それを持って係員のところへ。

そこでちょこちょこと、名前と電話番号とカイロの住所を書くことになるのだが、カイロの住所など覚えていないので、適当に買いてあしらった。48、Ramsas St. Cairo などと適当なことを。

その先で入国カードを書くが外国人用のものがほとんどなく、少し探したら見つかった。

そこに書き、入国の事務員に差し出し、ようやく入国完了。

2人いた係員の一人からパスポートを手渡されるとき、その男からキスの仕草でチュッという音を立てられた。うげえ。なんだろ。気持ち悪い・・・。こっちの習慣かな。

そこを出て、ロビーに出るとタクシーの勧誘がたくさん。

でも、噂に聞いていたほどしつこくない。しっかりとNOを言えば追いかけてこない。話と違うぞ。(苦笑) かなり良心的じゃないか。

私はターミナル1に行ってバスに乗るつもりだったので、まず外に出て、ターミナル1へのシャトルバスを探した。 すると、大きな看板にターミナル間の無料シャトルと書いてあるのが見つかり、その前でシャトルが待っていた。

だが、どうやら勘違いをしていたようで、私はてっきりターミナル2に着いたと思っていたのが、どうやらターミナル1に着いていたようで、乗る必用はないとのこと。

聞いてみると、バスステーションはすぐ先にあり、遠く見えるところがそうだというので、てくてくと歩くことに。

歩いている間も、タクシー乗らないか? と話しかけられたが、思いのほかしつこくない。

そして、バスステーションにたどり着く。しかし、どうやらここがステーションらしいことだけはわかるが、何も掲示がないのが気にかかる・・・。時刻表もない。ステーションのようにも見えるが、本当にステーションか??? 少し不安になる。

そこにいた、比較的若い、あまり怪しくなさそうな人に聞いてみると、ここは確かにバスのステーションだという。 そして、料金は50ピアストル(1エジプトポンドの半額)で、ラムサス駅まで行けばよいという。

私はあまり理解していなかったが、しばらく待った後、その2人が乗るバスに乗り込んだ。手招きをするので、アラビア数字の路線番号を確認する間もなく乗り込んでしまった。失敗。

まさに、行き先が分からない・・・。
中の係員に聞いてみると、大丈夫だから座れというニュアンスを言ってくる。

よくわからないが、外国人は白人が2人と私が1人という状況。周囲は現地人に囲まれているけれども、アトランタで体験したようにバスだから恐ろしいということはない。何か、フレンドリーな雰囲気だ。かなり安全な気がする。ちょっとむさ苦しいけれども。

案内してくれた人が1人がすぐに降り、特にバクシーシを要求してくるわけでもなかった。どうやら、よい人であったようだ。

このバスでは案内がなく、窓から場所を見て、着いたら勝手に降りるというシステムなのだが、先程のもう一人に聞いてみると、どうやらあと1分でラムサス駅に着き、更には、彼らもそこで降りるとのこと。なるほど。

無事、ラムサス駅で降りることができた。


まず、周囲を少しぶらついてみることに。 まったりとした雰囲気。あまり荒廃していない。
降りた場所。
ラムセス駅から100mほどの、開けた場所。

遠くには塔が見える。

これはカイロタワー、かな。

駅に近づくにつれ、人が多くなる。

何の人だかりだろう・・・。

牛の肉を切っている。

(後ほど、これが年末の行事であることを知った)

高架になっている道が多くある。

駅の周囲は、人だかり。

夜遅いのに、人だかり。

とは言っても、駅と逆側は静かなもの。

ぶらりとした後、タクシーを拾い、予約したホテルを知っているかどうか尋ねてみた。

数台のタクシーには「知らない」と言われたが、次のタクシーは「OK」といって、ホテルを探してくれた。

わりと近かったが、30ポンドといってきた。法外な値段だろう、恐らく。
私は「すぐそこだ。近いぞ」と言って、案内料もあるし、夜中で50%から100%は上乗せと考えて、交渉の末、15ポンドで手を打った。少し高い気もするが、まあ、最初の日だし迷うのも何だし、これでよかったものと思う。

ホテルに着くと、もう3時を過ぎていた。ウェルカムのティーを飲んで、寝床に着く。

思いのほかフレンドリーなエジプトに、ちょっと拍子抜けをした本日。

明日はエジプト博物館などに行ってみようと思う。

カイロ:エジプト歴史博物館、Abdin Palace、イスラム芸術博物館、シタデル(CITADEL:城塞)、モハメド・アリ・モスク、警察博物館・軍事博物館、コプト博物館、オペラハウス、列車チケット予約

2006-12-30
明け方、8事頃に目が覚める。

眠り薬のおかげで随分と目覚めがよいような気がしなくもない。それと、耳栓のおかげか。

朝食が簡単なものが出るようなので、シャワーを浴び、ロビー(とは言ってもドア一枚挟んだだけの玄関のようなところ)に出る。

そこにいたヨーロッパ系の人が言っていたのだが、こんなにも寒いカイロは初めてだということ。 おかしい、といっていた。毎年であれば、ジャケットは絶対に必要ないとのこと。

そんなこんなで出発しようとするが、ホテルの受付の人いわく、「誰が話しかけてきても何も答えてはいけない。無視するんだ」といっていた。

なるほど、やはりと思い、エジプト歴史博物間へ。

歩く間、やはりいろいろ話しかけてくる人はいたが、さほど気にはならなかった。

タクシーの勧誘もアジアに比べればかわいいものだ。

まだ車も人も少ない。

交差点もガラガラ。

通りもガラガラ。

そんなこんなでエジプト歴史博物館へ。

エジプト歴史博物館

入り口は人でごったがえしていた。

ほとんどの人はツアーのようで、私の場合、カメラを預けなくてはならないことに気がつかずに一度入った後に再度預けに建物の外に出る羽目になった。

エジプトは観光立国なのにもかかわらず英語の標識がないのが困ったものだ。さすがはエジプトなのか何なのか。

街中には人がいないのに、ここには人がわんさか。


中にはいり、回ることに。気温的にはちょうどよいかんじだ。

特に暑くもなく、寒くもない。

中はツアー客で一杯だったので、声の大きな英語のツアーを後ろから聞いたりして、内容が分からない分を補った。


(中の写真は取れないので、左は外に飾ってあった石像です)

そして、ツタンカーメンの仮面が置いてある部屋へ入った。

これが有名な・・・。 近くでみると、あまり光っていない気もする。こんなものかな。 金の割合が少ないのかな。 でも、凝っているのは分かる。
(この写真は外の石像。中は撮影禁止)

他に数ある石の像にしても、エジプトの長い歴史が感じられた。
(この写真は外の石像。中は撮影禁止)

でも、今いるようなアラブの人は後の世から入ってきたようで、どこか文化が違うようだ。

アラブのエジプトは昔のエジプトではなく、それをアラブのエジプト人が商売の種にしている、と感じた。

アラブが入ってきたというのは史実、商売の種は私の個人的感覚としてそう思った。(現地人の証言も後ほど知った)
スフィンクスのミニ版だ。

そして、エジプト歴史博物館を後にする。

Abdin Palace(in カイロ)へ

エジプト歴史博物館を見た後、Abdin Palaceへと向かう。


(←ここはまだ歴史博物館を出たばかり)

多い車の通り。


そして、多いな建物の数々。

エジプト歴史博物館の周辺は、そこそこ発展している。

すぐそこにはケンタッキーも。

でも、ちょっと通りを入ると、このような細い道がたくさん。

まだ朝早いので、店も開いていない。

細い道の方へと入ってゆく。

ふと、軽食を食べようと思ったら、現地人がこっちだこっちだと呼びかけてきた。

着いていってみると、いきなり「あのお店だ。だが、まだやっていない。」と行って、パピルスと香水の自分の店に連れ込もうとした。(苦笑)

いやー、面白い。 また来るよと伝えてさっさと退散。(予想できたことだが。)

奥に入ると、露店もぼちぼち見かけるようになった。

牛だ。

年末は、この牛がふるまわれるらしい。

「リッチな人がプアーな人に振舞う行事」とやらで。

ふと、開けたところに出た。

Abdin Palaceだ。


でも、開いていなかった。
年末の休みに入っていたようだ。

その近くにあるイスラム・アート・ミュージアムも同じくやっていなかった。

残念。

Abdin Palaceを離れる。


戻るのも何なので、もう少し奥へと歩いていってみることに。

カイロの裏道を散策

仕方がないので、少しぶらぶらすることに。

特にあてもなく、路地を歩く。

エジプトは、このような裏の道に入っても危険を感じない。

さすが、観光で持っている町というべきか。

ずっと、歩いてゆく。

ふと、開けたところに出た。

パン屋があったのでちょっと食事をすることに。

このおっちゃんが、ピザを焼いてくれた。

なかなかの手さばき。

ふむ。 まあまあ。


でも、食べ切れなかったので、そこにいた子供に半分くらいあげたら喜んでくれた。

イスラム芸術博物館

食堂のすぐ目の前に、イスラム芸術博物館があったので入ろうと思った。

でも・・・、今日はやっていないようだ。 残念。

そこに通っている大通りを歩くことにする。

(写真だと広くみえるけれども、実際はさほどではない)

イスラム芸術博物館。 入りたかった。

さらば。又来るぞ。(きっと)

犠牲祭の牛 (年末)

更に、特にあてもなくさまよい歩く。

次第に、道も景色も、庶民的になってゆく。

途中、牛が殺されて皮などが運ばれているのをよく見た。

どうやらこれは、イスラムの記念の日の一環として、金持ちが貧乏人に対して恵みを与えるというイスラムの教えにのっとり、牛をこの日は分け与えているとのことだ。

ただこれを見ただけでは残酷な行為にしかみえないが、このような背景を知ると、なるほどなあ、と思えてくる。

どうも、郊外に来すぎたか?


引き返そうにも、場所がわからない。

まあいいやと思い直し、更に進んでみることに。

水たばこを吸っている人がいる。

なんとも庶民的な道。

道の向こうには、牛を切った後の台のようなものが見える・・・。

古びた道を、歩いてゆく。

建物は古いが、たまに、こうしたミスマッチな綺麗な車があったりする。

庶民的な景色。

ふつうの、居住地だ。

更に、散策を。

どこまで来たのだろう・・・ と思っていたら、

ふと目の前に、素晴らしいモスクらしき影が・・・。

なんだこれ?


凄いぞ!


どんどんと近づいてみた。

不意をつかれた。


このような立派な建物が、いきなり目の前に現れるとは。


シタデル(THE CITADEL:城塞)を見上げる

これは大きい。 どこから入るのだろうか・・・・。

目の前には公園があって、人々が遊んでいる。

人々が、そこかしこに。

観光の広場というよりは、庶民の広場になっている。

馬? ポニー? がいる。

乗って遊ぶ子供たち。

又、子供たちが、自転車で遊んでいる。

一生懸命こぐ子供たち。

それにしても、ここはどこだろう・・・。

聞いてみても、ここがどこか、よくわからない。

そもそも、英語が通じない。

いろいろな人に聞いてみたところ、とある子供たちは「モハメド・アリ」と言っている。どうやらどこかで聞いたことのあるこの有名人。

ガイドブックを調べてみると、どうやらエジプトを独立させた歴史的人物のようで、そのモスクがここにあるようだ。 私が来た方とは逆側に入り口があるようなので回り込んでゆくことに。

ようやく、今いる場所がわかってきた!

そして、少し進んだところに警備員がいたので、その人に聞いて、その考えが合っていることが確かめられた。

シタデル(THE CITADEL:城塞)の入り口

回りこんだ先が、本当の入り口のようだ。

周囲は、さすが要塞の雰囲気がある。

(旧式だが)

丘を、登ってゆく。

タクシーで来ると、ここで降りるようだ。

その横を、歩いてゆく。

昔は要塞でも、今は広場となって、人々の憩いの場所だ。

逆側には、通信塔のようなものも多く見えた。

さて、そろそろ入り口だ。

遠くからみても、立派なモスクなことがわかる。

そして、中に入る。

シタデル(THE CITADEL:城塞)からの展望

さて、いよいよだ。

入り口には、お土産屋がある。

定番のおみやげ物がいっぱい。

どんどん近づく。

通路を、進んでゆく。

だいぶ登ってきた。

建物も、もう近い。


入ろうかと思ったが、
建物の左側通路の先に、展望台があるようなので
行ってみることに。

そこは、カイロを展望できる視界が待っていた。

いい眺め。

遠くには、小さくピラミッドも見える。

モハメド・アリ・モスク (in シタデル)

展望を見たあと、モハメド・アリ・モスクの中に入ることに。

意味深げなお堂(?)が・・・。

ちょっとした、広々としたところだ。

上を見上げる。

モスクの中へは、靴を脱いで入る。

モスクの中は、きらびやかな証明で飾られていた。

古びてはいるが、なかなか。

人々は、足を伸ばしたりくつろいだりしている。

奥では、信心深い人が、ずっと祈りを捧げていた。

そして、モスクを後にする。

警察博物館と軍事博物館(inシタデル)

シタデル(THE CITADEL)の中には、モハメド・アリのモスク以外にも警察博物館や軍事博物館などがあり、ひととおり閲覧することに。

砲台が飾られている。

ここからの景色もよいものだ。

遠くが展望できる。


警察博物館はざっと見て、軍事博物館に行くことに。

軍事記念館はなかなか大きそうだ。

なかなか立派

大砲が並んでいる。

何かの英雄?

英雄の銅像がある。

像がたくさん。

古代のものも混じっている。

中に入ることに。

(いわれを忘れました)

古代の戦闘の姿。

精巧に作られている。

近代的な銃。

古い大砲だ。

戦いに正当性を与えるような壁画。

ここにも子供が一杯。

子供たちは、元気一杯だ。

外に出て、近代的な飛行機の展示を見る。

プロペラ機。

戦車。

これまた戦車。

そして、軍事博物館を離れる。

思いのほか疲れた。


次は、コプト教徒の博物館のある地区までいくことに。

コプト博物館(in カイロ)

シタデル(THE CITADEL:城塞)から出て、コプト教徒の博物館があるというところにいってみることに。 タクシーを使うが、かなり高いと思われる30エジプシャン・ポンド。最初は45とか言ってきたのだが、このくらいで手を打った。このおやじもまったくうるさいが、まあ、あの場所ではタクシーくらいしかないのでこれで移動した。

そして、コプト博物館の中に入る。

中は、こぢんまりとしている。

キリスト教の展示物が沢山あるが、どれも「線が細い」気がする。 見ていて目が疲れる。

ざあっと見た後、ふと、ガイドブックを見ていたらオペラがあることに気づいたので、開始時間に間に合うようここを出ることにしました。

地下鉄が目の前に通っているので、移動。

オペラハウス/列車チケット予約

地下鉄で移動し、オペラハウスに行ってみることに。

こっちだ。看板がある。


ぐるりと回ることに。

道の逆側には、馬を引く馬車の姿が。

ぐるりと回りこむ。


ずいぶんと遠回りをしている気が・・・。

そして、ようやく回り込み、オペラハウスへ。

なかなか立派な建物だ。

後ろには、カイロタワーも見える。

なかなか期待できそうだ。

よくわからないが、雰囲気だけでも味わいたい。

先客がいた。

何故かこの人が、「先にどうぞ」と言ってきた。

なんだろう・・・ と思ったら、「今日ですか? Yes. スーツは持っていますか? No...」

どうやら、ドレスコードがあるようだ・・・。

見ることはできないようだ・・・。

他の旅行者と共に、すたすたと退散する・・・。

その後、再度地下鉄を使い、今度は鉄道の切符を買いに行くことに。

鉄道切符は、ラムセス鉄道駅で買うのですが、電子化されていない為に、切符をそれぞれの等級の場所で買わなくてはいけないのがわずらわしい。

ようやく並び終わってチケット頼むが、それはあっちだとかいろいろ言われて、たらいまわしになったあげく、結局すべて取れない、ということだけが判明した。
正月をなめていた。ルクソール方面に行けなくなってしまう・・・。

ふと横を見ると、同じくチケットを取ろうと悪戦苦闘している女性2人がいた。

何度もチャレンジしたあげく、取れないので帰ろうと思ったところ、前にその2人が歩いているのに気づいたので、ふと話しかけ、情報交換する。

どうやら飛行機は行きは取れるが帰りが取れないらしい。だからこうして電車のチケットを取りに来ているとか。これからバスの予約をしに行くとのことなので、そこまで一緒に行くことに。

地下鉄で2駅乗って、歩いて少し。バス切符売り場に着くが、どうやらルクソール往復はどちらも「予約不可。当日10時販売」となっているようだった。しかもすぐに売りきれるとのことで、リスクがかなり高い。

私はこの時点で、飛行機でも良いやという気になった。この2人が、エジプト航空オフィスを知っているとのことなので、そこまで一緒に行くことに。

だが、開いていなかった。

そこで別れ、私は少し歩いた後、エジプト歴史博物館の少し南にある旅行代理店に入って、状況を見てみることにしました。

外はもう暗く、ライトで照らされた川の景色がとても綺麗だ。

道を歩き、旅行代理店まで行く。

すると、本当に飛行機は一杯で、帰りの分が取れない。
かなりいろいろ調べてもらったが、ルクソール、アスワン、アブシンベル と、どれも一杯らしい。
凄い。

正月は予約しないと危険だ。

そこで電車のチケットということになったが、席がこれまたない。しかし、電車はすでに席がないということがわかったのにもかかわらず、そこにいる人の手にかかれば、「少し多く出せば入手できる」とのこと。

まったく、意味が分からない。

でも、US60ドルの寝台席が75ドルになるくらいで手に入るのならば、もうそれでもいいやという気になってきた。行けないより遥かによい。

それを頼み、次の日に受け取りをすることに。

さて・・・。ようやく今日の仕事が終わった。
やはり切符の予約は手間がかかる。

外に出てみると、そこはお祭り騒ぎだった。


エジプトは、新年より年末の方がにぎやかだという。

私は宿に戻って、明日に備えようと思う。

明日はピラミッドを見に行って、その後にチケットの結果を見に行って、取れているようであればホテルをチェックアウト、そして駅へ、という手順でいこうと思う。

サッカラの階段ピラミッド、サッカラのマスタバ(墓) 、メンフィス遺跡、ダハシュールの「赤のピラミッド」、ギザのピラミッド(3つのピラミッド)

2006-12-31

サッカラのピラミッド(階段ピラミッド)

今日はピラミッドを見に行こうと思う。
当初の考えとしては、とりあえず地下鉄で行き、駅から遠ければそこからタクシーで行こうと思っていた。

朝起き、スタッフに聞いてみたところ、どうやら電車の駅は遠いらしい。 タクシーでここからギザまで25ポンドくらい、ギザからサッカラまで25、サッカラからメンフィス遺跡までは近く、そこからダハシュールまでも25くらい、といっていた。

だが、そのスタッフが言うには、一日タクシーをチャーターしたほうがいいと言う。 どうやら、それで130ポンドとのこと。

それはいいやと思ってそうすることに。 交渉してくれるとも言っていたが、経験を積むためにも、自分でやってみることに。

支度をして、道に出る。

道に出て、よしっ、と思ってタクシーを探す仕草をしただけであっという間に4台くらいのタクシーが近づいてきた。

いやー、アリのような嗅覚があるな。(苦笑)

そのうちの何人かは、目がギラギラしていて、いかにもお金欲しいですといわんばかりの怪しげな人であったのでなかなか乗りたいとは思わなかった。

だが、そんなときにふと来た、人の良さそうなおじいさんを見つけたので、近くに止まっている数台のタクシーを無視し、そのおじいさんのタクシーに乗ることに。

行き先を書いた紙を見せ、値段を言うとOKだという。

どうやら、英語が分からないおじいさんのようで、こういう人を選んで正解だった。

そのおじいさんは、どうやら市内専門のタクシーらしく、借主(?)の元へといって、ダハシュールなどに行っても良いかどうか、お伺いを立てていた。なるほど。

そして、ピラミッドへ。

行き先は4つだ。

  ギザのピラミッド(3つのピラミッド、といわれている)
  サッカラのピラミッド(階段ピラミッド)
  メンフィス遺跡(大きなスフィンクス。ラムセス2世の古都)
  ダハシュールのピラミッド(ギザに優るとも劣らない大きなピラミッド)

そして、最初はギザのピラミッドに行って、入場制限のあるクフ王のピラミッド内部に真っ先に入ろうと思っていた。


ところが・・・、だ。

このおじいさん、どうやら道が分からずに勝手に進み、サッカラ(階段ピラミッド)の方に来てしまったようなのだ。
その入り口近くに来てようやく「最初にサッカラ(階段ピラミッド)を見る」と言い出すありさま。

おいおい。聞いてないぜ。 やってくれるぜ。(苦笑)


これでタクシーはトラブルがないと思っていたのに、いきなりこれかよ。

ギザのピラミッドに入れなくなったじゃないか!

このクソじじい!

笑ってんじゃないよ!!!

ガイドブックで運転席のシートを何度か叩く私に、おじいさんもちょっとやばかったことに気付いたようだ。

そりゃやばいよ。 どうしてくれんだ。

でも、もう目の前だから今から移動しても仕方がない。
そのまま行ってもらうことに。

まったく・・・。

サッカラの階段ピラミッドは、そんなトラブルを別にすれば、それはそれは素晴らしいものだった。

何せ、テレビなどでは「大きさ」が分からないので、実際に来て見るとその「大きさ」にびっくりする。

これほどまでに大きなものを作る、という、それが単純にびっくりだ。

周囲はこんな感じ。


砂漠ほどではないが、荒廃した砂地が広がっている。

このピラミッドにも、案の定、怪しい案内人などが内部でたむろしていた。

入り口で既にチケット確認を済ませたのにも関わらず細い通路の前で再度チケットをチェックして、それを返さずにどこかへ連れて行こうとする胡散臭い男。
胡散臭い男

とっさにチケットを奪い返したが、そのままラクダで砂漠に直行させようとしていたのかもしれない。

噂に聞いていた、「行って50ポンド、帰ってくるのに50ポンド」、というやつだ。

案の定、その先にはラクダなどもいたのでやばかった。

でも、ギザはもっと悪質だというので、こちらに先に来て、生易しい人に対処しておいて正解だったかもしれない。

ツアー客が、後ろからどっとやって来た。

ざーっと、いきなりいなくなった。

さすがはツアー客。

周囲を散歩する

よくわからない山状のものがある。

これもピラミッド?

周囲にある、建物のようなもの。

その横には、ラクダ乗りのおじさんがいる。

ちょっと遠くに来て眺める。

ラクダ乗りのおじさん。

ラクダとサッカラの階段ピラミッド

ラクダ乗り。

いくらするのだろう・・・。


私は一人なので、客とみなしていないようだ。(苦笑)

団体客に群がるラクダ乗りのおじさん(苦笑)

再度遠くから眺める。

サッカラのピラミッド(階段ピラミッド)に近づく

近くに来て、見上げてみる。


これは大きい・・・。

発掘あるいは盗掘に使ったと思われる穴が見える。

それにしても大きい。

横を通って、裏にまわってみる。

周囲にある、小さな建造物。


上はもう崩れてしまっている。

階段ピラミッドを見上げる。

階段ピラミッドは、とても急だ。

裏にまわってみると、なにやがガイドが説明をしていた。

日本人客も多い。


その周囲に群がるお土産売りのおっさん(苦笑)

周囲は、こんな荒廃した大地。


荒廃とおじさんたちの熱気と、そのギャップが・・・。(苦笑)

ふと遠くを見てみると、ピラミッドのようなものが見える。


随分と形は無骨だが。

周囲に広がっている、土の盛り上がりというかなんというか。

ピラミッドの横に、何やら覗き込むようなものがあるらしい。


ガイドの人が説明をしていた。

この人も、覗き込んでいる。

どれどれ・・・・。



なるほど。 そういうことか。

そして、ここを後にする。

さらば、サッカラ

ここが、私のピラミッド初体験の場所となった。


(まあ、そんなに大げさなものではないけれど)

サッカラのマスタバ(墓)

サッカラの階段ピラミッド周囲をぐるりと一周し、車へと戻ると、敷地内にあるもうひとつの遺跡へと移動した。

そこで、ちょっとした墓の中に入った。

マスタバとはアラビア語でベンチを意味する単語で外見の類似からこの名で呼ばれるようになったらしい。

ここがマスタバ(墓)のようだ。

その入り口で、勝手にポーズしたのにも関わらず料金を請求してくる馬鹿オヤジがいた。

噂に聞いていたのは、これか。(苦笑)

いやー、おもしろい。
ポーズをする直前

私はポーズ写真をうっかり撮ってしまったが、この男を取ったのではないのだからお金は渡さなかった。(映りが悪いので掲載はなし)

私は入り口の横の壁画が取りたかったのだ。

この親父がいきなり飛び出てポーズしたおかげで壁画が隠れてしまったではないか。

邪魔しておいてお金を渡すわけもない。

これこれ。 これを撮りたかったのだ。

周囲に書かれてある壁画。

中にも、これ以上に壁画が多く描かれている。

壁画を見ていると、ふと次のような思いがふっと頭に浮かんだ。

エジプトは、オスマントルコの時代からアラブ化が始まって、それ以前は全く違った文化だったのかなあ、と。

まだ勘の段階で、本当にそうなのかは分からないが。

周囲に見える景色。

周囲にたむろしているおじさん。

遠くに見える階段ピラミッド

掘っ立て小屋にいるおじさん

そして、サッカラを後にしました。

メンフィス遺跡

サッカラから車に乗って、メンフィス遺跡へと向かう。

途中、絨毯売り場に立ち寄る(苦笑)

中にはほとんど人がいない。

人が大勢入れそうだ。


団体客が大勢ここに来るのだろうなあ、と勝手に想像する。

ふと外に出ると、いきなり雨が・・・。

エジプトに雨。


でも、数分ですぐに上がった。

そして、メンフィス遺跡へ。
エジプト古王国期の統一王朝最初の都。

メンフィス遺跡は、小さな村の中に、ちょこんとスフィンクスおよびラムセス2世の大きな像が飾られていた。

ラムセス2世の像。

スフィンクス。


微妙にしょぼいが、スフィンクスの状態は良いかもしれない。
少し小さいが。

(写真でみるとほころびが目立つが、実際に見たら、気にならず、
 むしろ保存状態がいい気がした。他がぼろぼろ過ぎるのかも・・・)

後で知ったことだが、これはアラバスターの一枚岩を掘ったもので、いわゆる高級なスフィンクスらしい。


それが、よく見えた原因かも?

奥にも像がある。

立派な像

遠くを見ている。


ラムセス2世?

そして、同じ道を通って駐車場へと戻る。

スフィンクス

スフィンクス。

おみやげ物屋も、もちろんある。

小さな像が、お見送りをしてくれた。

では、おじゃましました。

ダハシュールの「赤のピラミッド」

そして、メンフィス遺跡を出て、ダハシュールに。

ここが、これまた大きくてびっくりした。

砂漠の中にちょこんとそびえ立つダハシュールの「赤のピラミッド」。

これは見ごたえがある。

まずはここに向かう。

遠くに見える「屈折ピラミッド」

もう少し近づいたところ。

「赤のピラミッド」

これは圧巻だ。

タクシーチャーターしているので、途中で止めてもらって写真を撮った。 バスやシャトルとは違って、こういう勝手が効くのがタクシーのいいところだ。

赤のピラミッドの駐車場に止めると、ちょうど太陽がピラミッドの後ろにあった。

日陰部分は、これほどまでに日差しが違う。

いかにエジプトの日差しが強いか、がわかる。

そして、駐車場からピラミッドの入り口の方へ。

j周囲には、ラクダもいる。


ここまで来ている車はそんなに多くないようだ。

階段を上り、ピラミッドの入り口へ。

階段を登ってゆく。

わりと高いところまで来た。


いい景色だ。

ピラミッドの入り口で入場を監視している人たちとガイド。

どうやら、中には入れるという。


(このスーツの人は何だったかな・・・。)

ちょうど日本人ツアー客とタイミングが一緒になって、そのガイドの人が、「特別に写真機を中に入れてくれると言っています」と案内していたので、その客に混ざって私も中に入った。

普通は写真機は入れられないそうだ。

別料金はかからず。

これはお得。ここまで来るのが遠いということはあるが。

中はかなり奥深く、最後には大きな部屋があった。

通路はとても狭く、かがんで通る必要があった。

足元を見ると、石が通路の周囲に積み上げてあったり。


ここに見えるのは小さな風の穴なのか、何なのか。

上を見上げる。

階段。

整備された階段もある。

斜面を歩くようなところもある。

戻ってきたら、足ががくがくになっていた・・・。

入り口から遠くを眺める。


いい景色。

そして、ピラミッドから降りる。

ギザのピラミッドにこの後入ったのだが、足ががくがくしなかったので、ここが一番きつかったかもしれない。

安いし巨大だし、中は誰でも見れるし、さすが、ガイドブックに「ギザと並んでオススメ」と書いてあるだけのことはある。

そして、いよいよギザのピラミッド(3つのピラミッド)へと向かう。


(後で気がついたのだが、「屈折ピラミッド」をスキップされてしまった。 まあ、遠くに来ることがないおじいさんだから仕方がないかな、とも思う。 後になって思えば、ひとつやふたつは誤差の範囲。)

ギザのピラミッド(3つのピラミッド)

ダハシュールの「赤のピラミッド」を見た後、ギザのピラミッド(3つのピラミッド)へと向かった。

そこまではかなり遠かった。

ずっと走り、12時近くになって到着。
タクシーの窓から見たピラミッド

駐車場に到着。

すると、いきなり、入場券はあるかと聞いてくる胡散臭い人や、こっちへ来いと言ってくる胡散臭い人がわんさか。

車が通ろうとするだけで通行料よこせと言って来たり、もう、何でもありの状態だ。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

そういった人を無視して入場券を買い、中へと入った。


いやー、さすがにこれは大きい。
カフラー王ピラミッド

有名なだけはあるし、なんだかんだと言って、先ほど見てきたピラミッドより貫禄があるような気がする。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

上を見上げる。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

入り口が見える。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

ちょっと階段を登って入り口まで行ってみる。


が、どうやら空いてないみたいだ。
やはり時間か。

檻があって閉まっている。
その前にいる寝ている3人は何だ・・・?
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

ピラミッドの周囲には、人がそこかしこに。

このピラミッドがやはり一番だ。
(クフ王ピラミッド(大ピラミッド)とカフラー王ピラミッド)


その周囲にいる、胡散臭い人の多さもこれまた一番。(苦笑)

前情報が、ほんとにそのままそこにあって、なかなか笑ってしまった。
カフラー王ピラミッド

立派なピラミッド

クフ王ピラミッド(大ピラミッド)だ。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

横の通路を取って、違うピラミッドへ(3つある)

カフラー王ピラミッドもかなり立派。
カフラー王ピラミッド

クフ王ピラミッド(大ピラミッド)を見上げる。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

カフラー王ピラミッド。

いやあ、立派
カフラー王ピラミッド

クフ王ピラミッド(大ピラミッド)もこれまた立派
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

少し曇っていたが、いきなり晴れてきた。


随分と見た目が変わるものだ。
クフ王ピラミッド(大ピラミッド)

ここには、無理やりおみやげ物を持たせようとする人、ラクダに乗せて遠くに連れて行き、帰ってくるのに同じだけ料金を請求するのではないかと思われるラクダ乗り(行きに50だとしたら帰りにも同じだけ取る、悪どい方法らしい)や、おみやげ物を買うまで付きまとう人。

などなどいろいろいたが、確かに、いるにはいるのだが、アジアと比べて悪質ではないのが救いである。 全く悪びれずにやっているので、それが当然と思っているようだ。 そんな人を無視して、ピラミッドを見ていた。

ここで、まだ周囲をぐるっと回っただけだがかなりおなかが空いてきたので、ピラミッドを更にきちんと見る前に食事をすることに。

近くにケンタッキーがあると聞いており、確かスフィンクスの横と記憶していた。 近くの警備員に聞いてみるとたしかにあるようなので、そちらの方へと行ってみることに。

スフィンクスの方へと少し歩き、ふと見返すと、そこに3つのピラミッドが並んで見えた。

右から
 カフラー王のピラミッド
 メンカウラー王のピラミッド
 王妃の小ピラミッド

(俗に言う3つのピラミッド、クフ王、カフラー王、メンカウラー王の3つではない・・・ 筈。 位置的に。)
3つのピラミッド

そして、更に、スフィンクスの方向へ。

スフィンクス。


「ナポレオンが鼻をそぎ落として持ち帰った」と噂に聞いていたが、更に調べると、「大砲の目標にして、命中した鼻の部分が吹き飛んだ」ともあった。

なんとまあ、ヨーロッパ人の身勝手は・・・。 とも思ったが、更に調べてみると、それすらも風刺であるとあり、本来の原因はよくわかっていない、とあった。 ふうむ。

それにしても大きい。

メンフィス遺跡のものとは大違いだ。

どうやら、一度エリアを出なくてはいけなかったので、確認したところ、食事を食べてから戻るのはOKだという。

遠くに見えるケンタッキー。

入り口のフェンスの外には、中に入れずに外から見る人の姿が・・・。

そして、ケンタッキーに入る。 いやあ、ようやくありつけた食事。一気に食べてしまった。

そして、再度ピラミッドの方へ。

スフィンクスが目の前にある。

近くで見ると、

周囲の石の中に埋もれるように見えるスフィンクス。

周囲の通路を通ってスフィンクスの近くへ。

スフィンクスの近くに来た。


これ以上は近づけない。

スフィンクスとギザのピラミッド(大ピラミッド)

遠くを見つめるスフィンクス。


確かに「顔がのっぺら」だが、言うほどのっぺらではない。

どうやら、噂に聞く修復工事の成果なのか。

手がきちんとある。

ここでふと思い立った。

今は1時半なので、もしかしたら午後の「ギザピラミッド内部チケット」が発売されている時間なのではないかと思って、行ってみることに。

だめもとで行ってみたのだが、何と、チケットを買うことが出来た。

やりい。


でも、値段がびっくり。100ボンドだって。高すぎ。
だからエジプト人はむかつくとか言われるんだよ。

入り口に行ってみると、カメラを持って入ってはいけないと言われた。

入り口でチケットを見ている男たち。


さっき寝ていた3人か。

ふと気がつくのは、何やら、横にはカメラが多く置いてあって、そのエジプト人は手にお金を持っていること・・・。

なんじゃこれは・・・。

どうやら、先ほど檻の前で寝ていたこの3人は、「カメラは持ち込めない。見ていてやるから金よこせ」とやってる胡散臭い男たちであることが判明。

こういうの辞めさせろよ。

もって入れないなら、チケット売り場で預けさせろよ。
だから、エジプトの旅行は、時々「最悪」と書かれるんだな。ルールが決まっていない、好き勝手やっている、ルールを決めようとしない(ように見えてしまう)、などなど、エジプトの偉大な文化を破壊して乗っ取ったアラブが、その侵略者の強さを掲げて、過去の文化を食い物にしている、と思えてしまう。

実際のところはともかく、それだけ悪質なものが時にはあるのだ。

まあ、今回の場合、タクシーをチャーターしていたので、ちょっとカメラを置きに行って、それから入ればよかったのであるが。

どちらにカメラを預けるか悩んだが、タクシーに預けるか胡散臭い男に預けるかとどちらがいいか考え、タクシーを選んだ。どちらも信用していなかったが、中に入るためには仕方がなかった。

後から思えば、タクシーは誰も見ていないからそのまま逃げられるのに対し、入り口の男の場合は人目が常にあるので、もしかしたら入り口の男に預けた方が安全だったかもしれない。 今回の場合、タクシーのおじいさんの人が良さそうに見えたからこのように判断したのですが、胡散臭い男であれば、また選択も違っていたかもしれない。

ピラミッドの中は、テレビで見た「大回廊(?)」を見ること出来て、いい見納めになった。

実際、中はこのギザのピラミッドが一番大きくて広くて、確かに良いと思える。でも、100ボンドの価値はない。 もうエジプトに来なくていいと思うための値段にしては安いかもしれない。

もう私は来ないだろうな。少なくともカイロには。

そして、その近くにあるカフラー王ピラミッドの中にもはいってみることに。

この中は、クフ王のピラミッドほど広くないが、これでもなかなかのもの。

これで4分の1の値段、25ボンドである。
クフ王のピラミッドも、このくらいが適正価格であると思う。

単に有名なだけでボッタクリをするエジプト人には天罰が下るよ。

それにしても、このピラミッドに登って落ちて死ぬ人が続出するというのもよく分かる気がする。

砂漠の砂が石の上にあって滑って危険だろうし、ところどころ風化して崩れかけているし、かなり級で、登ったら降りてくるのが恐ろしいくらい。

はっきりいって、登っている人など見なかった。午後で人目が多いということもあるだろうが。

登っても何の自慢にもならず、ただ単に遺跡を壊した人として冷ややかな目を向けられる、そういうものであると感じた。

やっていることのレベルは、ピラミッドの周囲でボッタクリを続けるエジプト人と全く変わらないところにまで落ちてしまう。

ピラミッドに登ることはそれと同じくらい下劣で価値のない行為だと、ここに来てそう思った。 登って自慢している人もいるようだが、ここに来てみて、それが馬鹿げたことである、と感じることになった。

そして、心残りもなくなり、町へと戻る。

町に戻る途中、ATMからお金を降ろした。(クレジットカードのキャッシング)
思いのほかピラミッド周辺でお金を吸い取られて、かなり財布の中が減ってしまった。

そして、エジプト歴史博物館の前で降ろしてもらう。

お金を払ったが、何か態度がおかしい。
少ない、と言っている。
私が歩いて離れようとすると、ついてくる。

ちょうどいいことにツーリストポリスがいるので、その数人で話をする。 野次馬も集まってくる。(苦笑)

このエジプト人は英語が全くわからないので、その野次馬のお兄さんに通訳も兼ねてもらう。

どうやら、このエジプト人ドライバーは300ボンドを要求しているようだ。

当初の約束は130ボンドであったのだが、このドライバーは英語が話せなかったので、何か勘違いしたのかもしれない。

それはともかく、さてどうしようかと思い、こんなこともあろうかと仕込んでおいた小銭の束を出し、90ポンドほど上乗せをして、220ポンドにしてみました。

このドライバーは後80だといっているようだが、それは出せないと拒否した。

何度も何度も同じことの繰り返しで、ツーリストポリスも「又か」といった表情を繰り返している。やはり、こういう料金トラブルはよくあることのようだ。

結局、私の料金で押し切り、220ポンドを渡して、最後は握手(私から手をつかんで握手した)をして決着をつけた。

もともと130ボンドの相場に対して220ボンドと言うのはちょっと高いが、思いのほか時間もかかったし、このくらいでいいか、という線だ。ちょっと高いが。

これだからエジプト人は嫌われる。

まあ、このおじいさんドライバーはそれでもいい人のようであったが、思わずやってきたカモをうまくしとめられなかった? 或いは、悲しいそぶりをしているだけか?(そうは思えないが・・・)

ともかく、それで決着をし、先日から頼んでいた寝台列車の切符を取りにいく。
このすぐ近くだ。

事務所に入り、ちょっと待ってくれといわれてはや1時間、なかなか来ない。もうちょっともうちょっとと待っていて、1時間半ほどでようやく切符が入手。

ふう。

どうやら今日の8時出発のようだ。

ラムセス駅ではなく、ギザ駅からの出発のようだ。

そうと決まれば、ホテルに行って支度をしようと思う。

ホテルで荷物を整理し、シャワーを浴び、チェックアウトを済ませ、いざ、ギザ駅へ。

ギザ駅は、何やら怪しげな雰囲気が充満していたが、時間が経つに連れ、外国人の客が増えてきた。

安い列車で移動する場合はこの人に混じるのか・・・と思いつつ、エジプト人たちのたくましい姿を見ていた。

列車の掲示板もないし、時刻表もないが、ツーリストポリスに聞くなりして時間を待った。

寝台列車では、その入り口でチケットをチェックしている人がいたので、さほど迷わずに列車に乗り込むことが出来た。

席が取れていなかったらどうしようと思っていましたが、無事、取れていた。

ラムセス駅で言われた「席がない」の言葉は一体なんだったのか・・・・。 ラムセス駅が工事中でギザ駅が出発だったから、ラムセス駅ではなくギザ駅に来ないとこのチケットは手に入らなかった、ということなのかもしれない。

そんなことを思いつつ、列車に乗り込み、食事を済ませた。

機内食より少し良いかもしれない程度の食事を済ませ、そして、ベッドで横になる。

さて、明日はアスワンだ。

当初はルクソールで降りようと思っていましたが、着く時間も微妙なので、アスワンまで行くことにする。 電車が遅れたりすることも考えると、着く時間の予想も大変だし。(チケット的には、ルクソールで降りようがアスワンで降りようがどちらでもよい。)

夜行列車でアスワン、アスワン・ハイ・ダム、フィラエ島のイシス神殿、Unfinished Obelisk

2007-01-01

夜行列車でアスワンへ

起きたら、まだ電車は線路を走っていた。

ふと止まった駅の名前を確認すると、Edfuというところのようだ。

川岸にはフェリーが沢山止まっていて、これがナイル川クルーズなのだなあ、と思う。

ナイル川を見つつ、電車は進んでゆく。

カイロ市内でもナイル川クルーズと称してツアーが企画されているが、その多くは川を少し渡って終わりのようだ。

しかし、ここ上ナイルに来れば、数日にも及ぶナイル川クルーズが楽しめる。

私は時間の関係でクルーズは行えないが、機会があればやってみたいものだとは思う。

エジプトのことだから、かなり高いと思うが。暴利なほどに。

9時15分、いよいよ電車はアスワンに到着。

さてどうしようかと思ったが、とりあえずは宿を決めることに。

入り口がちょっと綺麗だったので入ってみたのが、割と川に近いRAMSES HOTEL ASWANというところだ。

ここは65ボンドで窓からナイル川も見ることができる。


← 窓からの景色


なかなか良いところ。

シャワーも個室についているのがポイント高い。
カイロの動揺の値段に比べてかなり良いと思える。

さて、これからどうしようかと考え、フロントからいろいろ聞き出す。
どうやら、イシス神殿のあるPhilaeとアスワン・ハイ・ダムが見所らしい。

ホテルのフロントが呼んでくれて、2時間で65ボンド。
でも、3時間でも良いと交渉したが、結局は頼まずに、とりあえず外に出てみた。

まずは町をぶらつく。

裏道を。

特に危険は感じない。


のんびりとした町だ。

買い食いをしたり、サンドイッチを買ったりした後、駅前に行って同様のスタイルでいくらかを聞いてみた。

最初、アスワン・ハイ・ダム(いわゆる「ハイ・ダム」)とPhilaeに行って3時間で50ボンドと言ってみたら、話をしていた2人のエジプシャンが おーお と微妙な顔をした。

鋭いところを突いてくると思ったのか、さほどぼったくることなく、70は欲しい、と言って来た。

更には、4時間でいいという。

それに加えて、ソビエト・エジプト・記念館(Soviet-Egyption-Memorial)とUnfinished Obeliskというところにもよるとのこと。そうなれば、ホテルのフロントの条件よりも遥かに良いので、この人に頼むことにしました。

そして、2人の間でアイコンタクトがあり、太っちょの黒人が案内してくれることに。

アスワン・ハイ・ダム

そしてタクシーで、まずはアスワン・ダム(いわゆる旧ダム)へ。


これだけでもたいしたものだ。

ハイ・ダムだけでなく、旧ダムもとてつもなく大きい。

ところで、この人は、どうやらヌビア人らしい。

リビアではなくヌビア? 聞き間違えかも知れないが、確かに、このアスワン・ダム(いわゆる「旧ダム」)が出来る前にその場所に住んでいたのがヌビア人とのことなので、辻褄は合う。

そこから暫く走り、今度はアスワン・ハイ・ダム(ハイ・ダム)へ。

これはこれは、とてつもなく大きい。

たいしたものだ。 ダム湖もかなり大きい。

こいつはびっくりだ。

ダムの中央に休憩所があるので、そこで展望を楽しむ。

本当は途中の写真は撮ってはいけないところもあるようだが、運転手はそれほどうるさくは言わなかった。

"待て待て"とか"良いよ"などとニュアンスをするのみだった。

言葉があまり通じなかったこともあるかもしれない。向こうは英語があまり得意ではないようだった。

ダムの反対側には、発電所がある。

これは、アスワン・ハイ・ダムの中央にある、ソビエトの記念塔。

資金提供の証のようだ。

面白いデザイン。

上が丸くなっている。


ここで、写真撮ってあげてチップもらおうとしているおやじがいた・・・。 それだけで食っていけるのか・・・? 謎だ。

フィラエ島のイシス神殿

そして、その後、Philaeへ。

フィラエ島のイシス神殿へはボートをチャーターして行くようで、タクシーはその前で止まって待っていることに。

ボートは、数人で割れば安いのですが、私は1人でチャーターしたので40ボンド取られた。

最初は60と言って来たのだが、40で行ってもらった。
グループだとかなり安いようだが、これは仕方がないか。

そしてボートでイシス神殿へ。

次第に島が見えてきた。

あれがイシス神殿か・・・。

そして、そのボートを岸に待たせたまま、イシス神殿を閲覧する。

ここは、アスワン・ダム(旧ダム)ができた後、上昇した水位により周囲を水で囲まれてしまったようだ。その後半年の間は水に浸かったイシス神殿を旅行者は見学していたのだとか。

しかし、アスワン・ハイ・ダムの建設が持ち上がり、それにより永久に水の底となってしまうイシス神殿は1972-80にかけて隣のアギルキア島に移されたのだとか。

元々あった場所から移した結果、所々つぎはぎだらけなのがもったいなく感じる。

とはいっても、ドラクエで印象に残っていたイシス神殿、その本物を見ることが出来て何よりだった。

人が多い。

壁に描かれた壁画。

中に入れる。

壁画

周囲は水。

壁画。

遠くから眺める。


写真ではよく見ていたところだが、実際に見てみると、また違った感触があった。

Unfinished Obelisk

その後、ボートで岸に戻り、タクシーを使って町に戻る。その途中で最後の目的地であるUnfinished Obeliskへと向かう。

ここは町からも近いようですが、何がしかのツアーではここも立ち寄るようになっているみたいだった。バスが沢山止まっている。

ここは、さほど面白くはない。

早々に立ち去るが、出るところにあるお店でTシャツを無理やり買わされた。

とはいっても、値切りに値切って原価近いところまで落として買ったので、原価が分かったことにより、その後の交渉に大きく貢献したので良かった。

Tシャツを見せられて、奥の部屋に案内されたらその小さな入り口に立って店から出さない戦法。

最初はUS15ドルと言って来たのだが、そんな高いのはありえないので5ボンドといいつつけた。
US15ドルは約80ボンド相当ですが、粘りに粘って、ついに15ボンドまできた。

そこから更に下げようとすると、他の人が割り込んできて、15ボンドは高くないぞ! と助言してくれた。

お店の人もついにやけになって、15ボンドは自分が買った値段だ! と言い出した。
その結果、あまりことを大きくするのは何なので、15ボンドでそれを買うことにしました。

もともとの15ドルから5分の1に下がったわけだ。

店から出た後、助言をしてくれたほかのお店の人が近づいてきて、15ボンドは安い、他のお店は60とか言ってくるぞ、といってくれた。 私は、最初は高い値段を提示されたことを伝え、そうか、ということで握手してサンキューを言って立ち去った。

そして、中を散策していたら、現地のおじさんが「あれがUnfinished Obelisk」と教えてくれた。

親切だなあ、と思っていたら、きちんと「チップ、チップ」と要求してきた(苦笑)
ちょこっとあげたら、「少ない」とか言ってきた。 これ以上あげませんよ・・・。

そして、そこを出た。

タクシーに乗り、駅前にようやく戻ってきた。

ここで70ボンドを渡した。

喜びもせず、普通の表情だ。これが定価なのだろう。
バクシーシを期待していたのかもしれない。

少し疲れたが、この後、町を散策することにしました。

アスワンの街中散策

街中の子供たち。

駅から南へと続いている道を歩くと、そこは、おみやげ物屋で一杯だった。

これほど沢山のボッタクリ商店が並んでいるのを見るのは圧巻だ。

なんとも素晴らしい。

ずっと歩いていたら、やがて、モスクに辿り着いた。

ここで他の人の礼拝を眺めた。

なるほど・・・。と思っていたら、不思議と眠くなってきた。床もひんやりとしていて気持ちがいい。

私は床に座ってうとうと眠り始めた。

気が付くと、礼拝は終わっていた。

この中には、くぼんだ円柱の形のものがあり、そこがサウジアラビアのメッカを意味しているようだ。

その前で礼拝をしている人たち。

私は後ろのほうでずっと見ているうちに眠り込んでしまったということだ。

そして、暫くそこでゆったりした後、再度街中へ。

裏道を通る。

随分と古ぼけた町だ・・・。

先ほどの商店街を巡った跡に一度ホテルに戻ることにする。

ホテルに戻ってみると、鍵と一緒に何やら伝言が。

おかしいな・・・。何だろうと思い、フロントの人に聞いてみると、どうやらアブシンベル大神殿へと向けたツアーの案内らしい。

エジプト人、どこでこんな情報を仕入れるのだ。(苦笑)

全く、エジプト人の商売根性にはびっくりだ。

恐らく、私がチェックインした時にフロントの人と話した際に、アブシンベルに行きたいけど飛行機のチケットが取れなかったことを伝えたのが、それが回り巡ってこのような形になったのだろう。

それ以外は情報を外に出していないのでそれしかありえない。

全く、エジプト人は凄いなあ・・・。 今回の寝台列車にせよ、これにせよ。

フロントの人が電話をして確かめてくれると、何やらフロントの横に誰かがやってきた。

ものの数分。 「これは私だ」という。 おいおい。早過ぎるぞ。(苦笑)

あんたは、待ち構えていたのか。(苦笑)


いやあ、面白くて仕方がない。

エジプト人、何でこんなに楽しいんだ。

話を聞くと、夜中の3時半に出発をして、7時にはアブシンベルについて、2時間見て、10時には向こうを出発し、1時ごろにアスワンに戻るらしい。

アスワンからアブシンベルまで400kmほどあるはずなのに、3時間で行ってしまうとは、一体何キロで走ってゆくのか・・・。

ちょっとおっかない気がしたが、この機会を逃してしまうとアブシンベルにいける機会がなくなってしまう。

しかも、値段はそこそこリーズナブルかもしれない68ドル。

もうちょっと安くてもいいかもしれないが、せっかくの機会だから、というこちらの心理をよく捕らえた値段だ。

これ以上高くても微妙だし、安ければ殺到し・・・。
見たいな、微妙な価格帯を提示してくるところが心憎い。

結局、これを頼むことにしました。


目の前の銀行ATMでお金を下ろし、すぐに支払う。
そして、明日の朝2時45分にモーニングコールをお願いした。

さて・・・。以外にもアブシンベルにいけることになってしまった。
もう行けないと諦めていたのに。

でも、明日の予定が全く決まっていなかったので、これはいい機会だ。

ガイドブックには、アブシンベルまでツアーで行くと450ボンド(2000年)と書いてあり、このガイドブックの値段の約2倍が実際であるところを考えると、68ドル(390ボンド相当)というのは、割とリーズナブルと言えなくもない。飛行機で行くと片道でこれ以上かかるのだから。

そして、明日の予定も決まったところで、街中を再度散策することに。

先ほどのお土産通りを歩いていると、Tシャツ売りが近づいてきた。

こいつは面白いやと思って話を聞いてみると、コットン100%のTシャツが150ボンドという。日本円にして3000円以上。高すぎ。何考えているのかサッパリ分からない。

話にならないといって、ノーサンキュウ、これは話になっていないと言って立ち去ろうとするが、いつまでも付いてくる。

うるさいので、5ボンドなら買うといったら、からかっているのか? と言って来た。
さすがに先ほども5ボンドでは買っていないので、10まで引き上げたが、なかなか向こうは引き下がらない。

無視して歩いてゆくが、再度追いかけてくる。 既にお店から30mは離れている。(苦笑)

もういいやと思って、15ボンドなら買う、と言った。

すると、向こうは50ボンドだ! といってくる。 ちょっと下がった。

でも、15ボンドだ! と延々と繰り返す私。 もう相場は分かっているのだから怖いことはない。 さほど買いたくもないし、向こうがあきらめればいいことだ。

私が歩き、向こうが追いかけ、値段の応酬がかなり続いた。

ついに20ボンドまで下がった。(笑)

最初の150ボンドの7分の1。 あとちょっとだ。
ついに15ボンドに下がり、OK! を出した。

露天商の男は、目が血走っていた。

サンキュウー、マイフレンドといって私は立ち去った。

勝利だ。(苦笑)


その後、パンに肉を挟んだものを買おうと思ったら、アラビア数字で書いてあるものと算用数字で書いてあるものと、それぞれ2倍になっている物を発見した。(苦笑)

私はあらかじめ、アラビア数字だけは暗記しておいたので、こいつはおかしい、何だこれは、といったら、なにやら、ボイルしてあるかどうかの違いだ、などと言い訳じみたことを言い出した。

そんなことあるわけがないじゃないか。(苦笑)
それぞれ同じ名前のところが2倍になっているなんてありえないでしょ(苦笑)


全く、エジプト人は面白すぎる・・・。

長いパンに何かの肉をつめたものを2ボンドで買い、やがて、帰途に着く。

明日は早い。早めに休んで、明日の日程に備えようと思う。

アブ・シンベル神殿

2007-01-02

アブ・シンベル神殿

朝3時に起こしてもらい、アブシンベル行きの用意をする。
荷物をまとめ、ロビーへ。
先日の担当者が姿を現し、更に30分ほど待たされた後、出発をする。


車は、小さなミニバンだった。17人くらい乗れるだろうか。
その中に、押し込まれた。 はっきり言って、狭い。

どうやら、後ほど判明したのだが、このUS68ドルのツアーは安い部類らしく、60ユーロ出すと中くらいのバス、80だか90ユーロ出すと大型バスになるらしい。

更に、中型バスと大型バスの場合はガイド付らしい。なるほど。私は安いツアーに参加してしまったのだと思う。おかげで足元が狭くて、ぎゅうぎゅう詰めといった感じだ。

とりあえず行ける事になっただけでも良いのではあるが。


ホテルを出発し、少し走ったところで一度集合、その後、45台ほどのコンボイになってミニバン、中型バス、大型バスと一緒になって一気にアブシンベルを目指す。

この、多数の車が一気に走ってゆくのを横目で見れるのは、なかなかない経験で楽しいものだ。

一気に突進してゆく車の群れ。

300kmほどアスワンから離れているが、そこまでは高速道路のような良い道がずっと続いているため、ほぼノンストップで一気に駆け抜ける。

そのおかげで、わずか2時間半で付いてしまう。

だから、飛ばす飛ばす。


最初は私の乗った車はあまり飛ばしていなかったのだが、日が出て明るくなると同時に一気に飛ばし始めた。作戦なのか何なのか、かなり早いほうに付いた。

その頃には、足元が窮屈でかなりきつく、降りたときには筋肉痛も相まって、少しフラフラになる私。

でも、遠くにアブシンベルの後姿らしきものが見えると、いよいよ来たのだと感じる。

このアブシンベルは、アスワン・ハイ・ダムが出来るときに湖の底に沈むはずだったものをここに移設したのだとか。

だから、後ろは張りぼてのようになっており、表に石像と洞窟がセットでそれぞれ2つが再現されている。

最初、後ろから近づいたとき、こりゃやばいところに来てしまったな・・・ と少しテンションが下がり、入場料の80ボンドに ボッタクリ を感じたが、表に出て大きな石像を見た瞬間、その思いもどこかへ吹っ飛んでしまった。

こりゃ凄い。

来たかいはある。

費用対効果は不明だが、遺跡は感動すること間違いなし。

ロマンを掻き立てるこの遺跡!

ツアー料金は少し高いが、まあ、良いかなとも思ってしまう。


敷地のスケール的には少し狭いが、それでも、この迫力には圧倒される。

洞窟の中の壁画。


太陽神ラー かな?

壁画がきちんと残っている。

アブシンベルは2時間の見物時間があるが、これまた微妙に設定されていて、ちょうど十分な時間だ。

私が入ったときはまだ混んでいなかったが、暫くすると続々と人が訪れ、遺跡の中は人だらけになってしまった・・・・。

上の壁画も、もう少し遅い時間だと人ごみで写真どころではなかった。
早い時間に着いたからこそ撮れた写真だ。

暫くすると、空から次々と飛行機が舞い降り、飛行機に荷物を置いたまま2時間の見物をするのが定番のようだ。その人たちも次々と訪れる。

私がアスワンから来るまでのツアーにしたのは、ある意味正解だったかもしれない。 この混雑に巻き込まれる前のアブシンベルを見れたのだから。

周囲に広がっているナセル湖。

そして、見終わった後は、定番のお土産や攻撃が待っている。特に買う物もないので攻撃をかわし、車へと戻る。

そして、再度コンボイになってアスワンへと帰ってゆく。

これまた飛ばす飛ばす。


行きもそうであったが、相互に1車線づつしかないのに対向車がほとんどいない。それをいいことに、2車線丸々使って飛ばしまくる。

カーブは中央を走るのが当たり前。

でも、それがエジプト風であると感じる。


帰る前の時間があるときに、車の運転手に他のバスのツアーの値段を聞いたのだが、何故か、運転手も助手席の人もテンションが低かった。

恐らく、こき使われているのだろう。

2時間しか寝ていないといっていた。
毎日アスワンからアブシンベルまで走っているとのこと。
朝と夕方と、2回に分けて人を運ぶのだという。

聞き間違いでなければ、朝来て、夜も来て、2時間寝て、といったことを延々と繰り返していることになる。 こき使われているな・・・。と思う。

アスワンの川向こうの高台

アブシンベルからアスワンに戻り、ホテルへ到着する。

置いてあった荷物を取り、チェックアウト。
チェックアウト時間を遅らせてもらったはずなのに、伝言がうまくいっていなかったらしく、荷物が危ないところだった。 ミドルクラスのホテルだと思っていましたが、このクラスのホテルは気をつけなくては。

そして、夕方の電車まで時間があるので、川の向こうの墓めぐりをすることに。


ボートで川を渡るのだが、近づくと、またもやボート勧誘の親父が近づいてきた。

聞くと、50ボンドだという。高すぎ。 無視して本を見て、フェリー乗り場を見つけたのでそこに近づくと、いよいよ10ボンドまで下がった。(苦笑) 1時間の滞在で、だ。

ですが、フェリーの方が安いに決まっているのでフェリーに行ってみると、往復料金で5ボンドらしい。 時間は特になく、何度も往復しているのでどれかに乗ればいいようだ。 これで行くことにする。

だが、周囲を見渡してみると、乗っているのは現地人だけで、観光客がほとんどいない。 私だけ?(苦笑)

きっと、大抵はチャーターしたボートで行くのだろう。

でも、これでも全く問題がない。

向こう岸に渡り、まず、帰りの料金を払う必要があるか、ちょっと観察してみた。 払うときに往復料金といっていても、帰りで再度払わされることがあるからだ。 すると、どうやら、払っている人と払わずに通り抜けている人がいる。 これは、帰りは問題ないのだな、と判断。 帰りにはそのまま通り抜けることにする。

そして、川近くの広場にはラクダ商人が沢山いた。 私は乗る気がないので、歩いて近くの遺跡に足を向ける。

ここの入場料は本来は25ボンドであったのだが、あまり客が来ないらしく、なにやら分からない言葉を言われて、お釣りが多い? と思ったらスチューデント価格になっていて、どうやらそれは、その差額の5ボンドをバクシーシしてくれ、ということだったらしい。(苦笑)

ちょっとせこいが、そこまでしないと生活も苦しいのだろう。

中は、ただのぼやけた瓦礫の遺跡で、あまり面白みはない。

むしろ、その丘に登って見える、アスワンの眺めの方が素晴らしい。

後ろを見ると、アスワンの全貌が見渡せる。

これはいい眺めだ。

この場所には外国人がほとんどいなく、ほとんどが現地の人のようだ。どうやら、川のこちら側(駅とは反対側)に住んでいる人たちの遊び場になっているようだ。 名ので、子供たちの姿も多数見かける。

眺めを楽しんだ後、丘を下り、ボートで元のところへ戻る。

先ほど観察しておいたので、悩まずに素通りする。
指を刺して、ニュアンスで「アレに乗る」とだけ示した。
料金のおじさんから呼び止められることもない。

きっと、どうすればいいのか? 見たいな態度をとっていたならば、きっちりと再度料金を請求されただろう。

当たり前の如く通り抜けたのが良かったのだと思う。(多分)

そして、駅の側へと戻ってきた。

まだ時間があったので、一度駅に言ってみたり、近くでインターネットカフェに行ってみたりして時間をつぶす。


そして、電車に乗り込んでルクソールに向かった。

電車は席の番号が微妙に良く分からず、何故か「5号車」が2つあって、片方は算用数字の5、もう片方はアラビア文字の5が書いてあった。

アラビア数字のほうに乗ったのだが、どうも様子がおかしかった。

周りは現地人だらけ。 荷物も酷い置き方で、足元にはごみが散乱しているが掃除の人が来た痕跡もない。

何だこれは・・・ と思って暫く乗っていたが、2駅ほどいったところで、同じ席だという人が現れ、どうやら私は違う車両に乗っていたことが判明。隣の車両に移ることになった。

そして、移ってみると、そこは外国人だらけ・・・。


先ほどのはなんだったんだ・・・。 エジプトの現地人の生活は、こんなにも適当で酷いのか・・・ と思えた瞬間だった。

更には、こっちの車両だと案内してくれた人が、最後に「ソーリー」といっていたのが、全くわけが分からなかった。 間違っていたのは私なのに。 私は何か言われたのか? よく分からない。 外国人だと特別扱いされるのか? 私は何かされたのか? 解読不可能な一言だった。

そして、その電車に乗り、アスワンから3時間。ルクソールに着いた。


だが、ルクソールのホームにはどこにもルクソールと書いていない。
到着時間を知っていたことと、他の多くの人が下りたことと、隣の人がエジプトの大学に行っている人で、ルクソールだと教えてくれたから迷わず降りることが出来たが、なかなか微妙なシステムだ。
これでいて観光立国が成り立っているのだから不思議だ。


そうして、いよいよルクソールへ。

ルクソールの町は、少なくとも駅前はアスワンよりも整備されていなかった。 こんなものかな、と思い、とりあえずどこか宿を探そうと思った。

駅前の客引きを無視し、街中へ。

すると、少し歩いたところで宿は決めたかと話しかけてくる人がいる。
私の視線が宿を向いていたのをかぎつけたのだろう。

聞くと、10ドルの宿があるという。 ちと高い。
では他の宿はというと、38ボンドの宿があるという。
個室のホットシャワー、朝食がついているという。

まあ、それでも良いかと思い、見せてもらうことに。

見ると、割とまあまあ。

先日の65ボンドの宿とそん色ない。
フロントは先日の宿の方が良かったが、設備的にはさほど差がない。

ここに決め、料金を支払う。

案の定、ツアーの案内も続けてされた。

どうやら、英語のガイド付きで朝8時から2時半まで、入場料も混みで375ボンドらしい。私が渋っていると345ボンドまで下がった。更には、それには自転車のレンタル費用もつけるという。

王家の谷の入場料が80ボンド、そのほか2箇所がそれぞれ30ボンド、無料のところが1箇所と行く予定で、ガイドとシャトルで約200ボンド払うことになる。 さて、この料金をどう判断するかだが、レンタル自転車が1日で20ボンド前後とすると、180ボンドがツアー料金になる。 この値段は、カイロでピラミッドやスフィンクス、ダシュラまで行くのとほぼ同額。そのツアーもまた、8時から2時前後までであった。 となると、このあたりが大体の相場であろうと判断し、このツアーをオーダーする。

料金を支払うと、商売根性たくましく、気球に乗って王家の谷を空から見ないかといってきた。(苦笑)

ガイドブックにはUS150ドルからUS200ドルと書いてあるツアーが、特別にUS100ドルだという。 そりゃ、下げすぎだろ・・・ と思っていると、やがて、US90ドルまで下がった。 おいおい。 それは後日考えるもの都市、銀行のATMを案内してもらうことに。

それはちょっと遠かったが、無事お金を下ろし、帰りはローカルタクシー(一回50ピアス取る。案内してくれた宿のスタッフが変わりに払った)に乗ってショートカットした。このシステムは分かり辛く、現地人でないと使えないなあ、と思った。

そして、宿に戻る。


再度フロントの席に座らせて勧誘を続けようと思ったようだったが、私はもう寝ると伝え、部屋へ。

さて。明日はツアー参加とカナック神殿巡りだ。 さて。どうなることやら。

ルクソール西岸・王妃の谷、王家の谷、ハトシェプスト女王葬祭殿

2007-01-03

ルクソール西岸・王妃の谷(The Valley of the Queens)

今日は、朝7時に起きてルクソール西側の散策をする。
ツアーに参加するので、それに合わせて起きる。

ツアーは、英語のガイドが着いて、ミニバスで行く。
少し移動したところで合流し、出発だ。

でも、走り初めてすぐ、聞いていたことと違うことが分かる。

5から6人ということで追加料金を支払っていたのに、どんどんと数が増えて13人+ガイドになった。

最初30ボンド、半々に折半して15ボンドを追加料金で支払ったのに、まさかこうなるとは。 奪い返さなくては。 お金の額はたいしたことがないが、きっちりしていないのが気に食わない。

狭いバスに押し込まれ、足元が狭かったが、そんなに遠いところに行くわけではないので、我慢してゆく。

ガイドはおしゃべりであり、ジョークが微妙なことを除いてはまあまあだった。 なまりに慣れなくて、最初は言っていることがいまいち分かりづらかったが、次第に慣れてきた。

ルクソール市内から南へ7kmほど走ったところにある橋を渡り、向こう岸へ。 そのときに説明されたのが、砂糖の畑がテロリストの隠れ場所になるから道路に近いところには栽培できないこととか、キャベツがとても大きいとか、ざっくばらんに説明してくれた。

大抵のツアーは王家の谷から先に行くのでとても混雑するが、混雑を避けるために我々は王妃の谷(The Valley of the Queens)から行く。

ここは小さな墓だが、ツアー客がやがて押しかけてくるのを避けるため、空いているところを観光する、とのことだ。 勘でしかないが、騙されている気がする・・・。本当にそうであれば、同じように考えるグループが他にも多数いるはずだ。

周囲は本当にガラガラである。 でも、そんなことはあまり考えないようにする。

ここは小さいが、どうやらここがネクロポリスの中でもかなり綺麗な壁画が残っているところであるようだ。

英語の説明が所々分からないところもあるが、大体の概要だけつかむ。 まだまだ英語ができないと感じる。なまりのせいかどうかもわからないのはまだ未熟だからか何なのか。 次第に慣れてはきたが。

そして、王妃の谷(The Valley of the Queens)を離れ、いよいよ王家の谷へ。

ルクソール西岸・王家の谷(The Valley of the Kings)

ここは、物凄く込んでいた。

どうやら、数多くある墓の中から3つを選んで入ることが出来るようだ。

どうやら、奥深さよりは装飾の綺麗さで入る墓を選んでいるようだった。 奥深くまで続いている墓は綺麗ではないから入らないのだとか。 私はそっちの方が良かったが、ガイドがそう言うのだから仕方がない。

確かに綺麗ではあるが、どこか平べったいものを感じる。 アブシンベルと比べるとどこか見劣りしてしまう。

デール・エル・バハリ(Deir el-Bahri)の
ハトシェプスト女王葬祭殿

王家の墓を見た後、デール・エル・バハリ(Deir el-Bahri)のハトシェプスト女王葬祭殿へ。

ここは広い神殿で、一通り散策をする。

デール・エル・バハリとはアラビア語で「北の修道院」の意味だそうだ。

神殿側から見下ろしたところ。

たしか20分かそこらしか与えられなかったが、ガイドが言うとおり「十分」のようだ。

これで、いわゆるルクソールの定番と呼ばれている箇所を全て回ったわけだ。

そして、ミニバスでホテルへと戻る。

ミニバスを降りる際、皆がチップをはずんでいた。

大体US1ドル程度。 私はあまりバクシーシしないほうですが、まあ、あげるかと思ってUS1ドル上げた。 このガイド、そんなにお金に困っているようには見えないけどな。 まあ、いいか。

ルクソールの街中を散策

エクスカーション(少ツアー)も終わったので、街中を少し散策することにする。

マーケットを散策。

最初は綺麗だったが、次第にこのような地元風な通りになった。 狭くて微妙な通りだ。。。

すると、マックがあったのではいることに。

今までエジプト料理だらけで食が進まなかったので、マックのようなジャンクフードであってもついつい食べてしまう。 こっちのマックは少し違う味がするのも確かだ。 基本は同じだが、化学調味料が少ない気がする。

そして、一度ホテルに戻る。

先日のスタッフが私を見るや近づいてきて、どうだったか? と聞いてくる直前に私は部屋に戻ろうとした。

そこで、「ツアーが5から6人と聞いていたが、13人だった。何か言うことがあるのではないのか?」とだけ言ってへやに戻ろうとした。 向こうは私が何を言っているのかすぐには読み取れなかったらしく、「良かったか?」とだけ聞いてきたので「ああ」と答えた。

部屋に戻り、シャワーを浴び、再度外に出る。

外に出る瞬間に呼び止められて、「人数が増えたのは出発直前に伝えられたので知らなかった」と言って来た。 お金を返す気配はない。 私は、「そうか。わかった。」とだけ答え、「問題ない」といった。

その時点で、一度外に出た。

すると、外に出て表通りを少し歩くとすぐに、他のエジプト人が話しかけてきた。しかも、片言の日本語だ。「日本食。親子丼、卵ドン、あるよ」と言ってきたので、半分ホームシックにかかっていた私は、「よっしゃ」と、軽々しくも付いていった。

どうやらホテルの最上階らしく、ちょっと不安であったが、まあ、どうにでもなるかと思ってついていった。

すると、親子丼が4ボンドと、良心的な値段。 何だこれは。

ただ、出てきた親子丼は、日本人が想像するようなどんぶりではなく、米っぽいのと卵がぐちゃぐちゃに混ぜられたようなもの。しかも、どんぶりではなくただの皿に入っている。 お肉も入っていない。 味も微妙・・・。  さすがにこんなエジプトで日本風の親子丼は出てこないか。


ここで勧誘してきた男と話したが、彼は自分のことを「熱心なイスラム教徒だ」といい、どこのホテルに泊まっているか? と聞いてきて、「ニュー・エベレストだ」といったら、「この地球の歩き方に、盗難要注意として載っている。危ない危ない。」(日本語で)と言って来た。 確かに、盗難があるので注意! と書いてある。(苦笑)

私はなんて酷いところに止まってしまったのだ。 我ながら情けない。こういうことがあるから旅は面白いという面もあるのだが。

とは言っても、この男も怪しい。(苦笑)

話を聞くに、ルクソール西岸のツアーは料金込みで170ボンドだという。 私が345ボンド払ったというと、物凄く高いー と言って来た。

エジプト人のことだから、これがどの程度信用できるかわからない。 ずっと信用させておいて最後の最後で騙すことだって十分にありえるし、常套手段であるからだ。 町全体が嘘をついているということもある。 アガサクリスティの有名推理小説は確か、車両に載っている全ての人が共犯だったようにも思える。

だから、話半分に聞くが、とりあえず判断できる情報の中から選ぶと、このホテルはベッドとホットシャワーだけに機能を絞った設計で、約8ボンドだという。安すぎ。

この男が言うに、デンダラ(Dendara)とアビドス(Abydos)が見るべきところだという。特にアビドスが良いらしい。朝7時にコンボイになって出発し、4時に戻ってくるプラン。それで300ボンドだという。まあ、そんなものかと思う。

まだカナック神殿を見ていないので、帰りにカナックで下ろしてもらうことにし、それをオーダーする。

とは言っても、それが正規料金なのかどうか、全く持ってわからない。
けれども、明日することもほとんどないし、もういいや、という感じだ。

この男が本当にいい男なのかどうかなんて、全くわからない。
親子丼が安くて良心的だということと、私の泊まっているホテルがブラックリストに載っていたということと、どうやらこのホテルと私の泊まっているホテルは敵対関係にあるということと、私のホテルだと350ボンドのタクシーチャーターが300ボンドにまで下がったという事実だけが信頼できる情報か。

この男が信用できるかどうかはわからない。しかし、エジプト人は約束は守るようであるし、350から300に値段が下がったという事実だけでも、オーダーする理由に十分なる。

まあ、エジプト人は良くわからない。理解不能。
それはそれとして、値段だけを見て決めたようなものだった。

それと、このホテルの名前は言わないようにと念を押された。 とは言っても、場所が近くで日本食レストランがあるホテルなんてすぐにわかるのだが。

そして、直接ここには来ず、駅を経由してくるように指示を受ける。
どうやら、後をつけて来るからだという。

もしかしたらこの人はいい人なのかもしれない。だが、30分ほど会っただけでは、そんなことはわからない。

今日は日も暮れたし、ルクソール美術館にだけ行くことにする。

少し歩き、ルクソール美術館へ。

これまた高い! 何だこの値段は。70ボンド。約2100円だ。
日本の美術館と同じか二倍以上するこの値段は一体、何のつもりか。
ここ一箇所で済めばよいが、1日に何箇所もこれではたまったものではない。

いくらエジプトの観光がしたいといっても、この値段では客が減るだろう。9・11から旅行者が減っていると言うが、この値段で更に客が減っていることだろう。自分で自分の首を絞めている。 おまけに旅行会社は正規料金が存在しない、勝手気ままな値段の付け方をしているし。 全く、訳がわからない。

面白い面もあるし、人畜無害であるのでたまにはいいのですが、一つ見るだけで数千円がすぐに飛んでしまうこの状況、どうにかならないものだろうか。 私は少なくとも、こんなに高いことがわかっていたならば来るのを躊躇していた。

ホテルは安いが、観光はどれも日本と同じか2倍近い値段のこの国は、まさに、文字通り観光で食べている国なのだなあ、と思う。

だからどこに言ってもツーリストポリスが銃を持って守っているし、その費用のために値段も高くなっている。

旅行者に寄生して生きているエジプト人、という面が強く見える。 これじゃご先祖様も悲しむだろう。 ああ、今はアラブ人だからエジプト人とは少し違うか・・・。ご先祖様が繋がっていないからこそ、墓を見世物にするという暴挙が出来るのかもしれないが。

日本であれば、仁徳天皇陵を掘り返して観光客を呼んでいるようなものだ。 エジプトの文化が泣いている。 そこに来ている私も同属になってしまうか・・・。


ルクソール美術館に行き、先ほどの話で、ツアーの料金の平均を知っているか聞いてみた。 すると、英語が通じにくかった。よくわからないといって来た。 更に、大体のツアー料金としてシャトルバス13人乗り一台で1000から1600ボンドあれば車が走ること、そして、ツアーの英語ガイドは1日で大体500ボンドであることを聞き出した。

これが聞きたかったのだ。 これがわかれば、大体の費用が逆算できる。

13人だとシャトル1台で一人当たり100ボンドがベースとなり、英語ガイドが500ボンド。合わせて1500ボンド。それにマージンが上乗せされて、1700から2000といったところか。 チケット代を抜くと205ボンドであるから、マージンが2重(旅行会社と、ホテルのフロント)入っていることを考えると、大体この値段であることがわかる。なるほど。

更には、川岸の旅行代理店の並んでいるところでツアー料金の表を入手したところ、45USドルと書いてあった。約5000円前後。これはディスカウント前の値段であろうか。ちょっと高すぎる。外国人はこんなに値段が違っても払ってしまうのか・・・。 値段表が信用できない。エジプトは困ることだらけだ。

これだけでは終わらず、歩いている旅行者に少し聞いてみたが、どうやら、去年は王家の谷の入場料は55ボンドであったという。今は70ボンド。その他のところももっと安かったという。美術館の警備員が言っていた、どんどんと改定されている、という情報は本当だった。

そして、今の値段は知らないが、ルクソール神殿の南にある本屋でロンリープラネットを見てみるといいとアドバイスを受けたので、それを見てみることに。
こんなことになるならば、最初からロンリープラネットを持ってくればよかったと少し思い始めていた。

早速行ってみたが、シートが被せてあって見ることが出来ない。残念。

見易さはRough Guideが勝っているが、情報面ではロンリープラネットがやはり一番信頼できるのかな? とおぼろげなく感じた。さすがに数ヶ月前の情報はアップデート出来ていないだろうが、Rough Guideのように2000年当時の情報のままということもないだろう。

まあいいかと思い、最後の手段、ネットを検索してみることに。

いろいろ出てきたが、新しくても2006年中十運の旅行記しか出てこず、2006年11月に改定された新料金を踏まえたツアー料金の情報が出てこなかった。

うーん、困った・・・。 と思い、もういいやと思って情報収集はあきらめ、ホテルに戻る。

確固とした情報が見つからなかったので、交渉もし辛い。

まず、追加料金の15ボンドは返してもらった。これは、あっさり問題なかった。
自転車の料金25ボンドのうち、15ボンドは返してもらうことにしました。全額ではないのは、既に彼は自転車を借りてしまっていたからだ。

これで30ボンド返してもらった。

ここまでか、と思った。 これ以上は返してもらう根拠がない。

まあ、いい線だと思う。
既にOKしてもらったものがある程度帰って来たのだから。

これで、ツアー345ボンドだったのが315ボンドまで下がった。入場料が130ボンド込みなので、実質、ツアー料金は185ボンドだ。

このくらいなら、まあ、こんなものだろう。
自転車の県もあるので、実質175ボンドだ。
終わってみれば、相場+αくらいに収まった気もする。

これで納め、部屋に戻る。

たった30ボンドのために大人気ない気がしなくもないが、エジプト人に外人はすぐに金を出すと思われないためにも、筋が通っていないことには値段の高低に関係なく交渉をしなくては。

そして、部屋に戻って片づけをしていると、先ほどのムハマドがやってきた。

どうやら、屋上でビールを振舞うらしい。
無料だとか。

おいおい・・・ と思い、とりあえず後で考えるとだけ伝える。
何か企んでいるのはみえみえだが・・・。だって、ビールが無料ですよ?

何がしかツアーに参加させようという考えだろうが、とりあえず私の明日の予定は決まっているのであまり関与せずに過ごすことにする。

明日はとても早い。

さて。明日はデンダラ(Dendara)とアビドス(Abydos)に行くことにする。

どうなることやら。 エジプトのことであるし。

アビドス(Abydos)、セティ1世葬祭殿、デンダラ(Dendara)、ハトホル神殿、カナック神殿の光とサウンドのショー

2007-01-04

アビドス(Abydos)へのタクシー

朝起きて、ふと気が付くと待ち合わせ時刻の15分前だった。危ない。目覚ましを1時間前にかけておいたはずなのに、気付かず寝過ごしてしまったようだ。 シャワーを浴びる時間はないので、軽く頭をぬらし、顔も洗う。

早速チェックアウトして、出発だ。
宿の主人らしき人が妙に無愛想だが・・・。

予約した宿にまで移動し、そこで朝食を食べ、タクシーに乗る。

銀行に寄ってもらおうと思ったが、ATMがどこも動いていない。3箇所くらい行ったがすべて駄目だ。

仕方がないのでそのまま行ってもらう。
今日の入場料はさほど高くない筈なのだ。

まず町外れまで移動して、そこから数十台のコンボイになって神殿に向かった。

やはり、タクシーに1人だと快適だ。


順番としてはルクソールから遠い方のアビドス(Abydos)から向かう。
帰りがけにデンダラ(Dendara)に寄るようだ。

コンボイは,快走する。

やはりコンボイは面白い。

左側の景色が開けており、川と向こう岸を眺めながら進む。

大きなナイル川。


アブシンベルのときのように逆向きの車がいないわけではないので、多少スピードを落としつつ、アビドスに向かう。

この前にいるほかのタクシーと抜かしたり抜かされたりしつつ進んでいった。

あのタクシーには、白人が2人で乗っているようだった。

アビドス(Abydos)のセティ1世葬祭殿

そして着いたのは3時間後の11時。遠い。

何時に出発するのだろう・・・ と思ったが、タクシーの運転手もよくわからないらしく、他の人に合わせてくれと言われた。 適当だなあ・・・。(汗)

他の運転手に聞いてもらったところ、食事もここで取るとのことだ。 時間的にたしかに理にかなっている。

さて。遺跡ですが、ここではセティ1世葬祭殿が見所だ。

柱の大きさは迫力がある。

微妙に古ぼけてはいるが、なかなかのもの。

なかなか、外で見るより大きい。

巨大な柱

壁画

太陽神・・・ か?

長く続く回廊

アブシンベルほど綺麗ではないにせよ、色はまだ残っている。

この回廊に、おせっかいなエジプト人がたくさん・・・。

「あそこにヘリコプターがある」とか言って、バクシーシをねだっている。(苦笑)

回廊をぐるりぐるりと回り、そして、外に出た。

周囲の景色。

そこで食事も済ませるが、コーラが10ボンドと言うボッタクリ価格。
高すぎ。日本での価格が5ボンド相当なのに、10ボンドも取るとは、エジプト人は人を何だと思っているのだ。 金ズルとしか考えていないのか。

とは言っても、一人でタクシーをチャーターしている私は1日で往復700kmを走っているので、日本で同じことをしたら15から20万は飛ぶのではないだろうか。(きちんと計算したわけではない)

更には、路上のゴミ掃除の人の月給が300ボンドであると考えると、1日でその月給分を使ってしまう私は、とんでもない金持ちに見えても仕方がない。

となると、相場に見合わない高値を提示して来るのも、致し方ないかもしれない。

そもそも、こちらを人間とは思っておらず、宇宙人と思われている節がある。 私のタクシードライバーは、私の前では怒っている顔は見せないが、現地人同士では態度が急に変って短気な顔を見せる。

一緒に移動しているコンボイの中で、タクシーなのは私ともう1組(2人)だけ。

アブシンベルもタクシーをチャーターしていけば良かったなあ、と今更ながらに思った。値段はともあれ、かなり快適なのだから。

68USドルも出して狭いバンに押し込まれて窮屈な思いを3時間もしたのに比べれば、この300ボンドはお買い得であったといえる。次に来るときがあれば必ずそうする。

エジプトでは、ツアーではなくタクシーチャーターで決まりだ。

とはいっても、そのような考えが出来るのも日本人だからか。

ここで、同じ宿に泊まっているロシア人とあって、彼は電車とタクシーで来たらしい。いわく、ここアビドス(Abydos)よりデンダラ(Dendara)の方がかなり良いとのこと。

特に、人が親切なのだとか。

なるほど。 と、少し期待してデンダラ(Dendara)へと向かう。

デンダラ(Dendara)のハトホル神殿

デンダラ(Dendara)は、確かに巨大で良い外観だ。

しかし、地球の歩き方に書いてあった、他の人の感想文にあるように「エジプトで一番良い」とはとても思わなかった。ルクソールであればこの日の最後に見るカナックの方が断然すばらしいし、アブシンベルの方が断然良い。ましてや、ピラミッドには到底かなわない。

であるのに、ここデンダラ(Dendara)が一番良いと考える理由があるとすれば、そこで案内している人々のホスピタリティであろう。 細かく案内してくれ、これがアレだ、それがアレだと教えてくれた。

そういった意味では、ピラミッドやルクソール、アスワン、アブシンベルなど、荒んだ観光地で疲れた人にとってはここデンダラ(Dendara)は癒しの場所になるに違いない。

しかし、遺跡そのものを取ってみると、到底、他の遺跡に遠く及ばない。 わざわざタクシーをチャーターしてくるまでの価値はない、というのが私の感想だ。 アビドス(Abydos)にせよデンダラ(Dendara)にせよ、見る必要はないというのが私の今の思いだ。

壁画。

そろそろ日が暮れてきた。

そして、ルクソールへと戻る。
タクシーからみた夕日

カナック神殿の光とサウンドのショー

ツアー後、カナック神殿前で降ろしてもらった。


タクシーの運転手には、このエジプト旅行で初めて自発的に(せがまれずに)バクシーシをあげた。

このカナック神殿ですが、まだカナック神殿を見ていないので、戻ってから見る予定であった。

予定では4時に帰るとのことだったのに、5時半になってしまい、カナック神殿の昼間の開館時間が終わってしまった。

仕方がないのでこのまま30分ほど待った後、光とサウンドのショーとやらを見ることにしました。これで中には入れるはずだ。


次第に暗くなる。 日が暮れてゆく・・・。

それにしても、このカナックは、もしかしたら見なかったかもしれない場所であったがために、見に来て正解だったと思う。 危なかった。 来なかったら、後悔していた。

カナック神殿を見ずしてルクソールに来たと言うなかれ、という感じでもある。

暗くて見づらいが、それでも、神殿の迫力は十分に伝わってくる。

そして、光とサウンドのショーを見物する。

物語風になっており、歴史が同時に語られるスタイルですが、どうやら私には歴史的説明を理解できるほど英語力がない、ということに気が付いた。前提知識に疎いということももちろんあるが、説明そのものがほとんどわからない。

会話はある程度できるようになったとはいえ、説明を理解できるだけの英語力がないのは、まだまだと感じる。

そして、ショーが終わり、駅へと向かうことに。

タクシーは、わずか2kmほどであるのに10ボンドもボろうとする。2kmならば5ボンドがいいところだ。でも、客は沢山いるので値下げをする必要もないようだ。

私は、歩いて街中に戻ることにしました。

すると後ろから、私同じく光とサウンドのショーを見たスウェーデン人が追いつき、「丈夫な足がある。歩こう」と言って来た。

一緒に歩く人があればということで、話しながら歩くことに。

いわく、ヒュンダイ自動車で英語教師をしながら、今回は6ヶ月の世界旅行をしているとか。スウェーデンは30%の税金を取られるが今は5%なので収入は良いという。

彼から、路上清掃車の月給がわずか300ボンド(約6000円)であることを聞きいた。その他にも、馬タクシーは最初10ボンドと言って来るが、いざ乗ると「私に10ボンド、馬に20ボンド、席に20ボンドよこせ」といわれるから乗ってはいけない、と教えてもらった。

更に、自転車のレンタルが川向こうだと50ボンドもすると言う。私は、こちら側で10ボンドで借りれるらしいと伝えた。場所は知らないが、そのような情報だ。

そして、ミイラ美術館があることも教えてもらった。でも、夜行列車の時間があるので見ることは出来ず、又の機会に入ることにしました。

そして、ルクソール神殿のところで分かれた。

そしては、夜行列車へ。

またもや表示が全くないホームで、ツーリストポリスの人に聞いて列車を確認し、乗り込んだ。

行きと同じタイプの個室だ。

オランダの個人旅行者と一緒の部屋になった。

いろいろ話をしたが、印象に残っているのが、「日本は高い」という言葉だ。 他の旅行者からも何度も同じ事を聞いているが、私はそれに対し、「多くの外人旅行者がそういうが、日本は高くない」と伝え、「たとえば、ランチは6ドルから8ドルで日本風のものが食べられる」というと、「それは安い。日本は高くない」と言ってくれた。

そして、疲れていたので早々に寝た。

やがて電車はカイロへ。

アレキサンドリア、そして帰国

2007-01-05

寝台列車はルクソールからカイロのギザ駅にたどり着いた。

チケットはギザ駅までであったが、どうやらラムセス中央駅(起点の駅)まで電車は行くという。 スタッフに、そこまで行ったら追加料金は必要かどうか聞いたら、「そこは貴方の席だから、それは必要ない」と言ってくれた。なるほど。

そして、ラムセス中央駅で降り立ち、私はアレキサンドリアへと日帰りの観光に向かうことにする。

列車の切符を往復買い、アレキサンドリアへ。

アレキサンドリアまでは2時間と少しの旅程だ。

うとうとし、眠ってしまっていたら、いつの間にか到着していた。

と思ったら、どうやら1つ前の駅で降りてしまったらしい。我ながらおっちょこちょいで慌て者だ。

仕方がないので、歩いて少し散策することに。

トラブルとは思わず、エジプトのちょっと違う面も見れるかなと思い直す。

計画としては、街中の雰囲気を少し見て、その後タクシーに乗り込んで駅へと向かってもらうことにする。

予定通り少し散策し、あまり見所もないのでタクシーに乗ろうと思った。ところが、ここでなんと、タクシーの人が英語が分からなかった。

これは一回だけかと思ったら、今後何度も英語が分からないタクシーの運転手に遭遇する。 しかも、愛想が悪い。どこか希望を失っていて、目はうつろで、どうでもよいと言った感じだ。

しかも、駅へと行ってもらった筈なのに、海岸沿いの公園のようなところに到着するありさま。 言葉が通じず、運転手もどうでもいいといった表情なので、もういいやと思い、そこで降りることに。


場所を確認すると、どうやら、一応は、駅の近くのようだ。
ここは、駅から海に向かって進んだところらしい。

アレキサンドリアは美しい町だと聞いていたが、確かに、海岸線から見る町の眺めはとても綺麗だ。

冬だから何なのか、ちょっと風が強い。


夏はとてもよい雰囲気なのだろうなあ、と思う。

世界の7不思議であったファロスの灯台は、ここにあったのかと思いを馳せる。


紀元前3世紀のプトレマイオスⅡ世の時代に建てられた高さ120mの灯台が。

少し移動し、無名戦士の墓を見てから再度タクシーへ。

遠くに見える砦まで行ってもらう。

砦はかなり昔に作られたものであり、今は学校およびモスクとして用いられているようだった。

中からは、美しい海がずっと見渡せた。

立派な砦だ。

そして、砦を出て、今度は、地図によると近くにあると思われるモスクへと行ってみる。

観光としては開かれていないモスクのようで、多くの人が中で祈りを捧げていた。

それにしても、一度観光地を離れると、この街中の汚いこと、汚いこと。

アレキサンドリアは「美しい町」というイメージがあったが、それは遠目に見たときであり、街中はかなり汚い。

ほんのちょっと観光地を外れただけなのにこの汚さとボロボロの町並みであると言うのは、アレキサンドリアが美しい町であるというイメージをぶち壊すのに十分である。

モスクは、遠くから見るととても美しい。


近づいて見ると、壁がぼろぼろ・・・。

モスク前から再度タクシーに乗り、今度はローマ劇場跡へ。

ローマ劇場跡に来てみたが、今は寂れた跡地だ・・・。

ここは今も何かで使われているようで、椅子が用意されていた。
周囲を見ようと思ったが、あまり時間もないので、割とすぐにそこを出て、近くにある博物館に行くことにしました。

歩いて移動してみると、
そこは、なんと閉鎖されていた。

あれまあ・・・と思っていると、警備員の人がいうところには、5分ほど歩いたところに国立博物館があるという。 そこまで歩くことにする。

そして、アレキサンドリア国立博物館にやってきた。


歩いたら、割と遠かった・・・。

くたくたになりながら、博物館へ。

ここは、予想以上に中がしっかりと作ってあり、展示も力が入っていた。

アレキサンドリアの街中を見た後であったので、所詮この程度の町だろうと少し甘く見ていたが、外見とは裏腹に、中はとても内容の濃い展示だ。

特に、ミイラの展示が特に印象を受けた。

ミイラの近くにいるだけで、何かわからない力を感じた。

何か、”ねっとり”とした雰囲気だ。

凄いものだ。

ここで、昔聞いた話で、チベットで聖人が死ぬときにそのままロウで固めて聖人の聖なる力をそのまま保つ、と言うことが行われていたことを思い出した。

このミイラも、王としての威厳そしてカリスマ、未来を予知する知力、などなどをそのまま保って後世の守り神とするためにミイラになった、と考えてもなんら不思議ではない。

実際は確か、後の世で蘇るためだったりなんだったり解釈されていたようにも思うが、何故か、チベット仏教の即身仏のようなイメージが何度も思い浮かんできた。

そして、国立アレキサンドリア国立博物館を出て、鉄道駅へ。


タクシーに乗るが、またもや不親切。 なんだろう、これは・・・。

そしてアレキサンドリア鉄道駅に辿り着いた。

ここがまた分かり辛い建物で、観光に来る人のことなど考えていないだろう、と言うようなつくり。

外から見て、ここが鉄道駅であることが最初はわからなかった。

更には、多くの時計が2時間近く遅れている!
カイロと時差はない筈なのに。 第一、時差などというきっちりとした遅れでもない。

エジプト人は、一体何を考えて生きているのだ・・・ と疑ってしまう。
2時間遅れても大丈夫なのがエジプト人時間なのか、或いは、各自時計をもっているのか。

駅の外にかけてあった時計は幸いにも正確な時間を指していた。

まだ少し時間があるので、駅の周辺を散策することに。

それにしても、汚い。


何だ、この汚さは。

駅の周辺が一番汚いではないか・・・。

何が、「アレキサンドリアは美しい町」だ。
全くもって汚すぎる。

食べ物や果物も売っているが、買う気になれない・・・。

ぐるりと回り、コーラを1ボンド75ピアストル(これが標準の値段。旅行者には2ボンドや3ボンドや5ボンドや10ボンド、時には15ボンドで売ろうとする)で買い、列車に向かった。

しかし、駅舎まであとちょっとというところで、急に雨が強く振ってきた。

カイロではほとんど雨がなかったのだが、ここアレキサンドリアは地中海の気候なのかもしれない。

風が強く、雲が速いスピードで移動し、雨が振ったり止んだりしていた。

そして、電車でカイロへ。

カイロに戻ってもまだ少し時間があったので、エジプト考古学博物館のすぐそこにあるケンタッキーにまで足を伸ばすことにしました。

まさかケンタッキーのために地下鉄に乗ってはるばる数キロ移動することになろうとは思わなかったが、今やケンタッキーが食べたくてしょうがない。

路上で売っているサンドイッチはおいしくないし、他に食べるものがない。

ケンタッキーがかなり恋しくなってしまうと言う、異常事態だ。

地下鉄を降り、ケンタッキーへ。 さすがにおいしい。
ディナーコンボを食べ、次は、その近くにあるアエロフロートのオフィスを探しに行く。

まだリコンファームしていなかったので、念のためリコンファームをしてもらいに行こうと思ったのだ。

地球の歩き方で見た記憶を頼りに行くが、どうも見当たらない。

おかしいな・・・と思って、あきらめかけたところで、ショッピングモールの壁にアエロフロートの文字があることを発見。その2階にアエロフロートはあった。

が、しかし、本日は金曜日で休みの日であった。しかも、9時半から15時30分までしか開いていないという。

なんとまあ。

かなり歩いたが、もしも次回があれば参考になると言うことで、それはそれでよいとする。

そして、空港に行ったら何も食べられない上に機内食はまずいと思われるので、少し無理してケンタッキーで小さなセットをひとつ食べておくことにする。

これでおなかも一杯になったので、地下鉄でATABAというところへ。

ここか、或いはラムセス中央駅から空港行きのバスが出ているとの情報だ。

だが、そこにいってみたが、周囲の人に聞いても、ここではなくラムセス駅から出ていると言う。

ガイドブックには、ここからもバスが出ていると書いてあるのに・・・。

よくわからなかったが、まあ、あちらの方がバスも多いだろうと言うことで、再度地下鉄に乗って移動し、バス乗り場に行ってみることに。

バス乗り場はどこだ・・・ と思ったら、どうやら、大体の場所が決まっているだけで、しかも行き先が書いてあるわけでもなく、ルート番号だけが書いてあって、その近くに行って乗り込む、と言うスタイルらしい。

難易度が高いが、ガイドブックに書いてある番号をアラビア数字に変換したものを探す。

アラビア数字だけは覚えてきて、本当によかった。
さすがに1週間も滞在していると、アラビア数字を読むのにも慣れてきたところだ。

だが、なかなか来ない。

ルート番号が書いてないバスもあったりする。

何やら整理をしているらしい人に、空港行きか? と聞いて見ると違うと言う。

それを聞き付けた後ろの人が、「空港か? 私も行くところだ。 27番あるいは何とか番に乗ればいい」ということで、27番が早速来たので乗り込むことに。

値段は、来る時は50ピアストルだったな・・・ と思ったら、そのおじさんは2ボンドであると言って来た。 おかしいな? と思ったら、切符は50ピアストルで、おじさんが代わりに買ってあげる分と案内料のバクシーシをふくめて2ボンド、と言うことだったようだ。 なるほど。

うまくやれば気が付かないものを、目の前でやったのでばっちりそれが分かってしまったが、まあ、いいとする。

このおじさんがいなかったら、バスに乗った後に暫く不安なまま乗り続けていなければならなかったからだ。

やがて、空港の新ターミナル(ターミナル2)に着き、次は旧ターミナル(ターミナル1)へと到着した。

私のアエロフロート便はどちらのターミナルか不明であったが、おじさんが言うに、旧ターミナルだろう、と言う。

まあ、まだ時間もあるし、間違っていたら無料シャトルでターミナル間を移動すればよいや、と思って旧ターミナル(ターミナル1)で降りる。

おじさんは、バス停らしきところの直前で降りた。 客じゃなかったのか・・・。清掃なのかスタッフなのか。 でも、案内してもらってよかった。

旧ターミナル(ターミナル1)の中へと入ってみると、アエロフロートは確かにここから出ると言う。合っていた。

そして、チェックインまでの1時間あまりを過ごし、チェックイン、搭乗、そしてモスクワへ。モスクワではトランジットビザを取ってはいたが、予定を変更したこともあり日付が明日のものになっており、日本のロシア大使館の人の話だと「後の日はいいが、前の日はダメ」と言うことなので、試しもせずに、空港ロビーで時間を待った。

実際、もう疲れてしまっていたし、外は曇り模様であったので、とてもロシア観光に頑張って出かける、と言う気分にもなれなかった。

そしてモスクワでの半日のトランジットを過ごし、東京までの10時間以上のフライトをこなす。

ようやく帰ってきた。エジプトは遠かった。

エジプトに行き、言っている間は二度と来るものかと思っていましたが、次第に時間が経つにつれ、また行ってもいいかなと思い始めた。

そんなエジプト。 さすがに世界が認める観光地だけのことはあった。

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