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羽黒山は神域に囲まれていました

2022-05-06 記載
トピック:日本山形羽黒山



羽黒山を参拝。

ふもとから1時間くらい石の階段を登って羽黒山山頂にある羽黒山神社まで行きました。

最初の鳥居の向こうから押し寄せる静かな圧が役行者などが修行した霊山を感じさせます。それで終わりではなく、国宝の五重の塔を過ぎたあたりから神域に入ったのか何なのか、特に自分の方は何もしていないのに向こう側からの働きかけで周囲の自然と自分の境目がなくなって自他同一の状態へ。自然が自分自身でそこには区別がないのです。そして、静けさと感謝と愛がそこらじゅうに満ちています。領域に入っただけでこのような状態になるほどの神威は日本にも幾つもないです。その状態が階段登って上に着いてからもずっと続いています。こういうのは一瞬の一瞥であることも多いですけどずっと効果が続く神威というのもそうそうないです。

伊勢神宮とかでも神域は普通では入れない場所にあって外から眺めて参拝するだけです。ここのように山のほとんどがまるごと神域て自由に入れるなんてところ聞いたことがないです。大抵、神威は立ち入り禁止です。

他のところにある、外から感じる厳かな雰囲気というのは自他の区別があるから他としての厳かさを感じられるのであって、自他同一であればそんなものはなくて、ただ神を感じるだけなのです。解釈としては、神域を外から感じると厳かさになって、神域の中に入ってしまえば自他同一で神が満ちていることを感じるだけなのかなと思います。小さいようでいて大きな違いです。漫画やアニメあるいは陰陽師とかで結界とか神域とかありますけどリアルな神域です。

羽黒山は初めてですが、日本にこんなところがあったとは、驚きです。ここでは、普段あまりしない祈祷も申し込んでみました。作法は他の人を真似たのですけど久々でしたので慣れていなくて、一般教養としてもっと受けて慣れておくのも良いかなと思いました。祈祷では体の各所の重さが取れる効果あり。実際のところ、全国の大抵の祈祷は効果がほとんどなくてただの寄付になってますけど効果のある祈祷を普通にしているのも凄いです。日本に修験道の呪術がまだまだ残っているのですねえ。

しかもここ、普通に五千円とかの全国相場でやってくれます。この値段でお土産物が幾つか付いて、大抵どこでも木のお札が定番ですけどただのお札ではなく御神木をカットした板札がついて、それだけでなく地元の日本酒「羽黒」180mlとちょっとした和菓子も貰えました。この金額でこんなに貰って良いのですか。効果があるだけでなくサービス精神旺盛。凄いところです。

ここだけでなく、日本には呪術の文化が各所に残っていて時々本物に遭遇できたりしますけどここでも会えました。

呪術でもいろいろあって、真言宗とか仏教系は少し重い気功っぽいエネルギーの感じで人間臭いですけどここは軽いエネルギーで人間臭くなく、純粋な神のエネルギーに近い気がします。修験道は天狗とかいて、天狗は神と人間の混合とかいう噂もありますけど、真言宗とかの呪術は人間そのものなのに対して修験道は神と人間の混合なのかもしれないですね。(表立ってはどちらもそんなこと言ってないと思いますけど。なんとなくそんな気がしただけです)

資料館によると、羽黒山と湯殿山(月山の南にある)がそれぞれ修験道と真言宗に相当して覇権争いをしていたらしく、私が行った羽黒山の方は修験道の山だったようです。こんな小さな土地に両方あるなんてのも面白いです。

修験道というと山奥で修行するというイメージですけど、実際には、里山に近くてしかも険しい山奥にまで簡単にアプローチできるという条件を備えている必要があって、ここ羽黒山は麓から割とすぐに到達できる一方で、更に修行したい人にはその奥の険しい山(月山とか)に登れる、という良い条件が揃っているようです。

その後、周囲まで自他同一という状態は家に帰っても普通に続きました。自分の家でも瞑想をすればしばらくしてこのサマーディの状態まで持っていけますけど、ちょっと山に登ればすぐに同じようなサマーディの状態になるというのは羽黒山はさすがの霊山だと思います。

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