フエ(Hue)の朝
朝、5時45分頃起きて、6時には朝食を食べに行く。時差が2時間あるので日本時間では7時45分。丁度良い時間だ。
朝、食べに行ったら、丁度支度をしているところだった。 セルフサービス方式でスパゲティとかベーコンのようなもの、それとヨーグルトやベトナム茶などいろいろ食べたが、どうも、あまりおいしくなかった。 先日食べたフォーの方が美味しい・・・。
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そして、支度をする。
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夕べ泊まった宿から外を見たところ。
道の向こうには、ホテル客目当てのシクロの団体が。
そんなシクロを片目に、出発した。
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街中は、バイクやシクロで一杯。
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城壁を越え、進んで行く。
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街中は、とても混雑。
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ふと進んで行くと、このような教会を発見。
ノートルダム大聖堂、というところのようだ。
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ノートルダム大聖堂 |
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立派な教会だ。
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ロンリープラネットには以下のようにある。
ノートルダム大聖堂 Notre Dame Cathedral
この大聖堂(ゾン・チュア・クーテー Dong Chua Cuu The)はヨーロッパの大聖堂の機能的概観と伝統的なベトナムの要素を組み合わせた、非常にアジア的な尖塔もある見事な現代建築だ。1959~62年の間に建築されたこの巨大な大聖堂は現在、1600人の信徒を抱えている。フランス語を話す司祭2人が毎日5:00と17:00にミサを行っており、日曜は7:00にもミサが開かれる。子供たちとの教義問答の授業もまた日曜の朝に実施されている。
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協会の敷地内には、先日のクリスマスの飾りがそこかしこに飾ってあった。
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中からは、厳粛なハーモニーが聞こえる。 まさにこの時間、ミサが執り行われているようだ。
教会は、古今東西同じなのだなあ、と思える瞬間だ。
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ナムザオ(Nam Giao)と同慶帝廟(Tomb of Dong
Khanh, ドンカイン帝廟)
いくつかこの地方の遺跡を見ておこうと思ったので、帝廟(テイビョウ。天子のみたまや。)を見に行く事に。
近くにあって有名なものとして、嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)を見に行く事にしました。
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川を遡る形で、帝廟に向かって行く。
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帝廟に行く途中、ふと目の前に何かの記念公園? のような場所が見えた。
ここはどうやら、ナムザオ(Nam Giao)というところらしい。 丁度良いので寄ってみることに。
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入り口に自転車を止めようとしたら、中にいた門番の人が”ここに置け”と言ってきたので、そこに止める事に。
ガイドブックによると、無料のようだ。
ここは、ロンリープラネットによると以下のようにある。
ナムザオ(Nam Giao)
この寺(天寺)はかつてベトナム全土で最も重要な宗教施設だった。ここでは3年ごとに皇帝が入念に選んだいけにえを尊厳な天の上帝(トゥオンデー
Thuong De)に捧げていた。天を意味する一番高いところにある歩道は丸く、地球を意味する中間のテラスは四角。一番低いところにあるテラスも四角くなっている。
ベトナムが再統一されたのち、地方政府が南ベトナム政府、アメリカとの戦争で戦死した兵士を悼む尖塔を建設した(その場所にはいけにえの祭壇があった)。フエの人々にはこの尖塔に対し強い反感を持ち、1993年にフエ市人民委員会はこれを取り壊した。ナムザオは再建されることなく粉々になったままである。
これを読むと、とてつもなく切ない気持ちになってくる・・・・。 この気持ちは、地球の歩き方を持ってきても味わう事が出来なかったであろう。
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そして、中心部に向かって歩き出す。
階段を登ると・・・、その中心部には何もない・・・?
いや、何かあるぞ。
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これ。
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この、線香だけが空しく響いていた。
切ない・・・・。 この切なさは何なのだろうか。
私が勝手に思っているだけだろうか?
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そして、入り口まで戻ってきた。
自転車に乗って出ようとした時、ふと守衛さんが値段を言ってきた。 どうやら、駐車料らしい。 そんなに大した額でもなかったが。
しかし、ガイドブックには無料と書いてあった筈なので、ガイドブックを開き、記載を確かめ、その場所を指差して、”FREEと書いてあるよ?”と何度も言った。 すると、その守衛さんは笑って了承してくれた。
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そして、ナムザオ(Nam Giao)を出て嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)へと向かう。
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しばし走り、ここが嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)かな???
という所にやって来た。
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だが、それにしてはちょいと寂しい。
散策をしようとすると、牛追いをしていた子供が、私に付いて来る。
んんん? 何だろう。
”ワンダラー”、”ワンダラー”。
ん? 1ドルか?
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その少年は、ずっと付いて来た。
何をしてくれる訳でもなく、ずっと”ワンダラー”と喋っている。
それらしき建物はあるが、入れるのかな??
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横にまわってみると入り口があったので、中を散策してみることに。
すると、何やらもう1人、老人が現れた。
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聞くに、どうやら嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)は少し戻ったところのようだ。
となると、ここは同慶帝廟(Tomb of Dong Khanh, ドンカイン帝廟)であると判断。
ロンリープラネットには以下のようにある。
同慶帝廟(Tomb of Dong Khanh, ドンカイン帝廟)
同慶(Dong Khanh, ドンカイン)帝は嗣徳帝の甥で、養子になった人物。彼の帝位はその前に帝位にあった咸宣帝を捕らえたフランスにより与えられたものだ。予想に違わず従順だった同慶帝は、1885年から3年後に亡くなるまで皇帝の座に就いていた。
帝廟の中でも最も小さな同慶帝廟(入場料2万2000d)は1889に建設された。地味だがとても美しいこの廟を訪れる人はほとんどいないようだ。街から5kmの嗣徳帝廟から500mほど離れた場所にある。
中を散策する。
ほんと、誰も散策していないようだ。
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散策をしている間も、少年が後ろで”ワンダラー、ワンダラー”とずっと喋っている。
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説明書きもあるので、一応、観光客向けではあるようだ。
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ずっと少年は付いて来る。
”貴方はガイドですか?”と聞くと”イエス”と答える。 だが、何かを説明してくれる訳でもない・・・。
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凝った彫り物。
ただ、少々くたびれている。
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裏は、今にも崩れ出しそう。
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そして、そこを出た。
ただ、立ち入って何も払わないのも何だと思い、入場料代わりとして少年に500ドンを渡した。
自転車まで歩いていると、老人が子供に”いくらか?”と聞いて、それに子供が答えているのが見えた。 老人は、金額を知って”そんなもんか”という表情をしているように見えた。 老人と少年、微妙な風景だ・・・。 少年はまだずっと”ワンダラー、ワンダラー”と叫び続けている。
そして、いよいよ自転車で走り出し、その場を離れた。 ずっと後を付いて来た子供も、どうやら諦めたようだった。
嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)
そして、いよいよ嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)にたどり着いた。
ここは入り口の門。
帝廟(テイビョウ)とは天子のみたまや、つまりお墓のことだから、トゥドック(Tu Doc, 嗣徳)のお墓、ということになる。
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自転車は、目の前の売店の横に停めさせてもらった。
お店のおばさんは”お金はいらないよ”と最初言っていたが、お金を払った上で預かってもらいたかったので、”いくらですか?”と何度も聞いたら値段を言ってくれた。 その値段でOKだったので、自転車を置いて中に入ることに。
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説明書き。
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世界大百科事典(平凡社)によるとトゥドゥック(Tu Doc)(嗣徳)について以下のようにある。
トゥドゥック(Tu Doc)(嗣徳) 1830-83
ベトナムのグエン(阮)朝第4代皇帝。在位1848‐83年。姓名はグエン・フオック・ティー Nguyen Phuoc Thi(阮福蒔)。諡号は翼宗英皇帝。ティエウチ(紹治)帝の第2子で1848年即位した。
しかしその前年,フランス軍はトゥーラン(現,ダナン)を砲撃し,58年にはフランス・スペイン軍がトゥーランを占領,59年にはサイゴンが落とされ,62年のサイゴン条約では南部3省が奪われ,66年には全南部が失われた。さらに,73年のガルニエ事件,82年のリビエール事件と,その治世の大部分はフランスとの交戦と屈服に終始した。
一方,国内では1854年以降20年にわたって水匪がソンコイ川(紅河)デルタ一帯を荒らしまわり,また1849年以降,山地は中国人匪賊に占領されたままだった。そのほか少数民族の反乱も激しく,ベトナム全土は荒廃をきわめた。
こうした内憂外患にもかかわらず,トゥドゥック帝の時代は,《大南会典事例》《大南一統志》等の政府編纂物をはじめ,カオ・バ・クアット(高伯当),グエン・ディン・ティエウ(阮廷鷺)ら多くの詩人,文人を輩出したベトナム・漢文化の最盛期であった。 桜井 由躬雄
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ここは、ティンキエム島(Tinh Khiem Island)。
かつて皇帝が小動物の狩猟場にしていたところのようだ。
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池の周囲を、道が続いている。
遠くには、ボート乗り場が見える。
(観光客が乗るための場所ではない。)
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遠くに見えるのはスンキエム殿。
かつて皇帝たちが愛妾たちとその円柱の間に鎮座し、詩を作って朗唱していたという。
水中に杭を打ちつけて作られたこの殿は、1986年に再建されたもののようだ。
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これは、キエムクン門。
宮殿の入り口だ。
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中には、展示物が飾られていた。
右手後方にあったミンキエムの間(Minh Khiem Chamber)はもともと劇場として使うために作られたようだったが、そこはベトナム衣装の写真サービスコーナーと化していた・・。
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そして、外に出て、周囲の散策へ。
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道を散歩する。
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やがて、本殿が見えてきた。
この奥にあった大きな大きな石は20トンもあって、500km北のタインホア地域から運ぶのに4年の歳月を要したらしい。
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ここに嗣徳帝が埋葬されている・・・ と思いきや、ここには埋葬されていないようだ。 その埋葬場所は誰も知らないらしい。
というのも、沢山の財宝と共に埋葬をした関係上、盗掘を恐れて、その場所を誰にも知られないようにする為に召し使い200人の首を切るという(行き過ぎた)方法が取られたからだそうだ。
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そして、奥まで散策した後、嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)を後にしました。
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フエ(Hue)からダナン(DaNang)方面
嗣徳帝廟(Tomb of Tu Duc, トゥドック帝廟)を出て、ダナン(DaNang)方面へと向かう。
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帝廟の周辺で見かけたこの景色。
道端に、線香(?)が干してある。
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そして、細い道を通り、ハイウェイ(1号線)へと向かう。
途中、舗装されていたり、されていなかったりといった、ベトナムの田舎道をずっと通っていった。
これが本当(?)のベトナムの道なのかもしれないと思った。 右の写真は綺麗に整備されているところ。 この先、荒れた道が続いていた。
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そして、ハイウェイ(1号線)に戻る。
うってかわって、快適な道だ。
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快適な道を、進んで行く。
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遠くを見ると、サッカー遊びをしている集団が。
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綺麗な道。
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駅がある。
ベトナム鉄道の駅だ。
途中、何度か電車に抜かされていった。
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フエからダナン、そしてホイアンへと向けて進んでいくが、一向に辿り着かない。 どうも、体が鈍っているのかな・・・ という気になってきた。 なかなか前に進まない気がするし。
途中、10時頃にいきなりおなかが空いてきた。 何故だろう・・・ と思ったら、日本時刻の12時だから、おなかの中がそのように動いているらしい。 麺の食べ物を一つ食べたが、どうも量が少ない。 そして、更にもう1つ何か食べようと思い、11時頃にもう一度違うお店に立ち寄った。
私は、先日食べたフォーが記憶に残っていて、それを食べたかったのだが、フォーがなかったので仕方なく、ご飯とおかずのセットを頼んだ。 この時、自転車旅行者が珍しいのか、大勢の人に囲まれてしまった。 そんでもって、注文して、沢山食べる私。
周囲の人たちには食べ方を教わったりした。 どうやら、タイと同じで、ご飯に汁物をかけて食べるようだ。 それとあわせておかずも食べる。おかずは、何やら、中に赤い輪切りが浮いている不思議な透明なたれにつけて食べるようだ。(いくつも見たので、定番のようだ。)
その時、目の前にいた一人の女の子がたれをくれた。 そして、それにつけるんだよ、と教えてくれた。 周囲の人たちは私の方をじろじろ見ている。 私は気にせず食べたのだが、どうしてもちょっと気になるので、周囲の人たちの様子を伺いながら食べていた。 そして、ふと気づいたのだが、この女の子がずっと私の方を見ているようなのだ。 私は、その女の子だけではなく周囲の大人たちにもジェスチャーや片言の言葉で会話をしつつ、ご飯を食べていた。 私が変な食べ方をすると、その女の子は面白くて笑ったりしていた。
そして、ご飯を食べ終わった時、ふと、後ろから老人が話し掛けてきた。 Do you like "ガ" Vietnam? 私は意味がわからなかった。 「ガ」ってなんじゃ? と思い、意味が分からないと伝え、お金を払って外に出た。 すると、その女の子が近くで「どこから来たの?」と聞くから、「ジャパンだ」と答えた。
その女の子はしばらく近くで私の準備を見ていた後、どこかへと歩き始めた。 私も、出発して先に進み始めた。
と・・・・、出発して数十分くらい経った時、ふと、ひょっとして”ガ”とは”ガール”のことか? と、いきなり頭に浮かんできた。 それにしては文法がおかしいなあ・・・と思っていたら、その更に数十分後には、”いや、the のことか? 彼女を指していたのか?”と、急にひらめいた。
日本人はアジアに来るともてるというが、前にタイへと行った時もそうだったが、その事実を実感する。 でも、たとえ据え膳(今回はそこまででもないが)であったとしても、食べるわけにはいかないんだよなあ、と、つくづく思ってしまう。 特にベトナム人は、本気なのか詐欺なのか、まだいまいち区別がつかない。 彼女自身は本気であったとしても、周囲の大人は彼女を利用することは明白(と今は思うことが出来る)なので、ベトナム人と仲良くなるのはしばらく考えた方がいいと私は思った。
そんなこんなで、いきなりの面白い体験をしてしまったが、足はずっと動き続け、次の目的地に向け、走り続けていた。
人の良い自転車屋さんとの出会い
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そして、快適な道をどんどんと進んで行く。
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この先、いくつかの峠があった。
だが、どれもそれほど高い峠でもなかった。
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湾の横を、進んで行く。
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湾の海岸線を横目に、進んで行く。
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まっすぐな、この道。
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遥かに広がる景色。
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遠くの山々まで、透き通って見える。
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この先、ちょっとした峠があるようだ。
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峠をクリア。
日本の峠に比べれば、何と楽ちんなことか・・・。
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海岸線のこの道を、ずっと走って行く。
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ここで、自転車屋に立ち寄ってみた。 潤滑油が置いていないかと思ったからだ。すると、売ってはいないが、つけてくれるという。だが、何か様子がおかしい。 どうも、フレームの色塗りと勘違いされているようだ! 危うくペンキのようなスプレーをされるところだった・・・。
そして、油をつけてもらった。
油は、とても調子が良かった。 今までが嘘みたいに快適になった。 その自転車屋さんのおやじさんには、2000ドンのお礼をした。 最初はお金いらないような態度(恐らく)を取っていた、人の良さそうなおやじさんだったが、払わないのも何なのでいくらか聞いてみたのだ。 おやじさんは、しばらく拍子抜けしたような顔をしていたが、何度も聞くうちに、やがてワンダラーと答えてきた。 だが、その言い方も、”まあ、もらえるのならば・・・”といった態度だ。
このおやじさんには共感を覚えたが、いくらなんでも1ドルあげ過ぎだと思ったので、私が電卓で1000ドン、これで良いか? と聞いてみた。すると、何か勘違いしたのか良いと答え、それに応じて私が2000ドン渡すと ん? という素振りを見せるおやじさんだった。 だが、おやじさんが再度電卓を覗き込むと1000ドンだったので ああー と大笑いすることに。 周囲に集まっていた子供たちも、その様子を見ていて”わははははー”と笑っていた。 値段交渉にしても、嫌らしくない。人の良いおじさんだ。
私はそれを見ていて、1000ドンは少ないかな? と思って2000ドンに打ち直し、それでよい? と聞き、2000ドンを渡すことに。 だが、意思疎通が不十分だったのか、おやじさんが1000ドンのおつりを渡そうとしてきたので、私は”いらない”とジェスチャーをした。 両者ともに”OK”となり、そして、その場を離れることに。
なかなか良い経験だった。 このような人の良い人たちに巡り合えるとは。
この、ちょっとした経験が物語っていることは、”ベトナム人は、誰でもぼったくろうとしている訳ではない。 なんとなくそんなものかと思って値段交渉しているだけの人もいるのだ。”と。
この経験で、私の中のベトナム人好感度はアップした。 それでもまだ負が大きいのだが。
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そして、再度、小さな峠へ。
見違えるほど快適だ。
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ホーチミンまで1022kmの標識。
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峠からの景色。
低い峠だ。
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峠を越え、向こう側へ。
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遠くまで沼地が広がっている。
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山々が、そして木々が、豊かに連なっている。
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ちょっとした川。
向こうの橋は、電車の為の橋のようだ。
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再度、小さな峠から。
これまた良い景色だ・・・。
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再度、海岸線に入る。
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そして、いよいよフエ(Hue)とダナン(DaNang)間における最大の峠、ハイヴァン峠(Hai Van Pass)へと向かう。
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ハイヴァン峠(Hai Van Pass)、そしてダナン(HaNang)
いよいよフエ(Hue)とダナン(DaNang)間にあるハイウェイ(1号線)における最大の峠、ハイヴァン峠(Hai Van Pass)に差し掛かる。
ここは、ベトナム北部と南部の気候の境目になっているという。
とは言っても、峠は496mしかないのだが。
今、その峠の下にトンネルを掘っていて、2000年から4年の計画というからもう出来ているかと思いきや、まだ建設中だったので峠を登ることに。
途中に人家もほとんどないようなので、もう忘れ去られる峠になるのかもしれない。
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工事中のトンネルへと続く道 |
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峠を登って行く。
途中、踏み切りがあり、丁度電車に差し掛かってしまった。
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どうやら、遮断機は手動のようだ・・・。
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いよいよ、電車がやって来た。
が・・・。 客車がない?
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って、後ろを見ると、電車に張り付いている人々が!
ベトナム人はたくましいなあ・・・ と思う瞬間。
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峠への道からの景色は、とても素晴らしかった。
波が海岸線に打ち込み、その行っては戻る姿が、私をほのぼのとさせた。
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湾の中を覗き見る。
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そして、峠の道から進行方向を見ると、それはそれで別世界だった。
この山、この森の中、峠の道を進んで行く。
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道は、自転車が走るような路肩が十分ではなかったので、後ろからクラクション(ミラーがないのでカーブでは必ずクラクションを鳴らしてくる)が来る度に気をつけて登って行った。
峠に行く途中、熱中病なのか何なのか、頭がもうろうとする事が何度かあった。 頭だけが妙に暑くて、頭がぼおっとする。 頭に水をかけると少し回復するが、水がかわくとすぐに元に戻ってしまう。 自動車が横に居るときに急に気を失ったりしないよう、多めに休みを取り、水も十分に補給しつつ登っていった。
後から思うに、どうやら、日本の寒い気候から熱帯のベトナムに来た事による、体温調整の不調だったようだ。
山の中、この道を、進んで行く。
左には海岸、右には山だ。
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そして、何やら建物が目の前に見えてきた。
峠は軍事拠点だったようなので、あそこが軍事拠点であり、峠なのだと直感する。
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そして、建物の近くへ。
そこは、やはり頂上だった。
広がる景色。
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この道を登って来た。
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峠にある軍事拠点。
今はもう使われていないようで、荒れ果てている。
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ロンリープラネットによると、この峠は、頂上でバスが必ず休憩を取るので乗客はその間、しつこい商売人をかわすのに一苦労するらしい。
実際、峠に近づくとすぐに商売人が私の方に飛んできた。
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そして、絵葉書を買わないかとか食べ物を買わないかとか聞いてくる。 さすがに私も交渉に多少は慣れてきたので、ことごとく拒否した。 ただ、フランスパンを1000ドン、冷たい水1.5リットルを6,000ドンで買い物をした。 買い物をする際も、パンを2つ売りつけようとしたり、高い値段で売ろうとしたりもしてきたが、この時は難なく交渉することができた。
フランスパンをかじって水を飲むと、ようやく疲れが回復してきた。 ふう・・・。
交渉が終わり、パンを食べ終わって、そろそろ出発かな、と思った頃に、遠くの方の親父が、峠の先をジェスチャーで示しながら「GO!GG!」とか言ってきた。 これが、この親父の本性のようだ。 商売終わったらさっさと出て行け、邪魔だ、というわけだ。
さすがに3日目だけあってベトナム人の商売根性に慣れてきていた為、特に気を悪くすることもなかった。元々ここの商売人に対してそのように接していたから、ということもある。
そして、峠を下る。
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峠の向こう側の景色。
快適なダウンヒルだ。
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夕焼け。
もうこんな時間か・・・。
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峠を下り、やがて、平らな道となった。
このあたりで、段々と空は暗くなっていった。 この時点で、ホイアン行きは完全にあきらめ、ダナン泊が決定した。
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峠を下ってからはとても快適な道になり、とても快適に進むことが出来た。 これですよ、これ。 タイで味わった快適な感覚。 どうやら、グリスが乾いていたのか何なのか、本来の調子を発揮していなかったようです。
ダナン(DaNang)まで14kmの看板。
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遠くに見える夕焼け。
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そのまま、快適に飛ばし、明かりのついたハイウェイをしばらく走った。 ハイウェイを走る分には夜でも明かりはいらなかった。
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そして、ダナン近くになり、ハイウェイを外れると急に、舗装されていない道になった。 おいおい。 まじですか・・・。 幹線道路ではないのかな、ここは、とも思ったりしたが確かめる術も無い。
道は暗いし、今回持ってきた明るいライトがなかったら、他のバイクと協調して走ることがかなり難しかったかもしれない。 そんなこんなで、未舗装の道を抜け、やがて、ダナン近くまで来て、舗装された道となった。
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そして、ようやくダナン(DaNang)へと到着した。
川のほとりまで走ってくると、この川の景色は、ベトナムとは思えないほど綺麗だった。
川沿いの道も、洒落た感じでよく整備されている。
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ダナンでは、まず、宿を取りに行った。 まず、ロンリープラネットで評価の高い”ゲスト・ハウス34”に行ったが、満室だった。 すぐ横にあるソン・ハン・ホテル(SONG HAN HOTEL)に行ったら、16ドルでシングルが開いていたのでそこに決めた。
この宿にもマッサージルームがついており、恐らくは如何わしいサービス付きなのだろうと予想される。 この宿の前には売春婦は立っていなかった。 ここベトナムでは多くの児童売春が行われていると言うが、どこにでもいるという訳ではないようだ。 先日の宿はたまたまだったのだろうか?
そして、宿に着いた頃から、急に頭が熱っぽくなってきた。
どうしたのだろう? と思いつつ、この先のルートは大きな病院があるかわからないので、ここ、ダナンで行っておきたいと思った。 運良く、ここダナンには24時間開いている病院(病院C)があるようなので、カウンターの人に聞いて、行ってみることに。
倒れる前に行こうと思ったが、少し食べないとふらふらだと思ったのでフォーを食べた。 ここの味はフエでの思い出ほどではないけれども、そこそこだった。
そして、いよいよ病院へ。 言葉が全く通じないので、ジェスチャーと”旅の会話本”を使って話をする。 これがなかったらやばかった・・・。
そして、診察結果はと言うと、アレルギーを起こしていただけで病気ではないらしい。 血の検査も行ったが、マラリア等の確認もされたのかどうか、会話力がなくて聞き出せなかった。 胸に薄赤い斑点が出来ていたのだが、それがアレルギーによるもの、とのことだ。
そして、薬を出して貰った。 病院では紙だけ発行してもらい、実際に買うのは薬局で、ということのようだ。 医療と薬販売が分かれているシステムは、日本と同じだなあ、と思った。
私はどこに行けば良いのか分からなかったが、薬をもらいに行くとき、看護婦さんが1人付いて来てくれた。 こういう親切を受けると、ベトナムに対する好感度もアップする。
病院横の薬局に入り、薬をもらっていると、薬局の人が私と看護婦の人をきょろきょろと交互に顔を見て来た。 どうやら、恋人か何なのか、と勘ぐっているようだ・・・。 ここベトナムではこういうことが何度かあった。
そうして薬を買い、実際にその場で1回分を教えてもらいながら飲んだ。 そして、看護婦さんにもお礼を言い、ようやく帰途についた。
ふう・・・。 ようやく帰り道。 屋台はほとんど閉まっていて、インターネットショップも閉まっていた。 10時なのにもうほとんどのお店が閉まっている。 私はおとなしく部屋に帰り、そして、睡眠に入った・・・。