龍山寺(ロンサンスー)
朝、日本でいつも起きている時間に一度起きてしまった。まだ朝5時。 再度寝て6時半に起き直す。
7時から朝食をホテルに付いている1Fの食堂で食べた後、朝早くから開いている龍山寺(ロンサンスー)に向かうことにしました。
ここは台湾最古のお寺で、台北駅(火車站)からもそれほど遠くない。
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大通りに出てからタクシーで向かったところ、これまた90元。
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ここが、なかなか雰囲気のあるお寺だった。
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水撒きをしている人。
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飾り物がいろいろある。
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太陽と鯉、か?
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龍山寺(ロンサンスー)
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見学しようとしたところ、何やら人が大勢詰めかけていた・・・。
どうやら朝の祈りを捧げているようだ。このような人の邪魔をしてはいけないので、ゆっくりと見学コースを歩く私。
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ぐるりと回って、さて帰ろうかと思ったら、ふと、周囲の人たちが一斉にスートラ(?)を唱えだした・・・・。
実際、それは唱えるというより、まるで歌を歌っているかのようなものだった。
私は、つい聞き入ってしまった。 言葉の意味はわからないが、どこか知らない土地で聞く現地の音楽芸術のような趣がある。
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皆が持っている本を見るに、どうやら仏教の教典らしい。 さすがに龍山寺とお寺を名乗っているだけあって、それはそうであるようだ。
日本のお経と違って、どこか深刻さはなく、そのあたりにいるおばさんたちがちょっと集まってきて唱えている、といった印象を受ける。
生活にとけ込んでいる宗教。
ここでも、宗教が息づいていて人々を動かしていることを思った。
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日本にいると「宗教=怪しい」となるが、世界的にはそのような認識はほとんどなく、むしろ無神論者として過激派分子と見られるのが一般常識である。 よって、外国に行った際に宗教は何かと聞かれたら、間違っても「無宗教(アナーキー)」などと答えてはいけない。一歩間違えば入国拒否だってあり得る。
ここで見られるような土着の宗教はコミュニティ形成にも役立っていることが、集まっている人たちのお互いの気遣い合いから感じ取れる。 経典をお互いに見せ合ったり、挨拶したりしている姿がそこかしこで見受けられる。
しばらく、数十分だろうか、スートラに聞き入っていた。
そして、そこを離れる。
国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)
次に訪れたのは、国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)である。
龍山寺からここまでタクシーで100元。
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ここは広い敷地があり、更には、国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)は高さ70mもある建物である。 元々は蒋介石を記念して建てられたメモリアルホールだったとのことで、実際、名前が変わった現在でさえも蒋介石を誉め称える展示が多く残されていた。
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近づいてみると、その大きさがわかる。
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とてつもない大きさ。
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遥か向こうまで広場が続いている。
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階段の左右には獅子舞がいる。これまた面白い顔だ・・・。
左が母親と子供、右が父親らしい。
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これだけかと思って横の道から帰ろうとしたら、ふと振り向きざまに、下になにやら入れる道があることに気がついた。 どうやら左右から記念館に入れるようになっていたようだ。
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中は、かなりの部分が蒋介石の展示で、スタッフもどこか誇りに溢れている気がした。
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蒋介石の乗っていたキャデラックらしい。
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敷地の模型。
上から見るとその広さがわかる。
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国立歴史博物館
国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)を見た後、近くにある国立歴史博物館まで歩く。
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ここは1955年に制作され、6万点を収蔵しているとのことだ。
中はさほど広くないが、水墨画などレベルの高い作品が多くあることが印象的だった。
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最上階ではお茶を頼み、しばし休憩を。
裏手にある植物園が下に見える。
池を、蓮が埋め尽くしている。
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お茶とお菓子をつまみながら一休みする・・・。
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ふと見ると、カメラマンと共にウェディングドレスと新婦が芝生の上に・・・。
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この博物館ではおみやげ物として水墨画などを買って日本に郵送した。少し高い気もしたが、たまにはいいだろう。
この博物館の中で特別展示があったのだが、その人が信心深く、台湾の仏教に関する信心深さを英語でとうとうと語ってもらった。 台湾は仏教徒がほとんどを占めているとのことで、転生輪廻(レインカーネーション)やカルマの法則についてなどを説明された。 宗教家はどの国でも喋り出すと止まらないのは共通であると思った。
国立台湾博物館と台北二二八記念館
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国立歴史博物館を出てから、今度は国立台湾博物館へと向かう。ここは大理石が綺麗に敷き詰められた、ガイドブックによると「台湾で最も美しい博物館」だそうだ。
そのうたい文句はあながち間違いではない。このエントランスルームの大理石と、天井に広がっているドームに関して言えば。
ここには、歴史や地理や原住民の民俗、動植物なども展示されていた。
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その後、すぐ南にある台北二二八記念館に向かう。
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二二八平和公園の看板。
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ここは、台湾でいわゆる「白色テロ」の先駆けとなった二二八事件の記憶を留めようという趣旨の記念館だ。 日本語ガイドもあったので聞きながら回ることにしました。
二二八事件とは、蒋介石が40年にもわたる戒厳令を敷くことになったきっかけであり、内省人(戦前から台湾にいた人)を虐殺した事件である。
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内容を聞く前の前提知識として、国民党と民主進歩党の2つのそれぞれの特色を理解しておく必要がありそうだ。
前者は日本の侵略を悪と考える政党で、蒋介石と共に戦後大陸からやってきた外省人が支持基盤。長い間独裁政権を築いていた。台湾の教科書にも長らく”鬼畜日本”と書かれていたが、その記述はこの国民党から見た視点。
後者は日本を友人と考える政党で、戦前から台湾にいた人(内省人)が支持基盤で、台湾独立派。 こちらは親日。
実際は、前者であっても親日の政治家(前の総統など)がいたり、後者であっても反日教育を受けた世代がいたりして複雑なのであるが。更には近年の流行である「民族主義」が加わってきて、自分自身の国はそれぞれの民族が統治すべき、みたいな話が入ってくると更にごちゃごちゃしてくるが、基本は前の2つの政党を押さえておけばOK。
この枠組みを理解した上で、どちらの視点による展示なのかを考えつつ説明を聞くと内容が良くわかる。
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どちらにせよ、二二八事件が長い間タブーとなっていた台湾においてこのような展示が現在されているということは、それはそれは輝かしい出来事として捉えるべきなんだろう。
この二二八事件による虐殺の数々は、日本が南京で行ったような「ゲリラ掃討作戦」のように正当な理由があったものではなく、本当の意味における大虐殺であった。 このようなものこそ大虐殺と呼ぶべきであるのに、南京でのゲリラ掃討作戦まで大虐殺と呼んでしまったら、この二二八事件の悲惨さが薄れてしまうというものだ。 大虐殺と呼ぶべき大虐殺。
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”時代背景”の展示ブースで、日本兵として出兵した人たちの寄せ書きがかけてあった。
記憶によると、志願兵は数百倍だか数千倍だかの難関だったらしい。志願兵になれた人は、それはそれは誇り高かったようだ。
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基隆の港では、人々は手と足をそれぞれ針金で繋がれ、機関銃で打たれながら海へと落とされた。 前の人が落ちると同時に自分も落ちて運良く助かった人がいて、何十年も経った後に、そのようなことがあったとようやく証言できたのだという。
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悲惨な事件。それが二二八事件。台湾の戒厳令のきっかけとなり、数多くのエリートが殺された事件だった。
戦前に日本留学を体験したほどの内省人エリートが蒋介石率いる国民党の軍隊に虐殺されるという構図。
北京で起きた天安門事件を握りつぶして「外国の陰謀」としてしまった中国政府とは違い、真実から目をそむけずこのような展示ができる台湾は、既に中国とは別の文化圏であるとさえ感じる。
さすがは日本の意志が込められた土地である。
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台湾の環島週遊票
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街中をぶらつきながら、麺+ビーフのようなものを食べる。
これはそこそこいける。
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が、こちらはいまいちだ・・・。
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そして、明日以降の切符を買おうと思い、台北駅(火車站)に立ち寄る。
ここで、環島週遊票という、一周できる(逆方向は不可)券を買った。いえい。
乗れる回数が決まっていて、その間なら特急に乗れる。 新幹線は使えない。
予定通り購入することができて、ひとまずはよかった。
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歩き疲れたので、台北駅(火車站)すぐそこにある、知足健康中心というところでマッサージをしてもらう。
ここは前にも行ったことがあり、腕は良かったように覚えている。
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その後、地下鉄に乗り、国立台湾大学前に広がっている公館夜市に向かう。
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なかなか賑わっている。
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さて、屋台に挑戦!
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と思い、いくつか食べ物を買ってみるが・・・。
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うーん。外れだ・・・。
すまない、おじさん。
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長らく歩き散策した後、帰途につく。 |
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明日は電車に乗り、花蓮に向かおうと思う。 |
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