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台湾 個人旅行 2008年

2008-01-04 記
トピック台湾

台湾へ

2007-12-27
今回は台湾に行くことにしました。


使用した航空会社はエバー航空。

今まで何度も名前だけは聞いたことがあったものの、なかなか使用するには至らなかった会社。 というのも、エバー航空で東南アジアに行くとなると高い確率で往復どちらか台北で一泊が必要になるからだ。
エバー航空

今回は台北往復であるのでその敷居も下がり、年末年始にしては安い値段でチケットを取ることができた。サーチャージや諸経費込みでほぼ6万。閑散期は3万であることを考えるとそれでもまだ高いが。

このエバー航空、安くても安全性は高いとの評判だ。実際、機内サービスも親切で、十分すぎるほど十分だ。

前から台湾に行こうとしていたが、近いからいつでも行けるという思いが強く、なかなか決め手にかけていた。

今回は、現在私が貯金モードに入っていて節約中であることと、原油価格の高騰によりサーチャージの額がばかにならないため、近場の中で選んだ結果、こうなった。

それに、北京オリンピック以降は台中戦争という可能性もゼロではない。 北京オリンピックまでは世界の目を気にして中国も迂闊な行動を取らないが、それ以降は、台湾独立宣言をトリガーとした台中戦争があるかもしれない。 平和で安全な今のうち、行けるうちに行っておきたいと思ったのだ。

なにを今更この平和な時代にと思うかもしれないが、中国はチベット侵攻やベトナム戦争と、第二次世界大戦以降も周辺各国に侵攻を続けている。 台湾海峡が平和なのはアメリカ軍のおかげである。 本来、日本が守るべきアジアの平和なのに。

そんなこんなで、あっと言う間に台湾に到着する。4時間。快適な空の旅だ。

台北の台湾桃園国際空港に降り立ち、入国審査を済ませる。 空港で両替も済ませる。 台湾は新紙幣に切り替わったとのことなのでそこで前回残りの紙幣を新紙幣に変えようと思ったところ、どうやら私の勘違いで、前回余ったそれは新紙幣でそのまま使えるらしい。ふむ。
空港で乗ったバスからの眺め

宿は台北駅(火車站)の近くを取ってあるので、そこまでバスに乗ることに。バスは何便も出ているが、大有巴士というところの西線90元のチケットを買った。この路線、ガイドブックには110元と書いてあるがこの値段だった。違いは謎である。 乗り場では予定時刻より十数分遅れて出発し、到着も合わせて30分以上遅れた。 夕方の台北周辺はさすがに混雑するようだ。

さすがに2回目なので、なんとなく位置関係もわかり、ガイドブックを見ながらバスの位置を逐次確認する。 乗り場の路線地図に書いてあった終点位置まで行くのかな・・・ と思いきや、少し手前で終点と言われた。 ふむ。

バスを降りてから、まずはホテルに向かう。台北駅(火車站)から歩いて10分といったところか。 このホテルは、偶然にも数年前に台北に来たときに使用したホテルだ。駅前でのリーズナブルなホテルは限られるということか? 好みが変わっていないのか?

さすがに夜なのでお腹が空いており、早速、夜市に繰り出して食事を取ることにしました。

近くの夜市をと探したところ、少し北に寧夏路夜市があるようなので、タクシーを拾ってそこに向かう。90元(315円。初乗り70元で300mごとに5元プラス)だった。

寧夏路夜市は食べ物を中心とした夜市だそうだ。とても賑やか。

前回は臭豆腐(チョウトウフ)の臭いが鼻について、どれもこれもことごとく美味しく食べられなかったが、今度こそリベンジだ。

散策し、まず見つけたのが虫可仔煎(オーアーチェン)だ。これは、タイ中部に行ったときに屋台で見つけたもので、オムレツのような中にカキが入っていて、とてもジューシーで忘れがたい味だったのだ。 それをガイドブックでまず見つけ、その屋台が目の前にあるのだからもう食べるしかない。

食べたが・・・。 うーん。 おいしいにはおいしいが、それほどでもない。 何かあの時の味とは違うのは仕方がないといえば仕方がないが。 やはり、タイ中部に行きたくなってきたぞ。

その後、煮込み肉のようなものを食べたりした。

夜市の帰りは、タクシーに乗ろうかとも思ったが、さほど遠くなさそうなので歩いて帰ることに。

・・・だが、これが大失敗。 思いのほか時間がかかり、とても疲れてしまった。 次からはためらわずタクシーを使おうと心に決める。

明日は町中を探索しようと思う。

龍山寺(ロンサンスー)、国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂) 、国立歴史博物館、国立台湾博物館と台北二二八記念館、台湾の環島週遊票

2007-12-28

龍山寺(ロンサンスー)

朝、日本でいつも起きている時間に一度起きてしまった。まだ朝5時。 再度寝て6時半に起き直す。

7時から朝食をホテルに付いている1Fの食堂で食べた後、朝早くから開いている龍山寺(ロンサンスー)に向かうことにしました。

ここは台湾最古のお寺で、台北駅(火車站)からもそれほど遠くない。

大通りに出てからタクシーで向かったところ、これまた90元。

ここが、なかなか雰囲気のあるお寺だった。

水撒きをしている人。

飾り物がいろいろある。

太陽と鯉、か?

龍山寺(ロンサンスー)

見学しようとしたところ、何やら人が大勢詰めかけていた・・・。


どうやら朝の祈りを捧げているようだ。このような人の邪魔をしてはいけないので、ゆっくりと見学コースを歩く私。

ぐるりと回って、さて帰ろうかと思ったら、ふと、周囲の人たちが一斉にスートラ(?)を唱えだした・・・・。


実際、それは唱えるというより、まるで歌を歌っているかのようなものだった。

私は、つい聞き入ってしまった。 言葉の意味はわからないが、どこか知らない土地で聞く現地の音楽芸術のような趣がある。

皆が持っている本を見るに、どうやら仏教の教典らしい。 さすがに龍山寺とお寺を名乗っているだけあって、それはそうであるようだ。

日本のお経と違って、どこか深刻さはなく、そのあたりにいるおばさんたちがちょっと集まってきて唱えている、といった印象を受ける。

生活にとけ込んでいる宗教。
ここでも、宗教が息づいていて人々を動かしていることを思った。

日本にいると「宗教=怪しい」となるが、世界的にはそのような認識はほとんどなく、むしろ無神論者として過激派分子と見られるのが一般常識である。 よって、外国に行った際に宗教は何かと聞かれたら、間違っても「無宗教(アナーキー)」などと答えてはいけない。一歩間違えば入国拒否だってあり得る。

ここで見られるような土着の宗教はコミュニティ形成にも役立っていることが、集まっている人たちのお互いの気遣い合いから感じ取れる。 経典をお互いに見せ合ったり、挨拶したりしている姿がそこかしこで見受けられる。

しばらく、数十分だろうか、スートラに聞き入っていた。

そして、そこを離れる。

国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)

次に訪れたのは、国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)である。

龍山寺からここまでタクシーで100元。

ここは広い敷地があり、更には、国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)は高さ70mもある建物である。 元々は蒋介石を記念して建てられたメモリアルホールだったとのことで、実際、名前が変わった現在でさえも蒋介石を誉め称える展示が多く残されていた。

近づいてみると、その大きさがわかる。

とてつもない大きさ。

遥か向こうまで広場が続いている。

階段の左右には獅子舞がいる。これまた面白い顔だ・・・。

左が母親と子供、右が父親らしい。

これだけかと思って横の道から帰ろうとしたら、ふと振り向きざまに、下になにやら入れる道があることに気がついた。 どうやら左右から記念館に入れるようになっていたようだ。

中は、かなりの部分が蒋介石の展示で、スタッフもどこか誇りに溢れている気がした。

蒋介石の乗っていたキャデラックらしい。

敷地の模型。

上から見るとその広さがわかる。

国立歴史博物館

国立台湾民主記念館(旧・中正記念堂)を見た後、近くにある国立歴史博物館まで歩く。

ここは1955年に制作され、6万点を収蔵しているとのことだ。

中はさほど広くないが、水墨画などレベルの高い作品が多くあることが印象的だった。

最上階ではお茶を頼み、しばし休憩を。

裏手にある植物園が下に見える。

池を、蓮が埋め尽くしている。

お茶とお菓子をつまみながら一休みする・・・。

ふと見ると、カメラマンと共にウェディングドレスと新婦が芝生の上に・・・。

この博物館ではおみやげ物として水墨画などを買って日本に郵送した。少し高い気もしたが、たまにはいいだろう。

この博物館の中で特別展示があったのだが、その人が信心深く、台湾の仏教に関する信心深さを英語でとうとうと語ってもらった。 台湾は仏教徒がほとんどを占めているとのことで、転生輪廻(レインカーネーション)やカルマの法則についてなどを説明された。 宗教家はどの国でも喋り出すと止まらないのは共通であると思った。

国立台湾博物館と台北二二八記念館

国立歴史博物館を出てから、今度は国立台湾博物館へと向かう。ここは大理石が綺麗に敷き詰められた、ガイドブックによると「台湾で最も美しい博物館」だそうだ。

そのうたい文句はあながち間違いではない。このエントランスルームの大理石と、天井に広がっているドームに関して言えば。

ここには、歴史や地理や原住民の民俗、動植物なども展示されていた。

その後、すぐ南にある台北二二八記念館に向かう。

二二八平和公園の看板。

ここは、台湾でいわゆる「白色テロ」の先駆けとなった二二八事件の記憶を留めようという趣旨の記念館だ。 日本語ガイドもあったので聞きながら回ることにしました。


二二八事件とは、蒋介石が40年にもわたる戒厳令を敷くことになったきっかけであり、内省人(戦前から台湾にいた人)を虐殺した事件である。

内容を聞く前の前提知識として、国民党と民主進歩党の2つのそれぞれの特色を理解しておく必要がありそうだ。

前者は日本の侵略を悪と考える政党で、蒋介石と共に戦後大陸からやってきた外省人が支持基盤。長い間独裁政権を築いていた。台湾の教科書にも長らく”鬼畜日本”と書かれていたが、その記述はこの国民党から見た視点。

後者は日本を友人と考える政党で、戦前から台湾にいた人(内省人)が支持基盤で、台湾独立派。 こちらは親日。

実際は、前者であっても親日の政治家(前の総統など)がいたり、後者であっても反日教育を受けた世代がいたりして複雑なのであるが。更には近年の流行である「民族主義」が加わってきて、自分自身の国はそれぞれの民族が統治すべき、みたいな話が入ってくると更にごちゃごちゃしてくるが、基本は前の2つの政党を押さえておけばOK。

この枠組みを理解した上で、どちらの視点による展示なのかを考えつつ説明を聞くと内容が良くわかる。

どちらにせよ、二二八事件が長い間タブーとなっていた台湾においてこのような展示が現在されているということは、それはそれは輝かしい出来事として捉えるべきなんだろう。

この二二八事件による虐殺の数々は、日本が南京で行ったような「ゲリラ掃討作戦」のように正当な理由があったものではなく、本当の意味における大虐殺であった。 このようなものこそ大虐殺と呼ぶべきであるのに、南京でのゲリラ掃討作戦まで大虐殺と呼んでしまったら、この二二八事件の悲惨さが薄れてしまうというものだ。 大虐殺と呼ぶべき大虐殺。

”時代背景”の展示ブースで、日本兵として出兵した人たちの寄せ書きがかけてあった。

記憶によると、志願兵は数百倍だか数千倍だかの難関だったらしい。志願兵になれた人は、それはそれは誇り高かったようだ。

基隆の港では、人々は手と足をそれぞれ針金で繋がれ、機関銃で打たれながら海へと落とされた。 前の人が落ちると同時に自分も落ちて運良く助かった人がいて、何十年も経った後に、そのようなことがあったとようやく証言できたのだという。

悲惨な事件。それが二二八事件。台湾の戒厳令のきっかけとなり、数多くのエリートが殺された事件だった。

戦前に日本留学を体験したほどの内省人エリートが蒋介石率いる国民党の軍隊に虐殺されるという構図。

北京で起きた天安門事件を握りつぶして「外国の陰謀」としてしまった中国政府とは違い、真実から目をそむけずこのような展示ができる台湾は、既に中国とは別の文化圏であるとさえ感じる。

さすがは日本の意志が込められた土地である。

台湾の環島週遊票

街中をぶらつきながら、麺+ビーフのようなものを食べる。

これはそこそこいける。

が、こちらはいまいちだ・・・。

そして、明日以降の切符を買おうと思い、台北駅(火車站)に立ち寄る。

ここで、環島週遊票という、一周できる(逆方向は不可)券を買った。いえい。

乗れる回数が決まっていて、その間なら特急に乗れる。 新幹線は使えない。

予定通り購入することができて、ひとまずはよかった。

歩き疲れたので、台北駅(火車站)すぐそこにある、知足健康中心というところでマッサージをしてもらう。

ここは前にも行ったことがあり、腕は良かったように覚えている。

その後、地下鉄に乗り、国立台湾大学前に広がっている公館夜市に向かう。

なかなか賑わっている。

さて、屋台に挑戦!

と思い、いくつか食べ物を買ってみるが・・・。

うーん。外れだ・・・。


すまない、おじさん。

長らく歩き散策した後、帰途につく。

明日は電車に乗り、花蓮に向かおうと思う。

花蓮に移動

2007-12-29
朝は昨日と同じ、ホテル1Fのレストランで済ませた。

そして、電車まで時間があったので次の区間である花蓮→台東までの予約も行った。

更にもう1つ、台東→高雄を予約しようとしたところ、1月1日だからか、もともと本数の少ない路線だからか、一日中満席で予約ができなかった。 聞くに、台東駅(火車站)に行って駅員に言うように言われたので、そうすることにする。

まだ朝なので、台北車站(台北駅)の周囲も人がまばらだ。


朝9時25分の自強号に乗り、花蓮に向かう。

到着は12時ちょっと前の予定。

自強号は快適で、花蓮までゆったりと過ごすことができた。


席の幅も広く、足下が窮屈になることがない。

この区間を自強号より早く結んでいる太魯閣号(タロコ号)というのもあるようだが、予約が取れなかった。

まあ、観光なので、ゆっくり景色を楽しむことにする。

そして、花蓮に到着。

再度念のため1月1日の席を予約しようとするが、やはり一杯。だめだ。

そして、ホテルまで移動しようと思い、もしかしたら送迎があるかもしれないと思って公衆電話から聞いてみたが、送迎はないとのこと。 であればということで、タクシーで向かう。

どうやら花蓮の初乗り運賃は台北の70元と違い、100元のようだ。

ホテルまで150元で到着した。


ホテルに着き、まず明日の太魯閣(タロコ)峡谷ツアーを予約。

阿美文化村でのダンスショーも予約しようとしたが、今日も明日も一杯とのことで予約できなかった。仕方がない。

そして、お腹がすいていたのでレストランで食事をする。ビッフェ形式になっており、たらふく食べることができた。

その後、レンタサイクルで町中へ。 海岸線沿いにはサイクリングロードもあるようなので、そこも合わせてまわる予定だ。

町中に向かう途中、セブンイレブンがあったのでATMでお金を降ろす。先ほどの駅(火車站)のATMでお金を降ろそうとしたところマスターカードのシーラスおよびアメックスが使えず、お金をおろすのに苦労するのではないかと少し心配していたのだが、一発で成功。 さすがはセブンイレブンと思ってしまう。

海岸線の道を走り、町の方へ。


ホテルは海岸線沿いなので、ちょっとだけ離れている。

(実はこの車道ではなく、海岸線沿いのサイクリングロードを通るのがよい方法だった)

街中を散策する。

アジア風の町並みだが、さほど汚くない。

さすがは台湾といったところか。

面白い魚・・・。

いわゆる旧駅の近くまで来た。

地面には所々、昔の線路の跡が残っている。

噴水の真ん中にあるボールみたいなものがぐるぐると回っている・・・。

よく見ると、あれは大理石か?

タロコは大理石の産地というが、なかなか立派なボールだ。

だいぶ回ったところで、海沿いのサイクリングロードに出ようと思った。

そして、南濱夜市が行われるという南濱公園も場所を確認しておきたかったので、行ってみることに。

海岸線にある南濱公園へ。

さすがに時間が時間なので、まだやっていなかった。


だが、ガイドブックに「台北や高雄などの夜市よりスケールが遙かに大きい」とあるが、どう見てもそうは見えないのだが・・・。

遠くまで綺麗な海岸線が見える。

なにやら野外ホール? のようなものがあった。

ここで何かが行われることもあるのかな。

そして、サイクリングロードを通り、ホテルの方へと向かう。

ホテルを少し越えたところで、ベンチを使って昼寝。

うとうと・・・。

そして、寒さを感じたころに、ホテルに戻る。

ホテルの部屋。

なかなか綺麗。

だが、部屋から外を見てみると、なにやら工事現場が見える。

工事が先なのか、ホテルが先なのか・・・。

ホテルから工事現場が見えるってのもどうかと思うが。

部屋でシャワーを浴び、再度、阿美文化村へと行くことを決心する私。

ツアーでは行けなかったが、直接見に行けばいいのではという考えだ。

フロントの人から情報を聞き出し、場所は先ほど確認した南濱夜市の横であることを確かめた。(これがちょっと聞き間違いで迷ってしまうのだが。)

時間は19時20分~20時20分ごろまでとのことなので、今度はタクシーで向かう。

南濱夜市に着くが、少し早い。軽食と飲み物を調達して会場に向かう。 ちなみにタクシー代は135元だった。

そして会場に向かい・・・、きっと会場と思われるところに向かったのだが、誰もいない・・・。おかしい。もう準備くらいしていてもいいのだが・・・。

その周囲も百メートル四方を歩いたが、ここ以外にそれらしきところは見あたらない。


仕方なく、そのままホテルに帰ることに。 歩き疲れてしまった。

ホテルに戻って、先ほど会場を聞いたスタッフ(この人は日本語OK)にデジカメのプレビューで場所を確認するが、合っているとのこと。(いや、それは間違い。詳しくは後日の項目を。) だが、正確にはこの人はそのツアーに参加したことはないとのことだが。

ここまで探してやっていなければ仕方がないので、今日はあきらめることにしました。 どちらにせよ、現地の人が参加していないのだから、知る必要はあまりないのかもしれないとも思う。 興味はあるので機会があればそのときは。

明日は太魯閣(タロコ)峡谷ツアーに向かう。

太魯閣(タロコ)国立公園と阿美文化村

2007-12-30

きょうは太魯閣(タロコ)ツアーの日だ。

朝食をホテルのレストランで食べた後、ロビーで待つ。

時間になってもまだツアーのガイドが来ないのでロビーの人に尋ねてみるが、なんと、英語が通じない。 そこに、他のツアーのガイドがたまたま居合わせていて、その人が通訳してくれた。 そして電話で聞いてくれたところ、どうやら20分後には到着するとのことだ。ツアーは8時から16時とのことだったが、ホテルを回りながら客を乗せていく関係上、このくらいの時間差は許容範囲だ。

そしてバスが到着し、ツアー開始。

バスは立派で、快適な乗り心地。

ただ不安なことに、どうやらこの運転手はガイドではなく、しかも、英語が喋れないようだ・・・。 先日フロントで確かめたときは、片言の英語の単語での案内はあるようなことを言っていたのに。ううむ。

団体行動なのではぐれさえしなければ大丈夫と思い、あまり気にせずにいる。 ここは台湾なので、取って食われるようなことはないだろう。

次第に人が増え、いよいよ太魯閣(タロコ)渓谷に向かう。

しばらくハイウェイらしきところを走った後、細い道に入っていよいよ太魯閣(タロコ)渓谷へ。

川を渡るあたりから、景色が一気に変わり始めた。

太魯閣(タロコ)国立公園、との表示

この周辺は大理石の宝庫で、フィリピンプレートとユーラシアプレートがぶつかってできた地層だとか。

周囲の断崖絶壁に囲まれ、車は一時停止しつつ進む。

川の横の道を進んでゆく。

やはりツアーが正解だった。

自分で来るには辛い場所だ。

ちょっとした駐車場で休憩。

よくわからないが、皆が降りたので、きっとここでしばらく過ごすのだろう。

実演お土産屋さん。


いやあ、人の良さそうなおばあさんだ。

山には霧がかかっている。

山々に囲まれた峡谷。

タロコ族のシンボルマーク?

そして、そろそろ時間になったので、皆の行動に合わせてバスに戻る。

時間のアナウンスがないのが辛い(苦笑)

聞こうとしても、ウーウー言って(何か言ってるのか?)腕時計を指出してニコニコしている。 うーむ。 言葉が喋れないわけではなく、台湾人らしき人にはぺらぺらと何か喋っている。 うーむ・・・。

まあ、もういいや、という感じだ。

そしてバスで再度走り出す。

なかなかの絶景が続く。

細い道を進んでゆく。

その後、しばらく細い道を走った後、遊歩道入り口で停車した。


遊歩道を歩き、この先で再度乗り込むのだという。

約1~2kmの道のりで、ちょうどよい心地よさだ。

なかなかいい景色。

とは言っても、日本の山を歩いているのに似ている。

とことこ歩いてゆく。


登山というほどでもない。 ほんと散歩だ。

ここで、写真を撮ったことにより、一緒にツアーに参加しているカップルと仲良くなった。

最初私は女性の方が台湾人とばかり思っていたのだが、どうやら日本人とイタリア人のカップルだそうだ。 本人が言うにも、台湾人に間違えられて日本人には見てもらえないのだとか。

遊歩道を抜けた先で再度車に乗り込み、少し先にある天祥グランドフォルモサ(天祥晶華度假酒店)にて昼食となった。この値段はツアーに含まれているが、この高級ホテルでの食事であれば、ツアーの値段はリーズナブルな気がした。 このホテルは泊まれば6000元以上というから、なかなか手がでないところだ。

イタリア人男性のマリオはトリノ在住で、物理学などの研究員をしているのだとか。 女性は今現在日本在住だが、昔はイタリアで一緒に住んだこともあったのだとか。 男性の方は日本に3年半住んだことがあると言っていた。 今回、台湾を数日間旅行した後、日本に10日くらい滞在するのだという。

などなどを聞いたところで、このあたりはあまり立ち入らない方がいいという直感が働き、この話題はこのくらいにしておいた。

その後、周囲を少し散歩した後、再度バスに乗り込む。

天祥グランドフォルモサ(天祥晶華度假酒店)。

最高級かと思われるほど良いホテル。

バスは来た道を戻り、九曲洞まで来て、ここで遊歩道を歩く。

先ほどの2人と話しながら遊歩道を行く。

この遊歩道は元は車道だったところで、崩れてきたらもう通れなくなってしまうのではないかという心配もちょっとした。

ここではないが北海道の層雲峡では崖崩れで同じような遊歩道が閉鎖されていたことを思い出す。

この上の方に、気のせいかもしれないが細い細い道があったような気がした。


噂で、この上の方に、日本統治時代に作った細い道があるというが・・・。 もしかしたら・・・?

そして、バスに乗り込む。

この遊歩道の後、最後の景勝地である長春祠に寄る。

ここは10分ほどの短い滞在だ。

ここには、この中部横貫公路の建築工事で殉職した212人の霊が祀られている。

あれか・・・?

上の方にも何かがある。

パンフレットを見てみると、この場所は日本語ページの立ち寄り場所に載っていない。

英語ページを見ると、この場所は立ち寄り場所になっている。


日本人ツアーはこの場所には立ち寄らず、その分の時間をお土産ショップで過ごすことになるのだろうか??? などと想像が駆け巡った。


その後、帰途につく。

その途中で、定番かと思われる大理石のお土産屋に立ち寄ってお土産攻撃を受けた。 日本語を喋れる人もいて、見ている分には面白かった。

そして、バスは花蓮の町内へと帰って行った。

仲良くなった2人は駅(火車站)の前で降りたのでお別れをする。
私はホテルに一旦帰ることにしました。(基本的には乗ったのと同じ場所で降りるのがルールだが、降りたければ町中で降ろしてもらうこともできそうだった)

最後のお土産物屋で2人と話したとき、は阿美族の踊りがやっている場所を教えてもらった。 そこは、私が考えていた南濱公園の横の広場とはちょっと違っていた。 割と近いので、歩けばすぐ着くような距離ではあるのだが。

この後、一度シャワーを浴びてから、先日は見ることのできなかった阿美族の踊りを見に行くことにする。

ホテルのロビーに戻ったときに先日教えてもらったスタッフに正しい場所を知ったと話しかけたら、彼が言うところには、もともとそこのことを意図していたのだという。 ううむ。 確認は大事だな・・・ と、譲歩するが、彼の説明が怪しげだったことも確かだ・・・。 まあ、旅行にはこういうこともある。 どこを指しても「はい、そこです」と彼は言っていたからだ。 怪しげな日本語と怪しげな説明・・・。

しばらく部屋でゆっくりした後、再度出かける。

まだ少し時間があるので、おいしいワンタン屋さんである液香扁食店(イーシアンピエンスーティエン)までタクシーで行ってもらうことにしました。町中まで10分走ったかどうかというところで150元。しかし、空いていなかった・・・。運転手のおじさんが指さして、あっち、あっちと言っている。だが、よくわからない。 すると、おじさんが気を利かせてくれて、サービスだから乗せていってやるという単語および仕草で助手席に私を乗せた。

そして、1~2分先で止まり、指さした先にあるのは別のワンタン屋。おお。こういうことか。 おじさんに礼をいい、私はそのお店へ向かう。

お店はとても繁盛しているようで、しかも、私などおかまいなしに他の客をばっさばっさとさばいている。 どうも、英語ができない雰囲気だ? 他の人が私の横から中に入っていったので、私もそれに習って中に入る。いいのかどうかわからない。 そして、カウンターの席に座り、1つ注文する。 どうやらメニューは1種類でワンタン60元、それだけのようだ。

そして来たワンタン。 まあまあかな。 ふと周りをみると、客が減っている。

しかも、私が入ってきたのと逆の入り口はシャッターを閉めている。 ううむ。閉店間際だったようだ。 危なかった。

そして町に出て、溝仔尾夜市の方に向かい、更に、石藝大町の方に向かう。

すると・・・。目の前のバスターミナルらしきところにステージができていて、そこでダンスなどをしている。 これが阿美文化村か??? テントの売店の店員に、ここは阿美文化村か英語で聞いてみたら、Yesと返ってきた。 ここが阿美文化村??? なにか違う気がするが・・・。

違和感があり、それでも、これしか見つからなかったのだからこれがきっとそうなのだろうと自分を納得させようとする意志の力と、まだあきらめきれない自分。 そんな中、まだ時間が少しあるのだから、本来私が石藝大町の場所として認識していた付近まで、とりあえず行ってみることにしました。何もなければ何もないでいいだろう、という思いだ。

すると・・・。石藝大町が現れた。 中を覗いてみると・・・。 これは、雰囲気からしてまさしく阿美文化村である!!! あきらめなくてよかった!!! それにしても、周囲に看板くらい出してもいいものだが・・・。


台湾の人は、何を聞いても「はい」「はい」と答えるのかな???


とにかく、来れてよかった。

さっきのがそれだと思い込まなくてよかった。

ステージがある。

まさにそれっぽい。

しばらく売店で時間をつぶした後、席でまっていると、いよいよショーが始まった。

ショーは、期待通り楽しかった!

しかも、350元取られるというホテルスタッフからの前情報と違い、今日ツアーで会った2人が言っていた通り、無料だった。 これはお得である。

写真だとこの動きが伝わらないのが残念だ。


踊りは、男は力強く、女はしとやかに、と言った民俗系の基本と言ってもよいかもしれないところを付いてくる。

ぴょんぴょんと飛び跳ねるように、舞うように踊る。

女性らしい踊り。

見に来ていた子供たちも一緒になって踊る。


楽しげな雰囲気だ。

ショーになった段階で多少アレンジされたことは予想できるが、それにしても、阿美族の特徴らしきものは伝わってくる。

見ていて退屈しない。

それほど、ショーとして洗練されている。

部族内でいそいそと行っている儀礼ではなく、見せるためのものとしてきちんと形作られている。

次第に動きが早くなる。

足の動きが素晴らしい。

力強い踊り。

ショーとはいっても元々は民族の踊りだった筈で、それぞれに意味があるはず。

(まあ、ここで一見しただけでわかるようなものではないが。)


そしてクライマックス。

なかなかできたショーだった。


これはいいものを見た・・・。

やがて帰途につく。 今日は、今回見れないと思っていた阿美族の踊りが見れて、とても満足だ。

明日は台東まで電車で移動し、そこからバスで知元温泉(ちっぽん温泉・ツーペンウェンチュエン)に向かって大晦日を迎える予定だ。

台東の知本温泉

2007-12-31

今日は朝から調子が悪かった。

朝一番でお腹の調子が悪かったが、食事をした後は落ち着いてきた。

食事に当たったというよりは、寒気がして体調を崩したような感じだ。
先日の太魯閣(タロコ)峡谷ツアーで寒かったからかもしれない。

今日は電車の時間まで予定がなく、町中に出ても午前中はほとんどお店が開いていないので、体調回復のためにも10時くらいまで部屋でのんびりとしていた。

そして出発し、花蓮駅(火車站)までタクシーに乗る。今度は155元だった。行きは150元。誤差の範囲か。

電車まで1時間半ほど時間があったので、先の日程の電車予約をあらかじめ済ませておくことにする。 先日から何度も予約失敗していた1月1日の台東→高雄の切符ですが、少しスピードの劣る電車なら遅い時間に空きがあるようなのでそれを予約する。 なにはともあれ取れてよかった。 その後の日程も、最後の最長区間である嘉義(チアイー)→台北の4時間の行程を予約入れる。よかったよかった。これで何とかなりそうだ。

高雄から台南までの短い区間も予約を入れる。台南からは鳥山頭ダムを見に行くつもりなので、朝早い時間でバスに間に合うようにしました。鳥山頭ダムからの帰りはタクシーで最寄りの駅(火車站)に向かうつもりなので、台南→嘉義の区間は予約を入れずにおく。(鳥山頭ダムは後ほど取りやめた。)

これで鉄道は、阿里山鉄道を除いてほぼ心配がなくなった。阿里山鉄道は、乗れなければバスという手もあるが、どうせなら珍しい登山鉄道に乗ってみたいものだ。 ただ、バスの方が値段が安いのと本数が多いため、客はバスの方に流れる気がする。

そして、電車に乗り込む。 またもや快適な、足下の広いシート。

2時間乗っていたが、ほとんど苦にならず、あっと言う間に着いたかのような印象を受けた。

そしていよいよ台東。ここからバスが出ているとガイドブックに書いてあったのでバス停を探す。それは駅前のわかりやすい場所にあった。そこで、知本温泉(ツーペンウェンチュエン・ちっぽん温泉)までのバスを聞こうと思ったが、英語が通じない。ガイドブックの後ろに着いている簡単な会話集を元に、「・・・にはどこですか」と聞いたら、こっちのバスだと教えてくれた。 そこで切符が22元を払わされる。よくわからない。ガイドブックには58元と書いてあるし、切符には台東行きと書いてあるし・・・。 このまま連れて行ってくれるのかな? と思ったらもちろんそんなことはなく、台東のバス車庫に到着した。

どうやらここまでが22元とのことだ。なるほど。

ここで、知本温泉への切符を今度こそ58元で買う。

バスに乗るまで少し時間があったので、目の前にあった食堂で牛肉麺を食べた。 味は台北で食べたのとそう変わらないか。まあまあだ。

そしてバスは知本温泉へ。 

ここで私は不安がひとつあった。私はWired-Destinationsというところで予約を入れたのですが、そこの記述が英語だけで、漢字の表記がなかったのだ。

そこにはこうある。Toong Shing と。

また、他のホームページで漢字の名前が乗っているものがないかと検索したのだが、楽天で乗っていたものすら漢字の表示がなかった。

なので、このアルファベット名で本当に見つけることができるのか、ということが不安であったのだ。 最悪もしかしたら勘違いで別の場所のホテルだったりしたらしゃれにならない。

Wired-Destinationsだけの情報で欧米人はこのホテルまで来ることができるのだろうか??? 私は楽天の情報なども見て足りない部分を補完したので何とかなったが。

その不安は案の定、運転手の人にホテル名を見せても「ん???」と言う顔をしている。 ほれきた・・・。

結果、終点までついにたどり着いてしまい、運転手は折り返しで乗ってきた他の人に場所を聞いていた。そうしたら、どうやらわかったようだ。 その時点で私は楽天ウェブページの印刷を再確認して、横にセブンイレブンがあるということを確認していたので、どちらにせよセブンイレブンで降りようと思い立つ。そのことを運転手に伝えると、運転手も納得しているようだった。ふむ。

そして、セブンイレブンの手前(山側)で車は止まり、運転手は「ここだここだ」と言って降ろすよう促す。

だが、そこに書いてあったのは「TOONG MAO(知本総茂温泉旅館)」だ・・・。

本当に合っているのか? 予約したのは「TOONG SHING」なのだが・・・。
後日取った写真

思いのほか良いホテルのようで、まだ新しいように思える。フロントもかなり綺麗だ。 まだ不安があったが、予約用紙を係りの人に見せてOKをもらって初めて安心できた。

私の名前も載っていたようだ。 ほっ。

それにしても、ホテルの名前が違ってはそうそう辿り着けないぞ・・・。 どういうつもりだ・・・。 今回たどり着けたからいいものの、楽天ホームページを印刷していなかったり、折り返しで乗ってきた人の中にこのホテルを知っている人がいなかったら途方に暮れていたに違いない。

ただでさえ、最初は「東台ホテル」かな??? と思っていたくらいなのだから。 理由は、「台東」がタイトンと読むのだから「東台」はトンタイかなと予想したからだ。 ホテル名の「Toong Shing」と微妙に合わないとはいえ、このくらいしか予想できなかった。 見事に外れたわけだが。

こうして、無事、知本総茂温泉旅館(TOONG MAO)にチェックインすることができた。
部屋にあったパンフ

窓の外にはのどかな風景が見える。

部屋も立派だ。

しかも、ダブルベッドが2つある・・・。 私は一人なのに。(苦笑)

まだ新しいホテル。

くたくたであったので、早速温泉に入りにいく。

ここ台湾では温泉がプールのような扱いになっており、水泳パンツと水泳キャップが必要とのことだ。

水泳パンツだけはベトナムで買った薄くて軽いものを持ってきたが、水泳キャップはもともと持っていなかったのでここで購入した。 思いのほか安く、50元だった。 今後とも旅行に持ち運べるくらいの軽さだ。

そして、ロッカーで着替え、温泉に入る。

これが・・・、予想以上にいいお湯だ! 弱アルカリ性炭酸泉とのことで、入る前はあまり期待していなかったが、入ってみると、「泥湯が少し混じっている」と表現すればよいだろうか。 その泥が肌にあたり、感覚がとてもよい! これは、そんじょそこらの日本の温泉より遙かにレベルが高いです。

日本の温泉は、単純アルカリ湯の循環湯でも温泉とか言っているので、水道の水かと思うような温泉がたくさんあるが、ここは違う。 遙々と来るに値するし、ホテルが真新しくて繁盛している理由も理解できる。 この周辺で一番栄えている温泉街というのも納得できるというものだ。 このお湯であれば、近くまで来たらまた立ち寄ってもいいと思える。

敷地の半分くらいはプールと温い水のゾーンで、1/4くらいは日本風に似せた形で温泉の区画が区切られていた。(泥湯となっているのはこのゾーンのみで、プール側は透明)

そしてお風呂を出る。 肌もすべすべだ。


そんなこんなで、もう日が暮れ始めていた。

その後、周囲を少し散策する。 あまりお店もないようだ。

ホテルに戻り、部屋で少し荷物の整理をする。

そして食事を食べに行く。夕食は300元。食事としては高いかもしれないが、リゾートホテルなのでこんなものだろう。 

最初、レストランの方に行ってスタッフに言うが、通じない。英語も日本語もだめなようだ。カウンターの人にまず伝えて、レストランのスタッフに席を用意してもらった。ふう。

そして、ビッフェ方式かメニューオーダーかを聞こうとした際も、英語が通じず、日本語も通じず、他の人が呼ばれて日本語で聞いてきたので日本語が通じるかなと思ったら実際にはほとんど通じず、今度は年をとったおばあさんが出てきて、日本語世代のおばあさんであれば今度こそ日本語が通じるかと思ったが、「わかんないい・・・」と言われてしまった・・・。ぐふ・・・。

食事は勝手に出てきたので、それを食べるのでOKということにする。ふむ。
日本語を勉強している人は割といるんだな・・・ と思った瞬間。

再度人が出てきて、今度は日本語で、単文を組み合わせて説明する。 すると、「ビッフェ」は通じて、朝はビッフェだと教えてくれた。(もう知っていたが・・・。) ふう。 「これは300元」と言ったので、それは知っていたが、もうそのくらいでOKOK... とした。ふむ。

食べ終わった後、フロントに行って「お金はいつ払うのか?」と英語で聞いたら「今」という。 どうやら、雰囲気的に、前払いが本当だったのかも??? という気がした。

そして、部屋に戻り、ゆっくりする。

もう、この時点でかなり疲れていた。 台湾の旅は、微妙に疲れが溜まるのは何故だろう。 きっと、食事かも・・・。 人は問題ないし、乗り物は快適だ。 食事、特に屋台系の食べ物にやられている気がする・・・。

温泉に入って少し回復してきたので、今日はもう無理しないことにする。

明日も、少し遅くホテルを出よう。 なにせ、明日の電車は19時すぎの予約なのだし。

国立台湾史前文化博物館

2008-01-01
今日はあまり予定はなく、先日もらったパンフレットの国立台湾史前文化博物館に行くことにしました。急ぐこともないのでまたもや部屋でゆっくりした後、10時くらいにチェックアウト。

10:12のバスに乗り込んで知本駅(火車站)に向かった。

橋から温泉街の方を眺める。


日本の温泉街に本当によく似ている。

この中で、日本語が少し喋れるおじさんと話をして、運転手に行き先を通訳してもらった。駅まで27元だそうだ。 このおじさんは台南から通っているとのことで、このあたりの素朴さが好きなのだという。10年くらい前からホテルが増えだして、その前はホテルが一件しかなかったのだとか。ホテルの周辺の売店ももちろんなかった。なるほど。 日本人も顧客ターゲットなのだとか。日本人は特に温泉が好きだから。

そして私は知本駅(火車站)で降りる。寂れた駅だ・・・。

時刻表を見ると次の台東行き列車が11時25分なので約50分後で、私の目的としている康樂駅(火車站)に行く便は12時43分なので約二時間後。。。 仕方なくタクシーで行くことにしました。

站(駅)前にタクシーが並んでいたが最初の二台には運転手がいない。列車が来ないうちは客がいないということか。三台目の運転手が手を振っていたのでそれに乗る。この運転手はラッキーだな。 運転手はメーターを回す前に指を四つ出して、きっと400元の仕草と思われるものをした。 私は軽くイエスらしき仕草と声を出してしまったが、走り出す前にメーターと言いつつ指差してメーターをつけてもらった。

国立台湾史前文化博物館のパンフレット。

国立台湾史前文化博物館までは、なかなか遠かった。車はスピードを出し、メーターもよくまわってゆく。いくらかな・・・。と思ったら、370元。まあ、こんなもんか。言い値よりやはりメーターの方がちょっとだけ安い。

それにしてもこの国立台湾史前文化博物館ですが、かなり立派だ。さすがは国立と付くだけのことはある。 周辺に広がっている草ぼうぼうの空き地とは大違い・・・。

中の展示もかなり立派。日本語の音声ガイドも借りることができ、ゆっくりと見て回った。かなり展示が多く、疲れてしまうので途中休み休みまわった。

台湾がプレート移動でできるさまや、台湾の動植物が南中国から入ってきたとされる展示、そして、石器時代から現代に至るまでの人間の化石の分布状況など。

現代に入り、先住民族の各部族についての文化や風習などが最後に展示されていた。

日本が統治しなかったら、台湾は現在のフィリピンの孤島のように貧しい暮らしをしていたのかもしれないなあ、とこれを見ていて思った。日本の功績は偉大だな・・・。 ここまで台湾を発展させたのだから。

立派な船。

アイヌみたいな刺繍だ。

国立台湾史前文化博物館を見終わった後、中にあるレストランで食事をした。

中庭がずっと広がっている。

そしてそこを出て、近くの駅(火車站)へ向かう。


博物館とのギャップが凄い。(苦笑)

草ぼうぼうだし、駅までの間に何も建物がない。

駅(火車站)で時刻表を確認してみるが、どうやら二時間くらい来ないらしい。仕方なくタクシーに乗ろうと思っても、駅(火車站)にタクシーは止まっていない・・・。

仕方なく、途中曲がった大通りまで歩くことにする。

途中、電車が通り過ぎる。ローカル列車だろうか。


線路をくぐって、大通りを目指す。

あと少しで大通りだ。

そして大通りまでようやく出て、タクシーが通っているかと思ったら全然来ない・・・。 仕方なく少し歩き出すと、ようやく来た。

それで、国立台湾史前文化博物館の別館である卑南文化公園までいってもらうことにする。

ここで失敗。メーターを回していないことに、少し走ってから気が付いた。メーターと言いつつ指さすと、指二本を差し出して、どうやら200元と言っているらしいことがわかる。 おそらくは数十元高いのであろうが、先ほどから言ってもそう違った数字は出してこないようなのでまあいいかと思った。

そして卑南文化公園に到着するかとおもいきや、台東駅(火車站)に着いた。 やられた。 まあ、このすぐ裏なのでさほど間違っていないのですが、台東と言ったところだけ通じてしまったらしい。 まあ仕方がないのでこれでよいとして、歩いて卑南文化公園に向かうことにする。

駅(火車站)のインフォメーションで場所を聞くと、站(駅)を右に出て更に右だという。

それに従って歩くと、あった。これか。たしかに発掘現場だ。

しかし、更に先がある? 公園になっている。 まだなにかありそうなのでしばらく歩いたが、見つからない・・・。 パンフレットには入場料30元とあるのでなにがしかありそうだが・・・。 さきほどのところで入場チケット売場らしきものがクローズしていたが、もともとあそこが有料だったのか??? などなどよくわからないまま站(駅)に戻った。

それにしても、まだ4時。19:45の電車まで時間がありすぎるので早い時間の席がないか再度確認を試みる。すると、あった! よかった。一時間くらい早い席だ。それにより18:15に変更し、到着も22:45から21:45くらいになった。 寝る時間を考えると、このくらいが有り難い。

そして電車を待つが、それでもまだ時間がある・・・。 横にある屋台などで少し腹ごしらえをして時間をつぶす。

それにしても、思いのほか冷える。これでは阿里山の早朝日の出ツアーは思いやられる・・・。 0度にでもなったら凍え死にそうだ。

そして電車は高雄に到着。

ホテルに行き、ようやく休みにつく。

台南

2008-01-02

今日は早く起きて7時18分の電車に乗り、台南へと向かう。

今日の1日はどのように過ごすか、実は直前まで迷っていた。高雄で過ごすか台南で過ごすか鳥山頭ダムを見物しに行くか、或いは少しずつ見るか。

決め手は先日の知本温泉の帰りのバスで一緒になった台南のおじさんで、いかにも親日そうで紅白歌合戦も楽しみに見たということから、ぜひともあのおじさんの住んでいる台南を見てみたいと思ったのだ。

それに、高雄から台東の間の各所はまた来る機会にでも温泉巡りをしてみたいと思ったことと、いざ台南のガイドブックを見てみると鳥山頭ダムひとつよりずっと重みがあると思ったため、今回は台南を回ることにしたのだ。

そんなこんなで高雄から30分ほどで台南に着き、散策する。

着いた直後、荷物預け場所がないかと探したら、站(駅)の敷地内にあったので預ける。17元。

身軽になったところでまず最初に、安平(アンビョン)と言う海沿いの地域にバスで移動することにする。一律18元で長距離を移動することのできる、リーズナブルなバス。

ここで、2番の系統バスを待っていると、なにやらタクシーのおじさんが話しかけてくる。 タクシーに乗りな、と言っている。「こないこない(No, No)」と言っているような気がしなくもない・・・。 こんなこと台北でも全くなかったし、台東では少しだけ熱心かなとも思ったが、ここ台南ではタクシーの勧誘が思いのほか熱心だと思った。 実際、ガイドブックにもここ台南だけタクシーに注意との記述がある。 とは言っても、ベトナムやタイと比べるとかなり上品で親しみが持てるので、これはこれで悪くない。

そして2番のバスに乗り、安平へと向かう。

かなり走るが、定額なのは素晴らしい。

そしてエリアに近づき、郵便局前で降りる。 運転手のおじさんは、「安平古堡はあっちだ、あっちだ」と教えてくれる。お礼を言ってバスを降りる。

実際、最初の目的地はそこではなく、その逆側にある徳記洋行・安平樹屋(台湾開拓史料鑞像館)だったのですが、社交辞令である。

降りたすぐそこで、チキンバーガーらしきものとホットの豆乳を飲み食いする。

そして徳記洋行・安平樹屋(台湾開拓史料鑞像館)へ。

ここ、徳記洋行・安平樹屋(台湾開拓史料鑞像館)は、ガイドブックには台湾開拓史料鑞像館と書かれてあり、ひどいことに「ろう人形が不気味」と書かれてあるが、中の展示はそれ以降趣旨変わりしているようで、この周囲の観光資源再構築のコーナーと木と家が絡まっている庭の散策コーナー、そしてろう人形による開拓史解説のコーナーと分かれていて、最初のものがメインの展示物のように見受けられた。 ろう人形は影が薄かった。

この中の展示では、この周辺が2003年から2007年までの観光資源発掘プロジェクトでどのように変わっていったのかが描かれており、どうやらそのプロジェクトでこのろう人形の館もがらりと模様変わりしたのだということは容易に理解できる。

安平樹屋はもともと日本統治時代のとあるイギリス系会社の工場で、その後は放置されていたとのこと。樹木が家屋にからまって不思議な風景を醸し出している。

徳記洋行は同イギリス系会社の商売用の建物であり、お茶の輸出や農場の保険業および銀行業を行っていた。これは、安平に残っている唯一のイギリス系貿易業者の建物で、今は台湾開拓史料鑞像館として使われている、が、パンフレットにはその名前ではなくイメージの良さそうな4文字「徳記洋行」が前面に書かれている。

そして、散策も終わり外に出る。

今度は、いよいよ安平古堡に向かう。

ここはオランダ人が1627年に築いた要塞で、当時はそのすぐ向こうが海だったという。

随分と古いものだが、小綺麗に手入れがなされている。

中には鄭成功にまつわる展示がなされている。彼は明国の人間で、オランダを追い出した人物だ。鄭の政権は3代の後に清国に倒されたとはいうものの、ここ台南には鄭成功にまつわる史跡がいくつかあるようだ。

展望台からは遠くがよく見渡せた。

中には、安平古堡の模型が置いてあった。

そしてそのすぐ横にある安平開台天后宮に行く。

ここは媽祖を祀っているとのこと。

地域の信仰の中心だとか。

私が見学したときも、熱心な青年が一生懸命、願い事をしていた。

柱の近くにある狛犬が、これまたかわいらしい・・・。

屋根には、このような人形が。


そしてその周囲を散策した後、地図で見たところの、近くにある橋の方にあてもなく歩いた。

歩いていると、食堂屋があったのでひとつ食べてみることに。

しかし・・・。 この味、ちょっと受け付けない・・・。

残してごめんなさい。

橋にふと近づいてみると、運河博物館があった。

ここでは運河が過去にどのようであったのか、そして、日本統治時代にどのように開拓が進んだのか展示が行われていた。1922年から1926年にかけて、当時の大金だった75万円もの資金を投入して台湾に貢献した。更に1935年77万円をかけ新しい港を作り、現在の基礎を作り上げた。

その中で、多少つたないが英語で一生懸命おねえさんが説明してくれた。昔は、とても狭い運河だったようだ。 そして、お土産もちょっと買うことに・・・。(苦笑)
昔の運河の様子

これは、裏にある防空壕。

なかなかリアルだ。

その横では、川の中をガラスごしに見て魚を見せようと言う工事が行われていた。 2008年中にはその工事が終わるのだという。

そして、運河博物館を出て、橋を渡り、億載金城(Eternal Golden Castle)に向かう。
運河

ちょっと距離はあるが、散歩がてらに歩く。

ゆっくりと歩いてゆく。

べつに急ぐことはない。

そして億載金城(Eternal Golden Castle)へ。

入場券。

入場券にあるレンガ造りのアーチをくぐり、億載金城(Eternal Golden Castle)に入る。

ここは清朝時代1874年から1876年にかけて作られた対日用のフランス式設計およびイギリス製砲台が用いられた要塞の跡地であり、上から見ると星型に近いようだ。

1975年に再整備され、そのときに現在置かれている模擬の砲台が置かれたとのこと。

そして、公園内を散歩した後、外に出る。

目の前にバス停があり、そこにバスが止まっている。

ガイドブックによるとどうやら日中のバスは1時間に1本とのことで、逃した場合は目の前のレストランに入ることを決める。

どうやら間に合って乗り込む。22元だそうだ。英語は通じないが筆談でなんとか。

そして5分ほど待ち、出発する。

それにしても眠い・・・。このバスのソファーがあまりにも快適すぎて寝てしまいそうだ。 こんな、合成皮リクライニングシートの豪華バスなんて日本では考えられない。しかも路線バスで。これならば遠くでもバスで行ける気がする。

うとうとしていたら、割とあっと言う間に駅(火車站)に着いた。ふう。

さてどうしようと思い、まだ時間があるので站(駅)から近いところを見に行くことにする。 まず赤カン樓(ツーカンロウ)に行くことにしました。站(駅)からしばらく歩く。

と、その時、目の前に大戸屋の垂れ幕が!!! これは食べるしかない。 もう、台湾料理はこりごりしていたところだ。 実際、台湾に赴任でもしたら食べ物で私はやられてしまうことだろう。

大戸屋の料理は、ほとんど日本と同じ味である。素晴らしい。細かいところで、キャベツのシャキシャキ感だとかご飯の炊き具合などが、普段私が食べている東京やその周辺各県の味と違うものの、そのような細かいところが気にならないくらい同じ味である。なんと素晴らしい。この近くならば生活できるかもしれないな・・・。

店員さんは、多少の日本語が使える。すごいな。

そして、赤嵌樓(ツーカンロウ)に向かう。

ここにも狛犬が。

いやあ、可愛らしい。

狛犬のファンがいるというのもわかる気がする。

水路には、多すぎだろうとも思われる鯉が泳いでいる。そして餌も売っている。(苦笑) 私はついつい餌を買って、鯉の餌やりを行った・・・。

そして、再度見学に戻る。

ここも1653年にオランダ人によって作られた要塞で、かつてはプロビンシア城と呼ばれていた。その後の時代である鄭成功の時代は行政庁舎として使われ、清国時代には放置された。1862年に一度全壊してしまったが再建されたそうだ。

この鄭成功は、母親が九州生まれの日本人で、その親戚などがここ台南に移り住んだりしてきたとのこと。


ここで、他の人をガイドしていた親日っぽいおじさんが現れ、熱心に解説していた。

ニュアンスは聞き取れなかったが、いろいろな国の勢力下に入って、まずはオランダ、鄭成功、清国、日本、そして戦争で負けて台湾を放棄したけれども・・・ と続けざまに言い、不意に言ったので注意不足ではあったが、「でも、本当は日本のものですよ」と確かにそのガイドは言った。 確信を持って、鋭い目で。 ただ、周りの人にあまり聞かれないよう周囲に気を配っていたように思える。私が日本人だったから、そして、解説している相手が日本人だったからそれを言ったのか、とも。

解説すると、日本はポツダム宣言で台湾を放棄したが、その帰属先は明記していなかった。 ただ、ニュースリリースにより台湾は中国のものとなったとだけ流されたが、ただのニュースリリースであり、勝手にそう言っているだけ。 帰属先は明確になっていない、というのがまず歴史的事象。 国会図書館のホームページにもそう書かれている。

そこでこのおじさんは、持論を付け加えた。 「でも、本当は日本のものですよ」と。 これは、中国が主張している「台湾は中国のもの」でもなく「台湾は帰属先が決定されておらず、中に浮いている状態」でもない。 「帰属先は日本である」、とまでこのおじさんは言っている!!

日本びいきの台湾人、またもやここにいた。

しかも、かなりマジメそうなおじさん。
昔の日本人はこういう人だったのかなあ・・・。


ただならぬ親日。

台湾が人気なのもわかる気がする。

そして、周囲をぐるりと散策。

そして、そこを出る。

まだ少し時間があったので、延平群王祠に向かう。タクシーで85元(初乗りそのまま)。

ここは鄭成功を祀っており、かつては開山王廟と呼ばれたようだ。

鄭成功は、漢民族によって滅ぼされた明国の復興を目指したために清朝の下でも尊敬され、日本統治時代には日本人を母とするために手厚く扱われた。 ここは、かつては日本の神社、しかも海外で唯一の神社であった頃もあったようだ。

ここは工事中であったため、半額で見学できた。

そして、その近くにある国家台湾文学館に向かおうと思ったら、その途中に孔子廟(コンツーミャオ)があったのでそこにも立ち寄る。

孔子廟(コンツーミャオ)は台湾最古の孔子廟で、ガジュマルの木の下、早朝には太極拳を行う人々で賑わうそうだ。 今はまばらであるが。

横にある明倫堂の前に、本を読んでいる一人の人が・・・。

中には難しそうな字がたくさん・・・。

本を読んでいる姿が、なんだかかっこよい。

3重の塔で8角の文昌閣。

そして孔子廟(コンツーミャオ)を離れ、国家台湾文学館に向かう。

国家台湾文学館は、建物が凄い。

いきなり立派な建物が現れ、面食らう。

2004年まで改修および増築工事が行われていたとのこと。

当時の建築を損なわないようにするため、難易度の高い工事であったようだ。

もともとは1916年の建築で、当時は台南州庁舎として使われ、戦後は空軍司令部、その後台南の庁舎として再度使われ、今は文学館となっている。

中には、オランダ統治時代から日本統治時代および現代に至るまで、様々な形での文学が紹介されていた。日本語のオーディオ解説機器もレンタル(無料)しており、内容理解の助けになる。

特に印象深かったのが、日本統治時代の文学である。

日本統治が鉄道の建設によって強化されてゆくさまを描き出した文学や、地方から鉄道に乗って都会へ行くときの思いを描き出した文学。 はたまた、戦争に駆り出された思いを描いた文学、民俗が日本統治に抵抗して反乱を起こした出来事を描いた文学、そして、日本軍として徴兵され戦いに出向いた気持ちを描いた文学があったそれは基本的に、悲しい語り部で、涙が出るものもあった。 その一方で、文学館と言うのであるから、戦争に夢を持って日本の皇軍として大和魂を持って戦ったという人もいたことを紹介しなければ、この展示は偏ったものでしかないのではないのか。 両方紹介するのならともかく、ここ、国民党が長らく支配してきた台湾では、この展示が限界なのか? 先ほど見たような、とても親日のおじさんの書いた文学はここにはなかった。

台湾縦貫鉄道。

日本が、鉄道を敷きつつ、どのようにして台湾を統治して行ったか書かれてある作品。


日本が支配せずアメリカが支配していたら、アメリカ統治下にあったフィリピンと同じく、未だ台湾は貧しい暮らしを続けていたかもしれない。 フィリピンは、鉛筆の作り方すら教えてもらえなかった。 少なくとも、選択肢が限られていて植民地争奪戦争のあの時代の最中、理想が理想のまま実現できた筈はないのに・・・。 文学の世界は、見ることのできない理想を描いて、輝き続けていた。

時間もそろそろ電車の出発時刻に近づいてきたので、站(駅)へと向かう。途中のモスバーガーでお腹を満たし、荷物を取ってから電車に乗り込む。

台南から嘉義までは40分ほどだ。嘉義では明日の阿里山鉄道を予約しようと思ったが、8時から5時までしか券売所が開いておらず買うことができない。 阿里山鉄道は通常の13時頃の便と、臨時の9時頃の便があるのだが、站(駅)のインフォメーションに聞くところによると、明日は臨時の便は出ないという。

そういうことであればということで、行きはバスで行くことにする。帰りはぜひ登山鉄道に乗りたいので明日購入を試みる。 無事、9:10発のバスの切符が取れた。座席指定のようだが、あまり混んでいないようだ。ただ、朝来る人がどれだけいるのかがわからないが。 5便あるのでそう混むことはないのかな? 正月なのに・・・。 平日だからか、或いは、旧正月と違ってあまり休まないのか。

そして、近くのセブンイレブンで現金を補給してから、タクシーでホテルに向かう。初乗り100元で、その値段のまま到着した。 ここもまた良いホテルだ。 先日のホテルと同じくらい新しくて綺麗なフロント。 そして、十分な部屋の設備。

朝食も付いているので、明日は朝食をゆっくり取って、それからバスで阿里山に向かおうと思う。

阿里山の神木

2008-01-03

今日は7時に起き、ホテルについている食事を取る。 この嘉義中信大飯店は設備もよいしサービスレベルも及第点だ。チェーンなので台湾の他にもあるようだ。次の機会があったら候補に入れようと思う。

ビッフェ形式の食事を取り、部屋に戻って荷物をまとめてから出発。

駅(火車站)までタクシーで初乗り100元で行く。割とすぐ着く。

まず阿里山鉄道の切符売り場に行き、明日の帰りの切符を買おうとしたら、どうやら帰りの切符は向こうの站(駅)で購入する必要があるらしい。ここでは買うことができなかった。

私が切符売り場の近くにいると、何人かの客引きが阿里山ツアーに誘ってきた。ホテルの案内もある。途中のダムも見ないか? のようなことを言ってくる。 私がバスもホテルも予約済であることを知ると引き下がったが。

周囲を見ると、他にも何人も客引きがいる。 どうやら、今日は正月からも少し外れているし平日だしということで、混雑はほとんどしないようだ。これならば、予約も必要なかったかもしれない。 考えてみれば、今は冬なので"避暑"という需要もなさそうだ。

バスは時刻通りに出発する。 バスはあまり混んでいない。 帰りの切符はまだ買っていないが、行きの混雑がこれであれば、登山鉄道に乗れなかったとしても、バスに乗れず帰れないなどということにはならなさそうだ。

車は市街地を抜け、やがて山に入って行く。

それにしても、このバス、アジア風の車線はみ出し運転が基本のようだ。前を見ていると微妙に怖い。 前を走っていたフォードの車が遅くてバスが追い付きそうになってしまっている。 さすがに加速は負けるが、カーブではバスが勝っている。 話は変わるが、このフォードの車、なかなかにかっこよい。日本車にはない格好良さだ。先日見たフォードの「18」のロゴが入っているブルーの車体なども、非常に格好良かった。 フォード車欲しくなってきたぞ。

バスは山道を進んで行く。かなり登ってきたようだ。山脈が遠くまで連なって見える。

そして、阿里山站(駅)の少し手前のゲートでバスが一時停車した。どうやらここで入場料を払うようだ。これには保険料も含まれているのでなくさず保管する必要があるらしい。

各自がバスから一旦降りて入場料150元をドアのすぐそこの料金支払い所で払い、レシートを受け取った後、バスに戻る。乗り込む時に入り口にいる係の人にレシートを見せてから席に着いた。

そして、バスは再度動きだし、その少し先にある阿里山站(駅)にいよいよ到着した。

ここ阿里山は、250年前に鄒(曹)族の阿巴里という酋長が達邦(地名)から今の阿里山まで来て狩猟に来ており、彼にちなんだ狩猟場所ということで阿里山となったそうだ。

ここは標高2170mほどあるらしい。 微妙に眠くなってきたのは、軽い高山病の症状かもしれない。一気に2000m以上上がってきた影響もありそうだ。 水分を多く取るようにしたい。

バスを降りてまず、ホテルに荷物を置くことにしました。

インフォメーションセンターで聞くと、どうやら歩いてすぐのようだ。


階段を下りていくと、そこそこのホテルが見えてきた。

まあ、山の中にしては悪くない。 部屋も、まあ、まあ、か。

日本語を喋れるおばあさんがいる。とても流暢だ。

荷物を部屋に置いた後、おばあさんに、遊歩道の説明をしてもらい、明日の早朝の祝山への朝日見学の案内も受ける。 どうやら、今(の季節?)はお客が少ないので、祝山までの列車も1往復しかしないらしい。 起きる時間、御来光用の登山鉄道の時間、朝日の時間がフロント前の時計に記載されていた。ふむ。

明日は5時起きか。とは言っても、日本時間の6時であるからいつも起きる時間とさほど変わらない。

そして散歩に出かける。

と、階段を登り始めたら、30秒で吐き気がしてきた。やばい。 たまに動くといつもこれになる。 しかし、ゆっくり動いているうちに次第に楽になることは経験上わかっている。

歩幅を短くし、半歩ずつ進んで行く。 かなりゆっくりと。

車道に出て、遊歩道を進む。

登山鉄道の站(駅)に行ってみました。

駅から見た眺め。

ふと、向こうから電車がやってきた。

たまにしか来ない、数少ない電車。

線路も、それなりに老朽化している。

車道を進み、おばあさんの教えてくれた遊歩道に向かう。


おばあさんが教えてくれた道を進んでいる筈だったが、どうやらいつの間にか逆回りになってしまっていた。 あれれ。 分岐点がわからなかった・・・。 沼平站(駅)を先にまわるつもりだったのに、後になってしまった。

でも、それでも実際問題ないので、逆回りに回る。

阿里山賓館の横を通り、阿里山工作処の近くから巨木群桟道の方へと曲がる。

階段を下りていると目の前に見えてきたのが象鼻木と呼ばれている、象の鼻のように見える木の切り株。

その向こうに見えているのが三代木と呼ばれている、樹齢1500年の倒れた一代目の木の上に、二代目が芽を出し、その上に更に三代目が芽を出しているというものだ。 それらが横に並んでいる。

なんともスケールが大きい。


昔、屋久島に行ったときも思ったが、大きな杉というものは凄いものである。 写真では大きさがわからないので、この「大きさ」は実物でないと伝わらないかもしれない。

社? がある。

その先には千年桐があったりした。名前は千年でも、樹齢は2000年とのこと。

これまた、すっきりとしている。


写真では大きさが伝わらないが・・・。

そしてその先、桟道を下って行くと、慈雲寺のすぐ手前に予想以上の巨大な杉が現れた。

これは凄い。 縄文杉の方が推定樹齢が大きいようですが、それでも、存在感からしてそれに勝るとも劣らない、立派で迫力のある木である。

個人的には屋久島の雰囲気の方が「魔物がいそう」な雰囲気を出していて好きなのですが、それでも、ここ台湾は台湾として、その立派な杉の木を見せてくれている。

ここはせいぜい2000年程度の杉しか見れないが、記憶によると、ここ台湾には縄文杉より樹齢の長い杉も存在した筈だ。
阿里山香林神木

ちょっと歩いて見る分には、これは十分すぎるほど十分だ。 屋久島の「屋杉ランド」のようなところだ。
阿里山香林神木

人間が手を結んで囲もうと思っても、4~5人は必要なのではないか。

阿里山香林神木。
阿里山香林神木

そして、少し戻り、更に桟道を奥に進んで行く。


こちらの桟道に先に下ってしまうと先ほどの巨大な杉が見れなかったのだと思うと、危なかった。

この桟道からは、数多くの巨大杉を見ることができる。

巨大な杉。

人の大きさと比べると、その巨大さは一目瞭然だ。

ただ、写真だとなかなか「大きさ」が伝わらないが・・・。

写真で「人の大きさと比べてこのくらい大きい」と頭でわかるのと、目の前で杉を見て圧倒的な存在感を感じるのはぜんぜん違う。

まさに百聞は一見にしかず、である。

桟道が終わると、そこには神木站(駅)という鉄道駅が現れた。

どうやら、ここと阿里山站(駅)の間は短い区間ではあるものの鉄道が日に何往復かしており、ここから登山鉄道で阿里山站(駅)に戻る人が何組もいた。

私はそこから更に巨木群桟道の「その2」のところを辿って遊覧歩道や沼平駅(火車站)などを経由して、歩いて阿里山駅に戻ったのですが、終わってみれば、ここ神木駅から登山鉄道に乗って阿里山駅に戻ってしまうのがベストであると感じた。

まとめると、阿里山駅が起点&終点とした場合のお勧めコースは以下の通りである。

阿里山駅→阿里山賓館前→阿里山工作処の手前で細い道に入る→象鼻木&三代木→阿里山高地訓練基地の前を通る→右手にお堂(?)のようなものが見えるが、そこは戻る時に見るのでまずは直進→慈雲寺→旌功碑→阿里山香林神木→千年桐(お堂のようなものの横)→巨大群桟道→神木駅→登山鉄道に乗って阿里山駅に戻る(本数が少ないので注意)
※象鼻木&三代木の前までタクシーで行ってもOK。それ以前は見所ではありません。
※起点が阿里山駅ではなく沼山駅(火車站)の場合、象鼻木&三代木以降だけ参考にして下さい。

私は沼平公園を見ていないので、そこの判断はできない。しかし、巨木群桟道の「その1」が見れれば十分で、「その2」は無理して見ることはないと感じた。「その2」もなかなかのものだが、「その1」だけでも十分にその凄さは感じ取ることができる。

そして私は、上に書いた「その2」を通って沼平駅の方へと向かう。次第に霧が濃くなってきた・・・。

ひとやすみしつつ進む。疲れもあってか、眠くなってきた。うとうとすると、汗が乾いて寒くなってくる。 このままだと冷え切ってしまうので、再度歩き出す。

ふと、目の前にいきなり小学校が現れた。

こんな山奥に小学校とはびっくりだ。 そういえば、先ほどの阿里山高地訓練基地も、その表示がある一方で「中学校」の表示も同時にあった。

小学校の前を通り、歩道を通って池を通りかかる。

小学校の横には、このようなお寺? がある。


ここでもまた、霧が迫ってきた・・・。

霧の濃くなる中、歩いて行く。

そして、沼平駅までたどり着いた。

沼平駅の前にタクシーでも止まっているかと思ったが、人気も少なく、駅前の駐車場には車自体あまり停まっていない・・・。 仕方がないかと思って、阿里山駅までルート通り歩くことにする。

車道を通って、ずっと下って行く。

やはり、神木駅から登山鉄道で帰るのが賢かった。

そして、ようやく阿里山駅に到着。

駅前に広がっている売店で、ちょっとお土産を買うことにする。

ここは高地で、お茶も作っているようだ。

昔、屋久島に行ったときに買ったお茶がとても評判がよかったので、同じ雰囲気のあるここのお茶もちょっと気になった。お茶を眺めていたら、私ひとりしかいないのに、お茶を入れてくれるという。試飲するように、とのことだ。

疲れていてお茶も飲みたかったので、有り難く頂く。

ウーロン茶と緑茶の2種類を試飲する。 味はウーロンの方がすっきりしているが、香りはやはり緑茶の方が好みだ。 両親は基本的に緑茶が基本でウーロン茶はわざわざ飲まないので、緑茶を選ぶ。150gで500元(1750円)、100gにすると1150円ほどだ。 いつも飲む静岡茶で100g1200円というと「ちょっとおいしい」くらいのグレードだが、さて、感想はなんと言われるかな。

前に屋久島のお茶を買ったときは、100g500円でも最高においしかったという感想だったが。

ちょっと苦みがあったので、静岡茶で言うところの100g1200~1500円くらいのグレードかな。

そのお店で、会社の人へのお土産物も入手する。さて、これでほとんど心配ごとはなくなった。

そして、ホテルに戻る。

ホテルで夕食が頼めるか聞いたところ、200元で出せるという。思いのほか安い。どうやら、2人で400元という値段表があるのだが、1人だから半額、ということらしい。 1食分であっても手間はそう変わらないことを考えると、この値段はお得な気がする。

30分前までにフロントでオーダーして欲しいとのことなので、その場で時間を指定してオーダーし、お金を払う。 日本だとチェックアウト時に精算というスタイルが基本な気がするが、ここ台湾ではその場で精算、というスタイルが多い気がする。

そして、部屋でゆっくりした後、食事の時間になったのでレストランへ。

これが、思いのほか良い食事だった。

味付けが絶妙。 まるで私が日本人であることを考慮しているかのよう。 野菜や山菜が新鮮で、いくらでも食べられる。 竹の子の煮物が日本風の味付けでとてもおいしいし、野菜炒めひとつとっても、そのキャベツのしっとり感が口にまとわりついてきて更にもう一口、更にもう一口と食が止まらない。 もちろんメインディッシュは、大量に具の入ったお鍋だ。味付けは塩が基本であり、わずかに台湾風の味付け(臭豆腐のような)がなされている。

とは言っても、台湾風の味付けはとても薄く、日本人の私でもとても美味しく食することができる。 お肉はさっぱりと、かまぼこは新鮮で、ちくわのようなものは舌触りがよく、海老の天ぷら?のようなものも入っているが、これまたしっとりとした食感で、脂っこさはほとんどない。 なんという絶妙。 まさかこんなに食べるとは思わなかったほど大量に腹に詰めてしまった。 長く歩いて疲れていたということもあるが、それにしても、これほど食が進んだのは久しぶりだ。

思えば、お風呂の蛇口にも日本語で「カラン← →シャワー」と書いてあったし、浴槽もどうやら日本風。 このホテルは日本びいきなのかな? とも感じる。 おばあさんが日本語ぺらぺらだし。

ただ唯一、部屋やレストランの暖房があまり効いていないのがマイナス点。 私は着込んでいるからいいものの、薄着なら寒いですよ・・・。 布団には電気毛布があるので夜が寒いということはなさそうだけれども。

そして食事を終えて部屋に戻る。

明日は日の出を見に行く。 朝4時50分にモーニングコールがあり、5時50分に駅に到着、6時に登山鉄道出発、観日平台で朝日を見る。その後、帰りの登山鉄道が7時半に出るのでそれに乗って阿里山駅に戻ってくる。

帰りを歩いて戻ってくるという手もあるが、朝がどれだけ寒いかを明日の朝に確認してからどちらにするか決めようと思う。

阿里山の御来光

2008-01-04
今日は、いわゆる新高山である玉山からの御来光を見るため、朝5時に起きて登山鉄道で祝山へと向かう。

もともと夕べはよく眠れなくて、何度も起きてしまっていた。高地にいるためだろうか? モーニングコールがある少し前に目が覚め、支度をして出発。

宿の前の温度計では1度。思いのほか寒くはない。むしろ、夕べ何度も目を覚ましたときの方が寒かった。

この朝の寒さが一番の心配であったが、これならば何とかなりそうだ。

6時半にホテルを出て、7時発の登山鉄道に乗る。

ホテルに表示されていた時間は10分前の余裕のある時間になっていたようだ。

次第に人が集まってくる。

まだ暗い中、登山鉄道は走り始める。


大きな音だ。ディーゼルか?

外が暗くて見えない中、しばらく、20分ほど走って祝山駅に到着。

到着する頃には、空は薄明るくなっていた。

駅のすぐ前にも展望台があって、御来光を眺めることができるようになっていた。

しかし、大勢はそこではなく、観日平台まで車道および階段を上がって行く。


私もそれについて行く。

パンフレットには20分と書いてあったが、元気があればそれほど時間がかからず到着するほどの距離だった。

夜明け前の景色がこんなにも美しい。

この観日平台から、日の出を待つ。

次第に明るくなってくる。

山々の姿も、少しずつ見えてくる。

この観日平台は、標高2500mのようだ。

向こうには、玉山も見える。いわゆる新高山だ。

新高山 登れ。
ニイタカヤマ ノボレ。

その暗号が頭にこだまする。真珠湾攻撃だったか?

この玉山は3952mで、東アジアの最高峰のようだ。
これだけでなく、標高3500mを越える山が20もある。

昔ここに住んでいたツオウ族の人が玉山をパトゥンクァンと呼んでいて、それに「八通關」と当て字がつき、清国時代に「玉山」となった。その後、日本統治時代に入ると「新領土にある富士山よりも高い山」ということで「新高山(にいたかやま)」となったそうだ。命名は明治天皇とのこと。そして戦後に玉山に戻されたということだ。

富士山の姿と違い、この新高山は険しい表情を見せている。

いよいよ日の出が近くなった。


光が雲を照らして光の道を作り上げる。

向こうの山々には既に光が当たっている。

そして日の出だ!

感動的。

光の幻想的な劇。

日の出の進みはとても早い。

光の筋が出た後に、次第に丸い姿が顔を出す。

一秒一秒、次第に光が強くなって行く。

そして、周囲の山々も太陽の光に照らされ、輝き始める。

素晴らしい。

台湾旅行の最後に、このような景色が見られるとは。

天気も、最後の最後になってこんなに晴れやかになった。

満足だ。

そして、再度登山鉄道に乗って阿里山駅に戻る。

やはりディーゼルっぽい。

阿里山駅に戻った後、帰りの切符を買おうとするが、販売開始には少し時間があるようだったので、駅前の屋台のようなところでチャーハンを食べる。 それにしても、チャーハンは外れが少ない気がする。

その後、帰りの鉄道切符を買いに行き、無事購入することができた。 ほっ。 どうやら、まだ十分余裕はありそうでした。

そして、一度ホテルに戻る。

散歩しても良い気分になってきたが、チェックアウト時間が迫っている。 まずは荷物まとめだ。

荷物をまとめた後、ホテルを出る。

まだ少し時間があったのでビジターセンターで紹介DVD放映を見る。観客がわたしだけだったので、スタッフが気を利かせて日本語で上映してくれた。

すると、先日訪れた神木駅の横には樹齢3000年の神の木があったとのこと。何度かの落雷の影響もあり枯れてきてしまい、安全のために近年倒されたのだとか。 なるほど。先日は見損ねたな。倒れた木はあるようだ。
昔の駅

そしてスターバックスで更に時間をつぶす。それにしても、こんな山の中にまでスターバックスがあるとは。 飲み物を注文したら、ケーキをつけてくれた。 いいサービスだ。 二階まで品物も運んでくれた。

スターバックスでゆっくりした後、近くで昼ご飯を食べる。

これまた美味しい。


阿里山の味付けは好みにあっている気がする。

そして、いよいよ登山列車。

またしても人はまばら。


心配することはなかったか。

かなりの轟音と共に進む。

最初の停車駅は、先日見損ねた神木がある神木駅だ。


これが神の木か。。。 倒れてしまっている。 残念だ。

無残にも倒れた神木と、電車の駅。


やはり、近くに人工物を建ててしまったからなのか?

そして列車はゆっくりと坂を下って行く。

一車両に25人、全4両のこの列車は、かなりの揺れと共に急斜面を下っていった。

煙も凄いが、たまにはいいものだ。

そして嘉義駅にたどり着き、予約していた台北行き列車を一本早めて帰途につく。 ここで、私の席がダブルブッキングで先客がいたのだが、私が旅行者だからか、席をゆずってくれた。 台湾の人は親切だなあ。

そして長い時間をかけ台北へ。

今晩は台北駅前のビル19階にある大名商務会館(ターミン)に泊まる。 いい眺めだ。

そして次の日、朝早くのバスで空港に行き、帰途に付いた。(125元)


台湾は複雑でいくつもの文化圏が重なり合っているが、よき友人でいたいと思った。

■余談

帰る際に新宿駅でリムジンバスを降りたが、荷物がトランクから出てきてすぐさま怪しい男が私のバッグを持ち去ろうとした。その男は係員に制止されていて、私がバッグに手を伸ばして持ち去りを防止し、係員にチケットを渡したら確認されて私に渡されたので事なきを得たが。

その後、ずっとその男を見ていたが、最終的に荷物を何も持たずに立ち去った。どうやら2人組のようで、相方はスーツケースを転がしていた。しかも、私のバッグとは似ても似つかない。色も形も違うではないか。 これはもしや窃盗品か・・・?

リムジンバスでは荷物の受け渡しにチケット確認を徹底しているとは聞いていたが、それでも私の場合は危なかった。 あと一歩で持ち去られそうになった。

海外で何もなくて、まさか新宿駅でやられそうになるとはショックである。 油断は禁物だ。

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