テルアビブからエルサレム(Jerusalem, ジャルーサラム)へ移動
テルアビブの宿から日帰りでエルサレム(Jerusalem, ジャルーサラム)に行ってきました。
英語だとJerusalemでジャルーサラムと読むのに、日本語だとエルサレムなのが謎だったけれども、どうやらヘブライ語だとYerushaláyimでイェルシャラユィム或いはエル・シャーロムと読む(Wikipediaより引用)ので日本語だとエルサレム、と呼ばれているようだ。 なるほどねヘブライ語だったのか。
行き方は宿の掲示板に貼ってあったので特に迷わず行くことができた。
それに、Google Mapで経路検索すれば似たようなルートが出てくるので乗り換えの物理的な位置関係も含めてあらかじめチェックしておいたのであまり迷わなかった。
まず、宿の近くのバス停からテルアビブのCentral Stationに向かうローカルバスに乗る。
バスに乗ったところ、どうやら切符は券売機で買うようだが、英語メニューがないのでよくわからない(苦笑)
近くにいる人に聞いたら、どうやら6.9シュケル(約220円)の切符を買えば良いことがわかったので10シュケル硬貨を入れたのだが、おつりが出てこない。
これまた近くに居る人に聞いたら、Central Stationに行っておつりをもらえばいい、とのこと。
そういうものなのか?
いつもそうなのか、たまたまおつりがなかっただけなのかはよく分からない。
宿の掲示板に書いてあったバスが3種類くらいあったのだが、どうやらこのバスはCentral Stationの近くを通り過ぎて違うところに行くようだ。 GPSの動きが鈍くて現在位置ははっきりとはわからないが、なんとなく勘を頼りに周囲の人に聞いてみると、ここで降りればいいらしい。 勘は当たっていた。
鉄道駅から宿まで徒歩で行ったのは役に立っている。
バスあるいはタクシーで向かっていたら土地勘ができていなくて、ここで降りられなかったかもしれない。
今回、イスラエルではスマホのSIMを購入していないのでGPSの動きが悪く、勘に頼るしかない。
SIMが使えて通信ができれば通信の基地局情報あるいは周囲のWifi情報を元に素早くGPSの位置が定まるのだが、今回、SIMを購入していないので、どうもGPSの精度が悪い。
そしてCentral Stationまで歩き、フロア7 のInfomationセンター横のチケット売りの人に切符を渡し、おつりをもらうことができた。 ほっ。
ここで750mlの水を買ったのだが、たかが水なのに8シュケル(約255円)もした。
何この物価? 高すぎじゃないの?
後でスーパーで物価チェックしたらそのくらいだったので、ここが特別高いわけでもないようだ。
そしてフロア6の405番のエルサレム路線に乗る。
そして1時間ほどでエルサレムのCentral Stationに到着。
全員降りるようなので終点ぽいが、ここがCentral Stationかどうか一応他の人に聞いたら、そうだと言う。
そして、Google Mapで確認した位置関係を元に、バスが入ってきた方向が北西なので、南に出てトラム(路面バス)乗り場へと行く。 どちらに向かえば良いのかもGoogle Mapで確認してすぐに判明。
切符を買おうとするが、券売機が1つしかなくて大混雑しており、1つトラムを逃してしまった・・・・。
そして次のトラムに乗り、City Hall駅に向かう。
が、その1つ手前の駅でかなり停車し続けたので、残りは歩いて700mくらいなのでそのくらいなら徒歩で向かうことにする。
そしてようやくエルサレムの旧市街に到着した。
一見ピースフルな場所だけれども、
私が乗ったバスでパレスチナ人が自爆テロをする可能性もあったわけで・・・。
イスラエルを旅行するにはそういったリスクがある。
英語だとJerusalemでジャルーサラムと読むのに、日本語だとエルサレムなのが謎だったけれども、どうやらヘブライ語だとYerushaláyimでイェルシャラユィム或いはエル・シャーロムと読む(Wikipediaより引用)ので日本語だとエルサレム、と呼ばれているようだ。 なるほどねヘブライ語だったのか。
行き方は宿の掲示板に貼ってあったので特に迷わず行くことができた。
それに、Google Mapで経路検索すれば似たようなルートが出てくるので乗り換えの物理的な位置関係も含めてあらかじめチェックしておいたのであまり迷わなかった。
まず、宿の近くのバス停からテルアビブのCentral Stationに向かうローカルバスに乗る。
バスに乗ったところ、どうやら切符は券売機で買うようだが、英語メニューがないのでよくわからない(苦笑)
近くにいる人に聞いたら、どうやら6.9シュケル(約220円)の切符を買えば良いことがわかったので10シュケル硬貨を入れたのだが、おつりが出てこない。
これまた近くに居る人に聞いたら、Central Stationに行っておつりをもらえばいい、とのこと。
そういうものなのか?
いつもそうなのか、たまたまおつりがなかっただけなのかはよく分からない。
宿の掲示板に書いてあったバスが3種類くらいあったのだが、どうやらこのバスはCentral Stationの近くを通り過ぎて違うところに行くようだ。 GPSの動きが鈍くて現在位置ははっきりとはわからないが、なんとなく勘を頼りに周囲の人に聞いてみると、ここで降りればいいらしい。 勘は当たっていた。
鉄道駅から宿まで徒歩で行ったのは役に立っている。
バスあるいはタクシーで向かっていたら土地勘ができていなくて、ここで降りられなかったかもしれない。
今回、イスラエルではスマホのSIMを購入していないのでGPSの動きが悪く、勘に頼るしかない。
SIMが使えて通信ができれば通信の基地局情報あるいは周囲のWifi情報を元に素早くGPSの位置が定まるのだが、今回、SIMを購入していないので、どうもGPSの精度が悪い。
そしてCentral Stationまで歩き、フロア7 のInfomationセンター横のチケット売りの人に切符を渡し、おつりをもらうことができた。 ほっ。
ここで750mlの水を買ったのだが、たかが水なのに8シュケル(約255円)もした。
何この物価? 高すぎじゃないの?
後でスーパーで物価チェックしたらそのくらいだったので、ここが特別高いわけでもないようだ。
そしてフロア6の405番のエルサレム路線に乗る。
そして1時間ほどでエルサレムのCentral Stationに到着。
全員降りるようなので終点ぽいが、ここがCentral Stationかどうか一応他の人に聞いたら、そうだと言う。
そして、Google Mapで確認した位置関係を元に、バスが入ってきた方向が北西なので、南に出てトラム(路面バス)乗り場へと行く。 どちらに向かえば良いのかもGoogle Mapで確認してすぐに判明。
切符を買おうとするが、券売機が1つしかなくて大混雑しており、1つトラムを逃してしまった・・・・。
そして次のトラムに乗り、City Hall駅に向かう。
が、その1つ手前の駅でかなり停車し続けたので、残りは歩いて700mくらいなのでそのくらいなら徒歩で向かうことにする。
そしてようやくエルサレムの旧市街に到着した。
一見ピースフルな場所だけれども、
私が乗ったバスでパレスチナ人が自爆テロをする可能性もあったわけで・・・。
イスラエルを旅行するにはそういったリスクがある。
ダビデの塔
まず、門をくぐってすぐにあるダビデの塔に入った。
入場料は40シュケル(約1280円)。
紀元前数十年のヘロデ王の時代に建てられた要塞らしい。
今は博物館になっている。
その後、旧市街を散策。
食事を取るが、高くてびっくり。 何この値段?
フィッシュ&チップが69シュケル(約2200円)ってどういうこと?
ケバブも同じくらいの値段。 なんじゃこの値段。
結局、一番安いクリームチャウダーみたいなよくわからない食べ物が25シュケル(約800円)なのでそれを頼んだ。
パンはサービスでつくようだ。
オレンジジュースが、最初の言い値が20シュケル(640円)だったが15シュケル(480円)で試してみた。
イスラエルは元々物価が高い上、この旧市街はよその2倍から3倍の物価のような気がする。
入場料は40シュケル(約1280円)。
紀元前数十年のヘロデ王の時代に建てられた要塞らしい。
今は博物館になっている。
その後、旧市街を散策。
食事を取るが、高くてびっくり。 何この値段?
フィッシュ&チップが69シュケル(約2200円)ってどういうこと?
ケバブも同じくらいの値段。 なんじゃこの値段。
結局、一番安いクリームチャウダーみたいなよくわからない食べ物が25シュケル(約800円)なのでそれを頼んだ。
パンはサービスでつくようだ。
オレンジジュースが、最初の言い値が20シュケル(640円)だったが15シュケル(480円)で試してみた。
イスラエルは元々物価が高い上、この旧市街はよその2倍から3倍の物価のような気がする。
エルサレム(Jerusalem, ジャルーサラム)の「嘆きの壁(Western Wall)」
私の中で「紛争」のイメージがあったエルサレムですが、実際は「超」がつくくらいピースフル。
ユダヤ人もキリスト教徒もモスリムも仲良く(?) 嘆きの壁で祈りを捧げている。
この壁の逸話はどこかのページで見てもらうとして、
何が凄いって、この壁、全ての思念を吸い尽くすような気がしたんですよ。
祈りを捧げると、その祈りが壁に吸い込まれてゆく。 何これ? 祈りを吸い込む? 思念が全然跳ね返ってこない。
こんな凄いとこ、世界のどこにも見たことないんだけど。
怒りや憎しみあるいは悲しみはもちろん、喜びという感情ですら吸い込まれてゆく。
この壁、いったい何??? こんなの、初めて見たよ。 どうなってるの?
人はそれなりにいるし、割とざわざわとしているんだけれども、思念を感じると、何故か「静けさ」という言葉がぴったり。
黒服と黒帽子でもみあげを伸ばしているのはユダヤ人(ユダヤ教の信奉者)の中でも特に熱心な人たち「超正統派(ハレーディー)」のようだ。
上半身を前後にゆらして祈りを捧げるのが特徴らしい。
実際に上半身を揺らしているのは、ここにいる黒服&黒帽子の人のうち半分くらいかな?
イスラエルのテルアビブも意外とピースフルだけれども、エルサレム、特に旧市街はそういった静けさが凄い。
人は多いしアラブ商人っぽい人がお土産物屋たくさん出しているけれども、土地の根底にあるものが静か。
イスラエル兵士がたくさんいて銃を持って警備しているけれども、あまり気にならない。
アラブ系やら黒人やらペルシャ商人やら白人やらごちゃごちゃしているけれども、皆、基本的には静かだ。
子供はちょっとは騒ぐけどね。それすらあまり気にならない。
ちょうど嘆きの壁の近くで工事をしていたので多少騒音もあったのだけれども、壁に近づいたら騒音が意識から消えた。
様々な人種が、これほどピースフルに共存できるなんて。
エルサレム、想像と違った。
もっとオーラに満ちあふれているアツい場所かと思っていたら、静けさの場所だったとは。
いやぁ、これは聖地というイメージを覆された。
いろいろな宗教の人たちが一緒に祈りを捧げる、という姿を見たら世界に希望を感じたね。
あと、イスラエルに対する印象もかなり変わってきた。
イスラエルのイメージは元々「いつも戦争している」とか「紛争」とか「パレスチナを迫害している悪者」のようなイメージが多少はあったけれども、実際にはかなりイメージが違う。 兵士も、兵役についた若者たちで基本はピースフル。
私が行ったエルサレムの近くでパレスチナ人がテロをしかけたことがあったらしいけど、もしかして私も巻き込まれた可能性が多少はあったのだな、と思う。 警備も意外と薄いし、テロリストが車とかで乗り込んで銃を撃ち出したら逃げられないんじゃないのかな。 そういう意味では、ピースフルではあってもリスクがあるところだとは思った。 パレスチナ人の大義には同情しないでもないけれどもテロという手段には共感できない。 無差別テロに巻き込まれる側はたまったものではないし。 遠くの日本でいろいろ言うのは勝手だけれども、観光していて無差別テロに巻き込まれることを想像したら、大義はどうであれ、テロは所詮テロでしかないんだな、と思う今日この頃。 テロに巻き込まれなくて良かった。
イスラエルと敵対しているハマスは、ガザ地域のパレスチナ住民を「人間の盾」にして軍事施設を守っている。
日本の報道だとイスラエルは悪者で「ガザ地域の善良なパレスチナ市民を攻撃する悪者のイスラエル」という構図で語られることが多いが、実際はその逆で、ハマスの取っている作戦「人間の盾」なんて非人道的もいいとこ。 イスラエルの方がよほど人道的に感じる。 ハマスの作戦は民間人を巻き添えにして盾にするなんて、残虐非道の行いじゃないか。 人間を盾にするなんて正気じゃないよ。
そういう作戦を取っている限り、一部の「自称・人道主義者」の偏った賛同は得られるかもしれないが、実際の姿がわかるにつれ、大多数はイスラエルを支持して、ハマスを非人道的と判断するようにも思える。 ハマスは自国の民間人の被害をわざと増やすために民間人を脅して避難を許さなかったり、学校や病院あるいは民間人住宅に武器を置いて無差別ロケット弾を飛ばすなんて狂っている。 これは、民間人が戦闘に加わる「ゲリラ」ともちょっと違うから困ったもので・・・。 脅されて逃げることもできない「かわいそうな」パレスチナ人の映像が流れたら、武器を使った側(イスラエル)を安易に非難したくなるかもしれないが、実際にはハマスが悪者であるのはちょっと考えたらわかることなのに。
昔はマスコミの偏った意見で反イスラエル報道が多かったが、今はいろいろ情報源がある。
http://real-japan.org/israel/
とか、ググればいろいろ出てくる。
ユダヤ人もキリスト教徒もモスリムも仲良く(?) 嘆きの壁で祈りを捧げている。
この壁の逸話はどこかのページで見てもらうとして、
何が凄いって、この壁、全ての思念を吸い尽くすような気がしたんですよ。
祈りを捧げると、その祈りが壁に吸い込まれてゆく。 何これ? 祈りを吸い込む? 思念が全然跳ね返ってこない。
こんな凄いとこ、世界のどこにも見たことないんだけど。
怒りや憎しみあるいは悲しみはもちろん、喜びという感情ですら吸い込まれてゆく。
この壁、いったい何??? こんなの、初めて見たよ。 どうなってるの?
人はそれなりにいるし、割とざわざわとしているんだけれども、思念を感じると、何故か「静けさ」という言葉がぴったり。
黒服と黒帽子でもみあげを伸ばしているのはユダヤ人(ユダヤ教の信奉者)の中でも特に熱心な人たち「超正統派(ハレーディー)」のようだ。
上半身を前後にゆらして祈りを捧げるのが特徴らしい。
実際に上半身を揺らしているのは、ここにいる黒服&黒帽子の人のうち半分くらいかな?
イスラエルのテルアビブも意外とピースフルだけれども、エルサレム、特に旧市街はそういった静けさが凄い。
人は多いしアラブ商人っぽい人がお土産物屋たくさん出しているけれども、土地の根底にあるものが静か。
イスラエル兵士がたくさんいて銃を持って警備しているけれども、あまり気にならない。
アラブ系やら黒人やらペルシャ商人やら白人やらごちゃごちゃしているけれども、皆、基本的には静かだ。
子供はちょっとは騒ぐけどね。それすらあまり気にならない。
ちょうど嘆きの壁の近くで工事をしていたので多少騒音もあったのだけれども、壁に近づいたら騒音が意識から消えた。
様々な人種が、これほどピースフルに共存できるなんて。
エルサレム、想像と違った。
もっとオーラに満ちあふれているアツい場所かと思っていたら、静けさの場所だったとは。
いやぁ、これは聖地というイメージを覆された。
いろいろな宗教の人たちが一緒に祈りを捧げる、という姿を見たら世界に希望を感じたね。
あと、イスラエルに対する印象もかなり変わってきた。
イスラエルのイメージは元々「いつも戦争している」とか「紛争」とか「パレスチナを迫害している悪者」のようなイメージが多少はあったけれども、実際にはかなりイメージが違う。 兵士も、兵役についた若者たちで基本はピースフル。
私が行ったエルサレムの近くでパレスチナ人がテロをしかけたことがあったらしいけど、もしかして私も巻き込まれた可能性が多少はあったのだな、と思う。 警備も意外と薄いし、テロリストが車とかで乗り込んで銃を撃ち出したら逃げられないんじゃないのかな。 そういう意味では、ピースフルではあってもリスクがあるところだとは思った。 パレスチナ人の大義には同情しないでもないけれどもテロという手段には共感できない。 無差別テロに巻き込まれる側はたまったものではないし。 遠くの日本でいろいろ言うのは勝手だけれども、観光していて無差別テロに巻き込まれることを想像したら、大義はどうであれ、テロは所詮テロでしかないんだな、と思う今日この頃。 テロに巻き込まれなくて良かった。
イスラエルと敵対しているハマスは、ガザ地域のパレスチナ住民を「人間の盾」にして軍事施設を守っている。
日本の報道だとイスラエルは悪者で「ガザ地域の善良なパレスチナ市民を攻撃する悪者のイスラエル」という構図で語られることが多いが、実際はその逆で、ハマスの取っている作戦「人間の盾」なんて非人道的もいいとこ。 イスラエルの方がよほど人道的に感じる。 ハマスの作戦は民間人を巻き添えにして盾にするなんて、残虐非道の行いじゃないか。 人間を盾にするなんて正気じゃないよ。
そういう作戦を取っている限り、一部の「自称・人道主義者」の偏った賛同は得られるかもしれないが、実際の姿がわかるにつれ、大多数はイスラエルを支持して、ハマスを非人道的と判断するようにも思える。 ハマスは自国の民間人の被害をわざと増やすために民間人を脅して避難を許さなかったり、学校や病院あるいは民間人住宅に武器を置いて無差別ロケット弾を飛ばすなんて狂っている。 これは、民間人が戦闘に加わる「ゲリラ」ともちょっと違うから困ったもので・・・。 脅されて逃げることもできない「かわいそうな」パレスチナ人の映像が流れたら、武器を使った側(イスラエル)を安易に非難したくなるかもしれないが、実際にはハマスが悪者であるのはちょっと考えたらわかることなのに。
昔はマスコミの偏った意見で反イスラエル報道が多かったが、今はいろいろ情報源がある。
http://real-japan.org/israel/
とか、ググればいろいろ出てくる。
聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)
ベツレヘム(Bethlehem)
今日はベツレヘム(Bethlehem)に行く。
エルサレム北側のダマスカス門を出てすぐのところにあるバス停からバスで行く。
先日と同じようにテルアビブからバスで来て、トラム(路面電車)に乗ってダマスカス門駅で降りるとすぐそこがバス停だ。
片道8シュケル(約255円)
宿の掲示板に「21番」と書いてあったので21番を探す。
どうやら、バスの番号は231番で停留所が21番のようだ。紛らわしい。
途中、女性兵士が2人乗り込んできて身分証明書チェックがあった。
2人くらい外に一旦出されて、しばらくしたら戻ってきた。 身分証明書を持っていなかったのかも。
そしてベツレヘム(Bethlehem)に到着。
エルサレムよりも客引きがしつこいかも?
タクシーなんて乗らないのにタクシー勧誘が五月蠅い。
どこに行ったのかは次エントリに載せるとして、帰りについて。
帰りも同じ231番でエルサレムに戻ったが、今度はパレスチナ人っぽい人は全員外に出てセキュリティチェックをしていた。 外国人らしき人やイスラエル人(?)っぽい人はバスの中で身分証を提示したのみ。
エルサレム北側のダマスカス門を出てすぐのところにあるバス停からバスで行く。
先日と同じようにテルアビブからバスで来て、トラム(路面電車)に乗ってダマスカス門駅で降りるとすぐそこがバス停だ。
片道8シュケル(約255円)
宿の掲示板に「21番」と書いてあったので21番を探す。
どうやら、バスの番号は231番で停留所が21番のようだ。紛らわしい。
途中、女性兵士が2人乗り込んできて身分証明書チェックがあった。
2人くらい外に一旦出されて、しばらくしたら戻ってきた。 身分証明書を持っていなかったのかも。
そしてベツレヘム(Bethlehem)に到着。
エルサレムよりも客引きがしつこいかも?
タクシーなんて乗らないのにタクシー勧誘が五月蠅い。
どこに行ったのかは次エントリに載せるとして、帰りについて。
帰りも同じ231番でエルサレムに戻ったが、今度はパレスチナ人っぽい人は全員外に出てセキュリティチェックをしていた。 外国人らしき人やイスラエル人(?)っぽい人はバスの中で身分証を提示したのみ。
聖マリア教会
聖誕教会(Church of Nativity)
次は、ベツレヘムで一番の目玉である聖誕教会(Church of Nativity)に向かう。
ここは、2002年にイスラエル軍兵士とパレスチナ過激派が銃撃戦を繰り広げていたところだが、そんな時に日本人カップルが観光でひょっこり現れて平和ボケ日本人を世界に知らしめた場所でもある(苦笑)
■引用:
イスラエル 侵攻作戦知らず、日本人観光客ベツレヘムの聖誕教会へ
ヨルダン川西岸ベツレヘムで17日、日本人旅行者の若者カップルが、イスラエル軍の侵攻作戦について知らないまま、パレスチナ人とイスラエル軍が対じし続ける聖誕教会を観光しようとして、取材中の報道陣に“救出”される騒ぎがあった。
ベツレヘムのパレスチナ住民が困惑して眺めるなか、若い男女2人はタクシーでたどり着いた同市入り口検問所から、徒歩で市中心部の教会を目指した。ガイドブックを読むのに夢中で、銃撃戦の続く街の異常な様子には、全く気づかなかったという。
防弾チョッキにヘルメット姿の報道陣が通りがかりに2人を発見し、銃弾で穴だらけのビルや路面にちらばる破片、往来をふさぐイスラエル軍の戦車などを指差し、危険を知らせた。2人は初めて異変に気づき、パレスチナ人約200人が篭城を続ける聖誕教会の観光を中止した。
2人は6カ月前から旅行中で、その間テレビ、新聞のニュースは知らず、自治区で何が起きているか何も知らなかったと話している。
そんな教会は、今は平和そのもの。
現在は修復工事中のようだ。
ここは、2002年にイスラエル軍兵士とパレスチナ過激派が銃撃戦を繰り広げていたところだが、そんな時に日本人カップルが観光でひょっこり現れて平和ボケ日本人を世界に知らしめた場所でもある(苦笑)
■引用:
イスラエル 侵攻作戦知らず、日本人観光客ベツレヘムの聖誕教会へ
ヨルダン川西岸ベツレヘムで17日、日本人旅行者の若者カップルが、イスラエル軍の侵攻作戦について知らないまま、パレスチナ人とイスラエル軍が対じし続ける聖誕教会を観光しようとして、取材中の報道陣に“救出”される騒ぎがあった。
ベツレヘムのパレスチナ住民が困惑して眺めるなか、若い男女2人はタクシーでたどり着いた同市入り口検問所から、徒歩で市中心部の教会を目指した。ガイドブックを読むのに夢中で、銃撃戦の続く街の異常な様子には、全く気づかなかったという。
防弾チョッキにヘルメット姿の報道陣が通りがかりに2人を発見し、銃弾で穴だらけのビルや路面にちらばる破片、往来をふさぐイスラエル軍の戦車などを指差し、危険を知らせた。2人は初めて異変に気づき、パレスチナ人約200人が篭城を続ける聖誕教会の観光を中止した。
2人は6カ月前から旅行中で、その間テレビ、新聞のニュースは知らず、自治区で何が起きているか何も知らなかったと話している。
そんな教会は、今は平和そのもの。
現在は修復工事中のようだ。
STARS & BUCKS COFFEE (スターバックスではない)
オリーブの丘に移動
マリアの墓の教会 - Church of the Assumption (Mary's Tomb)
ゲッセマネの園(Gethsemane, Church of All Nations)
オリーブの丘
バージンマリー(聖マリー) 生誕の地(Birth Place of Virgine Mary)
Church of Condemnation
エッケホモ修道院(Ecce Homo Convent)
岩のドーム(Dome of the Rock)
エルサレムの西側、嘆きの壁(Western Wall)の更に西側にあるイスラムのモスク地区に岩のドーム(Dome of the Rock)がある。
最初、この入り方がよく分からなくていろいろな門に突撃してみるが、「Close」とばかり言われて「あっちへ行け」と言われるものの「あっち」がいまいちよく分からない(苦笑)
結局、いくつもの門をチャレンジしたあげく、どうやら嘆きの壁(Western Wall)の横にあるゲートから入れることがわかった。 そういうことね。 この通路は工事用の通路かと思っていたら、モスク地区に通じるルートだったとは。
入り口で、服装チェックがあった。
膝が出ていたり不適切な服を着ている場合は覆う必要があるようだ。
私はOKが出てそのまま通された。
ドームの中に入れるのはモスリムだけ。
礼拝が4時から始まるため、2時半にはモスリム以外の人をエリアの外に出して空気を洗浄する、というようなことを近くにいたガイドが説明していた。
いま2時15分頃なのでギリギリセーフだったようだ。
2時半になったら、係員が「タイムアウト(時間切れ)」と言いながら外に出るように人々を誘導していた。
最初、この入り方がよく分からなくていろいろな門に突撃してみるが、「Close」とばかり言われて「あっちへ行け」と言われるものの「あっち」がいまいちよく分からない(苦笑)
結局、いくつもの門をチャレンジしたあげく、どうやら嘆きの壁(Western Wall)の横にあるゲートから入れることがわかった。 そういうことね。 この通路は工事用の通路かと思っていたら、モスク地区に通じるルートだったとは。
入り口で、服装チェックがあった。
膝が出ていたり不適切な服を着ている場合は覆う必要があるようだ。
私はOKが出てそのまま通された。
ドームの中に入れるのはモスリムだけ。
礼拝が4時から始まるため、2時半にはモスリム以外の人をエリアの外に出して空気を洗浄する、というようなことを近くにいたガイドが説明していた。
いま2時15分頃なのでギリギリセーフだったようだ。
2時半になったら、係員が「タイムアウト(時間切れ)」と言いながら外に出るように人々を誘導していた。
ロックフェラー博物館(Rockefeller Archeological Museum)
Old Yishuv Court Museum
Jewish Quarter
イスラエル博物館(The Israel Museum)と死海文書(The Shrine of the Book)
次に、エルサレム旧市街から歩いてイスラエル博物館(The Israel Museum)に向かう。
入場料はたしか58シュケル(約1870円)。
ここの目的は死海文書(The Shrine of the Book)だが、それ以外の展示も充実していたのでもっと時間に余裕を持ってくれば良かったと少し後悔。 閉館までの2時間だとちょっと慌ただしかった。
まず、入るタイミングでボランティアによるガイドツアーがあったので参加する。
この死海文書およびエルサレム旧市街について、ミニチュアを元に説明してくれた。
町の西にある、今は「岩のドーム」としてイスラムのモスクがあるところは、過去2回立て直されていて、過去はキリスト教の教会だったこと。 その基礎を元に今の「岩のドーム」ができていることなどを解説していた。
ミニチュアには、ローマ時代のコロッセウムっぽいっものがあった。
過去にそのようなものがあった記録はないが、この規模の都市には必ずある筈なのでミニチュアに加えたとのこと。
過去の城壁のほとんどは今は残っていない。
唯一1つだけ、赤くポイントされているところが今の「嘆きの壁」の場所にあたるという。
そしていよいよ死海文書(The Shrine of the Book)の建物へ。
中は写真撮影禁止。
そして博物館の展示も見学する。
閉館までの残り時間が45分くらいしかなかったので慌ただしく見たが、エルサレムで一番の充実ぶりだったのでもっと時間を取ってゆっくり見れば良かった。
中は、撮影禁止(多分)
時間がなかったので撮影よりも見学を優先したが、誰も写真に撮っていなかったのでたぶん撮影禁止だろう。
入場料はたしか58シュケル(約1870円)。
ここの目的は死海文書(The Shrine of the Book)だが、それ以外の展示も充実していたのでもっと時間に余裕を持ってくれば良かったと少し後悔。 閉館までの2時間だとちょっと慌ただしかった。
まず、入るタイミングでボランティアによるガイドツアーがあったので参加する。
この死海文書およびエルサレム旧市街について、ミニチュアを元に説明してくれた。
町の西にある、今は「岩のドーム」としてイスラムのモスクがあるところは、過去2回立て直されていて、過去はキリスト教の教会だったこと。 その基礎を元に今の「岩のドーム」ができていることなどを解説していた。
ミニチュアには、ローマ時代のコロッセウムっぽいっものがあった。
過去にそのようなものがあった記録はないが、この規模の都市には必ずある筈なのでミニチュアに加えたとのこと。
過去の城壁のほとんどは今は残っていない。
唯一1つだけ、赤くポイントされているところが今の「嘆きの壁」の場所にあたるという。
そしていよいよ死海文書(The Shrine of the Book)の建物へ。
中は写真撮影禁止。
そして博物館の展示も見学する。
閉館までの残り時間が45分くらいしかなかったので慌ただしく見たが、エルサレムで一番の充実ぶりだったのでもっと時間を取ってゆっくり見れば良かった。
中は、撮影禁止(多分)
時間がなかったので撮影よりも見学を優先したが、誰も写真に撮っていなかったのでたぶん撮影禁止だろう。
マグダラのマリア教会(Church of Mary Magdalene)
今日は、エルサレム旧市街の東、オリーブの丘にある マグダラのマリア教会(Church of Mary Magdalene) に向かう。
先日行こうとしたが時間外だったので再挑戦したのだ。
火曜日と木曜日の午前中10時から12時までしか開いていない。
教会に行くと、気の小さそうな大人しい修道女(年齢的にはおばさんだけど)が門のところで案内をしていた。
中にいる人も、なんとなく内気っぽい人が多い。 修道女、と言うのっはこういう人たちなのかもしれない。
もしかしたら、この案内なども修道女の修行の一環かもしれないな。
外見はオリーブの丘で一番目立つ金ぴかの建物。
中は撮影禁止だが、立派な壁画が描かれていた。
今日は、これだけのためにオリーブの丘まで歩いてきたが、これは見る価値がある。
先日行こうとしたが時間外だったので再挑戦したのだ。
火曜日と木曜日の午前中10時から12時までしか開いていない。
教会に行くと、気の小さそうな大人しい修道女(年齢的にはおばさんだけど)が門のところで案内をしていた。
中にいる人も、なんとなく内気っぽい人が多い。 修道女、と言うのっはこういう人たちなのかもしれない。
もしかしたら、この案内なども修道女の修行の一環かもしれないな。
外見はオリーブの丘で一番目立つ金ぴかの建物。
中は撮影禁止だが、立派な壁画が描かれていた。
今日は、これだけのためにオリーブの丘まで歩いてきたが、これは見る価値がある。
ヘルツルの丘(Mount Herzl)の国立市民墓地(Helkat Gdolei Ha'Uma)
今日は、ヘルツルの丘(Mount Herzl)に行ってみる。
この墓地はノーマークで、こんなところがあるなんて知らなかったが、通りがかったので見学してみる。 観光向けというよりはイスラエル軍や学校などで教育のために訪れる場所のようだった。 団体客がしんみりとした表情で案内人の話を聞いている。
死者を鎮魂する、とても落ち着いた雰囲気が流れていた。 静かなところだ。
こういうところを見ると、日本のマスコミで騒がれている「残虐非道のイスラエル軍」とはまったく違った、平和を愛するイスラエル市民、という姿が見えてくる。 軍隊も市民からの徴兵制なので根底は一緒だ。
過去に起こったホロコーストで虐殺された歴史を繰り返さない、という強い意志が見て取れるが、その根底にあるのは平和を愛する心なんだな。 イスラエル市民がこれほどまでに平和を愛する人たちだとわかったのが今回の旅路の一つの成果とも言えるかもしれない。 武器は持っているけれども、心は平和なんだ。
今まで無抵抗で殺されていたユダヤ人が立ち上がったのがイスラエルであって、根底にあるのは平和を求める心、というのが少しずつ分かってきた。
ここには、浮ついた心でいる人は1人も居なかった。 皆、静かに死者の心に意識を寄せていた。
この墓地はノーマークで、こんなところがあるなんて知らなかったが、通りがかったので見学してみる。 観光向けというよりはイスラエル軍や学校などで教育のために訪れる場所のようだった。 団体客がしんみりとした表情で案内人の話を聞いている。
死者を鎮魂する、とても落ち着いた雰囲気が流れていた。 静かなところだ。
こういうところを見ると、日本のマスコミで騒がれている「残虐非道のイスラエル軍」とはまったく違った、平和を愛するイスラエル市民、という姿が見えてくる。 軍隊も市民からの徴兵制なので根底は一緒だ。
過去に起こったホロコーストで虐殺された歴史を繰り返さない、という強い意志が見て取れるが、その根底にあるのは平和を愛する心なんだな。 イスラエル市民がこれほどまでに平和を愛する人たちだとわかったのが今回の旅路の一つの成果とも言えるかもしれない。 武器は持っているけれども、心は平和なんだ。
今まで無抵抗で殺されていたユダヤ人が立ち上がったのがイスラエルであって、根底にあるのは平和を求める心、というのが少しずつ分かってきた。
ここには、浮ついた心でいる人は1人も居なかった。 皆、静かに死者の心に意識を寄せていた。
ヤド・ヴァシェム(Yad Vashem, ホロコースト歴史博物館)と杉原千畝の石碑(というか「木」)
ヘルツルの丘(Mount Herzl)の国立市民墓地(Helkat Gdolei Ha'Uma)を抜けて、ヤド・ヴァシェム(Yad Vashem, ホロコースト歴史博物館)に行ってみる。
このヘルツルの丘(Mount Herzl)には杉原千畝の石碑があるらしいので国立市民墓地(Helkat Gdolei Ha'Uma)の中でも名前をチェックしてみたのだが、見た限りでは見つからなかったのでヤド・ヴァシェム(Yad Vashem, ホロコースト歴史博物館)の中も探してみることにしました。 (下記参照。「木」なら発見した)
この施設は入場無料。
中は撮影禁止。
展示はかなり充実していて、学校や軍人っぽい研修生が多く来ていた。
一通り読んだが、日本のことはほとんど書いていなかった。
書いてあったのは
「パールハーバーで日本が参戦」
これだけ(苦笑)
杉原千畝も、樋口季一郎のことも全く書いていないよー。
いろいろ知らなかったことがあったのだが、
・ロシアには収容キャンプがなかった。 というのも、浄化という名目でその場で虐殺していたのでキャンプを必要としなかった。
・ブルガリアは国がナチスの要求を拒否してユダヤ人を匿った
・デンマークも国がナチスの要求を拒否した
・イタリアではナチス占領下でユダヤ人と同様の人種選別が行われ、劣等人種と判断された9~15万人がユダヤ人と同じ運命を辿った
・イタリアではユダヤ人の多くが市民によって匿われ、スイス等に多くが逃れることができた
などなど各種の記述がある中で、日本のことが全く書かれていない。
どうなんだろうなー と思って、ホロコースト歴史博物館を出た後に敷地内を散策し、資料館みたいなところで杉原千畝のことを聞いてみたのだ。 (樋口季一郎の石碑があるとは聞いていなかったので、彼のことは聞かなかった。)
最初、ゴールデンブックのStone(石碑)がどこかを聞いたが、「ゴールデンブック? 何それ?」 みたいな感じでまったく通じず。 どこかのサイトに「ゴールデンブックに載った石碑」とか書いてあったのだが、そうではないの? その後、杉原千畝 (CHIUNE SUGIHARA)という名前を出したら、「ああー、外交官の人ね」みたいな感じになって話が通じた。
さすがにほとんどのスタッフが知っているほどの有名人のようだ。
どうやら、石碑というよりは、ここには「木」があるようだ。
その木の横にはプレートがあるので、これを石碑と呼べなくもないが、石碑とはちょっと違うよねえ。
これとは別に、石碑があるのかな?
↓ 正確な場所はここ。 入り口のInfoに聞くと大体の場所は教えてくれる。 Childrenの入り口の裏側(北側)だ。 通路から見える位置にプレートがかけてあるので靴を汚す必要はない。 私は奥まで探しまくったので靴が汚れてしまったが。
以下の赤い×印のところが「木」。
青い×印は Children’s Memorial の入り口。
青い○印はインフォメーションセンターの位置。 インフォメーションセンターから左下(南西)に向かうとホロコースト歴史博物館に入れる。 ホロコースト歴史博物館の出口は左上のあたりなので、そこから出口に向かう途中にあるChildren’s Memorial の入り口の裏側を見れば杉原千畝の木とそのプレートを発見することができる。
こちらにも公式マップがある http://www.yadvashem.org/yv/en/visiting/map.asp
↓これが、Children’s Memorial の入り口。 この向こう側に木はある。
日本のサイトを見ると「エルサレムの丘」とか書いてあるが、エルサレムに丘はたくさんあるし、「人道の丘」なんて、、一体どこだ? という感じだったので、これをリクエストしてくれた元同僚のGoogle Mapのガイダンスがなかったから発見できなかったところだ。 もっとも、ヘルツルの丘(Mount Herzl)は広いのでどこにあるのかは探し回らないといけなかったが。
引用:
1969年 イスラエル政府宗教大臣より勲章を受ける
1985年 1月18日 イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)」受賞
1985年 11月 エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑の除幕式。
http://www.chiunesugihara100.com/visa-thanks1.htm
引用:
1985年にはイスラエル政府からヤド・バシェム賞を受賞し、エルサレムの丘に顕彰碑が建てられました。
http://www.wasedaweekly.jp/detail.php?item=1123
上記を見る限り、「エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑」の木の方は発見したっぽい。
顕彰碑は、その木の横にあるプレートのことかな? それとも別の何かがあるのかな???
それにしても、イスラエルは想像以上に世界史を理解する上で重要なことに今更ながら気付いた。
イスラエルを単なる悪者、としてしまうと世界史を見誤るような気がしてきた。
そして、ホロコーストはたった70年前に起こった悲劇ということを思うと、人間の性質というものは一体どうなっているんだろう、と、状況が理解できない感じだ。
おびただしい靴の数。 虐殺されてゆく人々。
そして、そんな中で生まれたイスラエル建国運動。
なんとなく思ったのは、イスラエルとは、日本人が理解するには以下のように考えればいいような気がした。 あくまでもSFチックに置き換えてみましたよ。
・元寇が仮に成功していたとする。日本は中国に占領され、日本人は捕虜になり奴隷になるか、或いは他の国に逃げ出して祖国を離れざるをえなくなった。
・日本人は、各国の日本人居住区に暮らすようになり、日本人同士のネットワークを発展させた。
・近年、D国により日本人が劣等人種と見なされ、発見次第「浄化」の名の下、強制収容キャンプに入れられ、ガス室で殺された。
・世界大戦が勃発する。 日本人は各国を追われて逃げ出すが、逃げた先がD国に占領されると更に逃げる必要に迫られた。
・大戦が終わり、日本人の虐殺は終わって歓喜する日本人。 このような悲劇を繰り返さないため、日本人は日本人がもといた土地へ帰るべきだ、という建国運動が始まる。
・既に日本列島には中国人が多数移住しており、「どうして自分たちが立ち退かないといけないのだ」と反発をする。
・そこで戦争が起こり、日本人が勝って、日本列島の一部から中国人を追い出すが、まだ一部に中国人が居座っており、国際的な世論を引き起こして日本人の残虐非道ぶりを世界に宣伝している。
・日本列島は日本人居住区と中国人居住区に分断され、行き来にも制限がある。
・中国人居住区では「人間の盾」により学校や病院が武装化され、ミサイルが日本人居住区に向かって多く発射された。 反撃をするためには学校や病院を攻撃しないといけないが、そこで死人が大量に出る度に中国人は「日本人は残虐だ」と声明を出す。 実際には、市民を脅かして学校や病院から逃げてはいけないと言っているので被害は広がる一方だが、中国人は仲間の死を宣伝に使うため死者を増やす戦略「人間の盾」を行っている。
・日本人は戦いたいのではなく祖国で平和に暮らしたいだけなのだが、建国運動が元となって、争いが新たな争いを招く状況になっている。 戦争が10年に一度は起こる、非常に戦争の多い国になってしまった。
みたいに置き換えて考えるとイスラエルを理解しやすいような気がした。
中東の遠い国だしね。
日本と中国に置き換えた方が日本人には理解しやすいでしょう。
このヘルツルの丘(Mount Herzl)には杉原千畝の石碑があるらしいので国立市民墓地(Helkat Gdolei Ha'Uma)の中でも名前をチェックしてみたのだが、見た限りでは見つからなかったのでヤド・ヴァシェム(Yad Vashem, ホロコースト歴史博物館)の中も探してみることにしました。 (下記参照。「木」なら発見した)
この施設は入場無料。
中は撮影禁止。
展示はかなり充実していて、学校や軍人っぽい研修生が多く来ていた。
一通り読んだが、日本のことはほとんど書いていなかった。
書いてあったのは
「パールハーバーで日本が参戦」
これだけ(苦笑)
杉原千畝も、樋口季一郎のことも全く書いていないよー。
いろいろ知らなかったことがあったのだが、
・ロシアには収容キャンプがなかった。 というのも、浄化という名目でその場で虐殺していたのでキャンプを必要としなかった。
・ブルガリアは国がナチスの要求を拒否してユダヤ人を匿った
・デンマークも国がナチスの要求を拒否した
・イタリアではナチス占領下でユダヤ人と同様の人種選別が行われ、劣等人種と判断された9~15万人がユダヤ人と同じ運命を辿った
・イタリアではユダヤ人の多くが市民によって匿われ、スイス等に多くが逃れることができた
などなど各種の記述がある中で、日本のことが全く書かれていない。
どうなんだろうなー と思って、ホロコースト歴史博物館を出た後に敷地内を散策し、資料館みたいなところで杉原千畝のことを聞いてみたのだ。 (樋口季一郎の石碑があるとは聞いていなかったので、彼のことは聞かなかった。)
最初、ゴールデンブックのStone(石碑)がどこかを聞いたが、「ゴールデンブック? 何それ?」 みたいな感じでまったく通じず。 どこかのサイトに「ゴールデンブックに載った石碑」とか書いてあったのだが、そうではないの? その後、杉原千畝 (CHIUNE SUGIHARA)という名前を出したら、「ああー、外交官の人ね」みたいな感じになって話が通じた。
さすがにほとんどのスタッフが知っているほどの有名人のようだ。
どうやら、石碑というよりは、ここには「木」があるようだ。
その木の横にはプレートがあるので、これを石碑と呼べなくもないが、石碑とはちょっと違うよねえ。
これとは別に、石碑があるのかな?
↓ 正確な場所はここ。 入り口のInfoに聞くと大体の場所は教えてくれる。 Childrenの入り口の裏側(北側)だ。 通路から見える位置にプレートがかけてあるので靴を汚す必要はない。 私は奥まで探しまくったので靴が汚れてしまったが。
以下の赤い×印のところが「木」。
青い×印は Children’s Memorial の入り口。
青い○印はインフォメーションセンターの位置。 インフォメーションセンターから左下(南西)に向かうとホロコースト歴史博物館に入れる。 ホロコースト歴史博物館の出口は左上のあたりなので、そこから出口に向かう途中にあるChildren’s Memorial の入り口の裏側を見れば杉原千畝の木とそのプレートを発見することができる。
こちらにも公式マップがある http://www.yadvashem.org/yv/en/visiting/map.asp
↓これが、Children’s Memorial の入り口。 この向こう側に木はある。
日本のサイトを見ると「エルサレムの丘」とか書いてあるが、エルサレムに丘はたくさんあるし、「人道の丘」なんて、、一体どこだ? という感じだったので、これをリクエストしてくれた元同僚のGoogle Mapのガイダンスがなかったから発見できなかったところだ。 もっとも、ヘルツルの丘(Mount Herzl)は広いのでどこにあるのかは探し回らないといけなかったが。
引用:
1969年 イスラエル政府宗教大臣より勲章を受ける
1985年 1月18日 イスラエル政府より「ヤド・バシェム賞(諸国民の中の正義の人賞)」受賞
1985年 11月 エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑の除幕式。
http://www.chiunesugihara100.com/visa-thanks1.htm
引用:
1985年にはイスラエル政府からヤド・バシェム賞を受賞し、エルサレムの丘に顕彰碑が建てられました。
http://www.wasedaweekly.jp/detail.php?item=1123
上記を見る限り、「エルサレムの丘で記念植樹祭と顕彰碑」の木の方は発見したっぽい。
顕彰碑は、その木の横にあるプレートのことかな? それとも別の何かがあるのかな???
それにしても、イスラエルは想像以上に世界史を理解する上で重要なことに今更ながら気付いた。
イスラエルを単なる悪者、としてしまうと世界史を見誤るような気がしてきた。
そして、ホロコーストはたった70年前に起こった悲劇ということを思うと、人間の性質というものは一体どうなっているんだろう、と、状況が理解できない感じだ。
おびただしい靴の数。 虐殺されてゆく人々。
そして、そんな中で生まれたイスラエル建国運動。
なんとなく思ったのは、イスラエルとは、日本人が理解するには以下のように考えればいいような気がした。 あくまでもSFチックに置き換えてみましたよ。
・元寇が仮に成功していたとする。日本は中国に占領され、日本人は捕虜になり奴隷になるか、或いは他の国に逃げ出して祖国を離れざるをえなくなった。
・日本人は、各国の日本人居住区に暮らすようになり、日本人同士のネットワークを発展させた。
・近年、D国により日本人が劣等人種と見なされ、発見次第「浄化」の名の下、強制収容キャンプに入れられ、ガス室で殺された。
・世界大戦が勃発する。 日本人は各国を追われて逃げ出すが、逃げた先がD国に占領されると更に逃げる必要に迫られた。
・大戦が終わり、日本人の虐殺は終わって歓喜する日本人。 このような悲劇を繰り返さないため、日本人は日本人がもといた土地へ帰るべきだ、という建国運動が始まる。
・既に日本列島には中国人が多数移住しており、「どうして自分たちが立ち退かないといけないのだ」と反発をする。
・そこで戦争が起こり、日本人が勝って、日本列島の一部から中国人を追い出すが、まだ一部に中国人が居座っており、国際的な世論を引き起こして日本人の残虐非道ぶりを世界に宣伝している。
・日本列島は日本人居住区と中国人居住区に分断され、行き来にも制限がある。
・中国人居住区では「人間の盾」により学校や病院が武装化され、ミサイルが日本人居住区に向かって多く発射された。 反撃をするためには学校や病院を攻撃しないといけないが、そこで死人が大量に出る度に中国人は「日本人は残虐だ」と声明を出す。 実際には、市民を脅かして学校や病院から逃げてはいけないと言っているので被害は広がる一方だが、中国人は仲間の死を宣伝に使うため死者を増やす戦略「人間の盾」を行っている。
・日本人は戦いたいのではなく祖国で平和に暮らしたいだけなのだが、建国運動が元となって、争いが新たな争いを招く状況になっている。 戦争が10年に一度は起こる、非常に戦争の多い国になってしまった。
みたいに置き換えて考えるとイスラエルを理解しやすいような気がした。
中東の遠い国だしね。
日本と中国に置き換えた方が日本人には理解しやすいでしょう。